第3章 渇望の悪魔 編

第35話『それは悪夢との再会だった』

 遠征組一同と青髪の少女・ミレーユが宗教国家アンラヴェルを発ったのは、空が濃紺に染まった夜更けの事であった。


 ペレットにとって未知の土地であり、船を使わなければいけなかった行きとは違い、ただの帰宅なので『空間操作』を利用して即座に帰還。ただしミレーユの事もあり、拠点の中には直接入らず屋敷の門前に転移した。


 ――全員を、木製の大きな屋敷が迎える。


 あぁ、やはり我が家というのは良いものである。『天国の番人ヘヴンズゲート』とかいう宗教組織、あれほどの混沌の相手をして気疲れしても、その変わらない構えを見るだけで癒やされるのだ。


 ただこれが初見であるミレーユは、そのような心境ではいられないだろう。シャロのわがままと本人の希望で連れてきたとはいえ、一応目にしているのは『戦争屋の住処』なのだから。


 そんなことを思いながら、ペレットは門前のインターフォンを押した。



《……はい、どのようなご用件でしょうか》



 装置から飛んできたのは、フラムのよそ行きの澄まし声だった。時間が時間なので、若干不審そうな色が声に混じっている。


「すみません、ペレットです。ただ今帰還しました」


《あぁ、ペレットさ……! ……? ……了解しました。今、門を開けます》


 数瞬戸惑ったフラムがそう答えると、プツンと通信が切れた音がして、少しして門が金属音を立てて開門した。


 まず最初にミレーユの問題を説得しなければならない第1の門は、どうやらフラムになりそうだ。


 フラムならばある程度上手くやれば丸め込めるが、ジュリオットやフィオネなどの意向に従うことが多いので、そこ2人を突破出来なければフラムからの好意も得られなさそうである。


 ここは自分の(特に自信のない)話術の出番であるかと考える一方、何故自分がここまで手を貸す必要があるのだと、ペレットは大いに頭を悩ませた。



「――あぁ、おかえりなさい! 皆さんご無事で!!」



 屋敷の正面扉が弾かれたように開き、中から空色の髪の犬耳青年・フラムが飛び出してきた。当たり前だが数日前と姿は変わらず、戦争屋に似合わない光属性っぷりをその笑顔で体現していた。


 開いた扉からは屋敷内の明かりが漏れて、温かみさえ感じさせる。こちらは秋の冷たい夜なので、早く中へ入って暖まりたかった。


 しかしミレーユの説明をしないと、まず彼女が中へ入れてもらえない。まずは、なんだかんだ1番簡単そうなフラムの懐柔からしなければならない。


「中へどうぞ、ジュリオットさんから頂いた茶葉でお茶を淹れま……」


 ――ぴた、と駆け寄る足を止めるフラム。ミレーユの姿を見たわけではない。何の説明もなしに彼女を見たフラムが混乱しないように、シャロとギルで陰を作っているのだ。バレたわけではないはず。


 だがフラムは怪訝そうな顔をして、ひとつ鼻をすんと慣らした。


「……もしや」


 綺麗な海のような瞳を動かして、何かを探すフラム。


「獣人の方を、連れてはいませんか? 恐らく、兎あたりの……」


「――!!」


 いや、バレていた。確信しているわけではなさそうだが、犬系獣人のフラムの鼻はそうごまかされない。


「あっ、あのな! 落ち着いて聞いて欲しいんやけど……」


 マオラオが1歩前へ進み出て、フラムの懐柔に挑戦しようとする。しかし、


「――なんです、扉を開けっ放しにして。寒いんですから、早く入れば良いじゃないですか」


 長い紫髪を三つ編みに結った眼鏡の男――ジュリオットが外へと出てきたことによって、その挑戦は更に困難を極めたのであった。





 ――長時計の秒針がカチカチと音を立てて進み、深夜0時に差し掛かった頃。フラムがティーセットと手作りの菓子を持って、食堂へ立ち入った。


 慣れた手つきでローテーブルに並べられる純白のティーカップ。そこへ林檎風味の熱い紅茶が注がれ、その香りが空間を支配する。そして夜食の菓子が各人の前に並べられ、空間にフラム特製の『バニーユクッキー』の香りが入り混じった。


「――はぁ、なるほど。これまた、頭が痛くなる話を持ってきたじゃあないですか」


 目元に薄く隈を作った青年は、ティーカップの持ち手を指で摘んでクイッと傾けた。しかし淹れ立ての熱い状態で口をつけたので、


「あづッ」


 と小さく溢し、何事もなかったかのように受け皿ごと机に戻した。


「ジュリさんって、格好つけようとすると痛い目見る呪いでもかかってんの?」


「な、なんですか失礼ですね。それに格好つけようとなんか……いえ、そうじゃなくて!! 普通に頭が痛くなるんですよ今回の話は! 情報量が多いッ!!」


 がたん、と机に身を乗り出すジュリオット。彼の勢いと体重(細くてそれほど重くないが)で机が揺れ、ティーカップの紅茶がゆらゆらと水面を揺らす。


「『天国の番人ヘヴンズゲート』とかいう組織に目をつけられ、勝手に一般人の女性を拠点まで連れ込んで!! 秋の夜に女性を放っておくのが気が引けたので、入室を許可しましたけど……ッ!! 確かミレーユさん、でしたでしょうか。貴方については別途お話を聞くのでそのつもりでお願いしますねッッッ!!」


「は、へぁ、へいッ……!」


「女性を連れ込むって言い方、正直気持ち悪いぜジュリさん」


「うるせェッッッ!! 間違ってなどいないでしょう!! それになんです、ちゃっかりアンラヴェルと懇意になってますし!! ええ、恩を売れたのは良いと思いますよ、よくやりました!」


 責め立てると思いきや、突然褒め始めるジュリオットの錯乱ぶり。また何日も徹夜して疲れているのだろうか、と思ったが珍しく目の下に隈がない。化粧で消したわけでもなさそうなので、素直に睡眠をとったのだろう。となると、このテンションが素で出ているのか……?


 とりあえず見ていて面白いのでそれをさかなにしながら、シャロは『でしょお』とバニーユと紅茶を交互に口へと運んだ。


「世の中、恩という言葉ほど便利な言葉はありません。それに読書国家のアンラヴェルと繋がりが出来たのは良いことです。……ハハハ!!」


「うっわ、清々しいほどの利益主義じゃん……ジュリさんの説得が1番簡単だったのかもしれないなぁ……」


「戦争屋だけど見逃してくれたんが、恩返しなんやと思うけどな。あんまり恩って言葉が、今後アンラヴェルに使えると思わん方がええぞ」


 荒ぶるジュリオットを静観しつつ、思ったより怒られなかったことに安堵。これがフィオネだったら、どうなっていたかはわからないが……。


「そういえば、フィオネさんはどうしたんスか?」


 ふとペレットが欠席中のフィオネについて尋ねると、紅茶を口にしていたジュリオットと、傍に控えていたフラムの顔が一瞬険しくなった。そして、少しの間のあとフラムが静かに話し始める。


「フィオネさんは……ここ数日、微熱の為にお部屋で休まれています。ジュリオットさん手製の薬を服用されているので大丈夫かとは思いますが、起こさない方が早く回復出来ると思いまして……」


「嘘っ、フィオネ熱あるの!?」


「フィオネさん曰く、定期的に体調を悪くするんだそうで。だんだん悪化してるらしくて、少々嫌な予感がしているんですが……」


「や、やっぱり過労なのかな、なら仕事手伝ってくれる人探そうよ! ほらあの、『処理班』の人だってちょっとずつ増えてるんでしょ? だから……」


 と、処理班と繋がりを持っているジュリオットに、提案をするシャロだったが、


「残念ながら処理班は今、ウェーデン襲撃の後始末で手一杯です。愚王とはいえ国の中心を失った国民は荒れに荒れてますし、抑えるのが大変でして……現在どうにか、投票を集めている最中なんです」


「投票? なんの投票?」


「ウェーデン王国が、オルレアス王国の支配下になることに対しての、です。現在は賛否4:3で残りの3は沈黙といったところですかね。まあ中央大陸の方の王国もウェーデンを植民地化したがっているので、最悪の場合は領土を取り合って戦争勃発なのですが」


 ――と、現在凄くまずい状態になっていることをさらっと打ち明けられた。


「国家間の戦争? やーだよぉ、絶対シャロちゃんまで駆り出されるじゃん」


「まあ、『あらゆる支援を提供してもらう代わりに、非常時にはオルレアスの戦力になる』……ってのが、王国側とこちらで結んだ契約の内容ですからね。もし戦争になった時は行かなければ、契約違反となってしまいますし」


 『まぁ、それはさておき』とジュリオットは視線を動かして、


「新しい組織に目をつけられたことはわかりました。それについては後日フィオネさんと話しますので、まずはミレーユさん、貴方のお話から聞きましょうか」


「……へぁ、へ、へい! 改めまして……はじめまして、この度は突然の訪問大変失礼いたしました。【ミレーユ=ヴァレンタイン】と申します。アンラヴェル神聖国の教皇宮殿にて、メイドを務めておりました」


「あぁ、ヴァレンタインさん。……北のお名前ですね」


「は、はい、生まれも育ちも北です。それで、病気にかかった弟を持っていて、この度はジュリオットさんに診て頂けないかと参った次第……です」


「……その、もしかしてシャロさん辺りに私の話を吹き込まれませんでしたか?」


「吹き込まれる……というのは語弊を生みそうなのですが、ええ。貴方が素晴らしい医療技術者と聞いて」


 ミレーユの言葉を聞いて、紺青の瞳をちらりとシャロへ向けるジュリオット。実際には『素晴らしい医療技術者』とは言っておらず、ミレーユの記憶誇張が入っているのだが、シャロは適当にブンブンと頭を縦に振った。肯定の意だ。


 シャロがそう説明したことにしておけば、気分が良くなったジュリオットが診察を受け入れてくれる確率が高くなりそうだからである。


「その、病気の種類にもよりますね。病気の名前が何かはご存知ですか? 薬学の知識を数年蓄え続けている私でも流石に、地方のマイナーな病気となると、お力添え出来ない可能性が高いのですが」


「えっ、ジュリさん診察引き受けてくれるの!? 意外とあっさりじゃない!?」


「シャロさんばかっ、相手が女性だからっスよ。ヘタレなジュリさんは、女性には強く出れないんです。なんなら恩を売っておいて、あわよくばガールフレンドに……なんて考えてるんスよ!!」


「エッッッ、ジュリさん女の人が出来ないからって駄目だよそんなの!!」


 外野から次々と飛んでくる声に、イラッとこめかみに脈を浮き上がらせるジュリオット。彼はティーカップをひっくり返して喉に紅茶を流し切ると、『うるっさいですね外野ァ!!』と声を荒げる。しかし、


「それがその、『ヘロライカ』という不治の病と言われている感染病でして……」


 と、ミレーユが遠慮気味に言った途端――ジュリオットが、息を止めた。



「……ヘロ、ライカ……?」



 表情も呼吸も雰囲気も、彼の全てが緊張して周囲に影響を与える。


 強張る顔、震える息、見開かれた目。その場に居た全員がこの空間とジュリオットの変化を、目と、耳と、肌でそれぞれ感じ取って、いつもの騒がしい空気が死んだように冷め切った。


「は、はい」


 その問いかけに、ミレーユが恐る恐る頷いた瞬間。

 彼の右手から、空になったティーカップが床に落ちて、呆気なく割れた。





 静寂の中でぱりん、と、明らかに目立って響く濁りのない音を聞いて、ジュリオットはハッと我に返った。


「す、すみませんフラムさん!」


「いっ、いえ、それより破片を片付けますので、起立して頂けると……!」


 フラムはしばらく動揺してから物置部屋へ走り出し、ちりとりを持って食堂へ戻ってくる。そして割れたティーカップの破片をいそいそかき集めると、それを捨てにキッチンへと入っていった。


 しかしその間もジュリオットは狼狽うろたえており、その原因を作ってしまったのであろうミレーユは、それを見てずっと動揺しながら縮こまっていた。


「あっ、あの、すみませんジュリオットさん。もしかして私、何か物凄い無礼を働いて……」


「……いえ、ご安心を。……ただ、『ヘロライカ』という病気には色々とトラウマがありまして。……過去に1度、同じ病にかかった患者を治せずに死なせてしまったんです。……それを、思い出してしまって」


 ジュリオットは深呼吸を何度かしてから席に座り直し、心を落ち着かせる。


「しかし、ヘロライカ……ですか。……というと、弟さんのお家はアンラヴェル神聖国の隣・『ロイデンハーツ帝国』にあるんですか?」


「は、はい。あっ、一口にロイデンハーツ帝国といっても貴族の住む中心地じゃなくて、貧困層の住む辺境なんですけども……」


 語尾に向かうほど言いにくそうに声をひそめ、ジュリオットに伝えるミレーユ。すると紫髪の彼は腕を組み、『ふむ……』と溢しながら何かを思案して、


「……私も『ヘロライカ』には個人的な恨みがあります。それに独自に開発した治療薬を誰にも試せず腐らせていましたから、今1度その効能を確かめたい。……貴方のその願い、本格的に考えようじゃないですか」


「エッッッ、どうしたのジュリさん随分乗り気じゃない!?」


 思いのほか乗り気、いやむしろ積極的なジュリオットの態度に驚愕し、何か裏があるのではと勘ぐり始めるシャロとその他メンバー。


「やっぱりミレーユさんが女の人だから、気合い入ってるんとちゃうか」


「失礼ですねッ!? 女性贔屓するような人間に見えますか!?」


 言われる覚えのない偏見混じりの言葉に、少々荒ぶるジュリオット。しかしその場に居たミレーユ以外の人間は皆、肯定するように首を縦に振り、


「ジュリさんって、独身で生涯を終えそうだからな。戦争屋だから女と付き合えないーとかそういうの抜きで、マジで」


「貴方達って私をなんだと思ってるんですか!? 使い勝手の良いオモチャじゃないでしょうねぇ!? 頼る時だけすぐ頼って、用事が終わるとすぐ辛辣になる! 割と心に来るんですからね貴方達4人の精神攻撃!!」


「しょうがないよ、ジュリさんの反応見るの楽しいもーん。愛があるからこそのイジリだよイジリ。シャロちゃんから寵愛を受けるとは良い身分してんねえ〜!!」


 むくれながら席を立つジュリオットに、両手で頬杖をついたシャロが楽しそうに笑う。すると、ジュリオットは羞恥心にカッと顔を赤くして、


「……し、知りませんッ!! 私はフィオネさんの様子を確認してきますッ!」


 と、やけに足音をどすどす強調して、皆からの視線を一身に集めながら食堂から出て行くのであった。

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