第13話『琥珀の彼は少女でありたい』

 教皇領国家・アンラヴェル神聖国。


 それは、世界で最も信者の多い、『アクネ教』の聖地として有名な国の名前だ。そして、教皇領国家という言葉から既に明白ではあるが、国王に代わって教皇が統治者を務める世界唯一の宗教国家である。


 大北大陸に位置しているので、年間平均気温はとても低い。しかし大陸全体を見ると南東の方に属しており、雪国の中でも降雪のさじ加減が丁度良い国だった。


 ちなみにその一方で、年中雪が降っているような地域もある。


 アンラヴェル神聖国から更に北の、『大森林』と呼ばれる地帯。そこは、1年中極寒の豪雪地帯のため、未開の地となっていた。


 だが、面白いのがこの大森林。未開というだけあって集落は存在しないのだが、大森林近辺で『雪男』や『氷の精霊』を見たという噂に事欠かないのである。


 また、最近では数百年前から続く小さな民族が、十数年をかけて大森林の中を移動しながら暮らしているという説も浮上しており、悪環境ゆえに調査隊が足踏みしていることもあって、現在学者たちの興味を掻っ攫うスポットとなっていた。


 ――話を戻そう。


 この『アンラヴェル神聖国』を統治する教皇は代々、初代教皇の家系である『アンラヴェル家』の成人済みの長男か長女、つまり元『神子』と決まっている。

 その辺りは一般的な王政とさして変わりないので、今回誘拐する神子は王子様、あるいは王女様と言い換えてもいいだろう。


 まぁ、『洗脳』という危険な能力を持って生まれたせいで、ずっと世間にその存在を公開されずにいる時点で、神子が王子や王女と同レベルの扱いを受けられているかは定かではないが。最悪、牢屋に繋がれている可能性も考えられる。


 ――それから、神聖国を語るにあたって欠かせないのが、その本の出版数だ。


 神聖国は昔から読書国家と呼ばれており、聖書に小説、問題集に図鑑と幅広いジャンルの本を数多く出版し続けていた。

 それゆえ現在、国立図書館の蔵書数は世界一を誇っているそうで、最近は国をあげて作家を支援するようになった神聖国に、移住をする作家も増えているとか。


 ただ、このように知力的な部分に力を入れている国なので、武力面では多数の国家に劣っていると言われているそうで、実際教皇の警護をしている『アンラヴェル騎士団』は、フィオネ曰く世界でもぶっちぎりに弱いらしい。


 幸い、政治に関しては非常に穏健であり、どの国とも平穏な関係にあったため、ここ数十年は戦争に巻き込まれることもなく国家の形を保っていたようだが。

 もしも神子の力を狙っている者が、他国との戦争を実現させた場合、神聖国はたちまち滅ぼされるだろう、というのがフィオネの見解であった。


 そして、そんな『アンラヴェル神聖国』の中枢。歴代の教皇が住まう『アンラヴェル宮殿』に、これからギルたち4人は潜入するわけなのだが――。





 翌日、昼の12時を過ぎた頃。

 遠征組は出発から約4日の時を経てついに、大北大陸の東南端、広大な海に面する教皇領国家・アンラヴェル神聖国に到着した。


 船にタラップがかけられた途端、我先にとシャロが渡航船から飛び出していく。


 が、彼は油断していた。秋の大北大陸の寒さを舐め切っていた。


「さっむ!?!?!?」


 港の空気は、舌が凍ったと錯覚するほど冷たかった。その想像以上の寒さに、シャロは自分の身体を抱きしめて震え、


「いいいいいや何これ、待ってめっちゃ寒い!! やばいウチ死ぬかも!!」


「だーっほんまや寒ぅ!?」


 しきりに寒さを訴えるシャロに続き、船から降りてきたマオラオが絶叫。鼻を赤くしながら2人が走り回るそこへ、ギルとペレットが荷物を抱えて降りてくる。


 ギルは港を興味津々といった様子で見回しており、随分と余裕そうな顔だった。一方ペレットはその真逆で、寒さのあまり白目を剥いて、顔を凍らせていた。

 2人は同程度の厚着をしていたが、寒さに対する反応はほぼ対極にあった。


「……よく耐えられますね、ギルさん」


「え? あー、まぁな」


 冷たい潮風を受けながら頬を掻き、白い息を溢すギル。

 何やら含みのある言い方だったが、今のペレットには青年に言及する余裕など微塵も残っていなかった。そのため、ギルの違和は誰にも触れられず、


「ねぇねぇ、今日はもう泊まるだけなんでしょー?」


「あー、そうだな」


「じゃあさ、この辺でちょっと買い物してこうよー。ウチさぁ、知ってるんだ! アンラヴェルって、茶葉を使った焼き菓子が有名なんだって!」


 相変わらずタフなもので、早くも港の寒さに順応したらしいシャロが、海沿いの通りに並んでいるカフェや土産屋を見て下卑た笑みを浮かべる。

 どうやら、彼の頭からは『任務』の文字がすっぽり抜けているらしかった。


 ――煩悩にまみれた発言を受け、案の定、小さな保護者が口を挟みに来る。


「あんなぁ、観光に来とるわけちゃうねん。買い物なんかしてる暇あらへんよ? 全く、なんでそう新しい国来ると毎度すーぐモノ買おうとするかなぁ」


「えぇ〜、別に任務用のお財布に手ぇつける気ないし。シャロちゃんのお給料で買おうってんだからいーじゃん、マオのけち〜。あ、ねぇ、ギルはどう思う?」


「――え? あぁ、俺は『Gカップ』に1票」


「話全く聞いとらんな!? っちゅーかなんやねん、Gカップて! 何考えとったんこんな場所で……あーもうペレット、あんさんだけが頼りや、コイツら……」


 と、ペレットを捉えようとして、視界外に伸ばしたマオラオの手が空を切った。


「あれ?」


 間抜けな声を上げたマオラオは、黒髪の少年を探して振り返る。しかしどこにも見当たらず、『どこに言ってんアイツ』と困惑すると、シャロが下を指差した。


 それにつられて、目線を下に下げる。


 ――居た。


 探していた少年は、幽霊でも見たかのような青い顔をしてしゃがみ込んでいた。そして絶え間なく何かを呟いていたのだが、少年の声がか細すぎて、マオラオの立つ場所からでは彼が何を言っているのか、聞き取ることが出来なかった。


 マオラオは、異物を見る目をしながら恐る恐る耳を近づける。と、


「3.14159265358979323846……」


「あーもう寒さで頭おかしなってるわ、どうしよコイツら海に捨てよかな」


 思わず大き過ぎる溜息。同伴者たちのあまりのどうしようもなさに、マオラオは今回の任務の波乱ぶりを垣間見たような気がしていた。





 それから時間が経ち、日がとっぷりと暮れた午後5時頃。遠征組一同は、アンラヴェルの中央都市である『国都こくと』のとある宿屋で部屋をとっていた。


 今回のメンバーは4人なので、とったのは2人部屋を2つだ。なお、その部屋割りはシャロによって『シャロ・マオラオ』と『ギル・ペレット』に設定された。


 そのような部屋割りにしたのは彼曰く『消去法』で、そもそもペレットをルームメイトにする気はなかったので、最初からギルとマオラオの2択だったのだが、


「ギルはエロガキだからね、可愛い可愛いシャロちゃんについ欲情しちゃう可能性があるのを考えると、やっぱり隔離した方がいいと思うんだよ」


 という理由でギルを排除し、これといったマイナスポイントがなかった為に最後まで残ったマオラオをルームメイトに決めたのだそうだ。


 ――念のため、ギルの尊厳を守るために言えば、決して彼は誰彼構わず欲情する発情期の獣のような男ではない。時々疑いたくなることはあるが、彼もよわい19歳。その辺りの倫理観は持ち合わせている上、そも、彼は男色を示してはいなかった。


 だから、この話はシャロの自意識過剰で片付けられる。られる――の、だが。


 ギルが、性欲に忠実なエロガキだということ自体は、紛れもない事実であった。


「――うぁっ!」


 大声を上げながら、ベッドに倒れ込むシャロ。その衝撃でマットレスが弾んで、仰向けになった少年の亜麻色の髪がシーツに広がる。

 彼はそれから息を吸うと、怒気を込めて『もー!』と吐き出し、


「昼から夜までずーっと馬車ってなに〜? こんなに腰痛くなるのー!? っあー、くそ、うーっ、い、い〜〜っだぁーい……」


「ちょ、シャロうるさいんやけど……」


 言いながら、部屋に荷物を運びに来たのはマオラオだ。

 ダークブラウンの髪を揺らした彼は、『他の部屋に聞こえるやん』とシャロの声量をとがめ、適当な場所へ荷物を下ろした。


 それに気がつき、シャロは『んむーぅ』と一鳴き。感謝の念を少年に伝えてベッドから降りると、ぱんぱんに膨らんだ鞄から寝間着やタオルを取り出して、


「よし。じゃあウチ、お風呂入ってくるね」


「え、随分早いな。まだ誰も入らんと思うけ……」


 ――と、そこまで言いかけて、マオラオはぴたりと口の動きを止めた。強張ったその顔に浮かんだのは、『やらかした』と言わんばかりの焦燥だった。

 マオラオは『す、すまん』と謝ると、


「忘れとった……ゆっくりしてきてくれな」


 と、不安そうな顔をして、普段から小さな身体を更に縮こめる。

 とあるコンプレックスを抱えるシャロの、を踏み抜いたのではないかと気が気でない様子で、少年の全身からは後悔の色が滲み出ていた。


 しかし、それを見たシャロは黙った後、けらけらと可笑しそうに笑い、


「っふ、そんな気にしなくていーよ? ただまぁ、シャロちゃんは乙女だからさ。その主張を変えるつもりはないの、だから……マオの、変態」


 わざとらしく顔を背け、ちらちらと視線を送りながら囁くシャロ。すると、固まっていたマオラオは呆然と口を開けた。その顔は林檎のように紅潮、やがてかけられた言葉に思考が追いつくと、少年は壊れたように口の開閉を繰り返して、


「なっ、なな、えっ、えって、えっ……えって、はっ、はァッ!?」


 ――ようやく言葉が飛び出した時、部屋にはマオラオしか居なかった。

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