華麗なる自首

@shariy

第1話


信じたいと嘆く彼女に信じられていない僕。

流れるその雨を愛しいと思ったし、哀しいと思った。


なんて我儘なんだ、一体全体、信じられていない僕に何が出来るのか。信じてとも、大丈夫だとも言えない僕が、何をしてあげられると言うのだろう。絵空事にしかならないような約束なら偽れるかもしれない。もちろんそれは君目線で、僕はいつだって全身全霊、死にものぐるいで君にしがみついている。そう、そうなんだ。いつだって諦めるのは君の方。見えない未来が、君には視えているのか。

見えないことが怖い。それと同時に私を奮起させる。

言っていることが滅茶苦茶だ。それなのに、それなのに、僕はもう駄目だ。その世界観に異質さを感じ、それと同時に知りたいと思ってしまう。



『人を殺した』



ドリンクバーで注いできたコーラの気泡を見つめ、ストローをくるりと回しながら、なんでもない事のように君は言った。何ともないふうに言ったんだ。駅前のファミレスだった。僕はせっかく二人きりで出掛けたというのに、そんなところでいいという君の真意を図りかねていたところだった。駅前のオシャレなイタリアンなど予習していたつもりが、随分、普通とは違う娘なんだなと。それかいっそのこと、僕とは洒落ている店に行きたくないってことなのかと。


違うんだ。

今、君が、人を殺めた、そんな恐ろしいことを僕にここで告げたこと、それにはきっと意味があって、勿論君の思惑通り、僕の驚きは、昼時で混雑する店の雰囲気に全て吸い込まれてしまった。


——溶け込む。

それが実に上手な人だった。話術に長けているわけでもない、だが、彼女にとって人の気持ちを汲むことは単純なことで、いつか彼女は笑ってこんなことを言った。『もしも、もしもの話よ。人の役割に大きな意味での凹凸があるのなら、私は凹の人の前では凸、凸の人の前では凹でいたいの』当時はあまり内容が理解できなかったけど、彼女と一緒にいるようになって少しずつ分かるようになった。きっと僕といる時の彼女は凸だった。不甲斐ない僕だ。


『君は時々、突拍子もないことを言うからね。いつも驚かされるよ』

『人を殺めたのよ、私』

『君の的を得た指摘で誰かをズタボロに追い詰めたのかな』


彼女の意思は固かった。いくらだって誤魔化せたというのに。まっすぐ僕の目を見て、今度もしっかり言った。


『違うわ、確かに殺したの』


本来ならこんなに幸せに暮らしていいはずがない人間なのよ、と彼女は付け加えた。


——そうか、彼女はこれを幸せと感じてくれていたのか。

頭の片隅でそんなことを考えた。冷静な思考とは裏腹に、僕の口から出たものは、なんともまあ滑稽なものだった。


『信じないよ。僕は、信じない。そんな冗談はよしてくれ』

『信じなくていいわ。惨めな女の惨めな話よ』


聞くと、お腹に授かった子を中絶したそうだ。前の恋人との子で、その彼は父親になるつもりはなかったらしい。拒まなかった私が悪いの、彼女は言う。僕は何も言えない。充分とはいえないお金を渡し、彼は姿を消した。一人残される彼女と、懸命に生きようとしている新たな命。堕したってのに、涙のひとつも出てきやしなかった。そう告げる彼女の見えない涙の、愛おしいこと、哀しいこと。


『もういい、もういいよ』

『あの子は平等に与えられた生を、残酷に奪われた』

『違う。君にだって』

『違わない。私が殺した』


じゃあ、その子の分まで君が精一杯生きればいいじゃないか、絞り出した僕の声を彼女は一蹴した。


『そんなのは綺麗事よ、都合のいい言い訳よ』


確かに返す言葉がない。道徳で教えられてきた人の気持ちというものは、こんなにも複雑で淡々としていて、明らかなんだ。僕は痛感した。


『ごめんなさい。困らせたよね』

『全くだよ。どうして僕に話してくれたんだ?』

『だって、そうね、何でか分からない』


分かっていなさそうだった、本当に。肩をすくめる彼女はきっととても悩んでいる。

僕に打ち明けたこと、

あの時彼を拒まなかったこと、

授かった子を堕ろしたこと、

そして今、ここにいること。

悩んで、悩んで、悩み抜いて、それでもなお苦しんでいるのだ。

きっと決めただろう、もう恋なんてしないと。

きっと思っただろう、これ以上辛いことは無いと。

きっと刻んだだろう、自分は最低だと。

そんな葛藤が今の彼女をつくっている。


『信じない方がいいと思ったの。もう誰も』

『うん』

『私が、こんな想いをしないためにも。そして、また同じ失敗をしないために』

『うん』

『でも、また、落ちようとしている。性懲りも無く落ちようとしているの。自分のそういうところが堪らなく嫌いなの』

『いいよそれで』


僕は続けた。


『許しを乞うものじゃない。決める人はいないし、止める人もいない。いるのは、僕だけ。僕は君の幸せを願ってる。誰より願っている。願わくば、君の幸せの理由になりたい。君は君が殺したというあの子に、きっと、一生負い目を感じて生きていくだろう。歯痒いけど、僕には関係の無いことだから、僕には背負えない。君と一緒に苦しめない。それが今、とても辛い』


彼女は泣いている。


『怖いんだ。君が、いつの日か黙っていなくなりそうで、怖い。——汚い恋でいい。完璧なんて誰も求めない、誰にも決められないことなんだ。僕のわがままに付き合って欲しい。僕の生きる理由なんだよ。わかって欲しい』


嫌われるために話した、と彼女は語る。なめられたものだ。


その日はあっけなく終わった。どう別れたのかよく覚えていない。





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