第24話『神子ノエルの反撃』

 アンラヴェル宮殿の中央エリアが東塔最上階。シャロが出会った銀髪の少女――『神子』こと【ノエル=アンラヴェル】は、布団に包まって震えていた。


 シャロが『様子を見てくる』と言って消えてから体感30分。

 は一向に帰ってくる様子がなく、かといって自分1人で動く勇気もなく、故にノエルは行動を起こすことが出来ずにいた。


「……何が、起きてるんだろう」


 ふと、ぽつりと呟く。こうして安全地帯で情けなく震えているが、よく考えると外の世界で何が起こっているのか、ノエルは全く知らなかった。

 雪の中庭で聖騎士の身体がバラバラになっていたのを見ただけで、何故バラバラになっていたのかは知らない。誰が、もしくは何が犯人なのかも。


 何故あんな惨状が起こっていたのか。あの惨状の犯人はシャロが言った『魔の手』と関係があるのか。シャロは一体何者なのか。


 わからない。何もわからない。


 しかし、あの少女のように外へ出て行って、自分で調べる気にもなれない。


 自分もあの聖騎士達のように四肢を分断されてしまったらと、そう考えるだけで恐怖に身が震え、布団から足先を出すことさえはばかられる。もし目玉を潰されてしまったら、もし内臓を抉り出されてしまったら――。


 そう考えていると、不意に部屋の扉がドンドンドン! と叩かれた。


「ッ!?」


 布団から顔を出して扉の方を見ると、ドアノブがガタガタ震えていた。きちんと鍵を閉め直したので今度こそ扉は開かないはずだが、来客は相当急いでいるのか激しくドアノブを動かしている。ドアが壊れないという保証はない。


 ノエルはベッドから身体を起こすと、傍にあった机の引き出しを引いた。そして中から果物用のナイフを取り出すと、震える手でそっと握った。


 このナイフは、『親友』と果物を分け合う時にいつも使っているものだった。殺傷能力はそれほどないだろうが――それでも、手ぶらよりはマシだろう。

 ノエルは手中に汗をかきながらナイフを握り直し、すうっと息を吸う。


「だっ……誰!」


 緊張のあまり、声がひっくり返った。


「ノエル! ……あぁ、すまないボクだ。怖がらせてしまったかい?」


 扉の向こうから発されたのは、自分がよく知る聖騎士の声だった。


 彼こそが長い長い軟禁生活の中で、ノエルのために毎日のように顔を出し、時に果物や新しい本を持ってきてくれるたった1人の『親友』その人であった。


「フロイデ!」


 今、最も聞きたかった人物の声にノエルは、ナイフを机上に投げ捨てて扉に駆け寄る。しかし、


「――あら、騎士団長さま。こんなところにいらしたの?」


 突如聞こえた女の声に、ノエルはぴたりと足を止めた。


「……セレーネの声」


 呟いたノエルは、喉の奥がキュッと詰まるのを感じた。


 ノエルは、セレーネのことが本能的に苦手であった。

 ある日突然このアンラヴェル宮殿に現れたかと思えば、異例のスピードでメイド長に昇格したというセレーネ。それなりの立場を勝ち取り、ノエルと対面する希少な権利を得た彼女とは、何度か話したことがあるのだが。


 性格や考え方が合わなかったわけでも、それ以外で明確な理由があるわけでもない。なのに、初めて存在を知った時から――彼女のことが、恐ろしいのだ。


「あぁ、セレーネ。良かったよ、君も無事だったんだね。……けど、君もすぐに逃げた方が良い。奴らはノエルを……して……に来たようだったから、もうじき……しまうかもしれない。今、地下通路が……されているから……」


「えぇ、……を終えたら、避難……です。それより、神子……そこに?」


 ドア越しにぼそぼそと聞こえてくる2人の会話。部分部分は聞こえなかったが、ノエルはなんだか嫌な予感がして、先程捨てたナイフをまた手に取った。


 嫌な予感と称したが、ただの予感ではない。その予感の正体を見てから今にタイムスリップしてきたような感覚である。


 未来予知にも等しいこの予感は、ノエルが生まれた時から持っていた特別な――自分の家系だけが受け継ぐ、特殊能力とは違う名もなき力だった。

 その力が自分に教えてくれている。これから本当に『悪い出来事』が起こるのだと理解して、少女はナイフを持ち直した。


「あぁ……そうだわ、騎士団長さま」


 扉の向こうのセレーネが、思い出したように声をかける。対してフロイデが、困ったように『悪いがノエルの確認を先に……』と言いかけた、その時だった。





 銃声がして、ノエルは鼓膜が破れたかと錯覚した。


「なっ……」


 意図せず溢れた小さな声。頭が真っ白になり、冷静な判断が出来なくなった彼女は何も考えずに部屋の扉を開けた。


「今のはッ……!?」


 切羽詰まって扉を開け放った時、まず情報としてノエルに入ってきたのは変な匂いが広がっていることだった。次いで、扉の前で1人の男が腹を抱えてうめいていることだった。

 男は今にも膝をつきそうなほど限界の状態で立っており、丸めた腹からは赤い液体が白い制服に滲み出ていた。


「フロイ、デ……!?」


 ノエルは愕然として、その男の名を口にする。誇るべきアンラヴェルの聖騎士団長で、外に出ることを許されない自分が唯一持った友人の名を。


「……ま、て……ノエ……来るな……」


「あら、意外と簡単に殺せてしまいそう。ねぇ?」


 必死に訴えるフロイデの声を掻き消し、部屋から出てきたノエルに目を向けるのはセレーネだ。彼女の細い人差し指がくるくると回していたのは、


「それ……拳銃じゃ……」


「まぁ、世間知らずの神子様も銃は知っていたのね」


 セレーネは薄いピンクの唇を歪めて、にた、と微笑みかけた。

 瞬間、ノエルの背筋にゾッと冷たいものが走る。まるで人間ではない何かと対峙しているような、そんな錯覚に陥った。


「あぁ、その男には近寄らないで、神子様。ろくに免疫のない貴方が他人の血に触れたらどうなるかわからないわ」


「――っ、何のつもりなの……!?」


「それは後で教えるわ。……あぁ、なんて可哀想な神子様。外の世界を知らない、無知で無垢で愚かな子。邪魔さえ入らなければ、もっと丁寧に誘拐していたのに」


「誘拐って――」


「はぁ。フロイデ、貴方とは1年ちょっとの付き合いになるわね。でも、それも今日でおしまい。安心して、神子様のお世話はきちんとするから」


 セレーネはそう言って、腹を抱えているフロイデの顔面を蹴り飛ばす。そして勢いよく仰向けになった彼の銃創を、ヒールで抉るように踏みつけにした。


「ッ、がァァァ!!」


 傷口をヒールで弄ばれ、悲痛な声を上げるフロイデ。今まで1度も聞いたことのない彼の叫び声が、ノエルの脳髄を殴りつけ、心臓を跳ねさせる。


「何を……っ、やめて、セレーネ!」


「いいえ、やめることは出来ないわ。……あぁ、汚い血。貴方、最近まともに食事を摂っていなかったでしょう。……昔殺した人間と、似たような色をしているわ。吐き気がする。でも、私は任務を遂行できる偉い子だから。我慢するわ」


 横髪を人差し指に巻きつけて、指を引いて遊ぶセレーネ。彼女は下ろしていた片腕をふらりと動かすと、銃口をフロイデの胸部へと向けた。


「――ッ!」


 自身の防衛反応よりも、『彼を守らなくては』という意思が勝ち、ノエルは隙だらけのフロイデの前に飛び出す。そして枯れ枝のような腕をセレーネの腰に回し、逃さないように抱き締めた。

 体重は40キロにも満たず、筋肉も脂肪もろくに持たないノエルであったが、火事場の馬鹿力でセレーネを押し倒し、転ばせる。


 続けて、ノエルは仰向けのセレーネの腹にまたがり、小さな顔の両脇に手をついた。そんなノエルの行動に、下に敷かれたセレーネは目を見開いて、


「――『操り人形フール・ドール』ッ!」


 ノエルが呪文のように自らの能力名を詠唱した瞬間、彼女の漆黒の瞳が刹那の間にパッと強く光った。その光はセレーネの翡翠の目にもはっきりと映る。


「……まさか」


「ボクに従って、セレーネ。――武器を捨てて、動かないで」


 語気を強めて命じた瞬間、ノエルに覆い被さられていたセレーネの力がふっと抜けた。握られていた拳銃も、彼女の手から放される。


「こんな、ものッ……!」


 ノエルは急いで拳銃を掴むと、塔のガラ空きの窓から放り捨てた。これで脅威は全て払えただろう。あとは、


「フロイデ!」


 目を瞑って悶絶している友人に飛びつき、身体の状態を確認する。だが、彼の赤い血はどんどん床を侵食し、比例するように息が弱くなっていた。


「ッ……!」


 ノエルは歯を噛んだ。今まで塔の中で生活してきた自分には、適切な応急手当の方法がわからない。医療室がどこにあるのかもわからない。

 誰かに助けを求めようにも、今どこに誰がどんな状態で居るのかも不明で、正直言ってこの状況は『どん詰まり』としか表しようがなかった。

 生まれて初めての危機的状況に、ノエルの心臓が早鐘を打つ。


 友人が死んでしまうかもしれない。


 そうわかっているのに、身体が上手く動かない。ただ喉の奥から熱いものが込み上げてきて、漆黒の瞳に浮かんだ涙が白い頬を伝って落ちた。

 拭っても拭っても溢れてくる場違いな涙。何もできない自分への憎しみと、友人が死にかけている現状への絶望とが、彼女に嗚咽を上げさせていた。


 ――が。ふと、セレーネのことが脳内にちらついて、彼女は思い立つ。


「……っ、殺す、殺す、殺すッッッ!!」


 ノエルはおぼつかない足取りで立って、セレーネの方をゆっくりと振り向く。

 彼女は罪のないフロイデを殺そうとした罪人だ。――人殺しの罪人は、同じ方法をもって裁かなければならない。


 あぁ、今ならば出来る、自分にも殺せる。


 その彼女の心臓にナイフを突き立ててやらねば。刺して、刺して、斬って、引き裂いて、皮を剥いで、肉を絶って、骨を砕いて――否。もっと残酷な方法で殺さなければ、フロイデが報われない。自分の怒りも収まらない。


 無垢であった漆黒の瞳に、生まれてはじめての殺意が差した。


 その時だった。


「――誰を、殺すですって? 神子様」


「……ッ!?」


 振り向いた瞬間、息が、身体が、思考が止まった。

 決して動かないはずの存在が、部屋の出入り口を塞ぐように立っていたのだ。


「……なんで、なんで、どうして、洗脳が」


 涙を垂れ流しにしたまま、あまりの衝撃にほうけていると、セレーネは綺麗な口元を恐ろしい魔女のように歪めて笑った。


「――あぁ、愚かな神子様。『特殊能力の抗体』ってご存知? ……たとえば毒を毎日少しずつ摂ると、体内で慣れが出来て無効化できるようになるのと同じ。能力も慣れによって無効化されるの」


 そう言って金髪の少女は、人差し指の先をノエルの頭へと向ける。彼女の指先から頭までは距離があるが、何かをされるような気がしてノエルはびくっと竦んだ。


「神子様の能力は『操り人形フール・ドール』。私の能力は人の記憶を預かる『記憶書庫』。お互い脳に干渉するという意味で、〈精神干渉系〉に分類されるわ。故に、性質として近しいエネルギーを持っていて、私達はお互いの能力に耐性を持っているの」


「……う、そ」


「まぁ、あまり有名な話ではないから知らないのも無理はないわ。私を完封したと思い込んで油断していた貴方は、少し滑稽でおかしかったけれど」


 セレーネは頭を指す手を下ろし、狐につままれたような顔をするノエルをけらけらと笑う。しかし、


「――油断していたのは、どちらかな」


 聞き慣れた、でもいつもより苦しそうな男の声がした瞬間、セレーネの身体は弾ける白い光と共に鎖に巻きつかれて拘束された。


「きゃっ!?」


 両腕、両足の自由が利かなくなった彼女はバランスを崩し、小さく悲鳴を上げて再度尻餅をつく。何事かとノエルが声のした方向を見れば、


「ノエル、今すぐ逃げろ……!」


「っ、フロイデ!?」


 声の主――フロイデが、床に這いつくばりながらもノエルを見据えていた。とうに息絶えたものと諦めていた人物が生きていたと知って、ノエルは混乱しながら、


「フロイデ! ……ボク、どうしたらいい? わからないの、どこに連れていったら、誰を呼んできたら、どうしたらフロイデを助けられる? 教えて……!」


 と縋りつく。

 瀕死の人間に助けを乞うのもどうかと思ったが、ノエル1人ではフロイデを助けるための知識が圧倒的に足りないのだ。とにかく今は彼を助けることを優先して、後から自分の無知を呪おうと思った。


 だが、フロイデはノエルの思惑とは反対に、『いや』と首を振る。


「ボクのことは良い。それよりも早く、逃げるんだ!」


「え……?」


「良いかい、ノエル。君は生き続けるんだ。ここで一生を終えちゃいけない……色んな人と出会って、色んな場所に行って、好きなことをして、夢を叶えるんだ」


「で、でも、ボクの夢は」


 言いかけて、ノエルは口籠る。

 自分の夢は、フロイデが傍に居なければ完璧ではないのだ。それに、自己保身のために親友を見捨てた者に叶えられる夢ではない。自分のなりたいものは――アンラヴェルの聖騎士団長とは、高潔で立派な存在なのだ。


 なのに、フロイデは残酷に言葉を紡ぐ。


「じゃあ、こうしよう。ボクの夢は今から、『ノエルが夢を叶えること』……だ。これを君に託す」


「……え?」


 聞き取ることも難しくなり始めた掠れ声が、明確に唇から落とした言葉にノエルは目を瞬かせた。すると、震えるフロイデの拳がノエルの肩に優しく、しかし確かな感触を与えるようにこつん、と当てられる。


「ボクの夢を抱えたノエルには……人間2人分の重みがある。悪いけど、生きるのを諦めるなんて真似、ボクは絶対に許さないよ」


「……フロイデ」


「ごめんね、こんなことを言ってしまって。でも、ノエルはこうでも言わないとボクについてくるだろう。……さぁ、もう時間はない。教皇聖下に助けを求めろ。聖下はまだあの場所におられる、急いでここから逃げるんだ!!」


 最後の力を振り絞ってフロイデが力強く告げた瞬間、電流のような痺れがノエルの足の裏から脳天までを駆け抜ける。直後、ノエルはけたけたと笑う脚を叩き、無理やり動かして、両開きの窓へと駆け寄った。


 開け放った窓から冷たい雪風が顔に当たるが、この程度の寒さに構ってはいられない。


 迷いはある、後悔もきっとする、『あの時こうしていれば』と自責することもきっとある。後ろ髪なんて引かれすぎて、髪が抜け落ちていきそうだ。


 けれどフロイデから夢を託された今、無様に命を落とすことこそが、何よりもの冒涜になるのだ。ノエルは当然、彼を冒涜するような行為など出来ない。そこまでわかっていてあんなことを言ったのだ、全く酷い男である。


 ノエルは窓枠によじ登ると、横たわったフロイデと、拘束されて動けなくなったセレーネを交互に見た。


「……っ!」


 最後にフロイデの姿を目に焼きつけると、泣きそうになるのを下唇を噛み締めた痛みで我慢。そして彼女は覚悟を決め――外の世界に飛び出していくのであった。


 塔に鳴り響いた2度目の銃声を、小さな背中で受け止めながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る