第8話 素直な気持ちとほだされる優木さん

 優木さんの初恋相手を知った日の夜。


「悪いわね。今日は夕飯は作れなくて」

「ううん、大丈夫だよ。というか、気にしないで」


 荷解きで手一杯だから、作る余裕がないらしい。

 律儀と言うか、なんというか。謝るほどのことでもないだろうに。

 

「いいえ、そんなことないわ」


 その瞬間、優木さんの顔に意地悪さが混ざる。


「飼い犬の面倒見るのも飼い主の役目じゃない」

「まだそれ言うの……」


 えらく楽しそうに話す優木さんだけど、その設定まだ続いてたのね。


「ええ、もちろんよ。ほら! 何か適当に食べてきちゃいなさい」

「分かったよ……優木さんはどうするの、帰りに何か買ってこようか?」


 コンビニ弁当か、スーパーの総菜かな。


「いえ、大丈夫よ。私、出来合いのものって好きじゃないのよね……」

「そうなんだ……でも、何か食べなきゃ」

「そうなのよねぇ……あ、じゃあ、お米だけ炊いといてもらえるかしら?」

「あいあい、了解」


 それくらいお安い御用だ。


「ええ、よろしく頼むわね」


 こうして僕は、お米を炊くと久しぶりの外食に行った。


 ただ久しぶりの外食だったんだけど、以前のようにおいしいと感じなかった。改めて僕は、誰かが作ってくれるご飯のありがたみと言うのを知った。

 


          ※


 帰宅し、炊飯器を確認してみると、優木さんが手を付けた様子はなかった。ということは、まだ夕飯を食べてないのだろう。


 (優木さんは喜んでくれるかな……)


 外食に行ったからだと思うけど、僕は優木さんにお礼がしたくなった。 

 だから手を洗って、僕は久しぶりに料理を始めた。

 優木さんの部屋の前に行き、ノックをする。


「優木さーん」


 暫く待つが返事がなかった。聞こえなかったのかな? 

 再度ノックするが、返事なし。


「入るからねー」


 僕は一声かけると、優木さんの部屋に入室する。

 中に入ると、優木さんはいたし荷解きも終わってた。


「真島君!? どうしたの……?」


 ノックが聞こえていなかったんだろう。自室にいる僕を見て、優木さんは目を丸くしていた。


「優木さんこそ、ご飯も食べないで勉強してたの?」


 正直ちょっと驚いた。結構遅い時間だって言うのに、勉強をしていたからだ。


「ええ、明日からの授業のために予習をね」

「ヨシュウ?」

「予習よ。何、その異文化の言葉を聞いたみたいな反応は……」


 僕のリアクションに、優木さんは呆れた表情をしていた。予習する人がいるなんて、僕は都市伝説だと思ってたよ。


「それよりどうしたのよ?」

「優木さんにご飯作ってきたんだ。と言っても、優木さんが作ってくれるような凝ったやつじゃなくて、簡単なものだけど」

「本当に? ありがとう……」


 優木さんは一瞬ほうけていたが、すぐに嬉しそうな面持ちになる。


「いただいていいかしら? ちょうど区切りもいいところだし」

「うん、ちょっと待ってて」


 僕はキッチンに戻って軽く準備すると、優木さんの部屋にまで持っていく。といっても、作ったのは、おにぎりと味噌汁だけどね。僕の自炊レベルではここが限界だ。


「ありがとう、いただきます」


 優木さんは手を合わせて挨拶をすると、味噌汁を一口飲む。初めて作ったものなので、どんな感想がくるのか緊張する。


「うん、おいしいわ」

「そっか、よかったぁ……それじゃ、僕はこれで……」


 肩の荷が下りた気分だ。優木さんの部屋から出ていこうとすると


「待ちなさいよ、一人で食べるのも味気ないじゃない……」


 すねたような表情をする優木さんに引き留められた。

 そんなこと言われると思ってなかったので、思わず苦笑してしまう。


「飼い犬のくせに生意気よ」

「いや、それいつまで言うのさ……」

「そうねぇ……あなたとの同棲生活が終わるまでかしら」


 そう言って、優木さんは嬉しそうに笑う。その台詞だと、もうしばらくは犬のような気が……。

 そのまま二人で談笑していると、優木さんの皿が空っぽになった。


「ご馳走様……ねぇ、真島君一つ聞いてもいいかしら?」

「うん、何?」

「どうして、あなたは私のためにご飯なんて作ってくれたの?」


 優木さんは不思議そうな顔で僕に尋ねてくる。どうしてか分からないが、その表情にはおびえた色が混ざっているような気がした。


「だって普通に考えておかしいじゃない。あなたは私の秘密を知っているわけでしょ」


 秘密と言うのは、猫被っていることを言っているんだろう。


「私だったら絶対にそんな人に近づかないわ。何考えているのか分からないし、めんどくさいじゃない……ねぇ、どうして?」


 優木さんの真剣な眼差しが、僕のことを見抜こうとしてくる。


「そうだねぇ……」


 腕を組みながら考えるが、正直、考えたことなかった。


「今の優木さんとの距離間が好きだからかな?」

「距離間……?」

「優木さんってさ、僕のためにご飯作ってくれてさ、お弁当も作ってくれるって、言ったよね? それは、僕が掃除したり洗い物してくれるからって。要は、してもらったことに対して何か別の形で返してくれたってことだよね」


 優木さんは僕の言葉に黙ったまま頷いている。


「僕だって同じなんだよ。優木さんがしてくれたことに対して、何か別の形で返したいなって思ったんだ。そこにはさ、猫を被ってたりとか趣味のことって何も関係ないんじゃないかな?」

「真島君……」

「それに、僕は優木さんの猫を被ってないところだって好きだよ。そりゃあ、気が強いなって思うところもあるけど、それだけじゃないって知ってるからね。面倒見がいいし、優しいし、努力家じゃないか」


 うん、これが僕の素直な気持ちだ……ちょっと恥ずかしいけど。


「真島君は変な人ね………」


 そう言ってるが、優木さんの表情はすごく嬉しそうだった。


「ったく、飼い犬のくせに……飼い犬のくせに……生意気よ。嬉しいじゃない……」

「優木さん?」 


 飼い犬がどうしたんだろうか、いや僕のことなんだろうけどさ。


「──ッ!? 本当にどうしたの!?」


 気が付くと僕は、優木さんに抱きしめられていた。それに頭も撫でられている。優木さんの体の柔らかい感触も、いい匂いもダイレクトに伝わってくる。比例して、胸の動悸が凄まじいことになっているんだけど。


「ありがとう真島君、本当にありがとう……」


 そう話す優木さんの声は震えていた。


(不安だったのかな……でも、どうして? もっと知りたいな……)


優木さんが猫を被っている理由とかも全部だ。初めてのような気がする。僕がここまで他人のことを知りたいと思うのは。それから優木さんは、しばらく僕のことを抱きしめながら頭を撫でていたが、ゆっくりと名残惜しそうに離してくれた。


「やっぱりあなたは変な人よ……ばーか……」


 そう話す優木さんだけど、やっぱりその表情はどこか嬉しそうで緩んでいた。 


「ほら、私はまだ勉強しないといけないから」

「え…? あ、うん……お邪魔しました」


 急にせかされたかと思うと、部屋を追い出されてしまった。

 ドアが閉められたのを確認した瞬間、僕は座り込んでしまう。

 そして、どうしようもなく抑えきれなくなってしまった気持ちを吐き出した。


「あれは卑怯すぎるだろう……」


 頭を撫でられた感触も、抱きしめられた感触も、優木さんの偽りない笑顔も全部、頭の中に残っている。

それだけじゃない。中二病グッズを紹介するときの子供っぽい笑顔も、勉強を頑張っているときの真剣な表情もだ。


(まだ、胸の動悸が収まんないや……)


 言うまでもなく僕はこの日、一睡もできなかった。

 そして、僕がこの感情の正体に気づくのはもう少し先の話だ。

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