第七話 旅の途中
優花がエドワードと共に村を発ち、一日が経過していた。
昨夜は旅の一日目ということもあり、近くの町で一泊して過ごしたが、今日は野宿をすることになりそうだと、エドワードに告げられたのは朝のこと。
馬車は木々の茂る山の中を走り続けており、空はすでに暗くなり始めていた。
「やはり今日は野宿になりそうですね……」
「野宿……」
空を見上げながら呟くエドワードにつられて空を見上げながら、あまり慣れない単語を口にする。
元の世界に居た時には、まさか野宿をする日が訪れようなどと思ってもいなかった。
「一応お聞きしますが、野宿の経験は……?」
「ないです……」
首を傾げるエドワードに、優花は緩く首を横に振る。
小学生の頃に学校のイベントや家族でキャンプに行ったことはあるものの、あれを野宿と言えるかと問われれば答えは否だ。
野宿と言うものに一抹の不安を覚えながらも、それでもここまで来てしまった以上はどうすることもできず、優花はひっそりとため息をついた。
「あまり暗くならないうちに設営してしまいましょうか」
そう言うと、エドワードは馬車を引く御者に、開けた場所に出たら馬車を止めるように指示を出す。
それからそう立たないうちに、馬車はその動きを止めた。
「ユーカさんは中で待っていて下さい」
馬車を降りるエドワードに続いていこうとすれば、それを止められる。
でも、と言おうとして、確かに自分が出て行ったところで手伝えることはないと思い至り、大人しく馬車に残ることにした。下手に手伝おうとして、かえって邪魔をしてしまうわけにもいかない。
エドワードが御者の男性とともに野営の準備をしているのを見ながら、それが終わるのを待つ。
昨日聞いた話によれば、今回ついて来た御者はエドワードの家に仕えている家の者であるらしく、二人は所謂幼馴染という関係らしい。
焚火の準備などをしながら仲睦まじそうに話をしている二人の姿を見ながら、優花は元の世界で仲の良かった友人の顔を思い浮かべていた。
「悠香ちゃん、元気かな……」
ぽつりと呟いて、続けざまに両親の顔や、仲の良いクラスメイトたちの顔が浮かんでは消えていく。
自分はもう元の世界に戻ることは出来ないのだろうか。そう考えると、涙が溢れてきそうだった。
「お待たせしました。……大丈夫ですか?」
「あ、はい……」
優花が俯いていると、タイミングが良いのか悪いのか、エドワードが呼びに来た。彼は心配そうな表情を向けている。彼に声をかけられたことで、出かかっていた涙は引っ込んでしまった。
「今日はもうご飯を食べて、早めに休みましょう」
明日は早めに出て街を目指したい、と言うエドワードに、優花はただこくりと頷いた。
この世界の地理などは優花には分からない。だから、すべて勝手知ったる彼に任せるしかないのだ。
馬車を出て、彼らが準備をした焚火の周囲を三人で囲む。今日の食事は、昨日泊まった町で買ったパンと、缶詰に入った保存食。それらを焚火で少し温めて食べる。あまり馴染みのない味に戸惑いつつも、優花は自分に与えられた分の食事を終えた。
「そういえば、お二人は来るときもこの山を通ったんですか?」
食事の片付けを始める御者の青年とエドワードを見ながら、ふと浮かんだ疑問を投げる。
首を傾げる優花に、エドワードはいいえ、と首を横に振った。
「来るときは巫女様の転移魔法で、あの村の近くまで馬車ごと飛ばしていただきました」
にこやかに告げるエドワードの隣で、御者は「あんな凄い魔法もう二度と使ってもらうことないだろうな……」と遠い目をしている。
エドワードはさらっと告げているが、それがとんでもないものなのであろうことは、御者の様子を見れば明らかだった。
「帰りは同じようにはいかないんですか……?」
「えぇ。こちらに来たのは私と彼だけですし、二人とも転移魔法は使えないので」
曰く、そもそも転移魔法を使うことができる人間も限られており、王都からあの村までの距離で人二人と馬車を飛ばすともなれば、ごく一部の人間しか可能ではないらしい。タイソンやエドワードが度々口にする巫女という人は、それほどまでに強大な力を持っている人であるようだ。
「さて、では私と彼で交代で見張りをしますので、ユーカさんは馬車でお休みください。寝心地はよくないかもしれませんが、男二人と外で寝るよりはマシでしょう」
言いながら、エドワードは立ち上がると優花の前に立ち、その手を引いて優花が立ち上がるのをエスコートする。馬車まではそう遠くはないが、彼は律儀に馬車まで優花を送り届けた。
「私が使ってしまっていいんですか……?」
「もちろん。貴女は大切な方ですから」
優花の疑問に、エドワードは迷いなく即答する。その言葉に含まれた意味が、自分がこの世界を救うと予言された存在であるからだということは、すぐに分かった。
ここで食い下がっても意味はないのだろうと理解し、「時間になれば起こしに来ますので、それまでゆっくりお休みください」と告げるエドワードに、ただただ頷いて返した。
「それにしても、やっぱただの女の子って感じだよなぁ」
優花が眠りに就いてから数時間。夜も更け、あたりには焚火の灯りしかない。
その灯りを囲みながら、御者の青年が呟いた。
「言いたい事は分かるが、彼女の力は本物だと思うぞ」
優花に話しかける時とは明らかに違う口調で、エドワードが答える。恐らくこれが彼の素のようで、青年は「ほんとに器用だよなぁ」と呆れ半分感心半分といった様子で呟く。
「力が本物だとしても、あんな女の子に世界のことを任せようなんて、ちょっと無責任すぎないか?」
「……お前それ、王都では絶対に言うなよ」
「分かってるって」
笑ながら言う青年に、本当に分かっているのかとため息をつく。
今この場には二人しかいない。だからこそ何を言っても咎められはしないが、王都の中、ひいては、優花をこちらの世界に呼び出すための儀式を行った者たちの前で、あのような発言をしようものならただでは済まされないだろう。
「そろそろ仮眠でもしたらどうだ?」
「そうだな、そうさせてもらおう」
夜明けまではまだ長い。この後出発まで御者に仮眠をとらせるために、先にエドワードが仮眠をとることにした。
一応護衛だから、と彼は馬車の方へ、なるべく足音を立てないように静かに向かう。
優花はちゃんと休めているのだろうか。それを確認しようと、馬車の扉をゆっくりと、少しだけ開いた。
馬車の中で、椅子の上に横になりながら、優花は安らかな寝息を立てながら眠ってる。
どうやらちゃんと休めているらしいと安心して、扉を閉めようとしたとき、彼女の寝言が聞こえてしまった。
「お父さん……、お母さん……」
そう発したその声が微かに震えていることに気付き、彼女がおそらく泣いているのであろうことを察する。
静かに扉を閉め、扉の前に腰を下ろした。
「本当に、こんな女の子に世界をどうこうしてもらおうだなんて、どうかしている……」
静かに呟いたその言葉は、夜の闇に溶けて消えた。
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