第2章 憧憬の神子 編

第11話『調子に乗ってはいけない』

 翌日、遠征初日の早朝4時55分。

 東に広がる山々の間から、太陽が見え始めた港町オルレオにて。


 今回の遠征メンバーであるギル・シャロ・ペレット・マオラオら4人は、港町オルレオ発・大北大陸行きの大きな渡航船に乗っていた。


「……ふわぁ」


 甲板から海を眺めていたシャロが、口元に手を添えて欠伸をする。彼の肩まで伸びた亜麻色の髪が、潮の風を受けて微かに揺れた。


 本来ならば、まだ寝ているはずの時間。早起きの習慣がないシャロには、立って目を開けているだけのこの時間さえ苦痛だった。でも、少しでも気を抜いたらひっくり返ってしまう。だから、彼は必死に眠気と戦っていた。


 ちなみに出発の準備も、マオラオに手伝ってもらってやっとだった。

 その時はまだ夢の世界に片足を突っ込んでいたので記憶が定かじゃないのだが、確か彼には歯磨きやトイレ以外の準備に一通り付き合ってもらったはずだ。


 本当に――面倒見がいいというのか、なんというのか。


 マオラオの世話焼きぶりは、それはそれは凄まじいものだった。朝食の時にはぶつくさ言いながらも、せっせとシャロの口に食事を運んでくれたし、シャロの持ち物の準備をするのも、シャロの髪を梳かすのも、全て彼がやってくれた。


 なお、それを目撃したギルに、『介護かよ』と笑われたことは今でもはっきりと覚えているし忘れないつもりである。今は眠くてふらふらするのでまだ無理だが、意識が完全覚醒した際には、あの男の横っ面をぶん殴ってやる気でいる。


 と、


「……あ、シャロさんここに居たんスか」


 不意に声をかけられて、シャロは音が聞こえた方を振り向いた。目を向けた先、そこにいたのは澄まし顔で両手をポケットに突っ込む少年・ペレットであり、


「うん……っていうかペレット、なんかいつもより元気……?」


「え? あー、言われてみるとそうかもしれません。まぁ、昨日は久しぶりに早く眠れましたからね。きっと、日頃の疲れがまとめて取れたんでしょう。というか、そう言うシャロさんは逆にすごーく眠そうですが……」


「うぐっ」


 痛いところを突かれたらしく、気まずそうな表情をして顔を背けるシャロ。

 それに気づいているのかいないのか、ペレットは口の端を吊り上げ、にやにやと下卑た笑みを浮かべながらシャロの顔を覗き込み、


「あっ、もしかしてですけど、夜更けまで起きてたんですか? いやぁまさか? 渡航船の始発に間に合う為に4時に起きる必要があったのは知ってたでしょうし、まさかそ〜んな馬鹿なことするわけ、ねぇ?」


「うぐぐぐぐぐ……」


 水を得た魚の如く、ここぞとばかりに挑発するペレット。

 あまりにうざったいので殴り飛ばしたくなるが、500ピースパズルに熱中して夜中の3時頃まで起きていた結果がこれなので、殴りたくても殴れない。

 シャロは、固めた拳を片方の手で押さえつけて『うぅ』と引き下がり、


「うっ、うるさいなぁ……お前煽らないと喋れないの……?」


「この程度の煽りに反応するシャロさん見てるの、存外楽しいっスからね」


「とことんヤな奴じゃん……はームカつく〜……!」


 梳かされた髪をいじりながら、シャロはぐっと眉をひそめる。そして、もう初対面の時の素直で可愛らしかった彼の面影はどこにもないな、と追憶しながら、


「それで? ウチのこと探してたみたいだケド」


「あぁ、そーでした。えっとですね、これから中に戻ってトランプしません?」


「え、トランプぅ? 朝から〜!?」


「はい。ほら、俺達これから3日間、海の上に居なきゃいけないでしょ? でも、それだと絶対いつか暇になります。だから、ジュリさん達にチェスとかカードとか色々借りてきたんスよ。けど、早速ギルさんが暇だーって言ってて」


「ふぅん?」


 ――チェス。そう言われて、シャロは過去の記憶を探る。


 あぁ、そういえばそんなモノもあったかもしれない。

 最後にあれを見たのは、ウェーデンへ遠征に行く少し前の夜か。その日は確か屋敷の談話室で、ジュリオットとフィオネが何かを賭けて勝負をしていたのである。


 彼らのチェスは最初こそ大人同士の優雅なものに見えたのだが、途中から互いに発言と素振りで牽制し合うようになって、両者の手に握られるワイングラスがひりつくような場の空気に耐えかねて割れないか、心配になった覚えがある。


「……なるほどね。まぁ、それは良いんだケドさ。トランプで遊ぶ前に、ちょっと気になってたことあるからそれだけ聞いてもいーい?」


「気になってたこと? ……どうぞ?」


「あのさ、今更なんだけど、ウチら船に乗らなくても良くない? ペレットの特殊能力があるんだし、国と国の行き来くらいヨユーだと思うんだケド」


 言いながらシャロが思い出すのは、ウェーデン王国の城を4人で襲撃しに行った先日の夜のことだ。あの日、シャロ達は拠点に帰るため『転移陣』を使用した。


 なお、『転移陣』とはペレットの特殊能力による産物で、どんなに遠い距離でも一瞬で大人数を移動させることが出来る優れものなのだが、それを使えばわざわざ何日もかけて海を渡る必要はないはずだ。


 それなのに何故、こうも時間と労力のかかる面倒な方法で行こうとするのか? というようなことを尋ねると、ペレットは日焼けを知らない白い首を傾げた。


「あれ、シャロさんには言ってませんでしたっけ? 俺の特殊能力『空間操作』は過去に訪れた場所にしか移動できないんスよ。んで、残念ながらアンラヴェルには行ったことがないんで、アンラヴェルへの瞬間移動は出来ないんス」


「え!? あっ、そうなの!? にっ……2、3年ペレットと喋ってるけど、それ今日初めて知った――ってあれ、ん? ちょっと待って」


 先日の襲撃では、ペレットは転移陣を使ってウェーデン王国に来ていたはずだ。それでいて転移陣を使えるのは、過去に行った場所だけだというのなら、


「つまり、ウェーデンには行ったことがあるってこと……?」


「あー、はい。まぁ、行くも何も、ウェーデンは俺の出身地なんスけど」


 ――平然とした顔で、なかなか衝撃的な告白をするペレット。

 彼の口から飛び出した言葉に、シャロはぎょっと目を見開いて、


「え……ってことは、ペレットは自分の生まれ故郷のお城を襲ったってこと!?」


「そういうことになりますね。まぁ、思い入れはなかったんで、はい」


 罪悪感はないとでも言いたげに、薄情な思考を晒して肩をすくめる少年。

 考え方がさっぱりしているのは戦争屋的には大いに結構だが、人間性が著しく欠如していることには気づいているのだろうか。

 シャロは疑問に思ったが、不毛な匂いしかしないので質問するのは諦めて、


「あぁ、そう……で、トランプだっけ? 全員参加すんの?」


「はい。ちなみにギルさん発案で、オリジナルのルールを作ります」


「ふむ」


「1位抜けした人には『最弱の人に1つ命令が出来る』権利が与えられます」


「ふ〜〜〜ん???? 面白そうじゃん、やっ……」


 『やってやるよ』などと格好をつけながら、シャロが甲板の手摺りにもたれ掛かろうとしたその時。渡航船が突如、眠りから覚めるようにゆっくりと動き出し、


「っ、だあああああああーーーーーーッ!?」


 前触れもなく揺れた足元に、シャロは思わず絶叫。この揺れが、出港の時刻――朝5時を迎えた船が発とうとした為に起きたものだ、と気づいた時にはもう遅く、彼はそのまま大きくのけぞって、海へと落ちてしまった。


 数瞬の後、ばしゃん! と大きな水飛沫が上がり、


「――はァ!? あんた馬鹿じゃないっスか!?」


 あまりに突然のことで動揺してしまい、無意識に大声で罵倒しながら手摺りに駆け寄るペレット。彼は大急ぎで海面を見下ろし、シャロの姿を探すが、


「……居ない」


 海の中でも目立つはずの、あの明るい茶髪がここからでは全く見えなかった。


 ――まさかとは思うが、船の下に潜り込んでしまったのか?


 シャロは確か泳げるはずなので、待っていれば戻ってくるか――とも思ったが、空気を吸う暇もなかったので、息が保つとは考えられない。高確率で彼は、海面に上がり切る前に溺死してしまうだろう。

 それに出港してしまったので、シャロだけではもう船に上がって来れず、


「あ〜〜もう、ッたく、あんっっっの馬鹿……!!」


 猫っ毛を潮風に揺らしながら、面倒臭そうに呟く少年。

 彼は着ていた紫色のパーカーを、放るようにして甲板に脱ぎ捨てると、


「朝からだるいこと、させないでくんないスか、ねぇ!」


 言いながら手摺りに手を掛けて、勢いよく秋の海へと飛び降りた。





 場所は変わり――港町オルレオから出発して少し経った、渡航船内の一室。

 朝の海が見える小さな窓付きの、ちんまりとした空間。その両端に2段ベッドがそれぞれ1つずつ置かれた、4人用の宿泊部屋にて。


 毛布に包まってベッドに腰を掛けたシャロが、盛大にくしゃみをぶっ放した。


「ブェッッックシュン!!」


「――あっ、はははははは!! そうかぁ、お前海に落ちたのか! んで? 大っ嫌いなペレットに助けられちまったわけ? っく、ははははは!!」


 ゲラゲラと腹を抱えて笑うのは、先程まで船内の探検をしていたというギルだ。シャロから話を聞くなり噴き出して、それからずっと笑い転げている。人が海に落ちたというのに、なんて奴なのだろう。シャロは、青年を睨みつけながら、


「ひ……控えめに言って、死ねばいいのにッッックショーイ!!」


「残念、不死身でしたァ」


 そう言って小皿の上のナッツを数粒掴み、器用に口へと放るギル。奥歯で噛み砕かれてすり潰されて、頬の内からこりこりという音がする。


 聞けば、ナッツは船内にある食堂のキッチン探索時に見つけたものらしい。信じられないことに、最初は大袋ごとパクろうと思ったそうなのだが、そこを料理人の船員に見つかって、散々怒られた後憐れみで数粒貰ったんだとか。


「……いいなー、ナッツ」


 そう言ってシャロは、林檎のように赤くなった鼻をズビッと汚くすすった。

 綺麗な顔面が台無しの、本当にきったねえ音だった。


「その鼻水止まったら食っていーぜ」


「ホント!? やったぁ、あ、次ギルの番だよ」


「え? あぁ」


 シャロに促されて、ギルはペレットの手持ちのカードを1枚引く。


 ――現在彼らは、この小部屋の両端にある2段ベッドの下の段に、2:2で向かいあうように座って、絶賛ババ抜き中だった。なお、シャロは既に上がっており、現在は引く→引かれるで言うと、ギル→ペレット→マオラオ→ギルという状態で、


「はい、あがり」


「うっわ……!?」


 揃った手札を捨てるギルに、焦りながら手持ちを確認するマオラオ。そしてその様子から何か読み取れないかと、向かい合ったペレットがじっと少年を見つめる。この場の空気はもはや、ババ抜き中とは思えないほど張り詰めていた。


 だが、それも当然で、ギルの作ったオリジナル・ルールに従うのなら、このままゲームを続けて4位になった場合、シャロから命令を下されてしまうのだ。


 意地が悪く傲慢で、自分が上の立場だと主張してやまないシャロの命令。確実に容赦のない指図が下されることだろう。明日の命があるかすらもわからない。故に最下位だけは回避しなくては、と2人は全霊をかけていたのである。



 しかし――決着がつくまでに、長い時間は要さなかった。



「やっと終わった……」


 緊迫していた空間から解放され、疲労困憊といった表情で俯くマオラオ。

 対するペレットは絶句して、ベッドに倒れ込んでいた。


 3位抜けをしたのはマオラオで、最下位はペレット――つまり、ペレットがシャロの餌食となったのである。


「もう俺……死ぬんですかね……シャロさんからの命令をこなす、なんてはずかしめを受けるくらいならいっそ、俺は谷に飛び降りて死にますよ……」


「流石に死にゃーしないとは思うけどな。で、どうすんだ? 命令」


「うーん、まだ決まんないわ。どうしよっかなぁ、アンラヴェルに着いたらにしよっかなぁ〜? 楽しみにしてろよぉぅ、ペ・レ・ッ・ト?」


 絶望する少年に死刑宣告をして、ナッツを3粒掴むシャロ。彼はそれをぽいっと自分の口に放ると、意地悪くにやつきながら噛み締めるのであった。

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