ダークブルー
秋野大地
第1話 十年ぶり
祭りの縁日のように、いくつもの裸電球が島の夜風に踊っている。
道の両端に街灯がなくても、多くの私設電球がぶら下がり、それが電球周辺の様子を浮き上がらせていた。
裸電球の下にはベニヤ板に足を付けただけの粗末なテーブルがあり、その上に乱雑に飲食物が置かれ、そしてそれらを囲む住民たちがいる。そんなテーブルが、沿道にいくつも現れるのだ。人の多さは、まさに縁日並みである。
しかしこれは、祭りでも集会でもない。これが日常の姿である。そしてそれが日常であることを、私は十年前に知った。
裸電球の明かりが届かない場所は、まるでエアポケットのような暗闇になっているが、テーブルがあれば、またすぐに灯された明るい空間となる。走る車の窓を通し、この交互に出現する明暗が、約ニキロに渡り繰り返される。
灯りに照らされた場所は粗末で猥雑でありながら、そこから人の心を揺さぶる活力的波動が伝わってくる。一方、暗い部分の闇の深さは、彼らの貧相な生活ぶりを象徴しているようである。
陰と陽が背中合わせになったその様子に、かつての、つまり十年前の私は随分戸惑った。それはまさに、混沌たる世界であったからだ。
豊かな社会で暮らし続けてきた私には、その様子の形容として、混沌以外の言葉が思い付かなかったのである。それはこちらが怖気づいてしまうほどの異様さを持つ、貧困臭の漂う世界であったのだ。
そこはフィリピンセブ島、マンダウエシティーの一画を占める場所だ。
ハイウェイから少し逸れた片側一車線の小さな道沿いに、ローカル色を存分に発揮するそれがある。
予約したセブシティーのホテルへ向かうには、その道を通った方が、ハイウェイを真っ直ぐ進むよりも早いのだろう。タクシーが迷わずローカル道を通るということは、そのあたりの交通事情がこの十年、何も変わっていないということだ。
十年前、長期滞在後にフィリピンを離れ日本へ帰還した私は、日本の暮らしに疲弊しながら、いつか再びこの地の空気に触れたいと願うようになっていた。そして十年ぶりにその景色を眺め、自分はいよいよ帰ってきたという安堵感を覚えている。まるで生まれ育った故郷に、舞い戻った心地なのだ。
上手く説明のつかないこの感慨を、一度でもフィリピンを訪れた者なら、多少なりとも理解できるのではないだろうか。フィリピンの風土、つまり時間の流れ方や埃っぽい空気や気さくな人間、人々の力強い生き方等々、諸々のものがそこを訪れた人の心の中に何かを植え付けるからだ。
そう、フィリピンという国は、訪れて身を置いた者にしか分からない、不思議な足跡を体の中に残す場所である。
人によっては憤慨という負の感情を抱いて、彼の地を後にする人もいるだろう。混沌とした世界なのだから、何があってもおかしくはない。
しかし多くの人の中には、かなり高い確率で、郷愁を呼び起こす血の通った温かい何かが芽生える。
それがフィリピンという国に対する、私の理解だ。
タクシーの運転手は、黙々と運転していた。行き先がホテルと明確だからだろう。
大抵の運転手は、行き先の定まらない客や簡単に心変わりしそうな客へ、自分のお薦めの場所を進言する。つまり、男性が楽しめる秘境の案内だ。
客が誘いにのりどこかへ押し込めることができれば、ドライバーは案内先から、バックマージンという副収入を得ることができる。
しかし、空港からセブの街中にあるホテルまで移動する客は、寄り道などまずしない。盛り場に繰り出すとすれば、ホテルへチェックインを済ませてからでも遅くはないのだ。朝方までやっている店は、腐るほどある。
加えて私の隣には、若くて美しいフィリピーナが座っている。もはや盛り場へ行く可能性は皆無だ。
自分がもう十年若かったら、そして一人であれば、おそらくタクシーをホテル前に待たせ、チェックイン後、すぐにどこかへ繰り出しただろう。セブの夜の街は、男の冒険心を呼び覚ます材料で溢れている。
しかし、仮にいくら若かったとしても、今回ばかりは遊びを先行させることができない。十年ぶりにその地を訪れたのは、れっきとした理由があったからだ。
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