第21話『灰銀の少女は赤を知る』

 その頃、中央エリアの本殿に侵入していたシャロは、1番高い塔の最上階にて神子と思しき1人の少女とエンカウントしていた。


 そう都合よく居るわけが――と内心タカを括っていたため、驚きのあまり顔と身体の動きを固めるシャロ。だが、彼の脳内では思考が高速で駆け巡っていた。


 その高速思考で、一旦この状況を整理しよう。


 まず、中庭でマオラオが起こした火事の収拾をつけに行った聖騎士たちと、入れ替わるように本殿に入ったシャロは、塔の入り口を探していた。しかし宮殿の中は思っていたよりも広く、彼はしばらくの間1階を彷徨う羽目になった。


 そして途中、彼は南京錠のかかった扉を見つけた。明らかに意味深長で、『もしかしたら』と思って錠を大鎌で破壊すると、次に待ち構えていたのが階段だった。

 どうやら、ここが塔の入り口だったらしい。見ると、最上階に行くための螺旋階段が延々と上に続いていた。


 それを根気強く登って上がりきると、今度は扉に錠があるタイプの扉があった。何故か鍵がかかっていなかったので、シャロは勢い任せにえいと開けてみた。


 扉を開けたとき、最初に見えたのはたくさんの本棚だった。円柱の形をした部屋の壁を全て覆い隠すように、ぎっしりと本の詰められた棚が置かれていたのだ。

 きっと部屋の主は無類の本好きなのだろう。そう思いながら扉を全開にすると、今度は人の姿を堂々と目にしてしまった。


「――!?!?」


 人が居ることを期待して開けたのに、いざ誰かが居ると知った時の驚きようは、それはそれは滑稽だったが関係ないので割愛。


 シャロが目にしたその人物は、部屋の素朴なベッドに腰をかけていた。そして分厚い本を開き、太腿に乗せて、古めかしい黄ばんだ紙面に視線を走らせていた。


「……えっ?」


 本の世界にすっかり魅了されていたようで、訪れてから何分か経ってようやくシャロの存在に気づき、気の抜けた声を溢すその人――と、ここまでが回想である。


 問題はここからなのだが、まずはシャロと目を合わせて、末代まで伝えていきたいくらい間抜けな顔をした人物について分析していきたい。


 その人物は、シャロの見立てでは15歳くらいで、ふわっとした灰銀のショートヘアに黒曜石のような瞳と、雪のように白い肌を持った少女だった。

 枯れ枝を連想させるほどに細い手足を覗かせる、品のあるフリル仕立ての軽装とその少年らしさもある髪型が相まって、中性的な雰囲気を醸し出している。

 表情は幼っぽいが、どこか儚げで薄幸そうなオーラを漂わせていた。


 彼女を一言で表すのなら、『深窓の令嬢』という表現が相応しいだろうか。

 他人に手垢をつけられた跡がほとんどない彼女は、いっそ天上の世界から舞い降りた天の使いかのように思えた。


「なっ、なんで、鍵が……だっ、だれ……!」


 突然部屋に入ってきたシャロを見て、わなわなと震え始めた少女の口から、鈴を転がしたような美しい声が溢れる。


「えっと、お掃除メイドのシャロちゃんです?」


「疑問形……!?」


 質問を疑問符つきで返されて、呆気にとられた少女の睫毛が、ぱちぱちと上下に動かされる。しかし、シャロが無遠慮に踏み込んだのを目にして、


「ま、まって、えっとその、やっ!」


「あだっ」


 少女は錯乱状態に陥り、持っていた分厚い装丁本を綺麗なフォームで投擲とうてき。本は見事にシャロの顔面に命中し、衝撃で彼の身体が大きくのけぞった。


「あっ、ごめんなさ……」


 遅れて自分の行動に気づき、その場で縮こまる銀髪の少女。一方、額に装丁本の角の跡をつけてひっくり返ったシャロは、涙目になりながらも姿勢を戻し、


「いっだぁぁぁぃい……あ、いや、こっちこそごめんなさい。あの……神子さんですか?」


「えっ、はっ、神子!?」


 何故か弾かれたように驚く少女。

 彼女のオーバーリアクションについ、シャロもビクッと肩を震わせる。


「いやいやいや……ぼっ、ボクが神子様なわけ! 第一、神子様は20年ほど前にお役目を終えたボクの父……あの……枢機卿すうききょうが最後で……」


 と、何故か説明口調の少女に、ずいずい詰め寄るシャロ。彼は約10センチの距離までぐいと少女に顔を近づけると、琥珀色の瞳を漆黒の瞳に合わせ、


「いまボクの父って言ったよね?」


「言ってないです!! 気のせいだと思います!!」


 シャロの両肩に手をかけて、今度は配慮を感じる力で押し退ける少女。彼女はベッドに急いで上がると、布団を掴んで包まり、中から小さな顔だけを出した。


「通報しますよ! 1発で聖騎士団の団長さんが飛んできますからね!」


「ふふーん、呼べるもんなら呼んでみろってんだーぃ! あ、でもね! ウチ決して怪しい者とかじゃなくて! 君を救いに来たんだよ!」


「は……救いに来た……? 何から……?」


「ええっと……君を脅かす魔の手、から? あれ、でも」


 再び質問に疑問符つきで返したシャロは、『どこまで言っていいのかな……』と少女の反対側を向いて自分の言動を振り返る。

 彼女が神子である前提の話だが、神子を狙う存在がいることを本人に明かすのはもしや悪手だっただろうか。考えるシャロの胸中に、次第に焦りが生まれ始める。


 しかし、少女の方はシャロの発言を本気にしていなかったようで、


「いや、ボクの目の前に居ますよ魔の手……鏡見てくださいよ、死神みたいな鎌持ってますから」


「こ、この鎌はただのアイデンティティだから! ウチは魔の手じゃないから!」


「貴方のアイデンティティはどうでもいいんですよ! そんな鎌、ボクからしたらただの凶器なんです! 通報はしないであげますから、早く帰ってください!」


「そう言われても帰れないの! 君を救えなきゃ嫌なの! 今月のお給料もフィオネからもらえないのーーッ!!」


「フィオネって誰ですか! 訳がわかりません!」


 そんな子供じみた言葉の応酬をしていると、その時。不意をつき、本日2度目のアラートが響き渡った。どうやら、塔の軒下にもスピーカーが付いていたらしく、


「うぅぅぅぅるさぁぁぁ!?」


 間近で爆発した音に心臓を跳ねさせ、2人は布団を頭まで被ったり、耳を押さえたりとそれぞれ爆音に対応する。


「ど、どうして……さっきも鳴ってたし……ハッ、貴方のせいじゃないですか!」


「い、いやいやいや、ここに来るまでウチ誰とも会ってないし……! けど、そう言われるとちょっと心配になってきたな……ウチ、ちょっと外の様子見てくるね」


 シャロはそう言ってアラートの停止を確認すると、部屋にあった両開きの窓を開け放って辺りを見回した。まず左を見て、右を見て、身を乗り出して下を見て、


「――え?」


 ふと、シャロは低い声を溢した。


 それから彼は少しの間、何かを黙視していた。


「ど、どうかしましたか……?」


 先程まで口うるさく喋っていたシャロが、急に黙り込んだことで不安になって思わず声をかける少女。その透明感のある美声で、少年はハッと意識を取り戻す。


「やばい、メッチャやばいことになってる」


「やばいこと? 聖騎士が貴方を探してたとか?」


「いや、そんなんじゃなくて……ううん、伝えるより見た方が良いかも」


「はぁ……?」


 少女は頭まで被っていた布団を手放すと、くるんとついた癖を直すようにショートヘアを指に絡めて引っ張り、不満げな表情をしてベッドから降り立つ。


「ボク、あんまりここから顔を出しちゃいけないんですけど……」


 と、言いながらも気になっていたのか、素直に窓から顔を出す少女。彼女はシャロが真下を見ていたことを思い出し、雪の積もった中庭を見下ろした。


 彼女が見たのは、2つの死体だった。


「――ぇ?」





 声が出ない。呼吸が出来ない。


 悲鳴をあげようとしても、乾いた唇が微かに動くだけだった。夜闇に呑まれてもなお鮮明に映る『赤』は、それだけ強く彼女の視神経に焼きついた。


 理解が出来ない。

 理解できない、理解したくない、理解し得ない、理解が及ばない。


 少女は息を止めて、目の前の世界を拒絶する。

 なのにどうしてか、彼女の目は『それ』から目を離せなかった。


 見えたのは真っ赤に染まった中庭と、騎士制服を着た2つの死体だった。


 大量の赤に濡れた2つの身体は、四肢が本来曲がらない方向へ屈曲し、片方の死体は目を潰された頭が遠くに飛ばされていた。

 もう片方の死体は何度も斬りつけられたのだろう、乱雑な切り口からぬれぬれと光る内臓が覗き、腹から腸が引っ張り出されていた。


 凄惨、醜悪、酸鼻。それらの言葉では到底足りないような惨たらしい光景が、少女の視界を独占する。


「――あ! ごめん。覚悟して見てねって言うの忘れてた。でも、やばいって理由わかったでしょ?」


 腰をぬかして尻をついた少女に、他愛のない話への共感を求めるように、シャロはこてんと小首を傾げる。だが、


「なん、あ、え、なに、なに、なにが、なんで」


「だ……大丈夫?」


 壊れたようにがたがた震える少女に、流石にまずそうだと思ったのか、シャロは窓を閉めてそっと少女に駆け寄った。


「はは、なんで、ははは」


 脳が混乱しているのか、泣きながら笑う少女を前に、シャロは表情を硬くする。そして濡れた彼女の頬を両手で包み込み、顔ごとスッと自分の元へ引き寄せて、


「起きて!」


 首を大きく引いたかと思えば、自身の額を少女の額へ思いきりぶつけた。

 瞬間、ゴンッ! と驚くほど鈍い音が響き、両者の視界に火花が散る。


「ッ、あ!?」


 荒療治にも程があったが、少女は我に返ったようだった。自身の頬が濡れていることに気づき、彼女は涙の筋をなぞるようにそっと触れ、


「あ、ッあ……」


「大丈夫? ごめんね、ウチすっかり感覚が麻痺してて……普通はああいうの見ないんだもんね。とりあえず、ウチは下の様子を見に行ってみるけど、どうする?」


「なん、なん、な……」


 シャロの声を聞きながら、僅かに残る恐怖に震える少女。彼女は拍動する心臓を服と薄い胸肉越しに押さえつけ、無理やり息をして呼吸を整えると、


「……いえ。ボクはここに残ります。貴方も、危険ですからここに居たほうが……貴方も十分怪しいので、ボクからは距離をとってもらいますが……」


「うーん、そっか。でもごめん、ウチ結構強いんだ。だから見てくるね」


 そう言って窓枠に手をかけ、ヒールで窓辺に飛び乗るシャロ。彼の行動を見て、少女は想定外だと言いたげに目を見開いた。


 少女から見たシャロは怪しさこそあるが、返り血が一切ないため、聖騎士2人が殺害されたことに関しては犯人でないと信用できた。それにこの状況下で1人になるのは恐ろしかった。だから、適度な距離感で共に籠城する気でいたのだが、


「えっ……!? えっ、ボクを……1人にする気ですか……?」


「うん、だから絶対にその部屋から出ないで……」


 『ねっ!』と叫んで塔から飛び降りるシャロ。彼が血染めの中庭に落ちる様子を目で追っていた少女は、絶望の表情で『え』と掠れ声を溢すのだった。

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