ブルースカイ
青浦 英
青い空の下で
青空が拡がっている。
白い雲が点々と浮いているのが見える。秋の澄んだ高い空とも、冬の凍てついた蒼い空とも、夏の揺らめいた空とも違う。春霞が消えてやっと青空が拡がった五月晴れだ。
ぽかぽかといい陽気である。
このまま眠りについてしまいそうだ。
「何をぼんやり見上げてんの?」
夢うつつになりかけた時、突然声がした。
目線を声の方に向ける。
逆光に一人の人間が黒く浮かび上がっていた。
ひじを突いて上半身を起こすと、若い娘が立っている。薄青いシャツと薄汚れたジーンズをはいて、デイパックを背負っていた。比較的整った顔で、ぼさぼさの短い髪をしている。自分でハサミを使って適当に切ったという感じだ。
大きく伸びを一つして、
「君は何者?」
娘は答えずしゃがんだ。
「空に何が見えるの?」
「空には雲が見えるよ」
「雲を見上げてるわけ?」
「そうだよ」
また寝転がり空を見上げた。
娘はしゃがんだままこっちを見ていたが、空を見上げた。
白い雲がゆっくり移動している。
沈黙もゆっくりと流れる。
「雲を眺めて楽しい?」
「楽しいね」
「そーお?」
娘は疑わしそうな声をあげた。
「寝転がって見てみ」
「……」
娘は不審そうな表情をしつつも、少し離れて横に寝転がった。
雲が流れている。
娘は雲をしばらく眺めていたが、顔をこっちに向けた。
「あなたはこの町の人?」
「いや、違うよ。君は?」
「私も違うわ」
「ふーん。どこから来たんだ」
「秋田。大館の近く」
「秋田? それはまた遠いところから来たな」
「うん……」
娘は黙った。
太陽が雲に隠れて、少しだけ光量が下がった。白い雲を透けて太陽が動いている。正確には雲が動いているのだ。
「人間にあったのは2ヶ月ぶり」
娘は空を見上げたまま唐突にそう言った。
「そうか、このあたりには誰も住んでいないからな……」
「そうみたいね……」
娘はすこし寂しげにつぶやいた。
「秋田には人はいないのか?」
「いるよ。そこそこだけど……」
「では、なぜ旅を?」
「コミューンにいてもつまんなかったから」
「つまんない?」
「そう。あれをしちゃダメだ、大人の言うことを聞きなさい、畑仕事を手伝いなさい」
ハハハッと笑うと、娘は頬をふくらませた。仕草がまだ子供っぽい。
「なによ。それに、別の世界を見てみたくなったの」
「別の世界?」
「そうよ。世界は広いんだもん。悪い?」
「……いや、それはいいことだ」
「なんかえらそー」
太陽が雲から顔を出し、まぶしい光がそそがれる。頬に太陽の熱を感じる。初夏に近づいているのだ。
広い世界。その言葉に俺の記憶が刺激された。
「あれから6年か……」
「え?」
「あの異星人が来てから6年……」
「ああ、そうか……そーだね」
「君はあの時のことを覚えているかい」
娘は首を横に振った。娘は寝転がったままこっちを見て、目が合う。すぐに目線をそらす。
「よく覚えていない。まだ中学1年だったし、田舎だったから、あんまり関係なかったし」
「ふーん……。てことは、本来なら今頃は女子高生、いや、もう卒業する頃になっているか」
「……じょしこーせー、か。よくわかんないな」
空を見上げる。
「……あなたは6年前は何をしていたの?」
「……」
「……?」
「6年前は、あそこにいたんだ」
「あそこって?」
「あそこさ」
空を指さす。
「どこ?」
「宇宙飛行士だったんだ」
「宇宙飛行士って、宇宙に行く人でしょ」
「そう。その宇宙飛行士」
「あなたが?」
「そうだよ」
「まじで?」
「なんだよ。……ってまあ、そんな風には見えねえか」
娘は起きあがった。こっちをじろじろ見ているのが感じられる。
「あそこに宇宙ステーションがあった。今もあるかもしれないけど、よく判らないな」
「そこにいたの?」
「ああ。そこにいた……」
……
……
漆黒の宇宙。
機械に囲まれた狭い通路。
各国からやって来た世界でも数えるほどしかいないエキスパート達。
実験室の様々な装置とサンプル。
地上の宇宙センターの仲間とのジョークを交えた会話。時たま行われる家族との交信。
忙しくて、充実した日々だった。
23歳の時、大学院で微生物からエネルギーを取り出す研究をしていた俺は、JAXAの宇宙飛行士募集の話を聞いて応募してみた。
宇宙飛行士というと、バイオエネルギーとはだいぶジャンルが異なる。だが、宇宙へ進出する時代になれば、実は非常に密接な関係になることは、十分想像できた。採用した側もそう考えたのだろう。研究ではなく、住む環境としての宇宙。そのためには、食料とエネルギーは欠かせないものであり、俺の研究はうってつけだった。それに、俺自身が、もっと自分の枠を飛び出したい、さらに広い世界へ向かって歩きたい、と思っていた。次世代研究だの宇宙時代の必要性だのといった理屈抜きで、宇宙に行ってみたい。それが動機だった。人間とはそういうものじゃないか。
俺の他に4人採用された。皆若かった。企業であれば、まだまだ平社員、というところだ。それもそのはず。採用されて始めて、日本の国産有人宇宙飛行計画が密かに進行していることを知った。あまり大っぴらにやっちゃうと、マスコミとか色々余計なことを言って台無しにされちゃうかもしれないので、計画の基礎段階では、計画に必要な技術の情報収集、検討などを専門家がこっそりやっていたわけである。
つまり、俺は先々有人飛行を行う際に、その飛行士候補として採用されたのだ。それまでに飛行士としての経験を積んでもらい、ベテランになってもらわなければならないのだ。だから若い人間を採用した。
これは驚きとともに大いなる喜びでもあった。やはりアメリカやロシアの宇宙船に便乗するのは、寂しい物がある。せっかく米ロに引けをとらない立派な国産ロケットがあるのだから、それを生かさなくてどうするのか。
それがそう簡単に行かないのは、有人宇宙飛行というリスクの高さだったろう。失敗すれば確実に人命が失われる。責任も大きい。夢は描けても、プロジェクトとしてそれをやり遂げようという人間は、なかなかいなかった。政治家も官僚も企業も研究者も。なにもかも慎重に進められた。
しかし、俺にとっては危険性など高揚感の前には全く気にならなかった。
最初の1年はつくばの研究センターで基礎的な訓練を受けた。
この筑波時代に、施設に企業から派遣されてきていた女性と親しくなり結婚した。その時は少しだけ躊躇した。忙しい日々の上に、命がけでもある。だから彼女に対して責任を取れるかどうか不安だった。しかし、彼女はそんな自分を受け入れてくれた。センターの人たちも大いに祝ってくれたものだ。
つくば市内に家を借り、そこからセンターへ通う日々が続いた。家族が出来たことで、前以上に責任感が生まれ、意欲的になれた。
1年後、NASAでの様々な、過酷な訓練が始まった。アメリカで施設の近くにアパートを借りた。妻は身重だっただので自分は一人で渡米した。しばらくして無事娘が生まれたという報告を受けた。立ち会えなかったのは残念だったが、赤ん坊を抱えた妻とネットで会話した時、自分は父親になったのか、と不思議な気持ちになった。NASAでも職員や飛行士らがお祝いしてくれた。
ロシア宇宙庁での訓練があり、そのついでに日本に立ち寄って、ようやく娘と直に会うことが出来た。この先、ますます忙しくなるだろう。なかなか会えない状況で、娘は日々成長していく。自分のことをきちんと覚えてくれるのだろうか、という心配も出てきた。
一緒に渡米した飛行士候補の仲間が、それを聞いて笑った。今の時代、ネットでやりとりできるし、政府も家族の渡米と滞在費用くらい出すだろう。娘さんがもう少し大きくなったら、アメリカへ連れて来ればいいさ。彼女の将来にとっては、むしろそのほうがいいかもしれない。
「それにいつかは日本に帰るんだからな。何しろ俺たちは国産有人宇宙飛行の先駆者となるんだから」
「そうだな。その勇姿を娘に見せてやれるしな」
結局、妻の仕事の兼ね合いもあって、自分は単身赴任のまま、ときたま日本に帰る日々が続いた。
念願の宇宙初飛行の日が決まったのは27歳の時だ。NASAと提携しているアメリカの民間ロケットで宇宙ステーションへ向かうことになった。アメリカ・ロシアの飛行士が優先される中で、自分では思ったよりも早く順番が回ってきたと思ったが、日本の有人飛行計画を考えるとのんびりもしていられない。早ければ30代後半、遅くとも40代なかばくらいには、日本のロケットで宇宙に出ることになるわけだから。それまでに宇宙で経験を積む必要があった。詳しいことは聞かなかったが、ある日本が得意とする宇宙開発に必要な技術提供の見返りに優先度をあげてもらえたらしい。
なにもかも新鮮だった。宇宙船も、発射時のGも、漆黒に広がる宇宙も、強烈な太陽光を受けて白く輝く宇宙ステーションを見た時も。
そしてなにより、青く美しく輝く地球を見下ろした時、自分は宇宙に来たんだ、という実感が全身を包み込んだ。
宇宙ステーションでは、専門分野である微生物からエネルギーを取り出す研究を続けた。ただし食料も兼ねる、という点で、前よりも複雑高度になっていたし、大量生産に向けた研究も始まっていた。
その一方で、宇宙飛行士として学ぶこともいっぱいあった。緊急事態に備えた対応、コンピュータや、宇宙船、コントロールアームなどの各種機器の操作方法、人間関係の構築の仕方、もちろん語学は大前提だ。地上の訓練センターの時から、それらをこなしてきた。どれもこれも楽ではなかったが、指導する方もエキスパートを用意するので、学ぶ環境としては最高に贅沢なものだった。これで覚えられないのであれば、もはや人間失格である。
訓練は宇宙ステーションでも続いた。宇宙に出ないとわからないこと、特に無重量状態での小さなトラブルは日常茶飯事、身体の動かし方は、地上の水中訓練施設でコツを学んだとはいえ、かなり思っていたのと違っていたのは確かだ。
俺は最初から長期滞在が前提だったので、帰還は6ヶ月後だった。
その間、本当に充実した日々だった。まだ人生を振り返るような年齢ではなかったが、余計なことを気に病まず、過去を振り返らず、ただひたすらに前に向かって日々業務をこなしていた。
そして……。
そして、あの日が訪れた。
仲間の飛行士から大声で名前を呼ばれ、俺は実験の準備中だったのを止めて、窓際へ寄った。3人の宇宙飛行士が窓を覗きこんでいた。
「どうした、UFOでも見えたのか?」
冗談めかして言った言葉に、窓際で外を見ている飛行士たちは誰も反応しなかった。
「……?」
指差す先を見た。
「な? なんだあれは……」
漆黒の宇宙に光点が次々と現れていく。それがみるみる増える。星ではない。
「UFO……」
その一言に、一人の飛行士が我に返ったように走りだした。交信室に向かう。
ざわめく飛行士達、慌ただしく交わされる地上との交信。
その間も、光点は増え、そして近づいてきた。背景の星々を隠しながら、なにか巨大なものが近づいているのがわかった。
光点は一つが一つの物体ではなかった。
接近してきたのは、宇宙ステーションとは比べ物にならないほど巨大な物体。その表面のあちこちにある光点が見えていたのだ。
SF映画にはいろんな宇宙船が登場するが、地球に近づいてくるそれはむしろシンプルだったかもしれない。黒灰色のあまり凸凹のない半球状をしており、少しだけ表面に幾何学模様があった。球面を前方に向けて飛行しており、大きさは1kmくらいにはなるだろうか。正確なところは計測できなかった。おしり側は漏斗状になっていたが、その先端がロケットのノズルというわけではなく、漏斗状の斜面に青く光る部分が数カ所あって、それが推進力を生んでいるようだった。
飛行士達は、みな無言になった。興奮とか高揚感というのは、意外なほどになかった。むしろ、なにかひどく不安なものが心を侵食していくのを感じた。同僚飛行士らはみなそうだった。それは異星人の地球侵略、というような意味での不安ではなく、このファーストコンタクトが、どういう結果になろうと、自分たちの持つ価値や役割が大きく変質してしまうのではないか、という恐れだった。
巨大な宇宙船が次々と目の前を移動していくの見ながら、ただただ呆然としていた自分。
それは、エリート人生の終わった日でもあった。
異星人の宇宙船は速度を落とすと、次々と向きを変え、漏斗状の底面から何かの光を放ちながら、地球へと降下していった。
巨大とは言っても、地球の大きさに比べれば小さい。多数の宇宙船はやがて青い景色の中に溶け込んで見えなくなった。
飛行士らは地上に呼びかけた。地上は大混乱だった。それはそうだろう。空から突如、巨大な物体が次々と降りてきたのだから。その光景は、宇宙ステーションから見るそれよりもずっと壮大だったに違いない。
地上スタッフは当初、状況を事細かく教えてくれた。
宇宙船は上空千mくらいのところに停止し、それから非常にゆっくりと場所を探すように横へ移動しながら降りてきて、地上にあまり何もない場所を選んで、上空数十mのところで完全に止まった。漏斗状の底面部分からさらに四本の足のようなものが四方に向かって斜めに伸びてきて地上に到達した。しかし中からは誰も出てこず、しばらくは沈黙したままだった。
そして数日後、斜めに伸びた足の先端部分が扉のように左右に開き、まるで誘うように開いたままになった。世界中で同時にそれは起こった。
アメリカでは3箇所に降りた宇宙船に、時を同じくして武装した調査隊が中へ入っていった。入ると階段も何もなく斜めに通路が宇宙船内まで伸びていた。通路は動くようになっていて、そのまま宇宙船内まで運んでいった。まさにエスカレーターだ。
緊張感漂う中、しばらくしてから調査隊の一部が姿を表した。それから次々と人が中に入り始めた。
どうも、なんの抵抗も受けず、なにか指令センターのようなところにまで入ることが出来たという。
その間、異星人は全く姿を表さなかった。
地上のスタッフは興奮した様子だった。より専門的な調査班の編成が始まるというので、自分も応募した、と話するのを聞きながら、その場にいない自分たちの歯がゆさ、寂しさ、世界から取り残されていく孤独感を味わった。
自分たちの予定していた研究やプロジェクトを中止すべきなのか判断がつかないまま、とにかく日々業務をこなした。そうしないと落ち着いていられなかったのだ。
交信していた地上スタッフは調査隊メンバーには選ばれなかったらしいが、中に入ったメンバーは、宇宙船のコンピュータらしきものを操作して色々情報を入手できそうだ、という話になった。
まもなく地上からの交信は途絶えがちになり、やがて音沙汰がなくなった。技術的に交信できなくなったわけじゃなく、呼びかけても誰も出なくなったのだ。
我々の間に新たな不安がよぎった。何かあったのか。
地上からの宇宙船も来なかった。
地上はどうなったのか。誰もが家族のことを思った。
あの圧倒的でおそらくははるかに高度であろう技術力に人類文明は粉砕されたのか。でもそんな様子は聞こえてこなかった。
同僚飛行士の1人が、ロボットアームを使い、天体観測用の望遠鏡を設置しなおして、地上に向けることに成功した。早速観測してみると、黒い球体が世界中のあちこちに降りているのが見えた。人々がその周りに殺到し、早くも町を作り始めている様子もわかった。
また、別の同僚は、ネットを介して情報を集めた。しかし、まもなくこちらはアクセスできなくなってしまった。原因はよくわからない。プログラム解析エラーが出て表示されなくなったのだ。なにかネットワークシステム上の問題じゃないか、と同僚は言った。
その直前まで、世界中大興奮状態で、それこそ地域紛争とかしているような状況じゃなかった。
限られた情報の中で、ある程度様子を探ることが出来た。異星人は地球人を攻撃するようなことはしていないらしい。むしろ望遠鏡で見る限りでは交流しているようだった。
異星人の船は4ヶ月ほど地上付近にいた後、一斉に上昇してきて、目の前を通り過ぎていき、そのままどこへともなく去っていった。
地上に破壊された様子は見当たらない。しかし、相変わらず地上との通信に応答はなかった。
その後の俺たちの状況はめまぐるしく変わった。
数ヶ月して、食糧も尽きた。その連絡にもなんの応答もない。
飛行士達と話し合い、脱出艇に乗って地上へ降りることを決意した。シャトルのオービターに似たエンジンのついていないグライダーだ。
大気圏に突入したときの激しい振動。
滑空中に雲間から見えた地上の風景。
宇宙基地の滑走路。
釘付けになったのは、その広大な敷地の傍らにみえた巨大な物体。見たこともない物体だったが、それが何かは見てすぐにわかった。
建造中の宇宙船である。
着陸し、外板の熱が下がるのを待ってドアを開ける。
地上には出迎えの人々はおらず、ただ、銃を構えた警備兵が3人、車に乗ってやってきた。
銃を突きつけられることはなかったが、警備兵の我々を見る目は、どこか冷めていた。基地の中に連れて行かれ、指令センターの室長と面会した。彼は憔悴しきっていた。我々が次々と質問を浴びせても、彼はなぜか哀しそうな表情で、ほとんど答えなかった。
わかっていた。
世の中がどうなったか。自分たちがどういう存在になったか。認めたくなかっただけだ。
「もう、おわったんだよ。……なにもかもな」
室長はそう言い残して部屋を出て行った。
数日、軟禁状態にあったが、まもなく、見たことのないスーツを着た人物が現れ、警備兵と一緒に外に出され、ドル紙幣の束を渡されてこう言われた。
「君たちの任務は完了した。いままでご苦労だった。君たちは自由だ。どこへでも好きなところへ行くといい」
我々は敷地のゲート外側で振り返った。見慣れたビルや発射塔の並ぶ向こうに、見上げるほど巨大な宇宙船が早くも半分くらい出来ていた。ロボットのようなものが作業にあたっているようだった。
アメリカ出身の飛行士たちは、家族に再会出来たものもいた。故郷へ向けて旅だったものもいた。
俺は日本に帰ろうと思い、大使館に連絡したが、何故か応答がなかった。
社会はおかしなことになっていた。見たことのないものが次々と現れた。ロボットなのか乗り物なのかわからないもの。そんなのがやたらと目に付いた。おかしな格好や異様な体になっているものも見かけた。最初は異星人ブームがまだ尾を引いていて、コスプレでもしているのかと思った。
なぜか交通は至るところで不通になっていた。
相乗りバスのようなものを見つけ、それで首都ワシントンDCまで向かった。首都は混乱の極みにあり、略奪や放火の跡も見られた。日本大使館も閉鎖されたままだった。なにがあったのかはよくわからない。政府機関も多くが閉鎖されているらしい。
その旅の途中で見たのは、崩壊していくアメリカ社会だった。
異星人が攻撃したのではない。そんな痕跡はどこにもなかった。ただ秩序だけが崩壊していた。
何が起こったのかさっぱりわからないまま、俺はむさぼるように情報を求め、そして知った。
異星人はある意味、一つのことしかしなかった。
情報をオープンにしたのだ。
誰にでも別け隔てなく。
情報はいとも簡単に引き出せた。それは人類が未だ手にしていなかった数多くの理論であり、テクノロジーであった。人々は先を争ってその情報を得ようとした。その情報は小難しく記述されているわけではなく、子供でもわかるような平易なものだった。
だからその得た高度な情報で人々はすぐに新たなものを作り始めた。人類との技術の差は圧倒的で、非常に簡単に、人類が今まで苦労してきたものを作れるようになったからだ。
一例をあげて言うなら、アニメに出てくるモビルスーツをレゴブロックを組み立てるようにして作れるようになった、ということだ。子供でもやろうと思えば出来るのだから、ちょっと知識があったらなおさらだ。
機械的な技術だけじゃない。俺の専門分野でもあったバイオテクノロジーも大きく変質した。人間だって合成して簡単に作れるようになったのだ。痛みも何もなく身体の改造が出来るようになった。翼を付けて空を飛べる身体にすることすら出来た。おかしな身体の人間を何人も見たが、早くも自分の身体を改造した連中だったのだ。
あらゆる宝石や金だって訳なく製造できるようになった。まさに未来の錬金術が目の前に現れた感じだった。通貨の価値は意味をなくした。渡されたドル紙幣の束はただの紙屑の束だった。
何でもありの状態になっていた。
欲しいと思ったものは何でも手に入る。異星人がしたのは、それだけだった。
俺は日本に帰る手段を得るために知り合いを回ったが、多くは行方不明になっていた。その途中、同じように日本への帰国手段を探している日本人と出会った。
企業の商社マンだった男で、名を敷田と言った。彼は異星人の巨大宇宙船に入ったことがあると言っていた。
「アメリカ政府は規制しなかったのか? それとも何かツテでも?」
「いや、自由に入れたよ。ていうか、最初は軍が規制していたんだが、誰かが外部から連中のコンピュータにアクセスする方法を見つけてさ、それから情報がどんどん漏れてな。それで今のような有り様になってきて、規制どころじゃなくなった。あるとき、誰に煽られたのか、暴徒が宇宙船に殺到して、軍との間で撃ち合いになってだいぶ死んだらしいんだが、それからまもなく規制しなくなった。それで中に入ってみたんだが」
ごった返す宇宙船の中で、彼が見たのは、大きなコンピュータの端末と膨大なデータバンクだけだった。異星人は結局姿を見せず、人類に対して交渉とかなんとか、一切何もしなかった。
「コンピュータは我々のと少し違っていたが、操作方法はすぐにわかった。表示される文字も最初はよくわからなかったが、数字を表す文字の比較からすぐに解析できるようになった。数学の法則だけは宇宙で共通だからな」
「それで?」
「それだけさ」
「それだけ?」
彼は頷いた。
異星人のコンピュータは、情報がなんのプロテクトもかかっていない状態で表示できたという。コピーし放題の情報。
「俺も最初は興味を持って調べたんだけどね。商売になるかもしれないと思って」
彼は力なく笑った。
「だが、結局やめちまった」
「なぜ?」
「誰もが手に入れちゃうんだったら意味が無い」
俺は自分の持っていた技術と経験が無意味になったことを知った。いやうすうす気づいていたことが、紛れも無い事実になったことを知っただけだった。
宇宙飛行士はなんの役にも立たなくなったのだ。
宇宙にいる間に、地上の連中は一気に追い越していったのだ。
異星人のもたらすものによって。
俺達だけじゃない。
あらゆる技術者が積み上げてきたすべてを失った。苦労して得たスキルはあっという間に過去のものになってしまった。
多くの科学者ははじめ情報に飛びついた。そして今まで知らなかった未知の科学に興奮した。最後に多くの科学者が自殺した。答えを教えてもらっても、なんの知的満足感は得られないからだ。なのになんでもわかってしまったら、もう科学の探求のために生きている意味は無い。
異星人は、姿を見せないまま、提供できるだけ提供した挙げ句、何も言わず飛び立っていった。彼らがなんのために地球に来たのかは、結局、誰にも判らなかった。
それからの人類は、欲望の歯止めを失った。異星人から得られた情報は、瞬く間に拡散され、誰もがそれを手に入れられるようになった。知る権利の平等を叫んで情報をばらまいたものもいた。それがどういう結果になるかも考えずに。
自ら築き上げていくからこそ、文明というのは実質的な意味を持ち、抑えも効くのだ。人間の欲望に果てはないとしても、出来ることと出来ないことがあることを知っているから、人は現状を我慢し、あるいはもっと良いものを作ろうと努力する。
だが、ただ与えられるだけの人間に、抑制もなにもない。努力もなければ、それがどういう事になるかを考えることもしなくなる。
人類は新しい技術で社会を瞬く間に変えていった。欲しいものはなんでも手に入り、なんでも作ることが出来た。何かを創造する人間は技術を駆使して、あらゆるものを作った。だが、それで人と社会を満足させることはなくなり、創造者の価値は失われていった。あるのは欲望だけだ。
身を飾るものも、立派な家も、簡単に手に入る。宝石も建物も簡単に作れるようになったからだ。
しかし簡単に手に入るものの価値はすぐに失われる。他人も同じものを手にするからだ。人はさらに他人が持っていないものを得ようとする。
人の欲望の前には倫理など幻のようなものだ。
人間すら簡単に造成できるのだ。その装置を誰かが組み立てると、色んな意味での「奴隷」が大量に生産された。赤ちゃんではなく、最初から大人になっている人間を生産するのである。
自分や他人の身体を改造するブームが起こった。粘土をくっつけるように、新たな体の一部を付け加えたり出来るのである。病気は簡単に治せるようになったため、医者も医薬品メーカーも必要なくなった。
文明は瞬く間に異様な姿へと変貌していった。
およそ1年後、人類は次々と宇宙へ飛び出していった。あの基地で見た宇宙船もその一つだった。NASAの連中は皆それに没頭していた。俺たちのことなど忘却の彼方において。
宇宙船はかつては考えられなかった速度で移動し、わずか数週間で火星に到達した。人々は火星へ降り立ち、次々と植民地を作った。競争するように別のグループが木星に至り、さらに土星に到達した。わずか十数ヶ月で、火星は第2の地球へと改造されていった。火星の天文学的な歴史などどうでもよかった。調査などろくすっぽ行われず、持っていった環境改造用装置と遺伝子改造した生物によって、赤い台地にはあっという間に異様な植物が生い茂り、大気には酸素と水が増えて、雨が降り注ぎ、海が出来た。どっかの技術者たちが火星の核に異星人のデータから手に入れたという巨大な人工特異体を投入して重力を増やした。高度な機械技術で、入植都市は積み木を積むように簡単に建設されていった。
宇宙への進出が盛んになる一方で、地上では争いが始まった。
歯止めのきかない欲望は満足することなく、人の生み出したもの、人の所有するものさえ欲するようになる。技術を手に入れ損ねたものは奪おうとし、またこれまでの様々な社会的、国際的な矛盾・問題が重なり、ケリを付けるために人々は、手に入れた技術と理論で、新たな武器を作った。誰かが始めれば、他の誰かもまねをした。
戦争はとどまることなく拡大し、異星人来訪から2年半後、世界大戦となった。それはどの国とどの国が、というより、誰と誰が戦っているのかわからないおかしな戦争だった。面白がって人を殺しまくる連中も横行した。アメリカという国は、すでに無数の小政府に分裂しており、それらもお互いに戦いあった。
死んでも無理やり生き返らされて更に戦うはめになる。そんなことまで横行した。兵士のためだけの人間も大量に生産された。死ぬことに意味がなく、消耗品のような人間を生産できるのだから、生命の倫理なども意味が無い。快楽を楽しむかのように大量に人が殺された。
やがて異星人の技術で人間が作り上げた兵器の破壊力、殺傷力は死者を蘇らせ、奴隷兵士を製造するよりも上回るようになった。
さらに敵の技術を失わせるため、コンピュータへの攻撃も盛んに行われた。ネットワークを通じてサイバーアタックを仕掛けるよりも、敵の勢力の上に何メガトンもの威力がある手のひらサイズの爆弾を放り込むほうが手っ取り早い。原水爆のような放射性物質は出ないがエネルギー転換量は比較にならないほど高い反物質爆弾や虚数爆弾などが作られ、人々は安易にそれを使用した。
高度な技術は失われ始め、戦争はまた昔のような人と人が撃ちあい殴りあうようなものに変わっていき、泥沼の状況になった。
9ヶ月ほど経つと戦争は収まってきた。破壊と死が戦争を遂行できなくなり、またなんのために戦っているのか意味をなくしてしまったからだ。世界で十数億人が死に、アメリカの都市の半分は瓦礫の山となった。アメリカは半分で済んだが、南アジアや中東から人間はほとんどいなくなった。砂漠に空いた無数の穴の周囲はガラス状に固化し、かつてオイルマネーで作られた湾岸の巨大な都市群は数ヶ月も燃え続けた。平均気温が少し下がり、その冬には北極海沿岸から人がいなくなった。
戦争は月や火星の植民地にまで影響したらしい。せっかく作られた都市も、テラフォーミングシステムも、めちゃくちゃになった。彼らとの交流は途絶えたが、全滅したのか、技術が失われただけなのかは定かではない。
その1年後には、恒星間への旅が始まった。
誰が言い出したか、太陽系の外にユートピアがあるという。
異星人の技術で先行した人類が理想郷を作っているという。異星人の作った不老不死の楽園があるという噂も飛び交った。
地球は限界だ。火星も地球の代わりとなるには小さすぎるし、戦争で荒廃したままだろう。いっそ太陽系を出ようじゃないか。
お調子者らがそれに乗せられ、行き詰まった社会と、死の拡がる社会から逃げ出すために、さらに大きな宇宙船を作った。呆れるほど巨大な宇宙船だった。こんなものが飛び立つのか、というほどの大きさがあり、その先端は雲をはるかに突き抜けていた。
困難にあった人々はそれを知ると、先を争って宇宙船に乗り込んだ。
ほぼ同時期に世界中で百隻を超える様々な宇宙船が作られ、次々と飛び立っていった。数隻は発射に失敗して墜落し、十数隻は宇宙船に乗れなかった人々の憎悪を買って撃墜され、数百万人の人命と、墜落地点一帯を無残な廃墟に変えたが、多くはそのまま飛び去っていった。
彼らがその後どうなったかなど、残ったものには判らない。
宇宙人来訪から4年で人口は5分の1ほどになり、争いは減った。改造された月や火星、金星がどうなったかもわからない。誰か生き残って、技術も残っていたら、またやり直しているところだろう。
あれだけ盛んだった流通と貿易は消滅し、人々は閉じこもるように小さなコミューンを作って、分かれて暮らすようになった。この間、何度も変な病気が流行り、そのたびに遺伝子改造技術によって生み出されたんだと人々はささやき合った。それで異星人のもたらした科学に対する嫌悪感が広がり、原始共産主義とか、科学文明を否定する宗教とかが流行って、それがまた多くの人を死に追いやった。
俺は、日本に帰るため、北米大陸を点々としながら移動して、西海岸にたどり着いた。その間に少しずつ仲間が増えていった。やがて日本に帰ろうとしている100人ほどの集団になった。コミューンのアメリカ人と摩擦が起こるようになり、中には故郷への夢を断念して残るものも現れ、我々は必死に日本へ行く方法を探した。
そして、使われなくなった空港で燃料の残っていた旅客機を手に入れた。パイロットだったという男を手伝い、自ら副操縦席に座り、飛行機は飛び立った。
十時間の旅のあと、奇跡的にも日本にたどり着いた。日本列島は分厚い雲に覆われていた。富士山だけが頭を出していて、みなそれを見て泣いた。
レーダーも管制システムもみな使えず、上空で探し回った挙げ句に、雲の隙間から都市の中に滑走路があるのを見つけた。あとで知ったが、東京郊外にある横田基地だった。土砂降りの中、有視界飛行で着陸しようとしたところ、右の翼が滑走路横でひっくり返っていた輸送機の残骸に衝突して、爆発炎上した。機体が途中で折れ、前半部は滑っていき格納庫のような所にすっぽりはまって止まった。後ろ半分はバラバラになり、乗っていた人々を炎の中にまき散らして壊れた。
助かったのは自分を含めて20人だけだった。一緒に旅をした商社マン敷田も死んだ。生き延びた20人のうち3人は重傷で、大した治療も出来ずまもなく死んだ。
これほどの大事故を起こしたにもかかわらず、消防車も救急車も、住民も誰も現れなかった。
周辺には誰も住んでいなかった。周辺だけじゃない。東京には人がいないようだった。
細かく見て回ったわけじゃなかったが、東京の景色は中途半端な状態で変貌していた。ところどころに争ったような破壊痕があり、一方で建設途中で放棄されたらしい異様なデザインの超高層ビルやなんの構造物からわからない巨大な建物がいくつも見えた。
俺達は、人の姿が見えないことに、なにか得体のしれない恐怖を感じた。ここに足を踏み入れると死んでしまう何かがあるのではないかとさえ思った。
だから東京にはある程度まで近づくとそれ以上は入ろうとしなかった。
アメリカでの争いを見てきただけに、絶望的な雰囲気が漂った。日本社会はどうなったのだろう。
やむなく残った17人と地方をあちこちを回った。高速道路を歩いたり、捨てられていた車で動かせそうなものを手直しして乗ったり。
やがて少しずつ人と出会うようになった。いるところには結構いることもわかった。
色んな話を聞いて、何が起こったのか、徐々にわかってきた。
日本は技術の好きな国だ。
そして、流行の好きな国だ。
多くの日本人が宇宙へ旅立っていったらしい。
その思い切り良さについていけなかった、より小さな欲望だけを抱えた人々があとに残り、そして争いが起こったという。多くは食料を巡る争いだった。しかしそれだけではなかった、とあるコミューンで出会った老人が言った。日本にも着陸した宇宙船から手に入れた技術を巡って争ったという。日本の美徳だった協調性とか、手を取り合っていく助け合いの精神は、簡単に叶えられる欲望の前にはあっけないものだった。
争いはやがて自然に静まっていった。まとめ上げるほどの人材もなく、人々は、各地に散って、細々とした暮らしを続けるようになった。
17人はいろんな町や村に行った。みんなの家族を捜しまわったのだ。
1人2人と、メンバーの数は減った。病気や怪我で死んだものもいれば、偶然にも家族と再会したもの、新たに居場所や配偶者を見つけて立ち寄った村に残ったものもいた。
俺の家族は失われていた。
最初に行ったつくばの家は無事だったが、誰もいなかった。家の中を調べた結果、妻の実家のある新潟へ行くというメモが見つかった。連絡の取れなくなった俺が帰ってきた時のために残したらしい。
それで俺は10人の仲間と新潟へ向かった。
なにがあったのか、故郷の町は灰燼に帰し、雑草に覆われていた。
焼け落ちた家で、残骸の下に、成人と幼い子供の抱き合うようにして倒れている骨を見つけた。俺が妻にプレゼントした指輪が遺骨に残っていたため、それが妻と娘だとわかった。俺は一晩中泣いた。みな、無言で慰めてくれた。骨を砕いて粉にして小さなお守りに入れ、残りはそこに埋めた。その少し前に木になっているのを見つけた桃の種をそこに埋めたので、もしかしたら芽が出て、今ころは若木くらいにはなっているかもしれない。
俺は故郷を去った。
それからは、ただ仲間の旅に付き合った。家族と再会したものを笑顔で送り出し、残ったものとは廃墟から拾ってきた酒を酌み交わした。
4人になったところで、話し合い、別れ別れになった。みな、俺と同じような境遇の男達ばかりだった。これまで、旅をした仲間が減るたびに、その孤独感に耐えながらあとに残った。それももう、ここまでだ。いっそのこと、ここで解散し、それぞれ自分の存在できる場所を探そうじゃないか。それでもし、居場所が見つけられなかったら、またここに来ればいい。
とある町の街道が交差する場所で、俺たちは別れ、それぞれの道へと歩き出した。
彼らがどこに行ったか、あれからどういう運命と巡り会ったか、俺は知らない。
それから約1年。
俺はこの街にたどり着いた。
誰もいない地方の小さな町に。
「めまぐるしい6年だったな」
娘は黙っていたが、ふと聞いてきた。
「宇宙飛行士さんは、」
「うん?」
「宇宙人に会った?」
「あの時来た異星人のことか?」
そう、と娘は言った。
「君は?」
「ないよ。秋田の片田舎には宇宙人は来ないもん」
「それを言うなら、みんなそうさ。会ったことあるやつなんていないだろう」
「そうなの?」
「あいつらの正体を知っている奴なんて、たぶんほとんどいない。あいつらが来た目的もね」
「でも、色々教えてくれたんでしょ?」
「タダでね。でも、教えてくれた、というようなものじゃないな。あけっぴろげに情報をさらけ出しただけさ」
「学校の先生みたいに教えてくれたわけじゃないんだ」
「そんな親切な知的生命体がそうそういると思うか? いくらこの宇宙が広いとは言ってもさ」
「えー、いるんじゃないの?」
と言ってから、娘は押し黙った。
「まあ、でもいないか」
「結果これだからな。人類はみんなどーかなって、いなくなっちまった」
「宇宙へ行っちゃった人がたくさんいたんでしょ。地球を捨てて」
「ああ。不思議なもんさ。俺は宇宙飛行士だった。なった頃は、もっと遠い宇宙へ行ってみたいと思ったけど、なんだろうな。あの宇宙船がやってきてからは、むしろ地球に愛着が出てきた」
「でも、多くの人は地球を飛び立っていったね」
「そう。夢やあこがれか、理想郷でも探そうと思ったのか、どっかの惑星で一旗揚げようと思ったのか、地球が嫌になったのか」
「どうして嫌になるの?」
「戦争で家族や国を失ったのかもしれないし、古くからの人間同士のしがらみに嫌気が差したのかもしれないな」
「しがらみ?」
「どこに行っても人間は人間さ。でも誰しも日常から飛び出したい、と思うことはある。生まれた場所で続く伝統とか、身の回りの人間関係から逃げ出したいと」
娘の顔を見て、
「君が秋田のコミューンを飛び出したようにね」
「私はもっと真面目だよ。世界を見てみたかったのっ」
と口を尖らせた。
「ははは、そっか。そうだな」
空を見上げ、
「俺もな、そうだった。時には孤独になってでも、人は未知の世界に行ってみたくなる。それも人間の性質だろうが……」
「そうだよ。宇宙人が宇宙に行く方法を教えてくれたんで、みんな新しい世界を見たくなって飛び出して行っちゃったんだよ。嫌なものから逃げ出したんじゃなくて」
俺は黙った。
「……どうしたの?」
「俺はね、実は宇宙人の正体を知っているんだ」
「ほんと? ……あれ、でもさっき、会ってないって」
「面と向かって会っていないだけさ。宇宙船がいた時、俺は宇宙ステーションの中にいたからな。……実を言うと、あいつらを一匹連れている」
「うそっ、どこ、どこに?」
「これだよ」
と、スマホを取り出した。
「それが……?」
「こん中にいる」
「ええ~っ、なにそれ」
「正確に言うとな、宇宙人っていうのは、プログラムなんだ」
「プログラム……?」
「そう。宇宙船の中に入ったことがある敷田って奴が、調べたらしい。あいつらのコンピュータをね。そしてその中に見つけたんだよ。あるプログラムが隠れていることを。……コンピュータのプログラムはわかるか?」
「コンピュータを動かす、なんか記号とか数字とかのごちゃごちゃとしたあれでしょ」
「そう。あれ。よく知ってるな」
「コミューンでそれやってる人いたもん。ちょっと変な人だったけど、親切で色々勉強とか教えてくれたよ。でもなんの役にも立たないことしている、ってみんなからバカにされていた」
「だろうな。……そのごちゃごちゃしたのがプログラムだ」
「それが……宇宙人?」
俺は頷いた。
敷田が教えてくれた時の光景が思い出される。あの男は、あの男なりにこの崩壊していく文明を見て、なにか理由付けが欲しかったらしい。宇宙人の悪辣な陰謀と言った理由が。それで正体を突き止めようと躍起になったらしい。
だが、俺と出会った時、あの男はすでに調査をやめていた。やめた理由を聞くと、あいつは哀しそうに笑って、説明を始めたんだ……。
「つまりな、あの沢山飛来してきた宇宙船を動かしていたのは、そのプログラム。それはまあ、恒星間宇宙船を一々手動で操縦するようなことはないだろうけどね。でも、あの中にはどこかの星の生命体が乗っていたわけではない、らしい。一度も姿を見せなかったし、誰も会っていない。地球人に対して情報を提供したのも、奴らのコンピュータだった。それにいくらか証拠も手に入れたんで、まあ、間違いはないだろう」
「どういうこと? 宇宙人が……、ええと、自分たちの星から宇宙船を……自動操縦で発射して地球に送ってきたってこと? 誰も乗らずに?」
俺は娘の顔を見た。
「ふーん、なかなかあたまいいな、見た目の割には」
「どーゆー意味よっ」
「冗談だ。最初はそうだったかもしれない」
「最初?」
「ああ、君の言うように、どこかの惑星に住む宇宙人が、宇宙船を発進させるときに、自動操縦のプログラムを仕込んだ、かもしれない。目的から何から全て含まれたプログラムをね」
「それで……、宇宙人を乗せないまま来ちゃったってこと?」
「だけど、俺はちょっと違うことを考えている。ていうか、それを調べた敷田って男の説の受け売りなんだが」
「うん?」
「プログラム自体が、もはや生物になってるんじゃないかって思うのさ」
「えーと……、どういうこと?」
「生物の存在する一番の目的ってなんだと思う」
「目的?……ていうか、何の話かわかんないんですけど」
「いいから、考えてみ? 生物はなんのために生きている?」
「生きる目的? ……ごはん?」
「はははっ、良い答えだ。でも、それは二番目かな」
「じゃあ一番目は?」
「子孫を残すことだよ」
娘の顔を見る。娘は最初、なんのことやら、という顔をしていたが、急に顔を赤くした。
「やらしっ、何考えてんのよ」
ちょっと身を引いた。一応はそういうとこらへんもわかっているお歳頃である。
「おいおい、誤解すんなよ。今のところ、君にはまだそこまで興味が湧いていないぜ」
「……聞きようによってはすっごく失礼な気がしますけど」
その言い回しはおかしかったが、
「話を戻すけどな。あの宇宙船を動かしていたプログラム、それ自体が生命だってこと」
「そこがよくわかんないんだけど」
「コンピュータの中でしか生きていけない、身体とかを持っていない生命というべきかな。宇宙船がボディ、とも言えなくもないが……、つまりこういうことさ。プログラム型生命体は、子孫を増やしたい。そして色んな所へと広がっていきたい。俺たち人間も、動物もそうだろう。より広い世界へ。君がさっき言っていたようにね」
「……それで?」
「コンピュータの中では増殖できるかもしれないが、コンピュータが壊れたらおしまいだろう。だから別のコンピュータの中に子孫を増やしたい。でもそのプログラムは、自分で別のコンピュータへ移動する方法がない。そこで彼らは宇宙を移動しながら、自分たちをコピーして、別のコンピュータの中へ拡散させてくれる生命体を探している。それも同じ宇宙船の別のコンピュータとかじゃなく、別の宇宙船、別の星、別の文明、そういったところのコンピュータにね。そのほうが滅びる可能性を減らすことが出来る」
娘は眉根をひそめて考えている。
「つまり、それが私達だったってこと?」
「そういうこと。知っててわざわざ地球を目指したのか、偶然通りがかったところに人類文明があったんで降りてきたのか、そこらへんはわからない。でもそういう目的ならば、文明のある星を探すだろうね。電波を拾うとかして」
「でもさ、プログラムってコンピュータを動かす、あれでしょ?」
「生き物らしくないか?」
「うん、まあ……よくわかんないけど……」
「人間だってプログラムとあまり変わらない。身体を作っている遺伝子は4つのコードの組み合わせから成り立っているし、そうして出来た脳は、脳細胞とシナプスの複雑なネットワークで知能を生み出す。その膨大なつながり方を図式化できたらプログラムコードに置き換えることも出来るだろう」
「いまいちわかんない」
「わかんなくてもいいさ。ただ生命とプログラムの違いはさほど無いってこと」
「ふーん。それで、そのプログラム……宇宙人が地球に来て……?」
「人類に自分たちを大量にコピーさせた」
「どうやって? みんなそのプログラムをコピーしたの?」
「したとは誰も思ってないところがみそなんだよ。つまり、奴らの提供した技術の中に奴ら自身のプログラムが紛れ込んでいたわけさ。たとえばなんでも作れる万能機械の設計プログラムの中に仕込んであったり、ってことさ」
「その機械を動かしたいなと思ってコピーすると、宇宙人プログラムも一緒にコピーされちゃうような?」
「そういうこと。さらに彼らは、人類の欲や好奇心旺盛なところをうまく刺激して、人類に宇宙へ飛び立たせるように仕向けた」
「そんな人を操るようなことをしたの? プログラムが?」
「した、というより、結果そうなった。おそらく、あらゆる情報を提供することで、その中のどれかの情報、技術に人間がひっかかるようにしたわけさ。プログラムはおそらく地球だけを目指していたのではないのだと思う。たぶん宇宙にはたくさんの知的生命体がいるんだろう。性格や文明の質も異なるに違いない。それらの文明を利用したい。でも個々の文明に合わせて情報を用意するのは非効率だし応用が効かない。だから、いろんな情報を携えておいて、その中に自分たちのデータも仕込んでおく。知的生命体を見つけると無制限に情報を開示する。そうすれば、そのどれかに興味を持ってコピーする。そのプログラム生命体もコピーされる。恒星間を航行する方法も合わせて開示すれば、それを使って宇宙に出ていくかもしれない」
「じゃあ、宇宙に行っちゃった人たちは、そのプログラム宇宙人の運び屋さんをさせられているって言うことなの?」
「ははは、まあ、そういうことになるな」
「それ、大丈夫なの?」
「大丈夫?」
「運び屋さんとしての役に立たなくなったら殺されちゃったりするんじゃ……」
なるほど……、鋭いことをいう娘だ。
地球にやってきたあの宇宙船も、元々は、どこかの異星人が乗っていたのかもしれない。それがもう運び屋として役に立たない、あるいはプログラムの存在に気づいたために、全員殺されて、分解されたか宇宙にでも放り出されてしまったのかも。
ふと思った。
これまであいつらのことを生命体としてのプログラム、特殊な異星人という見方をしていたが、これは、もっと単純なもの、すなわちウイルスじゃないか。
まさにコンピュータウイルスだ。
ただし、我々がそう呼ぶものとは意味が違う。
コンピュータを乗っ取ったり壊したりするウイルスじゃなく、コンピュータの中に潜んで「文明」を利用するウイルスなのだ。
スマホを見る。通信は出来なくなって久しいが、使えるアプリもまだ残っている。太陽光バッテリーもまだ使えるのでずっと持ち歩いているのだが……。
「さっき、その中にいるって言ってたけど……」
「そう。ただし、プログラムのファイルがそのまま入っているわけじゃないんだ。さっき言った敷田ってやつが、プログラムの解析をしたソースデータが入っている。このままでは何の役にも立たない。このスマホすら乗っ取ることは出来ないそうだ」
でも、このプログラム生命体にとっては、俺もまた運び屋なんだろうな。今のところ、プログラムの期待に添える働きをしていない運び屋だ。
自然界のウイルスが、細胞の中に遺伝子を注入し、増殖させる前の段階にあるわけだ。そして地球という細胞は、いや、人類文明という細胞は、これを増殖させてしまった。欲望に乗せられて。
増殖したウイルスは細胞の殻を破って外に出て、次の細胞まで何かしらに便乗して移動する。
人類がそうと知らずに増殖したプログラムも宇宙船に乗って地球という殻を破って外に飛び出し、別の星に向かって移動していく。そしてそこでまた増えて……。
そこには善悪など無いのだろう。
ただ壮大な自然現象が通り過ぎていったにすぎないのだ。インフルエンザやコロナが流行るように。人類もまた自然の一部でしか無い。
地震とか火山とか洪水とかに生き物たちが巻き込まれる。生き物たちは自分の身に何が起こったかわからない。それと同じように、人類も何かわからないまま、こんな結果になってしまったのだ。
「自然かー……」
娘は空を見上げたまま、つぶやいた。妙に実感のこもった口調だった。雲が流れていくのを見ている。
この娘にも、いろいろあったのかもしれない。家族とかどうしたのだろう。秋田を離れて一人旅をしているってことはもういないのだろうか。旅の途中にもいろいろあっただろう。悲しい思いとかしていなければよいのだが。
いつの間にかこの娘に対する興味が湧いてくるのを感じた。死んだ自分の娘も生きていたら、やがてこんなふうに成長したのだろうか。
それとも一人の女として関心が出てきたということか?
そんなことが頭に浮かんだ自分に戸惑いを感じた。
俺の心の動揺を知ってか知らずか、娘はぽつんと、つぶやいた。
「これからどうするの?」
「……そうだな、どうするかな」
娘は体を起こした。目を細めて風景を眺める。
目の前には町並みが拡がっていた。
緑が所々に点在する。手入れをしなくなった町に、緑が拡がっていく。人がいなければ、やがてそのまま朽ちていき、自然に還っていくだろう。
娘はしばらく町を見ていた。
ふいに、
「いいところね、ここ」
「うん?」
体を起こす。
何故か人っ子一人残っていなかったが、争いに巻き込まれずに済んだので、スーパーには缶詰なども残っていた。それでここに1週間ほど滞在していたが、はじめて、町の風景を真剣に眺めた。
人のいない町。
家々とビルと木々と空を舞う鳥。
「たしかに、いい町だな」
すると娘は言った。
「ねえ、ここに町を作らない?」
「町は目の前にあるぞ」
「今までの町じゃなくて、私達の町」
「私達?」
「うん」
「ふたりでか?」
そう言うと、娘はちょっと照れた顔になり、
「うーん、最初は?」
「最初は?」
「やがてみんな来るようになるよ」
娘はこっちを見た。
「来るようになる?」
「うんっ。だっておもしろいじゃない」
楽しそうに、身を乗り出して言った。
おもしろい……。なるほど、おもしろいかもしれない。
「そうだな。イチから始めるのも悪くはないか……」
「でしょ。はじまりの時だよ」
はじまりの、時……。
娘は笑う。
はじまりの時か……。
「顔に似合わずいい事言うじゃないか」
「それ、褒めてんの?」
「褒めてる褒めてる」
「ほんとかしら」
俺はそっとお守りを触った。ここが、俺にとっての約束の地なのだろうか。この娘が、俺にとっての運命を導く女神なのだろうか。
俺は彼女の顔を見た。17、8の若々しい顔。
「お前、名前は?」
「ゆき。桝川ゆき」
「ゆき、か……」
俺は立ち上がった。
「いい名前じゃないか」
「ありがと」
俺は手をさしだした。
「よろしくな」
「うん!」
彼女は俺の手を握って立ち上がった。俺は歩き出した。彼女が後ろからついてきて言った。
「ねえ、宇宙飛行士さんの名前はなんて言うの?」
俺は振り返った。
「俺か? そうだな、俺の名は……なにがいいかな」
「もう、からかわないでよ」
俺は笑った。なぜか、生まれて初めて笑ったような気がした。
青い空の下、俺は笑いながら、丘を降りていった。
ブルースカイ 青浦 英 @aoura
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