第78話『暗闇の底で希望論を語ろう!』
「ジュリオット、ロミュルダーって……」
アバシィナから声高らかに教えられた言葉を復唱するも、その言葉の意味が分からずにそれ以上の言葉を紡げないギル。
――どう考えたって、おかしい。
ジュリオットは氷漬けにされて、けれどミレーユと共に今はフィオネの元に居るはずなのだ。だからこんなところに居るわけがない。たとえ何かの間違いでここに居るのだとしても、この男は先程自分になんと言った?
《いかんせん、貴方は普通じゃない部類の方のようですので、私にとってこの状況は全然良くないですけどね。なぜ名乗る必要があるんでしょうか》
既知の仲に向ける言葉にしては、少々おかしい点がある。
つまりこの男はギルの知っているジュリオットじゃなくて、たまたま同性同名だっただけの他人で――いや、しかし声質さえも極限まで似ているなどと、そんなことがあって良いのだろうか。
せめて、顔が見れれば結論はどちらかに決するのだが……。
「やめてくださいますか。しかも、何故貴方が私の名前を知っているんです?」
「んまぁ、長いこと生きてると色々わかんねん」
ジュリオットもどきに関して何かを知っているような様子で、アバシィナはもどきの反応を見てはけらけらと闇の中で笑う。意味ありげなやりとりだが、ギルにとっては完全に自分要らずの会話なのでつまらない。
だから、
「……なぁ、1個聞きたいんだが、ジュリオット。お前は俺のこと知ってるか?」
「はて、何を仰っているのか。ギル=クラインでしたっけ? 貴方。生憎とここに居て長いですから、どれだけ貴方が有名だろうとわかりませんよ」
「ここに居て長いって……じゃあ」
自分の知っているジュリオットとは、やはり別人なのか。しかしここまで酷似した声や喋り方を聞かされて、名前も同じと来ては頭がおかしくなりそうだ。ギルは痛みが訴えられる幻覚のする頭を抱えながら、『あー』と濁点つきの声を溢し、
「アバシィナと、レムと、ジュリオット……驚くほど野郎しか居ねえんだな。お前らって、それぞれどれくらいここに居んの?」
「はっ、それがわかったら良いんだがねい。残念ながらアズノアが仕切るこの空間じゃあ『何日』って概念は存在しねェ。外の常識が一切通用しねえんだあ、体感3日間くらいかと思えば外じゃ1ヶ月経ってるなんてのもザラでい」
「んっな馬鹿な……」
確かに『時間が凍結している』みたいな話はどこかで聞いた気がするが、そこまで体感と実時間がぶれることなどあり得るのだろうか。
「まぁ、外の時間経過を知る術って言ったら看守の入れ替わりくらいしかねえ。毎回人が変わって来るからな、つっても体感2分後くらいに次の日の看守が来ることもあるんで、最初は気が狂いそうになるがなァ」
「……なるほどな。『こともある』ってこたぁ、毎回バラバラなわけか」
「そうだ、体感2週間でようやく日が変わったなんてこともある」
「……それは確かに気が狂いそうだ。そんな中でよくお前らは気ィ保ってんな。それともなんだ、意外と慣れるもんなのこれって?」
数日前に入ったアバシィナがまだ狂っていないのはわかるが、レムは話を聞くに少なくとも外の時間で1ヶ月はここに入っているということだ。1ヶ月間も毎日時間の狂いに付き合わされていれば、ネジの1つや2つ外れていそうだが、
「あ〜どうだろうな。たまたまここに揃ってんのがメンタル強かったってだけで、すぐにイカれちまうのが普通なんじゃねえかあ? 長いことここに居るが、他の洞穴に入ったことねえからわかんねえな……」
「おーん……長いこと、ね。脱獄しようって気は湧かねえのか」
「はっ、そりゃあ俺にだってあるぜえ? けど、俺の考えてる方法は色んな条件が合わねえと実行が出来ねえんだ。あと……もうちょい待たねえと」
「も……」
――もうちょい?
と、尋ねようとしたその瞬間。
ギルは周囲の空気が張り詰めたのを感じ取った。そしてギル自身も『原因』を察知して、喉まで上がっていた言葉の続きを引っ込める。
直後、何かが硬いものを引っ掻くような音が響く。ぎぎ、という音に合わせて鎖同士がぶつかるような甲高い音も聞こえ、耳を澄ませると何か女性の一生懸命な呟き声のようなものもこちらへ届いた。
「――アズノアだ」
緊迫した空間の中でレムが、唸るような低い声で呟く。
「鉄球を引きずりながら、不定期的にサードの中を回ってんだ。……つっても、意識がちゃんとしてんのかわかんねえもんで、その徘徊に意味があるかどうかは知らねえが。今、あまり大声を上げるのは得策じゃねえな」
「……へェ」
レムの説明を噛み砕き、ギルは短く返信した。
先程から新入りのギルに対して、レムからは親切な対応がよく見受けられる。渡してくれる情報量も多めな様子からしてお人好しそうな内面が窺えるが、これは信用してしまっても良いのだろうか。
――ただの良い奴なら、こんなとこに居るはずがない。
そんな先入観が思考の邪魔をしてくる。しかしそれも、どこからか聞こえてきたすすり泣くような声に丸ごと上書きされて、
「……これは、そいつの泣き声か……?」
「あぁ、なんでかぁ知らねえが、ここ数日よく泣いてんでい。外の世界から帰ってきた日からだと思うが……多分、相当精神にクることがあったんだろうなあ。アイツを慰めてやれりゃあ、脱獄もワンチャンス……って感じなんだが」
「……慰めることが、脱獄に関係する?」
「んまー、今んとこ俺が出してる希望論だがなあ。サードの囚人は首輪の鍵を全てアイツに握られてらぁ。けど、アイツは他の看守と違って理性が弱えから、どうにか味方側につけれれば鍵を渡してもらえる可能性があんだィ」
「なるほどな。そういう手も必要になってくるのか」
傷心につけ込むようなことはあまり趣味ではないが、彼女――シスター・アズノアを篭絡することで脱獄ができるのだとすれば、目くらいは平気で瞑れよう。
――いや待て。
「平気で教えてもらったけど、多分おっさんは個人で脱獄考えてんだよ……な?」
「あぁ? 別にその辺はこだわってねえ、着いてきたけりゃ着いてこい。けども、基本俺は俺の思ったように動くぜえ?」
暗闇の向こうで喉を鳴らし、不敵な声色でハッと笑うレム。悲しいことに真っ暗闇なので肝心の顔は全く見えないが、その悠々とした様にはつい顔に大きな古傷のついた歴戦の武人顔を想像してしまう。
と、そんなところに一際目立つ狂笑が横入りし、
「はーっはっはっはァ!! なんや、そないな面倒臭いことせんでも脱獄なんや容易に出来るで?? なんなら今すぐにでも出来る」
「てめ、アズノアの徘徊中にデケー声上げんじゃねえって言ってんだろぃ……!」
「……アバシィナ、だったか?」
自信に満ちた高笑いに恐る恐るギルが尋ねれば、暗闇でもわかる眩しい金髪を薄明かりに煌めかせた青年は『せや』と楽しそうに返し、
「あんさんらもこォんな狭っくて陰気くさいところ嫌やろ? んァーわかる、わしも嫌やねん。やから、特大サービスで……せやな〜、明日か明後日くらいには出したってもええ! 今日は生憎と力が足りひんから無理やけども……」
「お前さんはあれだろィ……考えることがいちいちぶっ飛んでるのはわかってんでい。どうせ『若返りの呪い』を悪用しようとしてんだろーが」
呆れたような声音のレムが声を上書きし、アバシィナに指摘を入れる。
すると、
「ハッ、レムの兄さんは勘が良くて困るなあ! せや、シスター・アズノアを限界まで若返らせて生まれる前に巻き戻せば、自ずとこの『サード』を作り上げとるこの空間も壊れるんちゃうかなぁ思てんねん」
けらけらと気の良さそうな笑い声を上げるアバシィナ。しかし、その内容は声音に似合わずかなり恐ろしいことを喋っている気がする。
もっとも、ギルには彼の言葉の半分以上が理解できなかったのだが。
「若返らせる……?」
「ったく、こいつァー本物の馬鹿だな……いいか、お前さんが100歳若返るのに10万人の自国民を殺したんだろい、数百年は平気で生きてるアズノアをどうやって生まれる前まで若返らせようってんでい」
「そりゃあ、どこからか捻出すればええやんか? せや、絞ろー思たらもうちょいウチの国から絞れるで。足りない分は中央大陸辺りから頂戴して、上手いこと数合わせ出来るやろ!! 完璧やでぇ!!」
そう言い放って、満足げな高笑いを洞穴に響かせるアバシィナ。方々から声が跳ね返されてうるさい上、邪悪な笑いのはずなのに声質が爽やかなのが余計
「ハァ。わかるかギル坊、この通りこいつぁ人間じゃねえ。人型のゴミだ」
「何もわかんねーけど、クズなのはわかった。だから、こいつは無しでもっとユーイギな話をしようぜ」
「ユーイギっつッたって、別に俺ぁまだ脱獄の準備は出来ちゃいねぇよ? あくまで可能性があるから試してぇって話しただけでぃ、これ以上お前さんにとってもメリットになりそうな話は……」
言いながら、一応記憶を思い返してくれているのか語尾を小さくしていくレム。しかしそんな親切心にギルは『いや、』とあえて待ったをかけ、
「その、可能性ってやつの話を聞きたいんだ。おっさんはさっき、もうちょい時間がかかる、みてーなこと言ってたが……具体的に何にどう時間をかけんだ?」
「んぁ? あぁ、シスター・アズノアが落ち着くまで……って話だィ」
「落ち着くまで? ……今が病みまくりだから?」
尋ねればレムは『あぁ』と肯定の相槌を返す。
聞く話によると、今のアズノアはいつも以上に荒れているので、このままでは開口一番に頭蓋骨を鉄球で割られかねない。なので、対話が出来るくらいには落ち着いた頃合いを待つ必要があるらしいのだ。
「ほーん……具体的に何を慰めてやればいーんだろな」
「やっぱ、顔とかじゃねえかなあ……元々は美人だったって噂があるんだが、不死身に近づく手術を施した時に全身にすげー縫い目が出来ちまったらしくて。それが延々と残ってるから、コンプレックスなんじゃねえかなあと」
「はぁ。そりゃあ……オンナノコならかわいそーな話だ。知らねーけど」
勝手にほぼ不死身みたいな身体にされた挙句、フランケンシュタインみたいな身体にされた――とあれば、確かに発狂してしまってもおかしくなさそうだ。自害できない上に美しくもないなどと、人によっては地獄よりも辛い話だろう。
なんて考えていると、今まで静聴していたジュリオットもどきが口を開いた。
「……違いますよ。彼女が真に悲しんでいるのは」
「あァ? 違うってなんだ」
「全身の施術痕もそうだとは思いますが、彼女が本当に悲しく思っているのは『自分が普通の人間でないこと』です。普通に生きて普通に死ぬ、それが出来ないことをシスター・アズノアは悲しんでいる」
「はあ。やけに確信的だが、一体どーいう根拠で話してんの?」
短く結んだ髪に指を差し込み、頭を掻きながら問いかけるギル。するとエセジュリオットは一瞬躊躇いを見せて息を含んだが、ゆっくりと追憶をしているのか語るような口調で言葉を紡ぎ、
「私はここに居る時間が貴方達よりも遥かに長いですからね。彼女がまだ正気を保っていた頃だって知っている……彼女がどういう人間なのかも。あそこまで狂ってしまう前までは、ただのか弱い女性だったんです。なのに……」
そんな彼の声音には確かな芯があり、決して思いつきで彼が滑らせた話でないことは傍目にも窺えた。ギルは黙り込み、レムはかける言葉に迷ったようで、『まァ……』とじっくり選びながら低い声で溢す。
一方アバシィナは、この会話に乗じる気は起きなかったのか、先程から静かになっていた。湿っぽい話ではなく、もっと殺伐とした会話がしたいのだろう。
「ですから、どうしてあぁなったのかを見てきた私には、『彼女を篭絡する』という作戦は思うほど簡単じゃないように見えるんです。外で何があったかは知りませんが、ちょうど錯乱してしまった状態で徘徊しているようですし……」
「――なるほどな」
無関心や同情、相反する色んな思惑が入り混じった暗闇の中に、ギルの嬉々とした声が響き渡る。それはシスター・アズノアの話題に対して向けられたものにしては、一般道徳的に言えばあまりにも場違いなもので、
「なァ、次にシスター・アズノアが徘徊するのっていつかわかるか?」
そう聞けば、表情の見えないエセジュリオットが顔をしかめたような気がした。
「貴方、今の私の話を聞いていましたか? 普段よりも荒んでいる状態のシスター・アズノアを篭絡するのは簡単じゃないと……」
「あぁ、わかってる。わかった上で聞きてェ」
こちらの態度を咎めるようなジュリオットもどきを横に、確固とした態度でもう1度尋ねるギル。横柄なようにも聞こえる自分の発言に、もどきの中で元々ない好感度が下がっていくのをギルは自覚していたが、
「……前回来たのが何日前でしたっけ?」
「あ〜……看守が8、9人くらいは入れ替わってた気がすっから、大体10日前くらいだな。アズノアの徘徊は一応あんなでも定期的なんで、次来るとしたらまた10日くらい挟むと思うが……ギル坊、お前さんは一体何を考えてんでい」
レムは、ギルの中に考えがあることを見抜いていたのだろう。
面白いものの始まりを知ったような、そんな期待に満ちた声音で、しかし世間話をするような音の軽さで問いかける。
すると、
「いやぁ、ちょっとな。……俺とソイツ、不死身のバケモノ同士で語れることは色々あんだろーな〜って思っただぁ〜け」
――神様に愛された男は、へらへらと悪い笑みを浮かべた。
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