第24話 アプローチ

 比較的早い時間、眠気が私を襲っていた。やはり疲れているようだ。

 昨夜は山の中で夜通し見張り番をし、次はホテルからの脱出劇、そしてケビンの救出。振り返れば、随分長い一日だった。

 シャワーを浴び、レイチェルが用意してくれたベッドへ横になる。瞼が重い。

 ふと、ドアの向こうからグレースの声がした。

「佐倉さん、まだ起きてる?」

 私は、ドア越しに返事をした。

「どうした? もう寝るところだ」

「ちょっと話したい。いいですか?」

 随分殊勝な物言いだ。

「明日にしてくれないか。疲れているんだ」

「少しでいいの。お願い」

 仕方なく、私は了承した。彼女は静かにドアを開け、部屋に入って後手でドアを閉める。

「急用か?」

「違うの。私、あなたにお礼したい。でも何もできないから、あなたにマッサージあげる」

「そんなことなら、気を使う必要はない。これは俺の仕事で、お前は俺のクライアントだ」

 彼女の耳に、私の言葉は入っていないようだ。

 彼女は私にうつ伏せになれと言い、私の背中に座る。

 彼女が私の背筋に指を立てると、鋭い痛みが走った。私は思わず、うめき声を出してしまう。

「ほら、身体が傷んでる。痛いのは最初だけ。少し我慢して」

 確かに指圧の痛みは、次第に和らいでいった。彼女は場所を変え、丁寧に身体をほぐしてくれる。

「随分マッサージが上手いな。どこかで習ったのか?」

 彼女はくすくすと笑った。

「日本へ行く前、これでお金を稼いでいた。でも、一時間でニ百ペソ。いつもお客がいればまあまあだけど、まともなマッサージは人気ない」

 なるほど、まともマッサージならフィリピン人の需要はあるかもしれないが、いかんせんほとんどの地元の人間には、金銭的余裕がない。

「ねえ、ジェイソンの奥さんが、ロメルのお母さんでしょ? 顔の傷で直ぐに気付いた。どうして死んだなんて言ったの?」

「彼女はみんなの中で、死んだ事になっている。あの傷は、俺のせいだ」

 彼女は指圧の手を弱めることなく言った。

「佐倉さん、彼女のこと、好きじゃない? 見ていて私、いちゃった。彼女もあなたが好きじゃないかしら」

「悪い冗談だ。レイチェルはジェイソンの妻だ。そんな事を言ったら失礼だ」

「それなら私にも、チャンスがある?」

 彼女は如何にも冗談を言うように、へらへらと笑う。

「それも悪い冗談だ。おじさんは嫌いだったはずだ」

 彼女は指先に、ことさら力を入れた。私は思わず、身体を海老反りにして呻く。

「歳は関係ないの。私は純粋に、相手の中身を見ている。前はあなたの事、良く知らなかっただけ」

「お前はまだ、俺の事を良く知らない」

「あなたは自分の命を掛けて、私を守ってくれた。私の願いもきいてくれた。それで充分じゃない」

 私は鼻で笑うしかない。

「私のこと、好きじゃない? やっぱりレイチェルのことが好き?」

 どうなのだろうか。思わず自問自答を試みる。

 確かに私は、いつでもレイチェルの幸せを願っている。

 しかしそれが、愛というものだろうか。

 いつも殺伐とした世界に身を寄せてきた私には、愛などまるで無関係に思えた。

「面倒だから正直に言う。良く分からない」

 彼女はまた、指先に力を入れる。

「いいわ。今答えなくても。全てが終わったら聞かせて欲しい。それまで考えておいて。約束よ」

 彼女はそれから、三十分ほど私の身体をほぐし、自分の部屋へと引き上げた。

 確かに身体が、随分軽くなっている。

 私はグレースが去った後、直ぐに深い眠りの淵へ落ちたようだ。

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