第04話『追い詰められた国王』

 中央大陸の東端付近に浮かぶ小さな島国・ウェーデン王国の国王は、非常に自分勝手な男だった。一言で形容するならば、傍若無人――恐らくそれが、20歳の現国王【アルベート=ウェーデン】を表せる最短で最も相応しい言葉だろう。


 王族の子供という特別な存在として生を受けた男、アルベート。彼は幼い時から身勝手で、今日まで好き放題に生きてきた。

 その為、前国王が病気で亡くなりアルベートが国王になった際に、彼を支持する者は一切居なかった。(まあ、政治に無関心の国民を除いた話ではあるが。)


 アルベートが国王になれば、ウェーデン王国はたちまち崩壊すると、誰もが確信していたのである。


 実際、彼が王座に就いてからウェーデンは明らかに衰退していく。破滅を続ける自国に焦りを覚えた大臣達が今まで多くの策を講じてきたが、結局ほとんどアルベートの存在が枷となって失敗に終わった。


 しかし、ウェーデンの大臣達は諦めなかった。

 前国王の存命時から国に貢献してきた大臣達は、最終的に国王であるはずのアルベートをも騙し込んで利用し、とある殺戮兵器の設計に手を出したのである。


 『これがあれば、他国にも引けをとらない』

 『それどころか、他国を支配することも可能になるだろう』


 捻くれ、歪んだ愛国心を抱えた大臣達はそう意気込んで、製作計画を進めた。


 それが途中で、巷で風評ウワサの『戦争屋』に露見したことも知らずに――。





「――ッ、はぁ!」


 地下階段から飛び出すなり、ハネ癖の強い金髪と真紅のビロードマントを揺らしてウェーデンの国王・アルベートは力が抜けたように倒れ込んだ。


 何も目に入らぬほど無我夢中だった大脱走。アルベートは、しばらく身体を動かしたくない、と思うも、鼻先を掠めたホコリの匂いに息も絶え絶えの中で咳をし、なんだここはと我に返って辺りを睨み回した。


 そうして最初に彼の目に映ったのは、天井近くの壁に取り付けられた、太陽や三日月をかたどったステンドグラスの数々であった。月光を浴びて淡く光るそれらは静かだが神々しく、見る者の心を浄化してくれそうな雰囲気があった。


「……!」


 次に目に映ったのは、幾つか並んだ木製の長椅子だった。

 座ればすぐ壊れそうな古めかしさに哀愁を上乗せする椅子達は、全て乱れることなくただ一方を向くように配置されていた。


「……」


 アルベートは喉を鳴らしながら、その〈一方〉である背後を振り返る。すると、そこには教会の神父が読み物を置くような講壇が。更にその奥には、慈悲を司る金髪の女神・アクネが微笑みを浮かべている壁画が掛けられていた。


 人を問わず、見た者全てが息を飲むほどに美しい彼女であるが、今は笑顔の裏でどこか憂いているようにも見える。

 単に影が差していることで全体の色が暗く見え、暗いイメージを与えているだけなのかもしれないが――なんだか、とても嫌な予感がした。


「教会……? 何故こんな教会が、我が城の地下通路と……?」


 アルベートは駆け上がってきた地下階段を見下ろし、ぽつりと声を溢す。

 

 戦争屋から予告された時間より少し前。警備を固めさせた謁見の間をこっそり秘密の抜け道から逃げ出して、城の地下から通ってきたこの地下通路。


 隠されていたわけではないのだが、アルベートを含め王城の者達は誰も通ったことがなかった為、辿り着く場所がどこなのかを今までずっと知らなかったのだ。

 しかし、その行き先がまさか、古びた教会の中だったとは――。


「随分とホコリ臭い……ということは、人の出入りはないようだな。とすると、この教会は街外れにあるのか……? 城の中は今、どうなっているんだ……」


 城から逃げてこの教会に辿り着くまで、かなりの時間が経っているはずだ。

 昨今のウェーデン兵はかつての栄光に泥を塗りたくるほど弱いので、時間の経過具合と併せて考えると今、こちら側は相当な痛手を負っていることが予想できる。


 しかも、よりによって戦う相手があの風評の戦争屋。

 最悪の事態を考えれば、そろそろ兵が全滅していても可笑しくは――と、そんな思考をしていたその時だった。


 ふと、教会の扉が弾かれたように内側へと吹っ飛んだ。


「ひッ……!?」


 どくんと心臓を跳ね上がらせ、その場で竦むアルベート。そんな彼を差し置き、2つの人影が教会の出入り口に現れる。


 薄暗い教会の中、しかも月明かりという後光が差している状態。そのため、人影の顔はよく見えなかったが、アルベートにとってその影2つが脅威であることは、動物的な本能ではっきりと感じ取っていた。


「……おや、先客がいらっしゃいますね」


 不意に片方の人影が揺れ、ゆったりと落ち着いた口調で言葉を発する。


「あ、ほんとっスね。間抜けヅラした奴が居ます」


 もう片方の人影が揺れ、澄ましたような口調で喋った。


「どーします? ジュリさん」


「うーん、まずはお話しをしてみましょう」


 そんな会話をして、アルベートに歩み寄ってくる2人。そうして人影との距離が近づいたアルベートの瞳には、2人の姿がうっすらと映し出された。


 まずは片方。先に声を出した、20代前半くらいの落ち着いた口調の男。


 最初に目につくのは、三つ編みに結われた薄紫の長髪で、次いで細縁メガネから覗く紺青の瞳だ。漆黒のマントで隠された身体は、隠されてなお病弱そうだという印象を受ける。極度に細いのだろう。身長は高く、第一印象はのっぽだった。


 冷静で知的な雰囲気があるが、意味ありげな微笑みを浮かべる表情からは、どことなく近寄り難い胡散臭さが漂っていた。


 そして、もう片方――10代半ばくらいの、澄ましたような口調の少年。


 猫っ毛の黒髪と深い紫色の瞳が特徴的で、色の組み合わせのせいかミステリアスな印象を受ける。身に纏っているのはダボッとしたパーカーで、瞳よりも明るい紫色をしたそれは、少年の肩から尻までをすっぽりと覆っていた。


 身長や体型は普通くらいか。一見涼しげなその表情は、よくよく見るとボーッとしていて気怠そうにも見えた。


「――初めまして、ウェーデン国王【アルベート=ウェーデン】」


 不意に眼鏡の方の男が、竦んでいたアルベートに声をかけた。

 脅迫でも脅かしでもなんでもなく、ただの挨拶だったのだが、緊張であらゆる感度が高められているアルベートは大きく身震いし、思わず彼らの名を溢した。


「戦争屋……イン、フェルノ……!?」


 ――それぞれの理由から『自分の望む世界』を作る為に集い、【世界改変】を目的としてそれを邪魔する者を排除する為、世界各地で虐殺を繰り返しているという情状酌量の余地なき、悪人の中の悪人。


 大東大陸を中心に日々恐ろしいうわさ話がされている彼らだが、まさか、自分の目の前に居る男達が本当の本当に『そいつら』だというのか。

 戦慄するアルベート。謁見の間から出なければよかった、と後悔が横切る。


「ええ、左様です」


 眼鏡の男がそう言って、貼り付けたような笑みを浮かべた。

 笑っているのに笑っておらず、どこかに黒い感情を隠した奇妙な笑み。まるで、権力の為に自分にへりくだってくるお手付きの女のようだった。


 『あくまで今は、貴方が上の立場ですよ』とでも言いたげなその表情に、無性に腹が立って仕方がない。無論、だからといって文句を言える状況でもないのだが。


「まぁ、私達が決めた公式的な名称ではないので、そのように呼ばれるのは少し、遺憾なのですが……いいでしょう。さて、こちらが一方的に貴方のお名前を知っているというのは不公平ですからね。先に自己紹介だけしておきましょう」


 不気味なほどにこやかに、アルベートへ告げる眼鏡の男。

 それに対し、横に立つ黒髪の少年は呆れたように口を開き、


「ジュリさん、それ不公平とはなんか違うと思うんスけど」


「いっ……良いんですよ。あの、格好つかないんで黙ってください」


「格好つかないってジュリさ」


「いいから黙れ」


「――」


 緊迫した雰囲気を突然ぶち壊す2人に、呆気にとられるアルベート。その様子をちらりと目にした眼鏡の男が、わざとらしく大きな咳払いを1つして、


「私の名前はジュリオット。【ジュリオット=ロミュルダー】と申します」


 眼鏡の男、もといジュリオットは胸に手を添えて、恭しく頭を下げた。その恐ろしく滑らかな仕草に、アルベートは形容し難い気持ち悪さを覚えて息を呑む。

 この流麗ぶりはもしや、こいつは貴族の出身ではなかろうか――。


 などと考えていると、


「では……早速ですが、今から3つ質問をします。全て答えてくだされば、私達2人は貴方を解放して差し上げますので、正直に答えてくださいね?」


 ジュリオットは微笑み、視線を真っ直ぐにアルベートへと向けた。瞬間、紺青の双眸が淡い光を放ち――アルベートは、冷たい恐怖に背筋をなぞられる。


「……ッ!!」


 先程の砕けた雰囲気に流されかけたが、考えてみれば相手は戦争屋。

 自分の命は今、目の前の2人の行動に委ねられているのだ。


 この男は一体これから、自分に何を聞くつもりなのか。

 そもそも何故2人がここに辿り着けたのか、自分はこの後どうなるのか、生きているのか、それとも死んでいるのか、生きていたとして五体満足なのか。


 黒インクを溢した白紙のように、じわじわと心が――恐怖に蝕まれていく。


 そうだ、彼らは戦争屋で、人殺しなのだ。今までどれだけ好き放題に生きても、王族だからという理由で全く罰を与えられてこなかったが――彼らは違う。気に食わないことがあれば、罰を与えるどころか、平気で自分を殺しにくるのだ。


「――いや、だ……」


 虫の息のような、微かな声が拒絶の言葉を作って漏れ出る。

 その瞬間、恐怖の侵蝕は急激に早まり、アルベートの中で何かが壊れた。


 いやだ、いやだ、いやだいやだ、こわい、死にたくない!

 はやく、はやく逃げなければ、でも一体どこへ! ここから逃げたら殺される、逃げなかったら殺される。どう考えても、自分の四方は死の運命が囲んでいる!


 どうしたら、どうすれば、自分は生き延びることが出来るのだ? いやだ、まだ死にたくない、もっと悠々自適な人生を送りたい、昼になっても寝ていたい、満たされるまで食べていたい! あぁ、どうすれば――!!


 最高に愛おしく、惨めで自堕落な自分の生活が、今にも失われそうになっているこの状況に愚蒙ぐもうな王は発狂せんとしていた。


 と、


「――あ、予告っス。全部ちゃーんと答えないと、貴方の目玉が弾けるんで」


「あッ、はっ、ひィッ!?」


 思い出したように突然、黒髪の少年が取り出してみせたのは、教会に差し込む月光によって艶めきが強調された、黒の拳銃だった。握り方がこなれている。少年は相当な銃の使い手なのだろう。ド素人のアルベートにも、それが理解できた。


 ただしその『相当な銃の使い手』が握る拳銃の銃口は直後、狙いを定めたようにアルベートの目玉に向けられる。

 あまりにも純粋に向けられた殺意に、アルベートは1周回ってヘヘッ、と珍妙な笑みを浮かべる事しか出来なかった。


「おや、随分と手荒な方法ですね。あまり好ましくはないのですが……」


「効率的には、この方が良いでしょ?」


「全く、どこで覚えてしまったんだか……ということで、貴方の命の為にも返答は必ずしてくださいね。アルベート=ウェーデンさん」


 紺青の瞳を妖しげに輝かせたジュリオットは、中指でフレームを押さえてクイと眼鏡の位置を直す。それがスイッチの切り替わる瞬間だった。端正な顔にはぞっとするほど優しげな、透き通るような微笑が丁寧に丁寧に貼り直され、


「これより、質問を……あぁ、いえ。〈尋問〉を開始します」


 そうって、人型の悪魔は冷ややかに嗤った。

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