第133話『嫉妬1匙、そして400ml』

 あれだけ泣いたのは、一体いつぶりだろうか。


 意外に思われるかもしれないが、これでも自分はメンタルの強い方であり、どれだけ悲しいことがあっても大声で泣くことはあまりなかったので、もしかすると赤子の時以来かもしれない。シャロは重たい頭で考える。


 目元は真っ赤に腫れており、今も呼吸が震えている。バーシーの能力の影響もあるのだろうが、泣き喚いて体力を消費したため身体が異様に重く、自力で歩くことが出来ない。

 だから今も、氷の棺から解放されたレムに背負われて、どうにか移動を行っている状態だった。


 向かう先は国立展望台――つまり、戦争屋陣営の拠点だ。

 シャロも、ノエルもレムも皆、かなりボロボロになってしまったので、戦闘の継続は不能と考え、一旦救護班に診てもらうことになったのだ。


 レムの背中から人肌の温かさを感じながら、マオラオの治癒能力で回復し、レムの隣を歩くノエルの不安げな視線を受け取りながら、シャロはひたすらに考える。


 どうして、自分を神と名乗る『アカツキ』という人物は、マオラオの身体を乗っ取ったのだろうか。どうしてマオラオは、戦争真っ最中のあのタイミングで、自分の国に帰ると言ったのだろうか。『世界の記憶を引き継ぐ』とは何なのだろうか。


 どうしてマオラオは、自身が鬼であることを隠していたのだろうか。


 どうして、マオラオは――最後に、あんなことを言ったのだろうか。


 あんな、告白みたいな言葉を。


 否、知らなかったわけではない。どういう意味なのかはさておき、彼からの好意には気づいていた。でも、気のせいだと思い込んでいた。そうでなければ、それが勘違いだった時、ひどく空虚な気持ちになると思ったから。


 自分が必要としている言葉を、ずっと誰かから貰いたかった言葉を、彼がくれるのではないかと。期待することが怖かったから。


 自惚れてしまうことのないように。彼はただ唯一、損得勘定なしに、シャロに味方してくれる仲間なのだと。そう区切りをつけて過ごしていた。


 でも、彼はよりによって最後に、あぁ言った。それがシャロにとって、ひどく重い呪いになるとも知らずに。


 わからない。マオラオのことが、ここに来て全くわからない。マオラオを、自分にとってどんな人であると捉えればいいのか、全くわからなくなった。

 彼は、今までどういう気持ちで自分と接していたのだろう。友人。家族。兄弟。もしかすると彼の好意は、この中のどれかには当てはまらないものなのだろうか。


 何もわからない。


 けれど、心の拠り所を1つ、失ってしまったことは確かだった。

 マオラオ、それと兄であるジャック。シャロをただのシャロとして認めてくれる2人のうち1人を、失ってしまったということだけは。


「……兄ぃ」


 早く、この胸中を打ち明けたくて、最愛の兄を想うシャロ。彼の呟きが、血に汚れた荒野を洗う激しい雨に掻き消された、その時だった。


 片耳に装着していた無線機が、ノイズ音を立てたのは。





 両開きの扉を開くと、そこには100人は居るであろう患者たちの姿があった。

 広いロビーの壁や床に倒れ込んでいたり、簡易ベッドに寝かされていたり、容態は様々なようだったが、重傷者が集められているのかみな致命傷に見える。


 その中によく知る班員の姿も見つけて、さっと血の気が引けるのがわかったが、あまりここで時間を潰している暇はない。

 シャロは螺旋階段を駆け上がって、2階へ到達し、無線で言われたルートを思い出しながら廊下を走った。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ………」


 髪が乱れる。息が荒くなる。走り続けた背中の筋肉が悲鳴を上げ、その痛みを少しでも和らげようと、無意識に背が丸くなる。

 それでもシャロは、その足を止めようとはしなかった。


 ――ここ、スプトーラ国立展望台の2階は、戦争屋陣営に拠点にされる前は、惑星に関する展示室が並んでいたらしい。


 目的の部屋を探して目をしきりに動かしていると、白い通路に散見される部屋の出入り口に北東語で『よくわかる銀河のひみつ』やら『キラキラ隕石ワールド』というプレートが掲げられていて、暗い室内にそれらしい展示物が一瞬見えた。


 大森林の真ん中にあるような、今は廃墟と化した展望台だが、元はそれなりに客の来る観光スポットだったのだろうか。それとも廃業する前は、周囲は荒野や鬱蒼とした大森林でなく、人の過ごす場所があったのだろうか。


 そんなことを頭の片隅で考えながら、シャロは目的の部屋を見つけ、蹴り飛ばす勢いで扉を開けた。

 入った部屋は、完全に病室に作り替えられており、いくつかの簡易ベッドが並べられていて――その中の1つに、ペレットの姿があった。


「――!」


 目を見開くシャロ。


 血塗れの白装束を着て眠る彼の姿に、色んな感情が一気に押し寄せる。


 ――もう、彼の顔を見たらそうなるように、無意識のうちにプロセス化してしまっているのだろう、苛立ち。既に、彼が死んでいるのではないかという恐怖。2度と見れないのではと思った顔が、すぐ近くで見られた安堵。


 マオラオが居なくなったことが、かなりシャロの理性を狂わせているのだろう。普段ならありえない感情をペレットに抱いてしまったことに驚きながら、シャロはペレットの隣で椅子に腰掛けている男――ジュリオットに走り寄る。


 途中、同席していた少女の班員が立ち上がって腰を折り、すれ違うように部屋を出て行ったが、シャロはあまり気に留めなかった。


「ジュリさ……っ、生きてたの!? リリアも意識が戻ったって……」


「えぇ、どうにか。何故かは知りませんが、突然彼女も私も氷が溶けて……。眠りについていた間、ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」


「ううん、大丈夫……それで、ペレットは?」


「失血で気絶しています。大きな傷は全て閉じたので、これ以上の大量出血はないでしょうが……あまりに血が足りておらず。貴方から、血をもらいたいんです」


「わかった。えと、どうすればいいんだっけ」


 漆黒のマントを外し、シャツの袖を捲って、腕を出すシャロ。すると、ジュリオットは椅子から立ち上がって、隣接する小部屋に足を運び、


「まずは血液検査をして、血液中の成分濃度を調べる必要があります。献血はそれから。……珍しい血液なので、出来れば貴方だけで事足りるといいんですが」


 そう言って、自身の足の付け根まである、大きな機械を引っ張り出した。





 ――思えば、彼に献血をするのは2回目だな、とシャロは思う。


 1回目はアンラヴェルの任務の時。


 初めてヘヴンズゲートと対峙したあの日、シャロはペレットに2回も助けられ、その結果彼を失血死寸前まで追い込んだのである。それで自責の念に駆られて、宮殿の医師に『献血をさせて欲しい』と頼んだのだ。


 あの時は本気で、好きで血を分け与えてやってるわけじゃない、借りを返しているだけだ、これが最初で最後だ――と思ったものだが。


 帰ってきたかと思えば、またボロ雑巾のようになっていて。

 本当に死に急ぐやつである。


 今回も、誰かのために死にかけたのだろうか。

 誰かを守ろうとして、ここまでボロボロになったのだろうか。


 ――ずるい。


「……?」


 ふと、変な言葉が飛び出そうになって、シャロは困惑する。


 ずるいって、なんだ。別に、ペレットが誰を守ろうと構わないだろう。

 やっぱり、疲れているみたいだ。


 シャロは考えることをやめて、目の前の赤いチューブを眺める。

 どうやら今回はかなり時間を短縮しており、腕に刺した針から血を吸い上げて、途中にある機械で浄化して、別のチューブで直接血を流し込んでいるらしい。

 アンラヴェルの時は一旦血を全部採ってからだったので、不思議な感覚である。


 そう思っていると、部屋に紙のコップを持ったジュリオットがやってきた。


「あぁ、そろそろ終了ですね。お疲れ様です。しばらくクラクラすると思いますから、針を抜いたらこちらの水を飲んで、ゆっくりしていてください」


「ん、ありがとう」


 シャロはコップを受け取ると、そばにあった小さなテーブルに置く。するとジュリオットが近くにやってきて、シャロの腕に刺さっていた針を抜いた。

 強い痛みが腕を走って、少年は『いっ!?』と悲鳴を上げるが、ジュリオットは気にせず止血を施していく。……かなり雑に扱われている。


 口を尖らせたシャロは、自由になった腕をテーブルに置いたまま、空いた片方の手でコップをとって水をちびちびと口に含んだ。と、


「……あれ、なんかうるさいね。誰か来たのかな」


 人のざわめき声が1階から聞こえた気がして、シャロは耳をそばだてた。


「なんでしょうか。少しだけ、様子を見てきますね」


「うん」


 部屋を出て行くジュリオットを見送り、シャロはぼうっとしながら水を飲む。


 この部屋には、ペレットとシャロ以外誰もいない。だから、下の階から聞こえる喧騒と窓越しの雨音以外には物音がなく、かなり静かだった。

 自分が水を飲む音がよく聞こえる。ペレットの弱い呼吸も、僅かに耳を傾ければ容易に聞き取ることが出来た。


 ――戦争中だというのに、やけに静かだ。


 もしや今、戦争は行われていないのだろうか?


 記憶が定かではないが、レムに背負われて拠点に帰ってくるその道中、敵に遭遇することは1度もなかった。誰かが戦っているところを見たこともなかった。

 ただ、両陣営の死体がそこらじゅうにあっただけだった。


 まぁ、でも、


「……今日はもう、戦うのはいいかな」


 戦うことは好きだが、今日はこれ以上戦う気にはなれない。

 休戦に入ったのなら都合がいい。


 そう思っていると、ふいに眠気がやってきた。


 なんだろうか。今日はよく眠ったはずなのだが、やけに強い睡魔だ。血を一気に抜いた影響だろうか。そんなことを思いながら、かくかくと首を揺らす。

 しばらくは誰かがここに来ることもないだろうし、献血直後に動き回るのはジュリオットから禁止されているし、いっそここで寝てしまおうか。もし起きている必要があるなら、戻ってきたジュリオットが起こしてくれるだろうし、問題はない。


 シャロは、ゆっくりと目を閉じる。

 そしてそのまま意識を、深い眠りの海に沈めていった。


 ――。

 ――――。

 ――――――。


 目を開けた。


 だが、起きたわけではなかった。

 目を開けたシャロは、まるでその身体が自分のものではないかのように、とても動きづらそうに扱って椅子から立ち上がる。


 ぎょろり、と目が動いた。

 いつもの琥珀色ではない。翡翠を思わせる、緑色の目だ。


 その目が、寝台で眠るペレットに向いた。


「……あ」


 シャロは、ベッドに寄り掛かろうとした。

 しかし身体が上手く動かず、思い切りペレットの上にのしかかった。意図せず足が椅子を蹴り飛ばし、椅子がひっくり返って音を立てる。


 ペレットはまだ起きない。


 シャロの手が伸ばされた。

 触れたのは、ペレットの頬だ。そこに出来た傷の近くを、彼は指の背で撫でた。


 ――あぁ、ようやく触れられた。


 翡翠の目のシャロは、唇を震わせて拙い笑みを浮かべる。が、すぐに目を閉じ、再び寝息を立て始めた。


 そこへ、数人分の足音がして――再び、ジュリオットが現れる。

 その後ろに続く、4つの人影。

 それらの正体は、ギル・フィオネ・ノエル・リリアの4人だった。


「……シャロさん? 寝ていらっしゃるんです?」


 ペレットに被さるシャロの姿に、ジュリオットが声をかけるが、反応がない。

 ジュリオットは転がった椅子を立て直し、シャロの身体を別の寝台へ移動させるようギルに指示して、部屋のカーテンを閉めた。


 フィオネが壁に背を預け、ノエルがシャロの眠る寝台の端に腰をかけ、ギル・ジュリオット・リリアの3人が椅子を持ってきて、適当な位置に座る。

 ――ペレットを一瞥いちべつして、リリアが複雑そうな表情で口を開いた。


「……いちお、ペレきゅんってあたしらの敵って聞いてるけど、同じ部屋ん中でしていいやりとりなのか?」


「あー……他に、私達5人が会話の出来る広いスペースで、救護班員の邪魔にならない部屋がなかったもので」


「まぁ、んなボロボロになってる時点であっちにはもう帰れねェだろ」


 背もたれに寄りかかって、首を掻くギル。それにノエルが頷いて、


「それに、もしスパイだとしても……ボクが『洗脳』をしますから」


「そうね。体力も枯渇しているでしょうから、『空間操作』で逃げられることもないでしょうし。――それじゃあ、始めましょうか」


 フィオネは腕を組み、全員からの視線を集めながら、重々しく言葉を紡ぐ。


「聞かせてもらうわ。貴方達が、それぞれ何を見てきたのかを」

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