おっさんとみそ汁
黒井らて
第1話 おっさん、みそ汁を飲む。
「おっさん、そろそろ起きろよ」
耳に入ってきたその不満そうな声は、台所のほうからだった。
昨日、酒を飲みすぎたせいか、頭痛がする。
ガンガンと鳴り響く頭を手で押さえながら、体を起こす。
ふと、僕の鼻を優しい香りが包み込む。みそ汁の香りだ。
毎朝、彼の不満そうな声とみそ汁の香りが、僕の覚醒を助けてくれる。
朝目が覚めた時の、どうしようもない気持ち悪さが消えてきたので、
そろそろ立ち上がる。
少し足取りがおぼつかないのは、年を取ったことを嫌というほど認識させる。
「おっさん、早く食べないとみそ汁冷めるよ」
なかなか消えない頭痛に、少し高めの声が響いてくる。
顔を彼の目線に合わせる。
相変わらず仏頂面な子だが、僕とは似ても似つかないくらい顔がいい。
思考が働かずただただ眺めていると、
「何見てんだよ。気持ち悪いぞ、おっさん」
何の配慮もなく言われる悪口はなかなかどうしてか胸に響く。
「おっさんじゃないだろ。お父さんと呼びなさい」
気持ち悪いのは否めないが、おっさんといわれるのは癪に障るし、親に対しての言葉ではないだろうと、少し強めに言ってみる。
「おっさんはおっさんだろ。歳を考えろよ。おっさん」
おっさんは朝から泣きそうです。
「いいからさっさと飯食べて会社行けよな。洗い物するこっちの気持ちにもなってくれ」
そういって、僕の息子、純が後ろのテーブルに並べられたご飯を指さす。
「歯磨きとかしたらすぐ食べるよ」
僕は、洗面所に行き歯磨き等を済ませる。
髭を剃り始めると、学校の支度をしているらしい純が、いつものように口をはさむ。
「おっさん、髭を剃ったところで若くは見えないぞ」
息子よ、髭剃りは若く見せるためではないのだ。清潔に見せるためなんだ。
と、何度言ったことだろうか。もうおっさんは本日二度目の涙が流れそうだ。
しかし、おっさんは粘り強い。
おっさんと認めたくないというわけでは、断じてない。
この髭剃りが、おっさんに対してどのような役割を働いているかを、分からせなければならない。
「いいか、純よ。いつも言っているが髭剃りは僕じゃなく、みんなのためにやっている」
「あっそ」
おっさんは、その興味ないという感情を三文字で表した言葉に、
くじけそうになった。
だが、今日は違う。
半分ほど食べて、味に飽きてきたラーメンに、すりおろしにんにくを入れたぐらい、なん味も違うのだ。
いや、にんにくは臭いな。胡椒にしとこう。
「純よ、もし僕が髭をこのまま剃らずに放置していたらどう思う」
「きもいな。一緒に住んでいたくないね」
うーん。
泣きそう。
でも、おっさんは負けません。
「そんな僕と毎日髭を剃ってる僕。どっちがいいかな」
これなら純も剃っているほうがいいや。周りに気を使っているんだねと言ってくれるだろう。
「どっちも嫌だね」
泣きます。
この息子、早く年取らねぇかな。地獄、味わってほしいです。
口論に負け、髭を剃り終わり、テーブルへと向かう。
純は先に座っていた。
椅子に座り、目の前にある料理を一瞥する。
ホッケにみそ汁、白米、サラダ。
今日のみそ汁の具は豆腐とわかめだ。
この組み合わせがなんだかんだ一番好きかも知れない。
「いただきます」
手を合わせ、一言。
「いただきます」
純も、一言。
まず最初に、みそ汁を啜る。
丁度良い塩加減と、程よい温かさで、体の芯が温まっていくのを感じる。
「やっぱり純のみそ汁を朝一で食べれるのが、幸せなんだよなあ」
素直な感想を口に出す。
「どれもおなじだろ」
お世辞は結構と黙々と食べ進めている。
正直、僕もみそ汁なんかどれも一緒だろうと思っていたが、実際飲んでみると結構違うということに気づいた。
一時期、インスタント味噌汁を口にする日々が続いていたのだが、
これがどうしてか、すぐに飽きてしまうし、いつのまにか胃が受け付けなくなっていた。
でも、純に作ってもらうようになってからは、そういうことはなく、
むしろ毎朝みそ汁を食べるのが楽しみになっていた。
俗にいう人の手が込んでいるだとか、最高のスパイスは愛情だとかそういうものの
おかげなのだろうか。
後者はともかく、前者のおかげかなとも思うが、結局は純の料理技術のおかげだなと思う。
それからというもの、会話は一切なく、みそ汁を飲む音だとか、サラダのシャキッとする音だとか、そんな音ぐらいしか聞こえてこなかった。
僕の朝ご飯は、とてもおいしい。でも、楽しくはない。
仲が悪い、わけではないと思う。
会社の子持ちの同僚もみんな、父にたいしてはそんなもんだという。
おっさんと言われたことはないらしいが。
いや、絶対心の中で思われてますよ。そう言ってやりたかった。
まあ、これが普通だと言われればそうなのかと納得するだけなのだが、
僕は納得してはいけないと思っている。
純には母親がいないから。
おっさんとみそ汁 黒井らて @kuroirate
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。おっさんとみそ汁の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます