流星ハーバリウム
@mea_1121
本編
何でも願いをかなえる魔法があるとしたら、あなたは何を願う?
お金がほしいとか、頭をよくするとか、いろいろあると思うの。
でも、私の願いはただひとつ。
「好きな人と付きあいたい」
ただそれだけなの。
一般的な恋患い。そういうふうに友達からは言われるし、自分もそうだと思う。だって、四六時中とーまくん、あ、私の好きな人ね、彼が頭の中でぐるぐる回っているの。明るくて優しくて、クラスの中心人物。教室の片隅でひっそりと生きている私からしたら、とっても遠い存在。それでも、好きになっちゃったんだもん。誰よりもとーまくんのことが好き、それなら胸を張って言える。まぁ、皆の前で言う度胸は、ほんのかけらもないけれど。
いつものように彼のことを考えてぼうっとしていると、天使が現れた。真っ白なワンピースに、ふわふわしていそうな翼。ご丁寧に頭の上に金色の輪っかを乗せて、いかにも天使です、と全身で主張している彼女は、じっと私を見つめた。私の様子を観察していたのかもしれないし、どんな人間か見定めていたのかもしれない。どちらにせよ、当の私はびっくりしすぎて心臓がばくばくしていて、とうてい彼女に何かを質問する余裕なんてないから、彼女が何を考えているのかはわからない。ただ、
「君は好きな人がいるんだね。」
その告げられた言葉だけが鮮明に耳を打った。瞬間、私の頬は真っ赤になっていたと思う。ほっぺたから耳の先まで、ぶわっと熱が放出されるのがわかったから。
「当たりだ、……君分かりやすいね」
「よく、言われるわ」
ちょっとあきれたように言われて、とーまくんのこともあったから、ちょっとつっかえながら、恥ずかしさをごまかすように返事をした。ふぅん、まぁそこはどうでもいいんだけど、と本当に心底どうでもよさそうに言うと、天使は何かを取り出した。
理科室に置いてありそう。それが一見した時の率直な感想だった。
繊細な装飾が施された、細長いガラス張りのような円柱。大きさはサイリウムくらい。中に入っている液体? は、漆黒だけれど向こう側が透けて見える。小さな丸が発光して、円柱を斜めに通るように尾を引いている。それが動いている。ゆっくりと、でも、無数に。底に着く前に、小さな丸はすぅっと消えてしまう。けれど、そうしたら、次にまたどこからか小さな丸が上の方から生まれてくる。
理科室に置いてあるホルマリン漬けみたい、と思った。でもそれよりも、数倍、数十倍きれいで、どこか神聖なもののように思える。
「これはね」
天使が小さく円柱を揺らす。小さな丸が輝きを増した。
「天国にある特別なおもちゃなんだ。あんまり出回ってないレアなおもちゃ。何でかというと、これは、天使たちからすればただ綺麗な置物。だけど、人間が使うと違う。何でも願いが叶う魔法の神器になる。あ、仕組みは知らないから聞かないで──まあつまり、いたずらで人間に渡す天使がいないように制限されているのさ」
ここまで分かった? とぶっきらぼうに聞く彼女に、まあ、と曖昧に首を傾げる。どちらかいうとその……おもちゃの方に興味があったから。だから視線はずっとその円柱に注いだままで、天使もそれを察したようだった。
「君、私の話聞いてないでしょ。もっと面白いエピソードとかあるんだけど、はぁ……いいよ、あげる」
盛大なため息とともに円柱が放り投げられる、……放り投げられる?! 割ってはいけない、そう本能が告げて、慌てて両手で受け取った。大きな振動が与えられた円柱の中身は、驚いたように大量の丸がぴかぴか点滅している。ほんのり温もりを持った円柱は、まるで最初から私のものだったかのようにしっくり手に収まった。天使は私が受け取ったのを見て、満足げに大きく頷く。
「願いを叶えなよ。告白する直前に叩き割るだけでいい。割るのに抵抗があるなら、傷の一つでもつければいい。案外脆いから気を付けてね──そのあとすぐに、その彼に告白するなり、告白されたいとか好きになってほしいとか思うなりすればいい。そうしたら叶うよ、君の願いは」
一方的にまくしたてて、天使は来た時と同じようにどこかへといなくなってしまった。ぽかんと間抜けな顔をした私だけが取り残される。
円柱はまだ温かかった。
翌日、こっそりと鞄に円柱をひそませて登校する。授業も友達の話もどこか遠い世界のように思えて、いつにもまして頭の中に入ってこなかった。
本当にこれを使えばとーまくんと両想いになれるのかな?
朝も、昼も、ずっとその疑問ばかりが頭を巡って止まらない。今日だけでもう何回目か分からないけれど、また遠目に彼を眺める。
笑ってる。友達たちに囲まれて、ここからでは話が聞こえないから何が楽しいかわからないけれど、すっごく楽しそう。
ぱちり、と目が合った。
ふい、と逸らされた。
そう、それが普通なんだろうな、と納得した。
彼は、私のことなんて知らない。どれだけ私が彼を好きでも、彼は全く私のことを知らない。せいぜい、ただのクラスメイト。もしかしたら、おとなしい子、ぐらいは分かっているかもしれない。
でも、それだけ。
苦しいのは、私だけ。
分かってる──分かってたつもりだった。それでも事実、突き付けられてしまえば、円柱を割ってしまう前に、私の心がひび割れてしまいそう。ぐっと胸が締め付けられる。いっそう苦しくなる。今、世界で何が起こっているかわからなくなってしまうくらいには、脳みそが溶けてしまったよう。
閉じた世界の中で、また目が合った。
いくらつらくても、苦しくても、やっぱり私の世界の中心は彼なの。どれだけ瞳を閉じたって、どれだけ考えるのをやめたって、彼の一挙一動だけは、私のすべてに何かを働きかけるの。
だから、逸らされてしまう前に、下を向いた。また、目を逸らされてしまったら? 今度こそ私の心は砕けてこなごなになって、もう元に戻れない気がするの。
それでもきゅんと跳ねた心臓が恨めしかった。
「それ、使わなかったの」
昨晩と同じように天使はいつの間にか私の部屋にいた。明日の天気はなんだと思う、くらいの軽々しさで質問を投げかけてくる。ぶす、と少しふてくされて頷いた。口をとがらせたり目を合わせなかったり、いくら不機嫌そうに振る舞ってみせても、たぶん彼女は私の赤くはれた目に気付いているでしょう。そのうえでああいう質問をしてくるんだから、……案外天使って、意地が悪いのかもしれない。
「使わなかったわ」
「意外。すぐ使っちゃうかと思った。君、本当に彼のこと好きみたいだったから。私がいなくなってすぐにでも使うかなと思ったら」
「本当に好きだから、使えないの」
天使の言葉を遮ってはっきりと告げる。
「そもそもね、不自然すぎるから。私みたいな目立たない子と、太陽みたいなとーまくんが付き合うなんて、最初からおかしいんだから。それを願っちゃったのは……まぎれもなく私だけど。もしとーまくんに好きな人がいるなら、その子と付き合うべきだし、彼の心を無理やり変えてまで欲しいとは思わないわ、……とーまくんはとーまくんで、私のものじゃないから」
段々と声が小さくなっていく。最後の方はほとんど呟きみたいなものだったけれど、天使の耳にはちゃんと届いたようで、ふぅん、と感心したような声が響く。
「そこまで考えたんだ。へぇ、へぇ……いや、予想外だよ。私、何も君のことを分かっていなかったみたい。でもさ、そこまで諦める必要はあるの? 彼の好みとか、今好きな人はいるかとか、何でも願えばいいじゃない」
「そうじゃないの──それじゃあ、だめなの。」
「何が?」
「私だけが苦しいわ」
しばらく彼女は、あっけにとられたように口をぽかんと開けていた。訳が分からない、といったふうで、実際意味不明だったんでしょう。だって、彼女からすれば、そんな苦しみは願いを叶えれば消え去るから、大したことじゃないと、そういうことなんだと思う。
でも、でもね、そうじゃない。私はそれで満足できるほどわがままじゃないし、でも、その苦しみをそのままにしておけるほど大人じゃない。結局は、私のエゴということに何のかわりもないのだけれど、この齟齬はきっと彼女には伝わらない。それは彼女が天使だから、ということですまさせてもらうの。実際、私自身でもよく分かっていないから。それでも人間ってそういうものでしょう、と曖昧な言葉で終わらせてもいいかしら。
「だからね」
いまだ理由を呑み込めていない彼女を置き去りに、机の上に置いてあった円柱をそっと手に取る。貰った時と何も変わらない。相変わらず夜を現したような漆黒だし、流星群のような小さな丸たちは標本のように閉じ込められたまま、淡い光を放ち続けている。傷一つない冷えたそれを、微笑んで両手で持つ。
「私の恋は、要らないわ」
大きく両手を頭上にかざして、天使が止めにかかる前に、にっこり笑って、床に叩きつける。
ぱりんぱりん、甲高い不協和音が、部屋中に響き渡って、消えた。
「馬鹿だなあ。君は、本当に私の予想斜め上をいく人間だよ」
「そうかしら」
「そうさ。……消しちゃってよかったのかい、本当に」
「分からないわ。でも、あなたの思い通りになるのはなんとなく癪だったの」
「くだらない理由だ」
「くだらなくなんてないわ。彼を好きだったのも、あなたの言いなりになるのが嫌だったのも、どっちも私の願いで、そのうちの一つを選んだだけよ」
「わかった、案外君って負けず嫌いだったんだ。」
「そうよ、今になって気付くのね」
「うるさいなぁ、……ほら、空を見なよ。君が割ったから、君にしか見えない流星群。あれが全部君の願いを叶えるために流れるんだよ……あれ、寝ちゃったの。全く、ちゃんと布団に入らないと風邪を引くよ、ほら……天使に世話焼かすなんて、本当、ぶっ飛んだ人間もいたもんだね。」
「おやすみ、人間。明日からは生まれ変わった君だよ」
何かを忘れてしまった気がする。
とても大事で、かけがえのなかったはずのもの。
やけに体がふわふわとして落ち着かないから、ふと胸を押さえてみるけれど、決まった静かな拍動ばかりが手には伝わって、違和感の正体は分からないまま。どうにも心が落ち着かない。
じっとしていることができなくて、そわそわと教室を見渡してみるけれど、やっぱりいつもと変わらない。私は隅っこで友達がおしゃべりしているのを黙って聞いて、時々相槌を打つくらい。
ふと、とーまくんと視線が合った。
しばらく、といってもきっと数秒くらい、見つめあう。
私はこういう時の対応がよく分からない。困ってしまったから、少し首を傾げて微笑む。ばっと視線を顔ごと逸らされて、ちょっと不思議に思いながらも友達の方に向き直る。
笑っちゃだめだったかしら。嫌な思いをさせたかな。すぐに視線を外せばよかったかな?
一人で心の中で反省会を開く。それでもよく分からない。何がよく分からないって、──少し鼓動が早くなっているの。何だろう。これが忘れてしまった何かだろうか。分からない。わからない。ほんの少し意識が上の空になりつつも、ちゃんと友達の話に耳を傾ける。面白ければ笑って、頷きながら休み時間を過ごしている。
……それで、満足なんだけどな。
「だから馬鹿だって、言ったじゃないか」
次の教科は何だっけ、くらいの軽い口調で、そんな声が聞こえた気がした。
流星ハーバリウム @mea_1121
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます