第22話『桜色のネクロフィリア』

 中央エリア本殿の東塔、最上階。灰銀の髪の少女が閉じ込められた、本だらけの部屋からシャロは飛び降りた。


 しかし思っていた以上に、高所から飛び降りるというのは怖いものであった。

 掛け声として放った叫びは、いつのまにか恐怖の絶叫に変わっていた。シャロは声を枯らすほどの声量で叫び続け、迫り来る白一面に目を瞑る。


「――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!! ……わぶっ」


 叫んでいるうちに、彼の身体は雪の絨毯に叩きつけられた。


「……ぷるぁぁあああ!!」


 気持ち的には南国の鳥のような奇声を上げて、勢いよく身体を起こすシャロ。

 軽く酸欠になりかけたので空気をめいっぱい吸い込むが、突然取り入れた冷気は彼の肺をつんざき、逆にむせて苦しくなる羽目になった。


「げっほ、げほげほ……ごっ! げほっ……あー、死ぬかと思った」


 雪が積もっているので大丈夫だろう、という雑な考えのもと飛び降りたシャロ。おかげで人生でもトップクラスの恐怖を味わえた。

 もう、2度と高いところからは飛び降りない、とシャロは意志を固めた。


「さて……」


 シャロは意識を切り替え、ただっ広い中庭を見渡した。


 あっちにも死体、こっちにも死体と死体だらけだ。しかも、そのどれもが目も当てられないような凄惨な姿をしている。なお、兄弟の顔より見ている光景なので、今更シャロに当てられない目も何もないのだが。


 きっと彼らは中庭の火を消しに来た者達なのだろう。彼らの尽力により火は無事消されたようで、薪の燃えかすや消火に使ったらしい砂が周囲に散乱していた。

 全ての死体が雪を薄く被っているのを見ると、この大量殺人はここ数十分の間の出来事だったようだ。シャロはそう考察し、弱々しく降る雪の1つを手に取った。


 ――その時だった。不意に、人の気配を感じ取った。


 本来、シャロの持つ気配察知能力の精度は、幼少期から戦場に立っているらしいギルやペレットらに比べると遥かに悪い。が、この異常事態を前にあらゆることに敏感になっている今の彼であれば、大体の人間の気配は掴むことが可能だった。


 先手を取られる前にと、目を向けた先は中庭の中心部だ。


 そこに1人の男が立っていた。

 男は、金色の糸で刺繍がされた純白の装束を、全身を隠すように纏っていた。


「え、誰……?」


 突然の不審者にシャロは、無意識に眉をひそめる。そして大鎌の柄を握り直し、牽制するようにゆっくりと謎の男との距離を詰めていった。


 すると、こちらの存在に気づいているらしい白装束の男は、被っていた白装束のフードに指をかけて頭から外した。


 シャロの前に露わになったのは、全く知らない美男子の顔だった。

 柔らかな桜色の髪と瞳に、絵本から出てきた王子様さながらの甘いマスク。品と色気が神がかったバランスで両立した、随分と女性受けが良さそうな青年だった。


 しかし、乙女を自称するシャロの心に響くものはなかった。

 理由は、その青年の腕の中にあるもののせいである。


「――可愛いでしょう、彼」


 青年は、期待を裏切らない甘い声を発した。


「サムさんって言うそうです。私は基本的にやわく、手折れてしまいそうな、女性の身体にしか興味がないのですが、犬を愛でるのも好きでして。彼の頭に犬耳がついているのを見たら、つい……。ふふ、この丸っこい形が愛らしいですよね」


 そう微笑んで彼がひと撫でしたのは、男性の頭だった。首の根本から先はなく、切り口から赤黒い血汁が滲み出て、積もった雪にぽたぽたとしみを作っている。

 シャロからはよく見えなかったが、目を凝らしてみると青年の言う通り、犬らしき動物の耳が髪の中に埋もれていた。


「――」


 死ぬ前に何を見たのだろうか、ひどく苦しげな表情をしたまま固まった生首を、桜色の髪の青年は優しく撫でる。その真っ直ぐな視線は、愛玩動物に向けるようなそれと何ら変わりない色を宿していた。

 人殺しには抵抗のないシャロも、流石に未知の領域すぎて声が出せなかった。


「ですが」


「……?」


 青年は抱えていた『サム』の頭を、後方へほいっと投げ出した。


「私はこのサムさんよりも今、貴方に興味があるんです」


 そう言って口角を上げ、目を細めて、歓喜に歪んだ顔でシャロを見る青年。その目にこもっているのは熱だった。情愛と言い換えても差し支えない。


 嫌な予感がしてシャロが後ずさると、青年は自身の両頬を掴み、顎に流すように頬肉をずるずる引っ掻いた。ニィと弧を描く口が開き、彼の舌がぬらぬら光る。


「あぁ……っ! 美しい……そして可愛らしいッ! はぁ、そのアンバーの瞳、汚れを知らない肌、天使の輪のような美しいキューティクル……! 貴方こそが私の求めていた聖女。あぁ……っ失礼ですが、殺しても構いませんか?」


「は?」


「人は息を引きとってから腐るまでの間が最も美しいのです。ですから、ただでさえ美しい貴方が息を引きとったら……あぁ、考えるだけで脳がとろけそうだ」


「ちょ、ちょちょ、あの、気持ち悪いんだケド! こっちが殺して良い!?」


 理解しがたいあまりの気持ち悪さに、これ以上同じ空気を吸うのが嫌になって、握っていた大鎌を構えるシャロ。しかし、振り払おうと後ろに鎌の刃を引いた時、いつのまにか眼前に踏み込んでいた青年に肩を掴まれてしまう。


 そのまま、驚くほど簡単に雪の上へ押し倒されるシャロ。勢いで大鎌を手放してしまった彼は、声をあげる間すら与えられず腹の上にまたがられ、


「ちょ、本当になん……」


 シャロは困惑と不快が混じった顔で、自身の腹にまたがる青年を見上げた。途端、彼の視線に絡んできたのは、飢えた獣のような力強い視線だった。


「ひーっ……!?」


 決して逃がさないという意思を伝えながら、青年は恍惚と頬を赤らめる。


「あぁ……伝わります。貴方の腰の細さと腹の薄さが――あぁ、僭越ながら、胸を触らせていただいてもよろしいでしょうか。触感を記憶することは、絵にリアリティを与えるのです。どうか、貴方に虜にされた私を哀れむと思ってご協力を」


「うげぇぇぇ気持ち悪ーーッ! ダメに決まってんでしょ!」


「そうですか……であれば我慢いたします。私は被写体の意思を尊重できる人間ですから。さて、そろそろ我慢の限界なので、始めさせていただくとしましょう」


「は? 何を?」


「貴方の美貌を後世に残す準備を、です」


 青年はそう言うと、シャロの細首に手をかけた。男性らしい大きな手にまとわりつかれ、少年が血相を変えると同時、青年は触れた首を力いっぱいに絞め始める。


「ぐっ!?」


「申し訳ありません。ですが、これが1番身体を傷つけずに済むのです。被写体に傷があっては絵になりませんから。苦しいでしょうが、すぐに終わらせます」

 

「は……」


 言っていることの意味がわからず、シャロはぞっとしながら青年の手首を掴む。

 そして今ある限りの力を入れて、自身の首からどかそうとしたが、興奮している青年の力は凄まじかった。地面に伏せられたシャロの力ではビクともしなかった。


 そろそろ息が続かなくなり、シャロは少しでも息を吸おうとするが、圧迫された喉は空気の侵入を許さない。僅かに掠れた声が、小さな口から漏れただけだった。


 さらに、シャロを追い詰める事態は増えた。


「うそ……でしょ……っあ、ふ……」


 信じたくなかったが、これほど密着していれば意識せずとも分かってしまった。


 この男、他人ヒトの腹の上で発情しているのだ。


 酸欠になっていくシャロの姿なのか、他人に手をかけているという事実なのか、あるいはシャロを殺してそれを絵にする未来を想像してなのか、どこに原因があるのかはわからないが――この状況下に、性的興奮を覚えているのである。


 その証拠を押しつけられて、生理的嫌悪までもがシャロを襲った。


「ッ……!」


 なのになす術がない。思うように力が出せない、息も出来ない。

 それを本能で悟り、シャロの脳内が真っ白になった瞬間。


 とろけそうにうっとりと笑んでいる青年の背後から、雪を踏む靴音がした。


「――随分と楽しそうっスねぇ?」


 聞こえたのは、シャロがよく知っている少年の声だった。


 普段は眠たげで気怠げで、大体誰かを煽っているかゴマを擦っている声。聞くだけで殴りたくなる腹の立つ声。そんな声が、白装束の青年の背へ向けられていた。


他人ヒトの首を絞めるなんて、中々イイ趣味してるじゃないっスかー。けど、もうちょっと見境はないんです? ハァハァ言って興奮しちゃって。もしその人に性的魅力を見出してるなら、もうアンタは手遅れっス。溜息が出るほど救えませんね」


「君は……?」


 呆れたように悪態をつく声に、またがっていた青年は手を緩め、声が聞こえた方を振り返る。一方、急に喉が自由になったシャロは、壊れたように咳をした。


「ん? あぁ、なんだ。女みたいな身体してれば誰でも良くなっちゃった、可哀想な限界おじさんかと思ったら……綺麗な顔のお兄さんじゃないっスか。写真映りが良さそうで羨ましーっスね。あ、1回撮ってみません?」


「――貴方がどなたかは存じ上げませんが……私は写真は嫌いです。そのものの表面しか映さない。絵のように、積み重ねられた歴史や尊さを表せませんから」


「は〜〜、別にバカしょーじきに受け取んなくて良いんスよ。アナログ至上主義者はこれだから。アンタの『遺影』を撮ってやるって話をしてるんです、こっちは」


 挑発を数段重ねにして、青年へ宣戦布告する声の主。それを聞いたシャロが、咳をするあまり涙目になりながらも、声の方向へ目を向けると、


「――どーも。後輩に助けられる気分はどうっスかぁ? シャロせんぱぁい」


 そこに居たのは、軽く握った拳銃を青年の額に突きつけたペレットだった。

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