第五話 旅立ち
舗装されていない道をガタゴトと進む馬車に揺られながら、花咲優花はぼんやりと、どうしてこんなことになったのだろうか、と考えていた。
自分が見知らぬ世界に来てしまったことも然り、今こうして馬車に揺らされていることも然り。
小さくため息をついて、馬車から見える景色を眺める。どこまでも続く深い森はと、時折聞こえる何かの鳴き声。ここは優花が暮らしていた世界ではないのだと、嫌でも思い知らされた。
時は遡り、前日の昼過ぎ。優花はリチャードと共に、村の近くにある小さな川を訪れていた。
水深は低く、浅いところはリチャードの膝下くらいまでの水位しかない、とても小さな川。深いところは優花の膝丈くらいまでの深さがあり、川幅も二メートル近くはある。木材で組まれた質素な橋の近くで、リチャードは水浴びを始めた。
「あんまり深いところ行っちゃだめだよ」
「はーい!」
浅いところでバシャバシャと楽しそうに遊んでいるリチャードに、思わず笑みがこぼれる。
少しだけ足を川の中に入れて、ひんやりとした水の冷たさを感じ、その心地よさに息を漏らした。
思えば、あまりこうして川で遊んだことはなかったな、などと自分の記憶を遡っていると、バシャン、という大きな音とともに、リチャードが悲鳴を上げた。
「いたーい!!」
「大丈夫!?」
どうやら足を滑らせて転んでしまったらしい。膝を川底の石で切ってしまったようで、リチャードの膝には血が滲んでいた。
リチャードは痛いと叫びはしたものの、大声で泣くことはしなかった。それでも、その目には涙が浮かんでいる。
「ちょっと見せてね」
自分の服が濡れるのも厭わずにリチャードに駆け寄り、その傷を確認するべく患部に手を伸ばす。
そうして、優花の手が僅かにリチャードの膝に触れた、その時だった。
優花の手から温かな白い光が放たれ、かと思えば、リチャードの膝にあったはずの小さな傷は、跡形もなく消えていた。
「え……?」
「すごーい! おねえちゃんどうやったの!?」
驚き呆然とする優花に、リチャードは無邪気に問いかける。
「わ、私は何も……」
何が起きたのかと、理解が追い付いていない優花の耳に、リチャードのものとは違う声が響いた。
「どうやら、予言は本当だったようですね」
突然の声に振り返れば、そこに居たのは金髪の長い髪を一つに束ねた、青い目をした美青年だった。彼は村人たちとは明らかに違う雰囲気を纏い、着ている服もまるで軍服のようなかっちりとした白い服だった。
「一体、なんのこと……」
狼狽える優花に、美青年は「詳しくは村でお話しましょう」と微笑む。
リチャードはそんな二人の顔を交互に見やり、不思議そうに首を傾げた。
そうして、優花は再び村長の家を訪れることとなった。
リチャードはマチルダに連れられて家に帰り、村長の家にいるのは優花と村長、村長の家族や使用人たち、そして、先ほどの美青年。
「お初にお目にかかります。私は王国騎士団に所属しております、エドワード・グリフィスと申します。どうぞお見知りおきを」
「驚きましたな、まさか騎士様がこんな田舎を訪ねて来られるとは……」
エドワードと名乗った青年に、タイソンは驚きを露わにする。自分がこの村の村長であることを名乗り、それで、と切り出した。
「何故このような田舎に……」
タイソンの問いに、エドワードはちらりと優花を見やる。
優花は居心地の悪さを感じ、身体を縮こまらせた。
「巫女様のお告げのことは、タイソン殿もご存知でしょう。そのお告げのもと、異世界から訪れた方をお迎えするべく、こうしてやって参りました」
にこりと笑みを浮かべるエドワードに、優花は何かを言おうとしたが、言葉が出てこなかった。そんな優花をちらりと見て、タイソンはエドワードに告げる。
「しかし、巫女様のお告げではその者は強大な力を持つと。ここにおられるユーカさんは、そのような力は持っていないとおっしゃっておりましたが……」
「こちらの世界に来たばかりで、力のことは理解されていなかったのでしょう。先ほど偶然彼女の力を拝見しましたが、巫女様のお告げに相応しいものでした」
「それは誠ですか」
驚いた様子のタイソンに、エドワードは先ほどの川での出来事を話す。優花がリチャードの傷に触れるだけで、跡形もなく傷が癒えたと告げると、タイソンも他のものたちも、驚いたように優花を見た。
その視線に優花が驚いていると、エドワードが「癒しの力は、それ自体が希少性の高いものなのですよ」と説明してみせた。
「ましてや触れるだけで傷が癒えるとなれば、その力はまさに巫女様に匹敵します」
「で、でも、私……」
そんなことを言われたところで、優花にはその貴重性も自分がなぜそのような力を持っているのかも分からず、ただただ戸惑っていた。
異世界に来たことで、特別な力を授けられたとでもいうのか。そうだとするのなら、あまりにも勝手だと、優花は思った。
「その力はとても強大なものです。そして、巫女様のお告げがあった以上、力の大小を問わず、貴方は異世界人というだけであらゆる勢力から狙われる身となるでしょう。私と共に、王都へ行ってはくれませんか」
身の安全は保証すると。そう告げるエドワードの目は真剣そのもので、嘘偽りを言っているようには、優花は思えなかった。
優花の身が狙われる危険性があることをエドワードが告げると、タイソンの親族や使用人の数名から、恐怖や不安の混じった視線を向けられた。
優花が狙われるということは、彼女がこの村に居続ければ村の平穏も脅かされるということ。その身を隠せば問題はないようにも思えるが、それも長くは続かないだろうということは、優花にも理解できていた。
なにより、元より優花には王都に行く理由があった。元の世界に戻る術を探すため。この機会を逃してはいけないと、優花はエドワードを見て、頷いた。
「……分かりました」
「本当ですか、よかった」
優花の答えに、エドワードは心からの安堵を漏らした。そんな大袈裟なことなのだろうかという疑問をよそに、エドワードは立ち上がる。
「では、早速ですが明朝この村を立ちたいと思います。出発の際にお迎えに上がりますので、準備をしておいてください」
それだけ言うと、エドワードはタイソンたちに会釈をし、家から出ていく。一体どこで一夜を過ごすつもりなのだろうか、と疑問に思っていると、タイソンに声を掛けられた。
「ユーカさんもマチルダたちの家にお戻りなさい。きちんと挨拶をするのですよ……」
「……はい、ありがとうございました」
それ以上何も言わなかったのは、タイソンの優しさだったのだろうか。
優花は足早にマチルダとリチャードの家へと向かった。そして、マチルダに事の経緯を話せば、彼女は少し寂しそうな顔をして「そう」とだけ呟いた。
リチャードは「おねえちゃんとおくにいっちゃうの?」と、寂しそうな顔で優花を見上げる。
「うん、ごめんね。短い間だったけど、ありがとう」
今にも泣き出しそうな様子のリチャードの頭を撫で、優しい笑みを向ける。彼は泣きそうなのを必死に堪え、「また遊びに来てね!」と精一杯の笑顔を返した。
「さて、じゃあ今日は早くご飯を食べて寝ましょうか。明日は早いんでしょう?」
「はい。ありがとうございます」
マチルダはそういうと、もう出来上がっていた夕飯を食卓に並べる。三人で食卓を囲むのはこれで三回目で、これが最後になる。
そのことに寂しさを感じながら食事を終え、優花は一足先に眠りに就いた。明日からはきっと慣れない土地での長旅になるからと、マチルダが気を利かせてくれたのだ。
そうして翌朝。エドワードが迎えにやってきて、優花は村を発つこととなった。
マチルダとタイソンから選別の品を渡され、それをエドワードが乗ってきた馬車へと詰め込み、そのまま馬車へと乗り込んだ。
「元気でね」
「またねー!」
そう言って手を振ったマチルダとリチャードの姿を目に焼き付けて、優花は二日という短い時を過ごした村に別れを告げたのだった。
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