第三話 長い生活の始まり

 花咲優花は、ごく平凡な女子高生だった。少女漫画を読んでは、いつか自分にも素敵な王子様が現れるのだろうか、などと夢を見ていたのは小学生までの話で、まさか自分がよく漫画やアニメで見るような”異世界に行く”という体験をすることになろうとは、夢にも思っていなかった。

 前日、夕飯時にリチャードに起こされ、リチャード親子と夕食を共にした。その際に母親――マチルダから、翌日に村長に優花のことを話しに行くと伝えられ、現在、優花はマチルダと共に村長の家を訪れていた。

 村長の家は集落の中で最も大きく豪華な家で、しかしながらどことなく質素な雰囲気を持っていた。

 家の中に入るなり、おそらくこの人が村長なのであろうという老齢の男性が、「おぉ、貴方が噂のユーカさんですな」と優花に声をかける。

 優花が驚いてちらりとマチルダを見れば、「昨日伝えておいたのよ。その方が話が早いでしょ?」と告げられる。それもそうか、と納得し、優花は村長に向き直った。

「初めまして、花咲優花です」

「初めまして。わしはこの村の長のタイソンじゃ。どうぞよろしく」

 年を重ねた証拠であるしわがれた手を差し出され、優花はそれに応えるように手を差し出す。優しく握られた手は優しい温かさを持っていて、彼もまた自分と同じ生きている人間で、これが現実であることを思い知らされる。

「さて、単刀直入に聞きますが、ユーカさんは何か力をお持ちですかな?」

「力、ですか……?」

 何を聞かれているのかを理解できず、優花は首を傾げる。

 タイソンが椅子に腰かけ、優花とマチルダも彼に促され、彼と対面するようにソファに腰掛ける。

「そうです。実は少し前に、巫女様からお告げがありましてな。"世界に危機が訪れた時、それを救うための使者が異界より訪れる。その者は、これまでの異界人とは異なり、強大な力を持つだろう"、と」

「昨日も言ったけど、異世界人っていうのは別に珍しい話じゃなくてね。ただ、これまで確認されてる異世界人は、アタシたちとは何も変わらない、ただの人間なのよ」

 タイソンの言葉を補足するように、マチルダが言う。

 優花も恐らくただ何かの原因で迷い込んでしまっただけの、なんの力もない一般人なのだろうが、お告げがあった以上、異世界人には逐一確認をとることになっているのだ、と再びタイソンが続けた。

 しかし、問われた力、というものに心当たりがなく、優花は首を横に振る。

「私には、そんな力はありません。……あの、これまでの異世界の人たちって、元の世界に帰れたんですか……?」

 今度は優花が問うと、タイソンもマチルダも、それから周りで話を聞いていたおそらく村長の家族や使用人であろう人々も、口を噤んだ。

 それが何よりの答えであるということが分からないほど、優花は愚かではなかった。

「そう、ですか……」

 絞り出した声は自分でも分かるほど震えていて、優花は溢れそうになる涙を必死に堪えた。

 彼らが知らないだけで、もしかしたら元の世界に帰っていった人もいるかもしれない。元の世界に帰る方法はきっとある。そう信じることしか、優花にはできなかった。

「……もしかすると、王都に行けば元の世界に戻る方法も分かるかもしれません」

 傍で話を聞いていた、若い女性が口を開く。縋る様に彼女を見れば、「確証はありませんが」と前置きをして続けた。

「王都には、これまでに異世界から来た人も多く在住していると聞きます。それに、膨大な数の文献が収められている図書館もありますし……。貴方が元の世界に戻る方法を知りたいのなら、行ってみるのもいいかと」

 女性の言葉に、タイソンも小さく頷いた。

 彼女の言う通り、王都に行けば何か有益な情報が手に入るかもしれないと。

「とはいえ、この村から王都までは十日以上かかります。途中には魔物が出る危険な山道もありますし……、あまりおすすめは出来ませんな……」

 村からは人手も出せず、安全に王都に向かうなら月に一度訪れる行商を待つ他はない、とタイソンが告げる。

「まだ混乱しておいででしょう。しばらくはこの村で休まれるといい。王都は逃げませんからな」

 優しい笑顔を向けて、タイソンが言う。何もない村だけれど、ゆっくりするといい、と。

「ありがとう、ございます……」

 一先ずはその言葉に甘えさせてもらうしかないだろうと、優花は深く頭を下げた。



 この世界で暮らしていくにあたっての簡単な知識を教えてもらい、優花はマチルダと共に村長宅をあとにした。

 マチルダの家は家主である旦那が出稼ぎに行っているため長らく不在であり、優花はそのままマチルダの家で世話になることとなった。

 リチャードの遊び相手になってやってほしいと頼まれ、もとより子どもは好きだったため、自分にできることはそれしかないからと快諾した。どうやらこの村にはリチャードくらいの年の子どもは他にいないらしく、彼はいつも退屈そうにしているのだという。

 事実、折角だからと村中を案内してもらった際、リチャードと同じくらいの小さな子どもの姿を見かけることはなかった。子どもがいないわけではなかったが、生まれたばかりの幼子であったり、十歳は超えているであろう子どもは数人いたが、彼らは彼らで遊んでいるらしく、その輪の中にリチャードは入ることができずにいるらしい。

「リチャードはどうして村のお兄ちゃんたちと遊ばないの?」

 マチルダが仕事や家事をしている間、家の庭でリチャードと遊びながら、なんとなしに聞いてみる。

 リチャードは少し悩んでから、「お兄ちゃんたちはおうちのお手伝いもしてるから、遊ぶ時間はないんだってー」と答える。それはいつか彼らに言われた言葉なのだろうと思い、言葉を返す代わりにその小さな頭を撫でる。

 リチャードは子どもらしい、無邪気な笑顔を返した。

「じゃあこれからは、私が一緒に遊んであげるね」

「ほんと!? やったぁ!」

 嬉しそうにはしゃぐ小さな子どもに、自然と優花も笑みがこぼれる。

「ねぇねぇ川にいこうよ!」

「川? どうして?」

「お魚がおよいでるんだ! すっごくきれいなんだよ! いっつもひとりじゃいっちゃダメっていわれるから、おねーちゃんといっしょならいいでしょ?」

「ダメ?」と上目遣いで首を傾げられて断れるわけもなく、「危ないことはしちゃダメだよ」と約束をして、二人で川へと向かうことにした。

 時刻はまだ昼を過ぎたばかりで、空には肌を焼かんばかりに燦々と輝く太陽が浮かんでいた。

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