第40話『時の流れとは残酷なものである』

 そしてミレーユの弟を治す為の薬が、ジュリオットの宣言通り、ほぼ丸3日間という時間をかけて完成された。


 毒薬のお手本のような禍々しい色の液体が、デカく育ったトマトのような膨らみをしたフラスコの中へ注がれる。


 ミレーユの実家がある国、『ロイデンハーツ帝国』へ行くまでの保存用フラスコだ。そのフラスコは、内側にフラスコ型に凹みの出来たバッグに入れられ、一応予備として同じフラスコがもう2本、同じバッグに収められる。


「……よし」


 バッグの留め具をかけ直すと、ジュリオットは横倒しにしていたバッグを立てて一言漏らす。それは、スコーピオンの月の1日目、空が白んできた午前5時のことであった。


「……そろそろですか」


 長く同じ時を共有してきた実験室の、壁に掛けた時計の秒針がカチ、カチ、と時を丁寧に刻み込んでいるのを目にして、構えるようにまた呟きを溢す。すると、丁度同じ頃、部屋の外の廊下がどしどしと踏まれる音がして、



「あぁぁぁさでぇぇぇすよぉぉぉぉぉおおおおおおおお!! みぃぃなさぁぁぁぁぁぁん起ぉぉぉぉきぃぃてぇぇくぅださぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああいいいい!!(朝ですよ皆さん起きてください)」



 早朝から大迷惑な爆音が、屋敷を越えて敷地を越えて、国を越えて海を越えて、全世界に響き渡った。





 今回『ロイデンハーツ帝国』へは、まず最初にペレットの『空間操作』で再びアンラヴェル神聖国へと向かう。


 長距離の場合、過去に行ったことがある場所であれば空間移動が可能なので、大東大陸から大北大陸までの道のりをカットするのだ。


 しかし、ここからは――アンラヴェル神聖国の隣『ロイデンハーツ帝国』へは、ペレットが未到達のため全員自力で行かねばならない。


 そこで、アンラヴェル国都から繋がる列車に乗るのである。そしてロイデンハーツ帝国の辺境付近の駅まで行き、そこからは乗り継ぎ馬車を使うなり何なりで実家まで向かうのだ。


 というわけでフラムの叫声きょうせいで叩き起こされた戦争屋4人とミレーユは、それぞれ支度をして再度アンラヴェルへ。ミレーユの案内でアンラヴェル最大の国営駅まで歩き、始発の列車に乗る手続きを済ませる。


「きゃ〜!! 列車だ列車だ、列車だぁ〜!! フーゥ!」


 初めて見る駅を前にして興奮気味でホームに飛び込んだシャロが、大声をあげながらその辺でくるくると回り始める。それを医療バッグやら移動用の荷物やらを抱えたジュリオットが、鬼の形相で追いかけて行き、


「と、とま、止まりなさいシャロさんッ!! 観光じゃないから無闇に騒ぐなって、移動してくる前に何度も念押ししましたよねッ、私!?」


 と人混みの中ではしゃぐシャロの腕を引っ掴み、他のメンバーが居る場所までずるずると引きずって連れて行った。


「列車の傍まで来て興奮すんのはわかるんやけどな、流石に色んな人に見られとるから……ちょい自重してくれへんかなーって」


「そんなんだから、いつまでもガキ臭いまんまなんスよシャロさんは」


「あーン? このシャロちゃんに何か言ったかな、お前ェ」


 いつも通り喧嘩を売買したり、それに巻き込まれたりしている16歳の男子3人組だが、彼らが身に纏っているものは仲睦まじげな色違いのコートだ。


 それぞれの特徴に合った色をしており、地味に細部のデザインも違う。購入したフィオネに言わせれば、『贔屓のブランドショップで見つけて、3人を連想した為買った』のだそうだ。


 そしてその争いを見せつけられているギルとジュリオットは、お互いに紺色のトレンチコートを着用。人の荒波に揉まれてきて、若干髪を乱したミレーユは、白くモコモコとした可愛らしいポンチョを着用していた。


「にっしても、朝早くとは思えねーほど多混みだな……周りの奴らは一体どこに行くんだァ?」


 皆の気づかぬ内に、人の荒波に流されかけていたマオラオをひょいと引っ張り出しながら、周囲の有象無象を見渡すギル。


 皆感情の死んだ顔でホームを歩いており、旅行者のような人物は誰1人として見当たらないのだが、それにしても混み過ぎている。鉄道を利用したことがなく、駅の利用=遠出=旅行という概念が染み付いた悪ガキ組にはわからない、決して平日の朝とは思えない光景が広がっていた。


 説明を求められたミレーユが、髪の乱れを片手で直しながら解説する。


「……恐らくは、ロイデンハーツへの出勤だと思います。ロイデンハーツはカジノ街が栄えてて、稼ぎが良いので結構な人達が向こうに勤めに行ってて……」


「え、国境って鉄道で超えて良いもんなの……? 関所とかないみたいだったけど……?」


 シャロが質問を追加すると、そこで住む地域の違いによる認識の齟齬そごが起きて、ミレーユは質問の意味がわからずについ黙り込んでしまう。するとジュリオットがそこへ割って入って、


「大北大陸のみ、鉄道でも移動が可能になっているんですよ。アンラヴェル含め北の国家は、大北大陸の全国家が加盟している連合『ノース・ユニオン』の規定により、関所なしで全土に行き来できるようになっていますから」


「えっ、そうなんですか!? 国境ってどこも自由に行き来出来るのかと思ってました……でもそうですよね、よく考えたら全部の国が戦争をしてない国、ってわけじゃありませんし……凄い博識なのですね……!」


「――おっとジュリさん、ここで鼻の下がつい伸びる」


「渾身のドヤァも入ってましたね」


「いやどっちもしてませんけど!? 風評被害な実況と解説入れるのやめてくれません!? おいそこの緑と紫に言ってんですよ待てどこ行くんですかーー!!」


「……おいジュリさんもどっか行きよったぞ」


 人がうごめくホームにただ取り残される、シャロとマオラオ、ミレーユの3人。それから少しして、こちらが迷子側にされる可能性をふと思いつくと、3人は慌てて奴らの消えていった方向へと急いだ。





 アンラヴェル神聖国・国都を出発点とし、ロイデンハーツ帝国・王都を終着点とするこの線路の名は『エトワール線』と呼ばれている。


 およそ50年ほど前に開通したこのエトワール線を走るのは、漆黒を基調とし金色の装飾を纏った蒸気機関車だ。


 最大乗客数は約300名(席数)、連結された車両数は20、中にはレストランやバーも存在する――と、このように、世界に存在する列車の中でも有数の壮観ぶり。


 中々類を見ない豪華さを誇るその理由は、列車を製造するにおいて世界一の金持ち大国と有名な『ロイデンハーツ帝国』がほぼ全額出資しているからである。


「シャロさんが色々とうるさそうですから、こっち側の4人席にギルさん・マオラオ君・ペレット君・そして私。通路挟んでこちら側の4人席に、シャロさんとミレーユさんが座ってください」


 ジュリオットが席の場所を指示して、全員はそれぞれ窓側・廊下側と座りたいように座った。時刻は7時58分、発車まであと数分である。


「5番目と6番目の車両にレストラン、19番目と20番目の車両にバーがあります。全員に5000ペスカ分ずつ小遣いをあげますので、食事をしたい方はその金額以内で朝食と昼食を済ませてください」


 そう言ってジュリオットが全員に回したのは、硬貨がいくらか入った財布代わりの小さい巾着袋だ。それを受け取ったシャロは袋の重さに目を輝かせて、早速立ち上がり向かいのミレーユの手をとった。


「ねぇ! ねぇ! ミレーユちゃん! ウチと一緒にレストラン行こうよ!!」


「ま、待ってください……ッ! あの、ジュリオットさん。私までお金を貰ってしまって良いのでしょうか? 結構な額だと思うんですが……」


 急かすシャロを引き止めて、心配そうな顔をしながら尋ねるミレーユ。するとジュリオットが口を開いて何かを言いかけたのだが、隣で聞いていたマオラオがそれを邪魔するように、


「あぁ、この人女の子にはクソ甘いから大丈夫やで。心配せんでも金だけはある人やから、遠慮なく使ってええと思うで」


「あの、勝手に印象操作するのやめてくれませんかね!? 下心があってあげたわけじゃないですし、そもそもお金『だけは』ってなんですか『だけは』って! 他にも医療技術とか商才とか持ってますし!?」


「そうやって自分の才能をひけらかす男は、女の子から嫌われるんスよ? 必要な瞬間にだけスペックを生かす男に、大抵の女の子は惚れるんっス」


「ひけらかしてないですし、やかましいッ!! なんッッッで8つも年下の貴方から、そんな助言をされなきゃいけないんでしょうか!?」


 恋愛を話題にぎゃあぎゃあと騒ぎ出す男達。それを見てドン引きしながら白い目で見ていたシャロは、『さ、行こう』と気を取り直してミレーユの手を引く。そして2人は第8車両を出て、レストランのある車両へと向かって行った。


「せっかくの紅一点だったのに、シャロさんに取られちゃいましたねぇ、ミレーユさん。じゃあ、俺は売り子さん探してくるっス。エトワール線名物の数量限定マロンタルトを勝ち取ってくるんで」


「え、あぁ、では私の分も購入してきてください。お代は後ほど支払いますので」


「俺に買い物代行をさせると高くつくっスよ〜? 倍額支払わされることを覚悟の上で、よろしくお願いしますねっ、ジュリさん」


 嫌味な感じでウィンクをすると、買い物代行を頼まれたペレットはダッフルコートのポケットに手を突っ込んで第9車両の方へと歩いていく。


 それを面倒なものを見る目で見送ると、ジュリオットは医療バックの中から2冊ほど装丁本を取り出し、目の前のテーブルに広げて置いた。


「んだそれ……植物だァ? うわ、何ページあんだよ、400枚はかてぇな……」


「えぇ、全525ページ。あらゆる薬草について纏められたものです。物流の盛んなロイデンハーツならば、大東大陸には売られていない稀少品もあるのではと思いまして、今から欲しいものをメモに綴るんですよ」


 席に座ったままもぞもぞとコートを脱ぐギルに説明しながら、いつもの白シャツの胸ポケットから手帳と万年筆を取り出すジュリオット。


 彼は植物について記された2冊の本を捲り、目に止まった植物の名をさらさらと達筆な字でノートに書き込んでいった。


「せっかくの機会ですし、ギルさんも薬学を勉強してみません? 薬学を学べば、この世界じゃ出来ないことなどないようなものです。材料こそ幻とまで言われるような希少品ばかりですが、材料さえ揃えば『惚れ薬』なんてものも作れます」


「……エッ、惚れ薬!? そそそそそ、それは道徳的にあかんのちゃうか!?」


「……。明確に言えば『心拍数の上昇を促し、ホルモンの分泌を促す』なので、公共の場で飲ませてしまえば全員が恋愛対象。ようは心拍数の上昇時に傍に居た人間に対して、勘違いを起こすだけですがね」


 ハッ、と嘲るように鼻で笑うジュリオットを見て、『えぇ……?』と言葉に詰まるマオラオ。明らかに落胆している辺り、『惚れ薬』と聞いて何を考えたのかが伺えるので、見ている側としては中々面白い。


「殉職を除けば普通に老い先長いんですから、正々堂々とアピールしたらどうなんです? 流石の私も、貴方がヤキモキしているのを見ると腹が立つんですけど」


「ちょいちょいちょーい? 『腹が立つ』ってジュリさんなぁ!! そらオレはジュリさんより若いしぃ? ジュリさんよりずーーっと長生きするやろうけど!? 時間があるからってなんでも出来るぅ思ったら大間違いやで!!」


「おいちょっと待て、まるで私がじじいみたいな言い方をしないでください! 私これでも24歳なんですけど!! 貴方と8歳差……エ゛ッッッ、8歳差ァ!?」


「んは、オイオイ自分で言ってびっくりすんな〜? いやーしかし、時の流れって残酷だなァ〜〜! ねぇ? ジュリさーん??」


「ちょっ、嘘でしょう? 今まで8歳も年下の子供に煽られてきたんですか私? え、ちなみにギルさんの年齢って……」


 と、ジュリオットが言いかけた時。突然、列車内の天井のスピーカーから何かを知らせるチャイムがリンロンと響き渡り、



《この列車は、アンラヴェル神聖国・国都駅発――ロイデンハーツ帝国・宮廷前駅行きです。ドアが閉まりますので、怪我をしないようご注意ください――》



 女性の声をした発車合図のアナウンス。


 それが2回ほど繰り返されると少しして、乗客全員がぐらりと揺れる感覚を味わう。――その後ゆっくりと、眠りから覚めるように列車が動き始めた。

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