一輪の花を、空に
りつ
*memory 1
——空を眺めるっていう行為。これって実は不思議なことだと、僕は思うんですよ。
昔受けた大学の講義。
色彩学だか美術学だか、とにかくそんな感じの内容だった。大学で勉強なんてことは全くしていなかった私だけれども、昼寝するために出たはずのその日の講義だけは、何故だか今も記憶に残っている。
曰く、空を眺めることは、実体のないものを見ることのできる数少ない行為である、と。
もはや顔も思い出せない禿げ頭の老教授は、子守唄を彷彿とさせる声でそう話していたのだった。
——例えば、この黒板を見る。この時、黒板っていうものは物体として確かにここに存在している訳ですから、焦点さえ合えば色や形を認識することができるし、もちろん触ることもできます。
黒板を静かに撫でながら、教授は続けた。
——一方、空って物体として存在している訳ではないですよね。それなのに僕たちは空を見上げ、そこに空があることを認識し、その色模様を知ることができる。科学とかの分野をやっている人には鼻で笑われちゃうんですけれど、何もないところに色を見出して感動できる僕たちっていうのは、難しい理屈は抜きに考えれば不思議な生き物だと思えてきませんか?
やたらとロマンチックな疑問だと思った。
しかし彼の問いかけに不思議と不快感はなく、その響きは私の心の隙間にすんなりと収まった。
そこにはないけれど、私たちだけに見える色。
そういうものが、この世界には確かにあるのだと。
不思議ですよねえ、と呟いた後、教授は絵画における空の青色とそれ以外の青の描かれ方がどう違うかをぽつぽつと語り始めたが、それ以上の話が私の耳に残ることはなかった。
それは、新緑の香りが心地良い季節。
講義が終わるまでの数十分間、私は開け放した窓から覗く空を見上げ、そこに存在しないはずの色を見るともなしに眺めていたのだった。
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