第51話『薔薇の園で破られた心臓』

 そして15分が経過した。再び場内にチャイムが響き渡り、ぷつりという音を皮切りにイツメによるアナウンスが始まる。


《さぁ、約束の15分が経った。全体で102グループ621名のうち、16名が退場済みじゃ。理由は武器の奪い合いによる抗争。いやぁ、情けないものよのぅ!!》


 美しい声を存分に操って、艶やかに愉快そうに笑うイツメ。


 その声を廊下のスピーカーの真下でただ1人浴びていたギルは、スピーカーの裏側に隠すようにして設置されていた監視カメラに向けて、両頬を内から小指で引いて『ゔぇー』と舌を出した。


 ここは宮殿2階西エリア。当たり前のように金銀キラキラがひしめく廊下だ。


 天井がめちゃくちゃ高い。片側には見上げるほど大きな窓がずらりと奥の方まで張られていて、星の光が差し込んでくる。だがその星の光も、デカくて眩しいシャンデリアの眩さに負けて打ち消されてしまっていた。


《さて、準備は良いな? オーナーの意向により勝ち残るか死ぬかをするまで外の世界は拝めんから、外の世界を見たい者は生き残れ。では良いな?》


「……良いな? っじゃねェんだよ、あんのクソアマ……食事の時間を邪魔しやがって、テメェのせいで完食し損ねたじゃねえかよ、クソがァ!!」


 当然声の届くわけないスピーカーに向かって暴言を吐き、ギルはずんずんと廊下を進む。あの白黒の女を見つけ出して、とりあえずその顔面と身体のクオリティだけ堪能してから絶対に殺してやる。


 ギルは息を巻いて進んだ。ずんずん進んだ。足取りは確かだ。


 しかし迷子である。食事をしていたらアナウンスが流れて、武器庫を探そうとした他の招待客に押し流されてこんな変なところまで来てしまったのだ。


《それから重要な情報じゃが――今回は従業員側から、内通者をそちらに入れておってな。あまりに拮抗して人数が減らない場合を考慮して、こちらから数名を投入しておる。なお時間経過で内通者は増えるので覚えておくように。……ただ、1つ言えることがあるとすれば――生き延びたくば、『針を使う男』には気をつけよ》


「……針を使う男、ねェ」


 針というと、極めた者であれば手首のスナップを利用して瞬間的に飛ばし、首の骨さえ貫通させるという話があるがそういう類いだろうか。となれば、潜みやすく狙いやすい天井に一応注意しておくか。別に、喉に針が貫通したところでギルには何の問題もないが。


《忠告は以上じゃ。では、ぜひ撮れ高を意識したプレイを頼むぞ? さぁ、イベント開始じゃ!!》


 その最後のワードが放たれたと同時に、上階で連続の爆発音がとどろいて、あまりのシビアさにギルは肩をすくめた。





 その頃シャロは、一緒に居たはずのマオラオと別行動をしていた。


 ギルの同じように人ごみに流されて、抵抗できずにめちゃくちゃ遠くまで流されてしまったのである。


「どこだよぉう、ここ……」


 東側エリア、と丁度ギルの真反対側の位置であり、似たような光景が広がる廊下をほっつき歩って溜息を吐くシャロ。いい加減金色という色がうざったくなってきて、シャロは大きな窓の外に目をやった。


 東エリアの東側に窓が張られているので、この時間帯――午後8時前後だとギリギリ月が見える。見事な満月だ。


「武器が……武器がないよぅ……」


 あちらこちらで爆発音が聞こえてきて、その内自分の居るこの場所にも誰かが攻め込んでくると考えると、手が震えるような感情に襲われる。


 彼は大鎌を持たせれば世界一だが、それが失われた途端に雑魚になる。雑魚とはいえ路地裏のチンピラ3人組を素手でいなせるタイプの雑魚だが、この闇のカジノに選ばれたような悪党相手に通じる体術かどうかは定かではない。


 なので、この状況下では最高で最低の雑魚である可能性が高かった。


「ギルぅ……マオぉ……ミレーユちゃあん……ヤク中眼鏡ェ…………なんか紫色の粗大ゴミぃ……」


 腑抜けた声をあげながら、シャロはどこに居るとも知れぬ仲間達に助けを求めて歩く。すると、それを聞いたかのようなタイミングで、


「――見つけたわ、シャロ=リップハート!!」


「ほぇ……あァ?」


 遠く離れた後ろから大声をかけられて、シャロは振り向いた。最初間抜けな声だったのが、苗字を呼ばれたことで鋭いものに変わる。しかし彼が背後を振り返って目にしたのは、欠片とも知らぬ金髪の少女であった。


 眩しい金髪を三つ編みにゆったりとまとめ、美しい肌をモスグリーンのドレスに収めている。時折瞬きがされる瞼の奥からは翡翠色の瞳が覗き、真っ直ぐにこちらを見据えていることがわかった。


 どうやら走ってきたのか相当息を切らしていたが、走れば響くであろうヒールを履いているというのに、全くもってその音も気配もなかった。


「……誰だし、お前」


 その少女もパーティーに参加する格好をしていた為、この撮れ高を謎に強調されたイベントの参加者であることに違いはなかった。だが、フルネームを知っている同業者などそうは居ないはず――。


「私は【セレーネ=アズネラ】。貴方の命はもらい受けるわ、覚悟なさい。恨むなら私以外の〈女〉という分際で、彼の隣に立っていた自分を恨むが良いわ!!」


「はい? 彼?」


 話の全体が掴めずに目を白黒とさせていると、セレーネと名乗った少女は手にしていたむちを大きく振るった。瞬間3mほどだった鞭の流さが中空を走るにつれて伸び、20mほど離れていたシャロの腰にばしっと巻きついた。


「えっ、なにそれ、どういう仕組み!?」


「答えるわけが、ないでしょうッ!」


 軽く引いてしっかり鞭が巻きついていることを確認すると、セレーネは波を作るようにぶるんと鞭をしならせた。すると鞭は波を描いてシャロの方へ走り、


「――ッ!?」


 波がシャロの元へ届くと同時に、巻きつかれたシャロの身体が弾けるように跳ねた。ジャンプなんてもんじゃない、下手すれば天井に顔面をぶつけかねない跳躍であり、


「ぐぇっ」


 鞭の振るいに合わせて今度は壁の方に寄せられたかと思えば、その反動を利用して思いっきり壁の反対側に広がる一面の窓ガラスに叩きつけられた。


「――ッ!!」


 シャロと衝突した窓にヒビが入った直後、ぶつかった箇所から順番に波紋を広げるが如く一斉に割れ、激しい音を連続で響かせると共に浴びた星光を反射する。空中に透明な欠片が散る様は大層美しい光景であったが、シャロとセレーネどちらにもその景色を楽しんでいる余裕はなく、


「うぁッ!!」


 シャロの身体はベランダに投げ出された。植物庭園が作れそうな広めのベランダだ。不慮の落下を防止する白石の柵に衝突して、彼は後頭部を強く打った。


「が、ぁ、ぁぁぁああああッ!!」


 着地したと同時に、ベランダに先に散らばっていたガラスの破片が食い込んだらしく、横腹に走る熾烈しれつな痛みに濁点混じりの悲鳴をあげるシャロ。歯を食い縛って悶えながら、これ以上食い込んで内臓に刺さらぬようにと破片を引き抜けば、中から血がどろどろと溶け出して濃紺のドレスを赤黒く侵食した。


 傷口はそこだけじゃない。比較的被害が少ないものの、剥き出しの首筋にもふくらはぎにも、腕にも赤い線が乱雑に走っている。露出が多いものを、とジュリオットに頼んだのが裏目に出たのである。


「……あら、まだ死んでない。流石に威力が弱かったかしら」


 かつ、かつ、と軽快なリズムでこちらへと歩み寄ってきたセレーネの瞳は、細められて獲物を射るやじりのように研がれている。それに対し這うような姿勢でうつ伏せたシャロは、額からぼたぼたと血を流しながら顔を起こし、琥珀色の輝く双眸をそちらへと向けた。そして、鋭く研ぎ澄まされる。



「――約束しよっか。絶対に、殺してやるよ」


「あら、死に損ないが何か喋ってるわ。早く黙ったらどうかしら」



 頭を打ちつけて、朦朧もうろうとしたシャロの視界に映し出された彼女の翡翠色は、やけに鮮明で美しく、彼の心中を胸糞悪く引っ掻き回した。


 ――金髪の彼女が細腕を振るうと同時に、革の鞭がひゅんとしなって空を裂く。一直線に向けられたそれを横殴りするように掴めば、手中で鞭が走ったせいで手の内側が熱くなった。多少、手の皮も向けてしまっただろうか。


 しかし相手の武器さえ触れてしまえば問題はない。シャロは魚獲りの網を引く要領で鞭を手繰り寄せると、先程シャロがやられたように鞭を振るって波を作った。


 詳しい仕組みはわからないが、この鞭の扱いはなんとなくわかっていた。波を作るように振るわせると、遠くまで続くにつれて波が大きくなる。そして終着した途端、弾けるように鞭が身を揺らすのだ。しかし、


「ッ!」


 向こう側から鞭に波を作ることで相殺し、何の原理か鞭の長さを短くすることで強制的に鞭の先端をシャロから回収するセレーネ。


「これは……〈私〉が〈彼〉に作ってもらったものよ。貴方のような汚い売女ばいたの分際で、気安く触れて良いものじゃないわ!! もちろん、かしこまって触ることも許さない、許されない!!」


「……? バイタじゃないし!!」


 正直売女がどういう意味を持つのかわからなかったが、とにかく口ぶりと状況からして物凄く罵られたのはなんとなくわかったので、適当に否定を露わにしつつシャロはベランダから飛び出した。


 そしてすぐ傍の庭木に飛び移ると、膝まであるドレスを着ているとは思えない猿のような器用さを披露してするすると降下。1番地面に近い枝から飛び降りればかかとから鋭い痛みが走るが、ここで立ち止まれば命すらもない。彼は自分を鼓舞しながら、茂みから這い出てよろよろと歩いた。


 とにかく一旦、体勢を整えなければ。逃げる事は、逃げ切らなければ罪ではないのだ。逃げて逃げて逃げて、最後に立ち向かってブチのめしてやればそれで良い。


「……気休めに」


 シャロはその辺の芝で伏せていた若い男の遺体から銃を引き抜くと、セレーネが降りてくる前にと移動を急いだ。





 ――気づけばシャロは、宮殿脇のガーデニングエリアへと入り込んでいた。


 昔この土地を所有していた皇帝が作らせたものだろうか。歴史の重みを感じるちょっと黒ずんだ花壇を横目に、シャロは石畳の通路を駆け抜けた。


 視界の端を、凄い勢いでガーベラやらマリーゴールドやらが走っていく。花に詳しくないシャロではわからないほど沢山の花が植えられていたが、やはり1番多く見かけるのは薔薇か。赤やピンク、黄色に白。どれだけこの庭園を手入れしてる奴は薔薇好きなんだ。


 なんて考えていると、背後からセレーネの怒気を含んだ声が一直線に飛んだ。


「花のある場所に逃げるなんて、貴方とんだ卑怯者ね! そんなんだから貴方は彼の隣には見合わないと言っているの!!」


「だから、彼って誰なんだよさっきからぁ!!」


「まさか貴方、自覚がないの!? ペレット君のことに決まっているでしょう!」


「ペレット『くぅん』!? おえーっ」


 こんな頭のイカれた少女がペレットと知り合いなのもよくわからないが、その少女がペレットを君づけで読んでいるのも中々に疑問だ。


 というか、さっきからペレットの為にシャロを殺そうとしているのかセレーネは。どんどん訳がわからなくなってきた。


「もしかしてあのクソ野郎のファン!? ファンなの!? やめときなよあんなゴミ、まだ他に良いクソ野郎が居るって!!」


「――ッ、流石にこれ以上生かしてはおけない……。なるべく、無様な終わりを迎えさせてあげるわ!」


 ペレットへの侮辱を聞くに耐えなかったのか、延々と続くかと思われていた追いかけっこに痺れを切らしたのか、はたまたはどちらもか。彼女はブレーキをかけるように立ち止まると、


「死になさい、家畜未満のゴミ畜生! 私が貴方へ冥府への片道切符を今、ここで渡してあげる! 天国になんて行けると思わないことね!」


「くっそ……! ――いッ!」


 焦燥感に苛まれながらどうにか見つけた隙を突いて、シャロは見知らぬ死体から借りた拳銃を発砲。当然撃ち方は下手くそで発砲の反動が手首に刺さり、大きく弾道は揺れて頭を狙っていたはずが肩を撃ち抜いてしまった。


 撃てたのは今の1発だけで、残弾はもうない。前の持ち主がほぼ使ってしまっていたのだ。


「うふ、あははは……あははは!!」


 肩に空いた風穴から血を撒き散らしながらも、苦痛や焦りを見せないセレーネ。むしろ邪悪に、しかし気品さえ感じる濁りのない笑い声をあげ、肩を震わせながら夜天を仰ぐ。


 星の光が彼女の白肌と金髪を照らして、またその狂笑を美しく際立たせていた。こんな時でなければ、シャロですら見惚れていたかもしれない。


「良いわ、素敵、素敵よ、無様に終わる最後の悪足掻き!! 良いものを見せてもらったわ! ――うふふ、もう、辛いでしょう? 良いわよ、良いものを見せてもらったお礼。きちんと1発で逝かせてあげるわ、地獄にね!!」


 先程まで花を傷つけることを心配して躊躇していたのに、それを脳内から切り捨てて目標だけを目指し、自在に伸びる鞭に空を切り裂かせるセレーネ。


 それをさばこうとして鞭の動きを予見しながら身を捻るシャロであるが、ペレットの銃弾すら全て弾いた経験のあるセレーネの腕の前には、ただ一般的な動体視力で避けているシャロなど捕まえるのにそう時間は掛からなかった。


 褐色の鞭が華奢なシャロの身体に巻きついて、抜け出せないよう固く締め上げる。


「ッ、やばっ……!」


「さようなら、シャロ=リップハート!!」


 高らかに別れの言葉を叫んだセレーネは、ドレスの裾を一部たくし上げて太もものホルダーから拳銃を抜き、シャロの心臓部へ焦点を合わせた。いちいち確かめることはない。幼少期から人を銃弾で手にかけてきた自分であれば、必ず狙った場所に当たるから。


「ッ!!」


 何百回、何千回とやってきた片手の構えをとって、意を決したように表情を固めて引き金を引いた。弾丸が走り、遅れて弾けるような音が空気中に走る。そしてほぼ同時、銃弾が確かに左胸に食い込んだ。


 それを瞬き1つせず見開いていた翡翠色の眼で捉えたセレーネは、ほとばしった安堵に表情を緩めて薄桃色の唇を引く。17という年齢に不相応の、恐ろしい魔女が嗤うような笑みをたたえて、心臓を撃ち抜かれた彼が後ろへ体勢を崩す様を恍惚とした顔で眺める。


 しかしシャロが背中を地面に打ちつけた寸前、その左胸にできた銃創から吹き出したのは、



「……え?」



 想像していたような、噴水のように湧き出る血飛沫ではなかった。


 まるで血のように真っ赤な色をした、濃霧――としか形容の出来ない謎の気体であった。

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