第25話『剛拳を振るう自称天使』
その頃。中庭で火事を起こし終えて、回廊に隠れていたマオラオは、純白のローブを着た大男を前にしていた。
「ひ……」
巨漢も巨漢、いつかの酒場で目にしたアイツとは比べ物にならないほどの大男である。あまりに肩幅が広いので、白装束の羽織も彼の肩を覆いきれず、よだれかけを後ろに回したような扱いになっていた。
身長は3メートルはあろうかというほど高く、こちらの背が低いのもあってより巨人のように見える男に、マオラオはすくみ上がっていた。
一方、大男はマオラオをフードの下から見つめて、息を吐く。
口から出てきたそれはアンラヴェルの冷気に白く染まり、ふわりと流れていく。それが男の体格も相まって蒸気機関車の煙を思わせ、この男に突進されたらひとたまりもないだろうな、とマオラオは青ざめた。
「あ、あの……?」
突然現れたその男に、マオラオがおどおどしながら尋ねると、大男は口を結んで、無言で拳を固く握りしめた。
「えっ?」
間抜けな声を上げた瞬間、岩のような拳が振るわれマオラオの頬に激突する。見事に決まった右ストレート。その威力は尋常ではなかった。
タンパク質で出来た岩をぶつけられ、マオラオの小さな身体はソフトボールのように真横へ吹き飛ぶ。
吹き飛んだ方向にあったのは燃えかすと死体で彩られた中庭で、雪の絨毯を転がり転がり、車輪のように長い軌跡をつけて、彼の身体はようやく停止した。
――襲いくる静寂。
マオラオは死んだものと判断したのか、大男が身を翻そうとした時だった。
「な……何すんねん!」
何故か当然のように立ち上がったマオラオが激怒した。その身の丈からは想像も出来ない頑丈さを見せつけられて、大男は思わず固まる。が、
「あ、あんなぁ……! 出会い頭に人殴ったらあかん、のですけど……!?」
最初は威勢がよかったマオラオの声がどんどん小さくなる。気のせいか背も小さい。否、背が小さいのは気のせいではなかった。
「……拳の入りが悪かったか」
へっぽこ丸出しのマオラオを前に、男は数秒前の自分の動きを改めた。
次は数ミリ下で打ってみようか、鳩尾なら確実にダメージを与えられるはずだ。数瞬の間にシミュレーションを繰り返した大男は腰を深々沈めると、どむんという人体から発されるとは思い難い音を発して地面の雪を蹴った。
さながらマオラオの想像した、暴走機関車のごとき特攻。が、終点ことマオラオは、『ゔぁぁぁぁぁーーーーーっ!?』と大きい声を上げながら、的確に鳩尾を狙ってきた大男の剛拳を受け止め、
「……なにッ」
まるで鉄球を投げるように、回転しながら男を放り投げた。
大岩のような身体が冷たい空気を切り、雪の上を転ぶ。彼の視界に映る景色は高速で変わり、男は目を回しながらも雪原に指を立ててどうにか回転を止めた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
混迷する意識、乱れる呼吸。大男は、思考を整える。
あまりに一瞬のことで理解が及ばなかった。今、何が起きたのだろう。
あの小さな身体からは考えられない、自分を投げ飛ばすほどの腕力。今の怪力がアイツの能力だろうか? いや、組織が入手した情報ではヤツは、『監視者』という名の透視能力使いだったはずだ。
では、能力を2つ所持している人間なのか?
いいや、それもありえない。1人の人間が2つ以上の能力を持つことは出来ないと組織が確認しているのだ。それならば――。
「……鬼、か」
大男は呟く。
世界三大種族である『
個体数さえ少ないものの、圧倒的な武力で西の大陸・大西大陸を制覇しており、一般的な軍隊など鬼族が10人も居れば片がつくと言われている彼らの血を、マオラオが汲んでいるのだとすれば納得がいく。
「フン……面白いじゃないか。俺の力がどこまで通用するか、試してやる」
そう言って大男は身を起こすと、身体についた雪を落とし、鋭い眼光をマオラオに向けた。
「名乗っていなかったな。俺は『
「な、名乗れって……オレは【マオラオ=シェイチェン】。ほんで、ヘヴンズゲートって何なんや」
「この世界に楽園を作るため、
「……ただのカルトにしか思えへんのやけど」
「ただの、と言われるのは遺憾だが、あの方を信仰する宗教……それは間違っていない。そして俺は、その活動の一端を担う『天使』だ」
「そのナリで!? ……あっ、違うすまん」
どうしても余計な突っ込みを入れてしまう自分の口を押さえつけ、ぶんぶんと激しく首を横に振るマオラオ。この口はいつも余計なことしか言わない。そう、黙り込んでしまった大男を見て思ったのだが、
「いや、良い……わかっているんだ。あの方の手足指先として身を捧げるには、まだ太腿の張りが足りていないことは、俺もよく理解している」
「そうじゃな……んんんんむ」
「しかし今回は唯一神から
「
「そうだ。俺達はその
その言葉を聞いた瞬間、マオラオは大男に殺されると予見し、即座にその場から逃げ出した。最中、
――ん? あれ? 神子ノエルを拐いに来たって言わんかった?
と男の言葉が脳内をよぎったが、とにかく安全な場所に入れるまでは何も考えないようにしよう、と無我夢中で疾走した。しかし中庭から回廊に戻った瞬間、背後に大きな気配が這い寄って、
「ぐぁっ!?」
砲丸のような勢いの拳が、マオラオの身体越しに回廊の壁を殴りつけた。
内臓にかかる超重量の圧。石壁と拳に挟まれ身体が弾け散るかと思いきや、壁の方が先に崩壊して、マオラオは宮殿の中に転がり込んだ。
「う、ぶぁ、おえっ」
床に這うように屈んだマオラオが吐き出したのは、大量の赤血である。気泡を含んだそれは部屋の青いカーペットにシミを作り、広がっていく。
「人間の、げふっ、から、だ、しとらんぞ、げふっ、お前……!」
マオラオが赤く濡れた口元を押さえながら睨みつければ、壁に空いた穴を通ってきた大男を――ゴルガルフは、鋭い目つきで少年を捉える。
「ほう。俺の拳を喰らっておいて死なないとはな。やはり、『鬼』か」
「それはこっちのセリフや……ゴフッ」
びしゃりと血を吐いた瞬間、意識を掻っ攫うような目眩が起こる。が、それを無視して無理やり立ち上がると、マオラオは懸命に思考しながら長い廊下を駆け抜けた。
今はまだアイツを倒せるだけの力がない。しばらく動き回らなければ、戦いの感覚が戻らなければ、あの男に勝るパワーは出せない。どうにかして、せめて7割の力が取り戻せるまであの男を足止めしなければ。
そう考えていると、ふと視界に違和感があって、マオラオはブレーキをかけた。
上を向く。その天井には綺麗に切り取ったような正方形状の穴が空いていて、そこから廊下と並行に続くパイプ状の空洞が見えた。人1人がやっと通れそうな空洞だった。
そして実際に、その空洞の中に人が入っていた。ギル=クラインが居た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます