失恋王女、首を傾げる(1)
さて、社交シーズンにおいて、独身の令嬢たちの最大の関心事はなにか、と言えば、それは当然決まっている。ことに、デビューを迎えたばかりの、つまりはシャルロッテと同じ年齢の少女たちにとって一番興味深い話題、それは――。
「あなた、先日のトロムリッツ公爵家での夜会、出席されたのでしょう?」
「ええ、もちろん」
「じゃあ、見ていたのよね――シャルロッテ殿下と、護衛騎士様の……」
「ふふ……もちろんよ!」
きゃあ、と悲鳴のような声をあげて、参加できなかったと思しき少女が詳しい話を聞かせてとせがむ。参加した少女が得意げに頷いて、周囲を見渡した。期待に満ちた目が集中しているのを確認して、満足げに口を開く。
「じゃあ、まずはお二人が登場なさった所から――」
わぁっ、と歓声が上がり、その場はますます姦しい。
――そう、彼女たちが最も関心を寄せる話題。それはいわゆる「恋バナ」というやつである。
どこの誰とどこの誰が恋人同士になっただとか、振られただとか、禁断の恋がどうだとか。
一応、彼女たちの名誉のために言っておけば、それはいわゆる情報収集の手段の一つである。より良い嫁ぎ先を見つけるため、そういった色恋沙汰の情報はなるべく早く入手しなければならない。
恋人のいる男にかまっている間に、優良物件が根こそぎ無くなっている可能性だってあるのだから。恋愛結婚が主流となった今だからこそ、彼女たちにとっては欠かせない話題というわけである。
――まあ、単に世の女性たちがそういった話題を特に好んでいる、というのも理由の一つではあろう。特に、この「王女と護衛騎士」の話題については。
もはや日課と化した薔薇園での散策、その途中に聞こえてきた話し声に、シャルロッテはぴたりと足を止めた。
幸いなことに、声の主たちは生垣の向こうにいて、王女とその護衛騎士の存在には気が付いていないようだ。そのことに安堵しながら、シャルロッテがちらり、とランベルトの顔を伺い見ると、当然彼にも聞こえていたのだろう。楽し気に口元を緩ませているのが見て取れる。
最近の彼は、なんだかとっても機嫌が良い。以前は、本当に時たましか見せてくれなかったような表情を、惜しげもなく見せてくれる。
それが、シャルロッテに与える効果など、きっと気が付いていないくせに。恨みがましい視線を送ってみるものの、気付く様子など全くない。どうやら彼の興味は今、生垣の向こうの声にあるようだ。
「素敵だったのよ! エーミール様に無理やり連れて行かれそうだったシャルロッテ殿下を、ランベルト様がね――」
「さっとエーミール様とシャルロッテ殿下の間に割って入られて」
少女たちは、話をしているうちにだんだんと興奮してきたらしい。淑女らしからぬ大きな声で、きゃいきゃいと話を続けている。
「『シャルロッテ様は今宵は私のものですので』って仰ったって本当?」
「まあ! ランベルト様って、あの黒髪のほうの護衛騎士様でしたわよね? 私は前からお二人のこと、怪しいと思っていたわ!」
「ええ、そうですわよね……スヴェン様がああだというのに、ランベルト様ったら浮いたお噂の一つもなくて」
くすくすと笑い合う声と、衣擦れの音。次第に遠くなる声に、シャルロッテは、止めていた息を大きく吐いた。
噂になっていること自体は知っていたが、実際に聞くのは初めてだ。それにしても、背鰭尾鰭がついている、というのは本当だったらしい。思わず大声を上げそうになって、あわてて口をおさえていた。
情報は正確に収集しなければ、意味がないのでは。
別にエーミールは無理やり連れて行こうとはしなかったし、ランベルトの台詞もそこまで情熱的なものではなかったはずだ。たった数日前の事だというのに恐ろしいほどの盛られぶりだ。
なるほど、最初のエーミールとの話も、こうやって尾鰭に背鰭、ついでに翼でも生えて飛び回ったに違いない。そちらが下火になっているということは聞いているが、果たしてこの調子で本当に消えるのだろうか。謎である。
「……こうして聞くと、結構恥ずかしいわね」
「そうですか?」
あまりの話の盛られ加減に顔を赤くしたシャルロッテに対し、ランベルトは涼しい顔である。それどころか、顎に手をかけ「そういう言い方もあったか……」などと頷いている。
研究熱心なことは良いことだが、実際にそんなことを言われたらシャルロッテの心臓が破裂してしまうではないか。まったく恐ろしい男である。
「そう言うのは、他の……」
誰かに――と続けそうになって、シャルロッテは口をつぐんだ。考えただけでも胸が痛い。
頭に浮かんだそれを振り払うようにひとつ頭を振ると、シャルロッテは思い切ってランベルトの腕にしがみついた。彼は今は自分の恋人、だ。それくらいしてもいいだろう。
そうっと見上げると、ランベルトの優しい視線が彼女を見下ろしている。ちょっとくらい動揺すればいいのに、と思っていたシャルロッテは、しかしその彼の耳がほのかに赤いことに気が付いた。
こうして、少しずつ時間を重ねていったら、いつかは彼ももっと自分を意識してくれるようになるかしら――。
シャルロッテは、一瞬そんなことを考えてしまう。だって、仕方ないではないか。
これまでひっそりと心の中にあった、諦めかけの恋心。それが再び熱を持つのに充分なだけの距離感が二人の間に産まれつつある。
少なくとも、シャルロッテにはそう感じられた。
「いきましょ」
「……はい」
そのまま、二人は寄り添うようにして静かに薔薇園を歩いて行った。
「あら、今日はスヴェンの当番なの?」
「はあ、がっかりさせて申し訳ありませんね」
翌朝、シャルロッテの部屋に姿を現したのは茶髪の護衛騎士である。王女の反応に軽く肩をすくめ、そう軽口をたたくスヴェンに、シャルロッテは唇を尖らせた。
「別に、がっかりなんかしていないわ。最近、昼はずっとランベルトが当番だったから」
「顔に出てますって――あ、いて! 殿下、脛はだめ……」
「かよわい女性の蹴りくらい大したことないでしょ、もう!」
実際、ドレスが邪魔をして大した蹴り方はできていない。痛いはずもないのに大げさに反応するスヴェンに呆れたような視線を送ってから、シャルロッテはフン、とそっぽを向いた。
確かに、ちょっと――それも、ほんのちょっとだ――がっかりしたのは事実である。昨日、なんとなく少しずつ距離が縮んでいるかな、と思ったばかりだったのに。なんとなく出鼻をくじかれたような気分になって、シャルロッテは落ち込んだ。
「今日はちょっと、ヤボ用があるとかで。ああ、夕刻には戻ると思います」
「ヤボ……?」
聞きなれない言葉に、シャルロッテが眉をひそめる。
「取り立てて言うほどでもない、という意味です」
控えの間からいつの間にか戻ったクラーラが、そんなシャルロッテに助け舟を出した。同時に、スヴェンを軽く睨みつけるのも忘れない。
「妙な言葉づかいを殿下に教えないでくださいな」
「はは、失礼を。ま、大したことじゃないんですが……」
後ろ頭に手をやってぽりぽりと掻きながら、スヴェンが笑う。ふうん、と気のない素振りで頷きながらも、シャルロッテはなんとなく妙な違和感を覚えていた。
今まで、休暇の前にランベルトがシャルロッテにそれを言わなかったことはない。別に義務ではないから、必要ないと言えば必要ないのだが。
妙にもやっとしたものを抱えたまま、シャルロッテは朝食会へと赴くべく、スヴェンを伴って部屋を後にした。
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