第十二話 不安
「ユウカさんにはまず、魔術の扱い方を学んでもらわなければなりませんね」
悠香から改めて事情を聞き終え、優花がそれを呑み込んだところで、ターシャが告げる。
悠香はこの数日間に魔術や剣術の扱いを学んでいるが、優花はエドワードと共に城へと向かう間、この世界についての簡単な説明を受けるくらいしかしていない。
そんな優花が魔術を上手く扱えるわけもなく、魔王の復活の阻止のためにも、仮に阻止に失敗した時のためにも、優花は魔術を扱えるようにならなければならない。そのことを、優花も少なからず理解しているようで、やや困惑の表情を浮かべながらも黙って頷いた。
「ウォーレンさん、ユウカさんのことも貴方にお任せしてよろしいでしょうか」
「えぇ、もちろん。もとよりそのつもりです」
ターシャの問われ、ウォーレンは軽く礼をしながら応える。
その様子に満足そうにしてから、ターシャはエドワードに視線を向けた。
「エドワードさん、貴方は引き続きユウカさんの護衛をお願いします」
「畏まりました」
ターシャに応えたあと、エドワードは優花へと視線を向ける。そんなエドワードに、優花は心なしか安心したような表情を浮かべた。
「では、ユウカさんも長旅でお疲れでしょうし、屋敷へ」
戻りましょう、と続けられようとしたウォーレンの言葉は、部屋の扉をノックする音で遮られる。
「どちら様でしょう」とターシャが問いかければ、「エイベル・ウォーカーです」とハキハキした声が返ってくる。
その名に聞き覚えのあるターシャとウォーレンは顔を見合わせ、ターシャがどうぞ、と入室を促せば、直後に扉が開いた。
濃い赤色の髪に深紅の瞳を持つ青年は、部屋に入ってくるなり優花と悠香を視界に捉え、一瞬驚いたように目を見開いた。しかしそれは本当に一瞬のことで、すぐに表情は戻り、二人に対して恭しく頭を下げた。
「フレドリック第二王子殿下の騎士、エイベル・ウォーカーと申します。以後お見知りおきを」
「殿下から何か……?」
エイベルの挨拶が終わるのを待ち、ターシャが首を傾げる。すると、エイベルはこくりと頷いた。
「殿下が明日にでも救世主様にお会いしたい、と」
「そうですか……。確かに、殿下には早めにお会いしておいた方がいいかもしれませんね」
口元に手を当て考えるターシャに、優花と悠香は揃って首を傾げる。その殿下とは何者なのか、という無言の問いを察し、エドワードが答えた。
「フレドリック殿下は、王族の中でも魔王対策に特に熱心に取り組まれている方です。魔術の心得もありますし、頼もしい方ですよ」
「そうなんですね」
王族や魔王という言葉に、未だに違和感を覚えながらも、優花はどうにかそれを受け入れようとする。
「ところで救世主って……」
「間違いなく優花のことでしょうね」
「やっぱり……?」
先ほどのエイベルの言葉を思い出して呟く優花に、悠香が返す。それが自分を指す言葉であるということが受け入れられない、そんな表情をする優花に、悠香は慰めるように彼女の背を軽く撫でた。
「分かりました。では、明日の正午に伺います、と殿下にお伝え下さい」
「承知いたしました。それでは、私はこれにて失礼いたします」
そうしている間にターシャとエイベルの間で約束が取り付けられ、エイベルは軽く会釈した後、部屋を後にした。
その姿を見送ったあと、ウォーレンは優花たちに視線を向けた。
「ということなので、ユウカさんもハルカさんもお願いします」
「は、はい……」
戸惑いがちに頷く優花に対し、悠香はただ黙って頷く。対照的な二人の姿に、エドワードは少し不思議そうな表情を浮かべていた。
「では、今度こそ屋敷へ戻りましょう。ユウカさんの着替えなども用意しなくてはなりませんし」
「え、そんな、」
「アタシも用意してもらったし、気にすることないわよ」
そこまでしてもらうのは申し訳ない、と続こうとした言葉は悠香によって遮られた。
改めて悠香の服を見れば、こちらの世界に合わせた服装になっている。「似合う?」と悠香が問えば「似合う!」と優花は即答した。
「優花はアタシと違って可愛いのが似合うから、使用人さんたちが喜びそうだわ」
「確かに、お二人はタイプが違いますからね」
くすくすと笑う悠香に、姿が目に浮かぶようだ、とウォーレンが頷く。
「すみません、先に戻っていて頂けますか? 私は少しターシャさんと話をしてから戻りますので」
急にそう告げるウォーレンに首を傾げながら、悠香は「分かったわ」と頷く。その様子に満足そうに頷いてから、ウォーレンはエドワードに「お二人のこと、頼みましたよ」と告げる。「畏まりました」と一礼するエドワードを待って、優花たちは先にウォーレンの屋敷へと戻っていった。
バタン、と扉が閉じられたあとに訪れる、静寂。それを先に破ったのはターシャだった。
「話、というのはユウカさんのことですか?」
「えぇ、そうです。率直に尋ねますが、彼女のこと、どう思いますか?」
問われ、ターシャは口元に手を当てて考え込む。それが、彼女の考え事をするときの癖だということを、ウォーレンはよく知っていた。
「そうですね……。少し頼りない、というのが正直なところでしょうか……」
「同感です。悠香さん……いえ、ハルカさんは順応が早かったので安心していましたが……」
当の救世主があれでは、と不安を露わにするウォーレンに、ターシャは窘めるような視線を向けた。
「ユウカさんのためにとご自分の意思でこちらにいらっしゃったハルカさんと、こちらの世界を救ってもらうためにとこちらに連れてこられたユウカさんを比較するのは酷というものです。とはいえ、今後のことを考えると、ユウカさんにももっとしっかりしてもらわなければなりませんね……」
優花を元の世界に返すためにとこちらの世界に来ている悠香と、こちらの世界の人間によって強制的に連れてこられた優花では、その意識に差があるのは当然のこと。それを分かってはいながらも、この世界で生きるターシャとウォーレンにとっては、優花が頼みの綱であるというのも事実だった。
「そのためにも、まずは魔術を扱えるようになっていただかなくては。そうすることで、何か見えてくることもあるかもしれません」
「そうですね……。ユウカさんのこと、頼みましたよ」
「えぇ。お任せを」
頭を下げるウォーレンを見ながら、ターシャの瞳には不安の色が浮かんでいた。
それを振り払うように目を閉じ、軽く頭を横に振った。
「では、私も屋敷へ戻るとします」
「えぇ、お気を付けて。また明日もお願いしますね」
にこりと薄く笑みを浮かべるターシャに、「また明日」と返してウォーレンも屋敷へ戻るべく部屋を後にした。
その様子を見送り、ターシャは深いため息を吐いた。
「ハイウェル様、どうかあのお二人を見守っていて下さい」
祈るように両手を合わせたターシャに、答える声はない。しかし、窓の開いていない部屋の中でふわりと風が吹き、彼女は安堵の表情を浮かべた。
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