第77話『最凶で最悪のルームメイト』

 一方その頃、ただ1人メンバーと別れたギルは、看守マルトリッドと共に昇降機で最下層・地下2階に到達していた。


「……どこだよ、ここ。亜空間って言ったじゃねえかよ」


 鼻腔に突き刺さる悪臭に顔を歪めて、周囲を見回すギル。ここが本気で極悪人を収監するエリア『サード』なのか。亜空間と聞いていたが、時空間を一から作ったのならば何故こういった内装で形成してしまったんだろうか。


 ギルは管理人の正気を疑う。元々チャーリーやフラムの情報から、狂人になってしまった可哀想な人物だとは認識していたが、まさかここまでおかしいとは。しかも訳の分からないことに、謎に完成度が高くて物凄く臭い。


「ここを管理してる奴さ、頭イカれてるとは聞いてたけど相当やべえだろ」


 そうイカれ具合の桁外れぶりを実感するギルの眼前に広がるのは、想像していたような阿鼻叫喚の地獄ではなく、ただの薄暗い地下水路のような場所であった。通路の照明は圧倒的に少なく、2メートル先を見るので精一杯という状況。


 湿っぽく、埃臭く、そこに下水の匂いも混じっており、常人であれば1発で鼻がやられてしまいそうだ。


 実際ギルでさえも相当キそうな状態にあり、鼻栓もせずに真顔をキープしているマルトリッドの精神強度が知れなかった。


 と、


「――勘違いしているようだが、ここの管理人は亜空間を作っているわけではないぞ」


「えっ?」


 一瞬だけこちらに視線を寄越したマルトリッドの発言に、かなり間抜けな声を漏らすギル。空間がシンと静まり、無言が肌を刺してくるのを感じていると、


「透明で実体のない結界を張っている、と説明したらわかりやすいか。そしてその内側にある空間を、外の世界の常識が全く通用しない別物にするだけだ。主に、目に見えない面で」


 表情には出さずとも、やはり悪臭は悪臭なのか先程までより歩速を速めながら先導し、手錠をかけたギルを鎖で引っ張っていくマルトリッド。

 彼女の感情を見せない声は、地下水路の構造上よく反響する。


「前提として時間の流れが違う。というか、そもそも時間が流れない。つまり囚人は老いることがないし、腹が減ることもない。つまり尿意を催すこともない」


「それって、ただの上位種で説明できるレベルの能力じゃねえだろ、流石に……」


「あぁ、その通りだ。彼女は常軌を逸している」


 『――しかし』と女看守は一言挟むと、口の中で少々言葉を転がして、


「どうやら生まれつきではないらしい。詳しい話は知らないが、彼女は『覚醒』をしてそんな厄介な力を手にしたんだという」


「覚醒、だァ?」


「そうだ。その辺りで耳にした噂では、特殊能力が限界まで極められた時に段階が1つ上がるらしい。私が知る限りでは、管理人――アズノア以外でその状態に至ることが出来た能力者は居ないが」


「初めて聞いたわそんなん……」


 ギルは、19年間生きてきて初めて知る情報に驚くあまり吐息を溢す。


 特殊能力の覚醒。もし世界的に見てもその前例がアズノアというここの管理人しか居ないのなら、この先ギルらとは一生縁のなさそうな話ではあるが、限界まで極めた時に一段階上がる、というのはどういうことなのだろうか。


 そもそも極めるとは何だろうか。仮にギルが覚醒をしたとして、今の状態から『神の寵愛』はどう変わるんだろうか。


「もしかすると、周りにもヒール効果が付与できたりするのか……」


 いや、流石にそれは都合の良い話が過ぎているだろうが。アズノアに関する話も色々とぶっ飛んだ話なので、期待すればワンチャンスがあるかもしれない。


 などと、柄にもなく夢を見ていると、


「ここが貴様の入る場所だ。このまま大人しく着いてこい」


「ウワなんだ急に止まるな、……は?」


 水路を真っ直ぐに突き進んで最奥、そこでマルトリッドが石の壁に取り付けられたレバーのようなものを上から下に下ろすと、水路を区切っていた鉄柵が甲高い音を立てながら持ち上がっていく。


「……洞穴か?」


「あぁ、『サード』の人間は皆地下の洞穴に閉じ込めている。ここは5つある洞穴のうちの1つ。既に先客が数名居るが、慣れれば気にならなくなる」


「先客って……」


 ろくに照明がなく、洞穴の内側の壁に設置された松明らしきものの明かりを頼りに、大半が闇に支配された空間に入るマルトリッドとギル。


 大きな空洞である為か、いちいち足音が響く。こん、こん、と特にマルトリッドの黒い革靴の底が心地良い音を立てて地面を踏み、


「定期的に身体検査は行う。もっとも、時の流れがないこの空間で餓死や衰弱という概念はないが、時折発狂して自死しようとする者や、憂さ晴らしに囚人が囚人に傷つけられることもあるのでな」


「アラ〜ヤダワ物騒ネ〜」


 適当な言葉で返答をしつつ、周囲の様子を念入りに窺うギル。


 洞穴が広すぎるのと暗すぎるのであまり把握は出来ていないのだが、先客とやらは3名ほど居るようだ。その内の2人が平均的な男性の体躯をしており、残りの1人が熊のような超大柄の体躯であった。

 どれもシルエットで判断しているので実際の性別はわからないが、流石に最後の大柄の奴だけは女性であって欲しくない。


 そして3名ともある程度の距離を保っているようであり、恐らく鎖の先が洞穴の壁に埋まった手枷と足枷をされていた。当然家具らしきものは全く見えないので、洞穴の地面に直に座っているということだろう。腰が痛くなりそうだ。


 それぞれがギルの登場に気づいているのかはわからない。起きているのか眠っているのかもわからないが、今のところ特に反応はなく黙り込んでいる。それが新入りの登場によるものなのか、それともマルトリッドの威圧感が原因なのか、普通に永遠と続く地獄に蝕まれた結果なのかさえわからない。


 でも、皆普通に身体に肉がついているように見えたし、とりあえず動物学的に『生きている』ことに間違いはないのだろう。


「……『神の寵愛』、って発狂の抗体はあんのかなァ……」


 いずれ自分もあぁやって屍のように黙り込んでしまうんじゃないかと、先客の様子を見て恐ろしくなったギルが自身の能力の可能性について思考するが、当然試したことがないので抗体の有無は不明だ。


「――それから、『サード』に入っても首輪はそのままだ。逃走が不可能な空間であるとはいえ、首輪を外せば抑止力に欠けるからな」


「ほーん……心配性かよ。あ、つか、一生この空間に閉じ込められるわけだけど、なんか暇潰しって出来ねえの? 流石にこんな場所飽きるぞ1日と経たずに」


 暗闇と岩壁だけが広がる視界をぐるぐると見回して、景観の圧倒的なつまらなさに溜息を吐きながら肩の力を抜くギル。


 もちろん、脱獄を諦めてサードでの生活を受け入れたわけではないが、脱獄するのに数日間、はたまたは数ヶ月か数年間はかかる恐れがある。つまり暇との戦いは避けられない為、こういった話はなるべく早めに聞いておきたいのだ。


 しかし、


「刑務作業のことであれば、『サード』にも存在する。この島は元々鉱石が取れる場所として有名でな。サードのすぐ地下には坑道が通っているんだ」


「あ〜……」


 見当違いの返答が来て、脱力するギル。それをマルトリッドは無理やり鎖で引きずって、洞穴の壁側に寄ると埋め込まれた足枷をギルの両脚に嵌め込み、


「前提として、この刑務作業は強制ではなく囚人側の任意だ。かつては強制にしていたが、過去に複数名の囚人に同時に道具を持たせた際、暴動が起きて看守2名が殺されたためそれを機に廃止された」


「ちなみにその暴動の結末ってどうなったよ」


「囚人達が逃げた先でシスター・アズノアが偶然おり、サードの囚人にも関わらず全て鉄球で殺された。あの女は時折そういうことがあるから扱いづらいんだ」


 そう言いながらしれっと手枷も嵌めるマルトリッド。こうして完全に壁と鉄鎖で連結されたギル=クラインの完成である。


「まぁ、話は戻るが……。毎日必ず誰かしら看守が出入りするので、坑道を掘り進めて身体を動かしたいと思ったらその看守に申請しろ。道具は一式貸し出される。仮に鉱石を発掘したら、それはそのまま看守に提出しろ」


「え、それは酷くね? 流石になんか褒美があっても良いだろうが」


「何を言っている、お前達にとっては労働そのものが最高の報酬だろう」


「何を言ってるはオメェだよバーカ」


 真っ黒な企業同然の発言を受け、目の前の女看守を忌避の目で見やる。だが見られている本人はそれに一切触れることなく、枷がしっかり機能していることを確認すると、役目を終えたとでも言わんばかりに『では』と足早に去っていった。


 やはりマルトリッドでも、鼻に纏わりつくような下水の匂いは嫌なのだろう。ようやっと見つけた彼女の人間らしい一面、しかしそれがあるだけに、通常の立ち振る舞いの異様さがより際立っていた。


 ギルは、歩を進めるたびに揺れて遠ざかっていく長い赤髪を見送りながら、『まーじで可愛くねェ』と口の中で小さく悪態をついた。





 マルトリッドが洞穴の外に出て、水路と隔てる鉄柵を元に戻した瞬間、この空間に初めてギル以外の『動き』があった。


 ギルの正面遠くで枷をつけられている青年が、突然笑い始めたのである。


「はっ、ははは、んふ、んひひひひっ……」


 それ以外の男(推定)は動くことなく、とにかく黙りこくっている。だからこの空間には青年の狂笑のみが響き渡っており、笑う青年からはもちろん、それに動じない残り2人からも異様な空気が醸し出されていた。


 と思えば、


「ふひーッ、ふ、んへ、んゔっ、ぶっ、うはははは……ようこないなとこまで来たのう、ギル=クライン!」


「――!?」


 高らかに自らの名前が呼ばれて、動揺するギル。その反応が向こうには見えているのか、『おうおうおう!』と満足げな色を含んだ声が飛ばされて、


「いやぁ、まさかそっちから来てくれるとは思っとらんかったわ。やはり世界はわし中心に回っとるっちゅうわけや。、それやったら捕まらんやろ! ってツッコまれると痛いんで矛盾しとんのは堪忍な!!」


「何を……」


「あぁせや、わしか? わしはアバシィナ言うもんやねん。あんさんの仲間には既にうとるから、もしかすると知っとるかもしらんな? まぁあれや、気軽にアバさんとでも呼んでくれはったら嬉しいわ」


 邪気のない元気な声でけらけらと笑う青年――アバシィナ。彼の声がする方に目を向けると、暗闇でもぼんやりとわかる金髪が松明の明かりに煌めいていた。その髪の輝きに何か引っかかったギルは、ふとここ最近の過去の記憶を探り、


「……あれか、お前……さっきの女看守に数日前連れられてた……」


 蒼い目が特徴的な褐色肌のアイツか、と正体に気づくギル。


 確か『国民10万人を殺害した王子』だとかなんとかで、チャーリーとマルトリッドが喋っていたはずだ。それでその会話の最中に、やたらとギルのことをじろじろと見ていたので割と鮮烈に記憶に残っている。


「それに、あれだろ。シャロとジャックに『呪い』がどーのこーのって言ったのもお前だな?」


「シャロとジャック……あぁ、あの2人なぁ! せや、嬢ちゃんの方にエッッッラい強い呪いがかかっててん。そんで、わしが解呪してやろー思たら赤髪の姉さんに邪魔されてん、ハァーもうええとこやったのになぁ!」


 収監されているとは思えない快活さでぺらぺらと舌を動かすアバシィナ。そのノリについていけず、一旦放置しておこうと別の方向を見れば、


「はーっ……お前さんは、相変わらずうるせえ奴でい。お陰でちっとも眠れねーじゃあねいかィ、馬鹿やろうがよお」


 今まで静止していた熊のようなシルエットの男性が、のっそりと動いて隣のアバシィナに文句を言う。間延びした声が洞穴の中で木霊し、新たな人物の割り込みにギルが警戒を走らせていると、


「しかも、また新しいのが入ってくるたあ……この監獄も必死だなあ、お偉いさんはなーにを考えてんだかよお。おい、そこの……ギル坊っつったかあ?」


「……ボウ?」


「おうおう、そこのお前でい。俺ァ【レム】って名前のモンだ、女みてえな名前だがそこは気にしねえでくれィ。互いに顔はよく見えねえが……まあよろしくな」


 ――声質から推察するに、声の主であるレムとやらは、30代から40代くらいの男性のようだ。聞いたこともない喋り方が妙に気になるが、それ以前にやたらと親しげな様子に違和感を覚える。


 何か、こちらの中身を探られているのだろうか。

 こんな場所に来てしまうと、周りの人間がただならぬ者で揃っているという先入観が邪魔して言動のひとつひとつが引っかかってしまう。


「……あぁ、ギルで合ってる。……おっさんが、レム、だな」


「おうよ」


 初手からおっさん呼びしたにも関わらず、暗闇の向こうから気の良さそうな声を返してくるレム。若造の無礼にも寛大に応じている辺り、一見すると非常に親しみやすい普通のおっさんのようだが、まだ本性は掴めない。


 とにかく、この熊みたいなおっさんに関してはまだ信用はしない扱いでいよう。アバシィナに関してはもちろん、最初から信用する気などないが。


「んで……」


 ちらり、と次にギルが目をやったのは、ギルから少し離れた左隣で枷に繋がれている青年(推定)のシルエットである。


 暗闇がやはり邪魔なので、『それなりに背が高い』ということくらいしか読み取れず、この場に居る中では1番距離が近いにも関わらず容姿は大雑把な情報ですらこちらに入らない。だが、微動だにしない男を眺め続けていると、


「――あまり、見られても気持ちが悪いのですが」


 と、事務的な声音ではっきりと嫌悪を伝えられた。


 なんとなく、声の雰囲気はジュリオットに似ているような気がする。というか、よそ行きの際のジュリオットの声そのものだ。別に、彼の声は特段レアなものというわけでもないので、偶然似ているというだけなのだろうが。


「いや……この流れで来るとお前もイロモノなんじゃねーかって思ってつい。悪いな、お前は普通そうで良かったわ。ついでに名前聞いときたいんだけど」


 拒絶の色を示されたにも関わらず、ついジュリオットを相手にしているような気持ちになって、思わず距離を詰めてしまうギル。すると当然のことながら、初対面にして距離感のズレたギルを『頭がおかしい』と捉えたらしく、


「……ハァ」


 ジュリオットもどき(以下もどき)は、絶望を含みながら溜息を落とした。


「いかんせん、貴方は普通じゃない部類の方のようですので、私にとってこの状況は全然良くないですけどね。なぜ名乗る必要があるんでしょうか」


「もしかして名乗ることも出来ないくらいの大罪を犯した感じか」


「あながち間違ってはいませんけど、そういう理由で伏せたいんじゃありません」


 思いのほかガードが硬く、中々名前を教えてくれないもどき。それで変に熱が入ってしまって、無理やりにでも聞き出してやろうとギルが燃焼していると、突然狂笑をすん、とやめたアバシィナが会話に割り込んできて、


「あ、ソイツな」


 ――軽快に、爆弾をぶち込んできた。






「そいつ、【ジュリオット=ロミュルダー】って名前やで!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る