うたかたの輪廻 ―Novel Edition―

香月てる

序章 終わりと始まり

プロローグ「人形流しの朝」

…………朝だ。


視界に広がるのは見慣れた天井。

聞こえてくるのは家族の足音。

下の階から聞こえる電子レンジの音が、朝の雰囲気を演出していた。


さて、そろそろ布団から出なくては。


身体を起こし、壁に掛けられた時計の針を確認する。

示された時刻は七時ちょうど。

いや、この時計は三十分進んでいるから、正確な時刻は六時半か。


普段通りの起床時間だった。

一度目のアラームではなく、二度目のアラーム音で目を覚ます。


何一つ変わることのない、普段通りの日常。


「おはよう真琴、そろそろご飯出来るよ」


そうして僕の起床時間を把握している母親がキッチンから僕を呼ぶ。


「今いくよ」


そう答えてから僕が着替え始める所まで。

全てが変わることのない、日常生活のルーティーンだ。


さて―。


着替えながら、カレンダーを確認する。


【20XX年9月1日水曜日】


今日は……例の日か。

今年もまた、この日がやって来たという訳だ。


「真琴、早く起きなさい」


「分かった。今すぐ行くから」


船山町で代々行われている、伝統的な行事。

『人形流し』の時が、今年もまた、やってくる。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「遅刻するから早く食べちゃいなさい。それと、お弁当はここに置いておくから。忘れるんじゃないよ」


「うん。ありがとう」


営業マンとして世界中を飛び回っている父は、既に家を出てしまったようだ。


父は基本、家にいない。母も朝から仕事がある。僕が家を出るのと同時かそれよりも早い時間帯に家を出るため、自動的に僕が最後に家を出ることになる。


だから、僕が起きる頃には、母はいつも忙しそうにしている。諸々の家事を済ませる内に、仕事モードへ変身。その瞬間を横目に見ながら、僕はいつも朝食を食べる。


……ありがたい。


食卓に並べられたのは、白米と味噌汁に定番のおかずが数品。

冷凍食品や出来合いの物はひとつもない。

全て起きてから母が作り、用意してくれたものだ。


「それじゃあ先に行くからね。戸締りもしっかりとしておくこと。あー、あと、火の元の確認もお願いね」


「分かってるよ」


普通なら、面倒だとかそういうことを思ったりもするのだろうか。


正直、僕だってそういう風に思ってしまったりすることはある。

あるけれど、基本は感謝をしている。

両親から受ける子への愛情を、否定することがカッコイイとは思わない。


「あ、それと」


それはたぶん、羽島家に共通している想いによるものだ。


「今日はちゃんと琴音ちゃんに挨拶してから行きなさいよ。あの子なら特別な日とか意識しないかもしれないけど、そこは弟としてしっかりね」


「それも分かってる。一度も忘れたこと、ないから」


「……そっか」


羽島琴音。

そう、自分の姉の為にも。

僕は両親の愛を受ける必要がある。

羽島家には、そういう共通の想いがあるのだと思う。


「じゃあ、戸締りよろしくね」


「はいはい。気をつけて」


この家族は、幸せだ。

バラバラな生活ではあるけれど、そこには確かに愛が溢れている。


たったひとつの不幸を除けば、羽島家は幸福に包まれている。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


朝食を終え、姉へ挨拶をしていた。

和室の一角に添えられた、大きな祭壇。

そして、その祭壇に並べられた2つの人形。


僕の姉は、そこに眠っている。


「琴姉」


姉の名を呼んだ。

羽島琴音という名前だから、僕は琴姉と呼ぶ。


「今日で七年目だって。琴姉の魂が輪廻してから」

「学校から帰ってきたら、しっかり連れていってあげるから。だから、それまで待っていてくれよ、琴姉」


この街には、少し変わった習慣がある。


人は二度死ぬ。

それが、この街に伝わる言葉だった。


一度目は、魂が身体を失った時。

二度目は、人の記憶から忘れられた時。


身体を失った魂が他の身体に宿ることを、人は、輪廻と呼んだ。


「僕は琴姉のこと、最後まで忘れないからな……」


だから、人形を用意する。

人形を用意すれば、そこに亡き者の魂が辿り着くのだと言われている。

僕らが死者を忘れない限り、死者が二度目の死を遂げることはない。


「琴姉もそこから僕を見守っていてくれよ。僕は僕なりに、頑張って生きていくから」


祭壇の人形に向けて、語る。


『人形流し』とは、その人形を弔いの為に川流しする伝統行事だった。

毎年『人形流し』をすることで、死者の魂に悪霊が取り憑かないようにしている。


「それじゃあ、行ってくるよ」


そろそろ時間だ。

もう一度祭壇に手を合わせ、その場を後にする。

学校へ行けば、また忙しい日常が待っている。


七年前。

琴姉は、交通事故で亡くなった。

不運な事故だったのだという。

交差点から迫りくるトラックの影に、琴姉は最後まで気付かなかった。


この街には、そんな家族が沢山いる。

大切な人を失った人たちが、輪廻の習わしを求めてこの街へやってくる。

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