第1章 羽島真琴と稲沢誠也

第1話「信じられない現実」

目が覚めると、見覚えのない部屋にいた。


「ここは、どこなんだろう…?」


記憶が曖昧だった。

頭がぼんやりしていて、よく働かない。


分かるのは自分が羽島真琴であるということと、ここが僕の部屋ではないということ。


僕の部屋にはロックバンドのポスターなんか張ってないし、

使い古したエレキギターも置いていない。


「汚いな……」


コンビニ弁当や飲みかけのペットボトルが、そこら中に散乱している。

机の上には財布や鍵といった貴重品まで無造作に置きっぱなしになっていた。

なんて危機感のない人だ。

その横、財布から漏れたのか、免許証らしきものまで落ちている。

どうやら自動車ではなく、原付の免許みたいだ。


そこには制服を着た金髪の男が、不機嫌そうな顔で映っていた。

耳にはピアスをし、髪はワックスで固められ、Yシャツのボタンは中途半端に外れている。見た目で人を判断したくはないが、ちょっと不良っぽい。


そして、氏名の欄には「稲沢誠也」と書かれてあった。


「……知らないな」


この人が、この部屋の主なんだろうか。

いや、そもそもなぜこんな部屋にいるのだろうか。

まだ頭が働いていないのか、昨日のことを何も思い出すことが出来ない。

ただ、僕がこんな場所にいるということは、

誰かにここまで運んできて貰ったということだろう。


じゃあ、一体誰に……?


何も思い出せなかった。

どうやら随分と長い時間眠っていたようで、

頭も身体もだるい感じがする。

それに……。


「お腹空いた……」


極度の空腹。

このままじゃ倒れてしまいそうだ。

昨日の僕に、一体何があったのだろうか。

真相はよく分からないけれど、今はとにかく食べ物を口にしたい。


見知らぬ部屋を後にして、僕はリビングへと赴いた。

とにかくこの家の主を見つけて、事情を聞かせてもらう事にしよう。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


戸を開けると、そのままリビングへと繋がっていた。

明かりがついておらず、どことなく部屋の雰囲気が暗い。

さっきの部屋とは打って変わって、家具らしき物が殆ど見当たらなかった。和風の部屋に置かれているのは、ちゃぶ台といくつかの人形だけ。今時ちゃぶ台を使う家があるのか、と軽く吐いて辺りを見渡す。


「あの、誰かいませんか?」


……反応はない。

というか、自分の声にびっくりした。

長らく眠っていたからか、妙に低く籠ったような声が出た。


「わっ……!?」


返事の代わりに聞こえたのは、誰かの驚いた声だった。

高い声、女性の声だ。

声のした方を見ると、奥にも2つほど部屋があるようだった。


あの部屋に誰かいるのだろうか。

とてもあの声の主が「稲沢誠也」だとは思えないけど、

同居人がいるのだとすれば、挨拶をしておかないと。


何があったのかは覚えていない。

ただ、誰かが僕をここに運んでくれたのなら、

きちんと礼をしておかなければ。


そう思って、奥の部屋に近づく。

緊張しつつもドアノブに手を掛け、扉を開けようとした、その瞬間――


「……………」


中から出てきたのは、制服姿の女の子だった。

どこか幼さの残る、あどけない顔だ。

ベリーショートの髪型に、ピンク色のリボンがよく目立つ。

見た目的には中学生……いや、この制服には見覚えがある。

たしか、三枝高校……地元の公立高の制服だ。高校生か。


女の子は僕を見ると、一瞬だけ驚いたような顔をしてみせた。

しかし、何かを言う訳でもなく、すぐに視線を逸らされてしまう。


……気まずい。


唐突に鉢合わせしたから、何を言えばいいのか分からなくなった。

お邪魔してます、と言うにはお邪魔した記憶がない。おはようございます、と言うのもなんだか不自然か。


向こうもずっと、口をへの字に曲げたままだった。

部屋の前、互いが正面に向き合ったまま、沈黙の時だけが流れていく。


「え、えーっと……はじめまして」


何か言わなければ。

沈黙を嫌って、僕が先に口を開いた。


「驚かせてしまってすみません。ついさっき目が覚めて……」


反応がない。

それどころか、女の子は一向に目を合わせようとしてくれなかった。


「えっと、何も覚えてなくて。

 目が覚めたらこの家にいたんだけど……あなたが連れてきてくれたんですか?」


「……………」


僕が言葉を発するたびに、女の子は怪訝そうな表情を強めていった。

もしかして、僕、嫌われてる……?

まさか。この子とは初対面のはず。

気に障るようなことをした覚えはない。


「……あっ」


やがて女の子は僕を完全にスルーして、そのまま玄関の方へと向かっていく。


待って。なんで何も答えてくれない。


部屋を見渡す。乱雑に置かれている雑誌類は、きちんと日本語で印字されている。

うん、大丈夫。ここは日本だ。言葉は通じているはずだけど……。


「ちょっと待って!」


ローファーをきっちり履いて、女の子は今にも外へと出ようとしている所だった。

今は登校の時間なんだろうか。

でも、待ってほしい。ここで僕をひとりにされたら困る。


「待って! いや、待ってください!なんで何も答えてくれないんですか!?」


家を出ようとする女の子の腕を掴む。

彼女は抵抗してくるけど、無視される道理もないはずだ。


「何かをするつもりはないんです。ただ、事情を教えて欲しくて……」

「なんで僕はこんな所に……いるんでしょうか」


必死だった。

訳が分からなくて、状況が読み込めなくて、

とにかく事態を説明してくれそうなのは、この子しかいないと思った。


どうして僕はこの部屋で寝ていた?

どうして僕は無視されている?


そんな質問を矢継ぎ早に問いかけながら、

僕は女の子の回答を待った。


しかし、女の子は抵抗する力をより一層強めるばかりだった。

そして――


「うっるさいなぁ!!!!」


近付く僕を振り払うかのように、

家中に響く大きな声で、女の子は叫んだ。


「え……」


「朝から何かの嫌がらせですか!? 何かを裏で企んでるんですか!?

 人に散々迷惑かけて、全てをなかったことにするつもりですか!?

 ここは私の家なのか? なんであんたがウチにいるのか?

 そんなの知ったこっちゃないでしょ!自分のご都合主義で物事を考えないでよ!」


初対面の女の子に向けられたのは、怒りの感情だった。

小さな身体を震わせるようにして、女の子は全身全霊で怒りを露わにしていた。

さっきまで僕を無視していた女の子は、鋭い目つきで僕のことを睨んでいる。

でも……。


「……誰かと勘違いしていませんか。僕は何かした覚えはない」


僕と彼女は初対面だ。

怒られるようなことは、何もしていない。


「はぁ? 勘違い? 元々最低な人間だと思っていたけど、あんたは本当に最底辺のドベの人間なんですね」


「寝ている間に何かしたのなら謝ります。でも、本当に覚えていなくて。

目が覚めたら奥の部屋にいて……ただそれだけなんです」


「とぼけたフリをすれば許されるとでも思った?

いつ帰ってきたんだか知んないけど、慣れ慣れしく話し掛けないでよ!」


……なんだ、この違和感。

話が全然噛み合いそうにない。


この子は今、なんて言った?

「帰ってきた」

僕のことを見ながら、確かにそう言ったはずだ。


「帰ってくるも何も、僕はここに住んでなんか……」


「……ふん」


「あっ、ちょっと待って!」


バタン!と強く戸を閉める音が、家中にこだまする。

僕の言葉を聞き終える前に、女の子は外へと出て行ってしまった。


「なんなんだよ、一体……」


朝から初対面の女の子に怒鳴られ、

見知らぬ家に取り残された。

頭がどうにかなりそうだった。

状況が全く把握できない。

なぜ僕が罵声を浴びせられなきゃいけないのだろうか。


……あの子を追いかけようか。

いや、追い付いたところで、同じような反応をされるのは目に見えている。

家の中だからよかったものの、外でやれば警察沙汰になりかねないような気もする。


……仕方がない。

そう割り切ることにした。今はとにかく、一度落ち着くことにしよう。

答えの分からない問いに焦るのは禁物だ。

解答までの道のりは、常に冷静沈着でいなければならない――





――そう、思ったのだが。




「えっ…………」



玄関に置かれていた姿見を目にしたその瞬間、

必死に冷静さを保とうとしていた僕は、

途端に頭が真っ白になってしまった。



「……嘘だ」



僕を映しているはずのその鏡は、



「……絶対、嘘だ」



僕ではない、他の誰かの姿を映し出していた。



「いやいや、こんなの……」



鏡に映し出されていたのは、



「夢……だろ……?」



免許証に映っていた金髪男の姿だった。



「……なんだ、この姿は」



……どういうことだ。



そういえば、

起きた時から身体が鉛のように重い。

単純に寝すぎたせいかと思ったけど……

そうじゃない。これは、身体自体が重くなっているんだ。


「そんな馬鹿な……」


声が低いのは朝だからかと思ったけど、

どうやらこれも地声だ。

手の感触もある。頭もはっきりとしている。

信じられないことだけど、これは紛れもない現実だ。


「――真琴!」


その瞬間だった。

鏡に映った自分を見ているうちに、

昨日の記憶が頭に浮かんできた。


それは、一人の女の子が、僕の名前を叫んでいる映像。


そして――


光を放った一台のバイクが、僕に向かって突っ込んでくる映像。


映像が走馬灯のように蘇ってきて、僕は昨日のことを全て思い出した。

……そうだ。どうして忘れていたんだろう。



僕は、昨日――




交通事故に、遭ったんだ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


人は二度死ぬ。

この街に伝わる言葉があった。


一度目は、魂が身体を失った時。

二度目は、人の記憶から忘れられた時。


そして、その身体を失った魂が他の身体に宿ることを――


人は、輪廻と呼んだ。


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