第55話『オレってほんと救世主《メシア》』

「おらおらおらぁ!! ジャック君のお通りだーーぃ!!」


 身を電光に変えて部屋に飛び込んできたそいつは、バーシーの後頭部間近で姿を人型にぱっと戻すと、身体を地面へと引いていく重力に身を任せながら、手にしていた鉄パイプで大振りの一撃を入れた。だが、


「――ッ、電光野郎!!」


 見た目そのままのあだ名をつけたバーシーは、鉄パイプが振り下ろされる寸前、その軌道上に氷の盾を作り上げた。


 直後鉄パイプが盾の表面と衝突し、粉々に割って破壊。しかし勢いを殺したためバーシーの身体にパイプが届くことはなく、


「電光野郎なんてダサい響きだなぁ、もっとカックイ〜イ名前つけた方がいーんじゃね? だってオレだぜオレ。天下の傭兵ジャック君よ? 雷帝とか雷神とかそんな感じで呼んで? くれちゃって? 良いんだぜー?」


 一撃即殺に失敗した『電光野郎』は、身のこなし軽く着地すると、バックステップで3メートルほど距離をとって、バーシーらと向かい合う。


 そのバーシーらの背後でへたり込むミレーユからは『電光野郎』の顔がよく見えなかったが、その声からして男性なのであろうことだけは把握した。


「……誰ですぅ? この人ぉ」


 ふわふわ青年は突然の来訪者に怪訝な目を向け、隣のヒョロ男に尋ねる。すると、


「……イツメちゃんが雇った傭兵さ。前にも1回契約してて、その時の契約内容にキレられたから、改めて今日の為の従業員として雇ったらしい。だから一応ボクらの味方のはずなんだけど、なんか相性が悪くてね……すげえ嫌われてんのよ、ボク」


 爛々と輝く琥珀色の瞳と睨み合い、自嘲げに語るバーシー。するとそれを聞いたふわふわの青年は祈るように両手の指を絡めると、


「え〜、先輩良い人なのに〜! ちょ〜っと媚びたらすぐ財布開けてくれるしぃ」


「それは金欠の君がカフェの前でゴネて、『パフェ食えないならバーシーさんが隠してるピンクい本全部燃やしますぅ〜』って言ったから!! 媚びられたからじゃないのぉ! 不本意! というか、割と真面目に引かなきゃやばい……」


「え? 2対1ですよぉ、退散するんですかぁ?」


「ちょっとね……コイツの特殊能力は厄介過ぎる……」


 青年とのやりとりを、アホ面で見ているジャックの体躯たいくをテッペンから爪先までサラッと眺めて、頬をひくつかせるバーシー。


「身体そのものが雷に変換されるから、尋常じゃなくすばしっこい上に拘束も出来なくて、かつ直接手で触れられない。更にイカれてることに、長距離の全方位攻撃もするような奴なんだよ……だから、ボクでもかなり不利だ……!」


 しかも電撃を館内で飛ばされれば、美術館が燃える。最悪の場合はバーシーが冷気を操って鎮火すれば逃走も可能かもしれないが、1発の消費量が他の能力と比べてデカい彼の能力にはそう何度も頼れないのだ。


「……わかりましたぁ」


 剣呑な雰囲気に押されて、若干語尾の伸ばしを弱くした青年が頷く。


「おれが能力を使います。『白昼夢』」


 ――青年が能力名を詠唱した途端、ジャックとミレーユの目の前にそれぞれ広がっていた視界がぐにゃりと歪んだ。まるで目眩を起こした時のような感覚にウッと目を細めれば、直後ミレーユの視界が霞み始める。


 ジャックの立ち姿にも、美術館の光景にも、身を翻して逃走するバーシーらの背中にもぼんやりと白みがかかって、だんだんと遠くなっていく。


 視界はまるで寝起きのように。しかし意識はまるで眠りにつくように、どんどんと引き込まれていって遠くなる。


 ――眠ってしまう。そう思った刹那、ピンぼけが重なってほぼ真っ白だった視界が瞬き1つでパッと晴れた。


「っ、え……?」


 次の瞬間、意識が覚醒したミレーユの眼前に広がっていたのは、草原だ。見渡す限りの緑がそよぐ風に身を揺らし、ざわざわと音を奏でている。


 一斉に草が倒される様は、まるでカーペットの表面を撫でるが如く。薄水色の空には白い雲と、チラ見することすらはばかられるような燦々と照る太陽。髪と肌をじんわりと焼くその感触は、雪国生まれ雪国住まいのミレーユにはあまり親しみのないタイプの『夏』という季節を証明していた。


 冷気を操るバーシーの『真冬』を疑似体験したあとにこれだ。急激な温度変化に意識を掻っ攫われそうになりミレーユはふらつくが、前に転びかかった彼女の腰を誰かが後ろから支え上げ、


「ッ……!」


 さっきの今でつい、伸ばされた手がバーシーのものであると誤認したミレーユは、せっかく助けてくれたその手に怯えて反射で叩き落とす。しかし叩いた手は成人男性であろうバーシーのそれにしては随分と小さく、


「え、え……?」


 感触にビビり散らして結局尻から地面に転べば、腰にガツンとした痛みを食らった。痛すぎる。自分は何をやっているんだと呆れながら腰をさすり、


「――大丈夫ですか? 骨折はしていませんか、姉さん!」


「うっ、うん、私はだいじょ……う……ぶッ!?」


 降ってきた声の元を見上げた瞬間、そこにあった顔に息を噴き出すミレーユ。すると声の主は彼女の反応に眉をひそめ、不可解だというように首を傾けて、


「どうしてそのような反応をするのですか? 姉さん」


「だって、なんで……」


 尻餅をついている自分を見下ろしてくる青色の瞳に、ミレーユは全く同じ青色を持って真っ直ぐに応える。


「なんで、こんなとこに居るの……っ、ハリー!!」


 そう名前を呼ばれて目を瞬かせるのは、自分と同じ青髪に、同じ兎の種族特有の耳を持った10歳くらいの華奢な少年――。


 フルネームを【ハリー=ヴァレンタイン】という、つまり、ミレーユがずっと消息を気にかけ続けていた弟であった。


「姉さん、心配してたんだよ……?」


 弟の姿を認識してから少ししか経過していないのに、一気に涙腺が崩壊して大粒の涙を頬に落とすミレーユ。せっかくの再会だというのに視界が涙でぼやけ、ハリーがどんな顔でこちらを見ているのかもよくわからなくなる。ただ、どんな表情であれ愛しいことに変わりはなくて。


「――ごめんなさい、姉さん。勝手に居なくなってしまって」


「ほんっっっとうに……無事で、よかった……! 色んな人に迷惑かけちゃったんだから、ちゃんとお礼もしないと……ッ! ――あぁ、それから姉さんね……」


 すん、すん、と鼻をすすりながら、ミレーユはジュリオットとの契約のことをどう伝えようか考えあぐねる。戦争屋に自身の保存の能力を提供する代わり、弟の捜索をして欲しいというのが契約の主な内容だが、これはミレーユが遠回しに戦争に加担するという意味でもあるのだ。


 しばらく別れていて、ようやく会えたと思ったら姉は戦争屋の片棒を担いでいました――なんて、当然聞き心地は良くないだろう。けれど黙っているわけにもいかないので、どうにかそれを伝える必要があるのだ。


 一体どんな言葉を使えば、と悩んだ結果『あのね、』を切り口に本題に入り込もうとしたその時。


「これからは僕ら……ずっと一緒ですね、姉さん」


「……え?」


「邪魔は入りませんよ、姉さん。ここに居れば、殺されることもありませんよ、姉さん。父さんや母さんが亡くなってしまわれたことは悲しいことですが、僕らはまだ幸せになれるはずです、姉さん。姉さん、姉さん、姉さん……!」


 涙の膜を落とし切った眼が捉えたのは、今まで1度も見たことのないハリーの不気味な笑顔であった。ミレーユそっくりの顔立ちはもはや、誰に似たのかもわからない凶悪顔に変えられて、目を腫らしているミレーユを楽しげに見据えている。


 ――瞬間、脳内で警報がこれ以上ないくらいに鳴り響いた。


「貴方、だっ……」


 『誰、』と問おうとしたその刹那。額にビリッと走った静電気のような痛みに瞬きをすると、目の前に居たはずのハリーの姿は掻き消えた。そして視界いっぱいに広がる草原も青空も、その全てが消し去られ、


「えっ?」


 間抜けな声をあげている内に、ミレーユの視界に映る光景が美術館内のそれに戻っていた。ただしへたり込むミレーユの頭部には、依然として人影が落とされている。それに気づいた彼女が『ひッ!?』と悲鳴をあげた瞬間、白い額にコツンと鉄パイプの先端が当てられた。


「……は?」


「目覚めたか、ウサ公」


 上から声を落としてくるのは、知らない顔の男。

 そこにあったのは、ダークスーツをある程度着崩して、バットを肩に預けるように鉄パイプを握っていた青年の姿であった。


 恐ろしく容姿がシャロに似ており、シャロを男っぽくしたらこんな感じなのだろうな、という第一印象。しかし知り合いに似ているからと言って油断はできない。ミレーユは床と尻を密着させたままズルズルと引き下がると、


「……あれ、ハリーは……」


「ハリーでもヘンリーでもねえよ、オレはただのジャック君だ。今、オレがお前を起こしてやったんだから、感謝しろよぉ? ウサ公。オレが居なかったらマジお前死んでたぜ、ほんとオレって救世主メシア……」


「ウサ公……あ、いえ、今……なん……?」


 さらりと帽子癖のついた前髪をかきあげてキメ顔をする自称・ジャック君に、上手く調子を合わせられずただただ呆然とする青髪の少女。すると彼は首の裏に手を当てて、モミモミと揉みしだきながら『ん〜』と何か言葉を選び、


「ま、ざっくり言えば催眠術みたいなもんかなァー? 多分、物凄い精巧な夢を見せられてたんだと思うわ。んで、目覚める方法はそれなりの痛みを感じること。これは夢の中の精密な感覚再現を利用して自傷しても良いし、体外から痛みを受けてもオッケーっぽい」


「痛みを……?」


 怪訝そうに首を傾げるミレーユ。痛みで解放されるという割には、彼女の場合尻餅をついて激痛が走っても、ジャックが自分に静電気みたいなものを食らわせるまで、全くあの世界から解放される感じはなかったのだが。


「ん。催眠にかかりやすい奴だと、かなり何度か痛みを食らわねーと無理っぽいな。ま、オレは頬つねって1発だったけどねーん」


 そう説明しながらジャックが頬をにゅっとつねれば、ミレーユもなんとなく従って自分の頬をそっとつねる。それを確認したジャックは深々と偉そうに頷いて、


「だからあんまりに起きんのが早くって、アイツらビビってどっか逃げちった。爆睡したらトドメ刺すつもりだったんだろーケド。ただ、早めに気づいてホント良かったぜ。気づかなきゃ死ぬまで永遠に夢の中だっただろーしな」


「え、永遠に……ッ?!」


「あぁ、契約の時に〈あの女〉がそう言ってたから間違いねー。オレと違って派手じゃなくてわかりやすくもない分、余計腹立つな」


 ジャックは肩を竦めるが、その後激しく後頭部をがりがりと掻くと『ゔあーッ』と濁点つきの唸り声をあげ、


「くそッ、あのスカした野郎とよぉ! ふわふわのろのろ喋る奴よぉ! 特に後ろの奴はなんなんだよ、名前は知らねーケドよォ!! オレと可愛い属性被ってんだよくそッッ!! ぜってえ許さねーッ!!」


 脚立のような土台に展示されたカオス絵画を蹴り飛ばし、あからさまにキレ散らかすジャック。もしかしたら中流家庭の一軒家が買える価値を持っているかもしれない画板が吹っ飛んでいき、がつんと遠くの壁に当たる。いや怖すぎる。


 もしかしたら自分も彼の機嫌を損ねたら、あんな風にされるかもしれない――なんて思いながら、それでもミレーユは無理やり口角を釣り上げて、


「……助けてくださって、ありがとうございます。あの……ジャックさん? は、このイベントに参加してらっしゃる方なのですか?」


「いーや。カジノ側の従業員として仮契約して、参加者を殺しまくる担当。あのイツメだかキツネだか三つ目だかってババアとまた契約してさァ」


「えっ――」


「けど、『こいつはヌシの仕事仲間じゃー』とか言われて紹介された、あのバーシーだかジャーキーだかスケコマシーだかと相性が悪くてさァ。別に従業員側で殺り合っても良いって聞いたから、ただ執拗に追っかけてて……」


 ――と、その時。


 不意に彼が言葉を止めて、力が抜けたように膝をついてから頭を抱え込んだ。その顔は苦渋に歪められ、尋常ではない何か非常事態が起きていることをミレーユは傍目はためから察し、


「えっ、ジャッ、ジャックさん……!?」


「……くそっ、なんだこれ、頭が……ッ!!」


 どんどんと体勢を崩していき、ついには頭を抱え込んだまま丸くなるジャック。歯を食いしばって声こそあげないようにしているものの、その苦しみようは尋常ではない。ただ、その痛みを止めてやれるものも技術もミレーユの元にはなく、


「ど、どうしたら……っ?」


 こういう時頼りになりそうなジュリオットは未だ凍結したままで、ペレットはどこかへ連れ去られてしまった。いや、見ず知らずのジャックよりもその2人の心配を先にしなければならないのだろうが……。


 目の前で汗を流してまで苦しまれると流石に放置は出来ない。それに実質命の恩人である以上、ミレーユが彼を助けねば、と焦るもやはり手段がない。


「が……ッ、いっ、デェ……っ、くそ、あほんだらーーーーッ!!」


 痛みを打ち消すかの如くジャックが絶叫すれば、それは広大な美術館の中に響き渡って反響する。途端、それが彼を救ったのかよくわからないが、平静を取り戻したジャックがすくっと立ち上がり、


「ジャ、ジャックさん……?」


 ミレーユが再び名前を呼んでも、それを一切気に留めることなくジャックは己の手のひらを凝視して、琥珀色の瞳を震わせる。そして彼は――酷く怯えたような目をして、呟いた。



「そうだ、オレ……思い出した。オレ、『ただのジャック君』じゃない。――ジャック=リップハートだ」

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