合理を愛する者
高城ゆず
合理を愛する者
冷房の効いた涼しい喫茶店で、三十代半ばの男性がアイスコーヒーを飲みながら窓外の景色をぼんやりと眺めている。その男性の視線の先には小さな公園があった。
公園で二歳か三歳の子供とそれの相手をする母親と見られる二十代後半の女性が砂場でしゃがんでいた。そこには砂の城が建てられている。
男性は今朝見たテレビのニュースで流れていた天気予報を思い出す。確か気温は三十五度を超えると言っていた。
「……こんな暑い日にわざわざ外で遊ぶだなんて合理的ではない」
男性は小さく言った。そしてアイスコーヒーを口に含み、外の暑さをかき消した。
「……それにそもそも結婚にメリットなど存在しないではないか。結婚しても三組に一組は離婚するのだ。そこまで漕ぎ着いたとしてもそうなっては水の泡だ。合理的ではない」
男性はため息をついた。
「子供を作ることも合理的ではない。金と責任があるのだから。知性があればそのようなことはしない。現に収入の多い人間よりも少ない人間の方が子供の人数は多い」
長時間列車に揺られた人間が外の景色を眺めるように、男性はつまらなさそうに外を眺めている。闊歩する人間はほとんどがサラリーマンだった。
蟻の行列のように進む量産された人間の中でタバコを吸っている者に男性の興味は引かれた。
「……喫煙も合理的ではないな。なぜあのような異臭を発する有害な煙を吸引する必要があるのだろうか。寿命を縮めて金や時間を無駄にしているだけではないか。……飲酒も同様だ。少量ならばストレス発散と言う人間もいるが、思考力を低下させている時点で時間を無駄にしているから合理的ではないな」
そこに先ほど注文したサンドイッチが届けられた。
男性はそれを手に取り、口に運んだ。咀嚼して嚥下する。そこにはハムとマヨネーズとレタスが挟まれている。
「……なぜ私はこれを注文したのだろうか。食事など死なない程度に栄養が摂取できれば済むではないか。わざわざサンドイッチを食べる必要はない」
食べかけのサンドイッチを皿に戻し、アイスコーヒーを見た。
「……なぜ私はアイスコーヒーを飲んでいるのだろうか。水分補給ならば水で十分ではないか」
男性はグラスに付着している水分を指で拭った。
「カフェインを含んでいる以上、利尿作用が働いて水分補給にはならないのではないか? ……やはり合理的ではないな」
それから男性は再び窓を見た。男性はガラスに映る自分の姿にため息をついた。伸びきった髪がパサパサしており、非常に不潔に思えたからだ。しかしそれを布で包み、マトリョーシカのように何重にも箱に入れてからガムテープで封をした。
「髪の毛を伸ばすことは合理的だ。髪の毛の役割は頭を守ることだ。……しかし服はどうだろうか」
男性は自分の体を見た。特徴のない薄汚れた灰色のスウェットが上下を覆っている。
「色は? サイズは? 形状は? 外出する際に犯罪にならないようにすればいいだけで、わざわざ好みで選ぶことは合理的ではないな」
男性はアイスコーヒーで喉を潤すと、
「……生きていることは合理的なのだろうか」
と正解のない問いが浮かんだ。男性の嫌な過去が深層から顔を出した。
「良いことと悪いこと、私の人生ではどちらが多かっただろうか……当然悪いことだろう。ならば生きていることは合理的ではないではないか」
「禍福は糾える縄の如しなんて言葉はあるが、私には一ミリたりとも関係ない。虐めから不登校になって最終学歴が高校中退の私にこれから一体どのような良いことが起きるのだろうか」
男性は人生で一番大きなため息をついた。
「しかし死ぬのは怖い。苦しみを味わってまで死ぬのは合理的ではないからだ。もしも今、一切の苦痛を味わうことなく即死できるのなら私は喜んでそれを受けよう」
男性は再びため息をついてから水で薄まったアイスコーヒーと食べかけのサンドイッチを胃に詰めて喫茶店を出た。
真夏の灼熱の太陽が照らす。熱を吸収したコンクリートの反射も相まって溶けてしまいそうなほど暑かった。
「……やはりもう少し涼んでいればよかった。今外に出るのは合理的ではない」
──喧騒。道路には赤色が散っている。
そこに男性の姿はなかった。
合理を愛する者 高城ゆず @Lyudmila
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