5の十七 黒竜の儀

ジョシュアの決めた黒竜の儀決行の日。

黒竜の加護が切れかけているせいだろうか。

ここ一週間、グレイトブリテン王国には、一度も日が差していない。


ライラ、ジョシュア、パーシヴァル、シャロン、ミシェーラそしてデニスを含めた護衛騎士の集団は、王宮内の一角に止められたセンターオブジプレートの前に立っていた。

出立に際し、見送りはいなかった。

儀式は秘密裏に行われる必要があった。


ジョシュアに決行の日を知らされたとき、側近に囲まれ、玉座に座った国王が発した言葉は一言だけ。


「ーーーこの国の未来を頼んだ。」


ーーー国王も自ら動きたかっただろう。

しかし、黒竜の儀で不測の事態が発生した際には、まともに黒魔法を使えるのが国王一人になる。

徐々に加護が失われていくとはいえ、急にグレイトブリテン王国がなくなるわけではない。

国王は、今こそ国の要として王宮に残る必要があった。


出発の前日。

王宮の深部にある一室で、ジョシュアと国王は向かい合って食事をとった。

使用人たちが静かに給仕をする中でーーーずっと黙っていた国王がポツリと言った。

「子供たちに、すがるしかない自分が本当に情けない。」


ーーーそうつぶやいた国王。

正面に腰掛けたジョシュアは涼しい顔で応えた。


「わたしが失敗したら、誰にもできなかったということです。ーーー『この千年で一番黒に愛されている』と言われてきた息子に全てお任せください。そのために、今日まで生きてきましたから。」


成人を迎えたばかりのジョシュアだが、その姿は既に貫禄さえ感じさせる。

国の命運をかけた儀式を前にしても堂々とした息子の姿に、国王は笑いながら頷いた。

自信過剰とも言われそうな態度だがーーージョシュアがやれば、様になる。


彼の二十年間の生き様が、

彼の黒魔法の実力が、

そして誰よりも国民全てを愛する王子の姿に、国王はふっと肩の荷が降りたかのように感じた。


「ーーーわたしは何もお前にしてやれなかったが、お前は本当に立派になった。…ジョシュア、頼んだぞ。」


ーーーだから心配しなくていいと、何度も申し上げているでしょう?


どこまでも変わらぬ態度のジョシュアに、ついに国王は声を上げて笑った。

その笑い声で離れた場所にいた側近たちが集まってきたとか。


「父として、ジョシュアを次期王にできることが、わたしの一番の誇りだよ。」


そう言った国王に、ジョシュアは不思議そうな顔をしていたが、国王は優しげな顔でそんな息子を見守っていた。



ジョシュアが操るプレートは、魔力消費も惜しまずに高い高度を突き進んだ。

ライラたちの目下に広がる景色はぐんぐんと移り変わっていく。

森に入ってすぐに黒竜の渓谷の森へと転移した。


ジョシュアは呼吸するかのように自然に黒魔法を使う。


ジョシュアが腕の一振りで転移を成功させたとき、同乗した騎士たちからはどよめきが上がった。

対照的に黒竜の儀のメンバーは誰も驚いていなかった。


ーーーパーシヴァルは内心舌打ちをしていたのだが。

自分が音楽の力やレイモンドの協力を得て、ようやく開くことができる黒の渓谷への道をジョシュアは少し腕を振っただけで開いてしまう。


ーーーこいつにだけは、一生叶う気がしねえ。


ライラの横に腰掛けて何か話しているジョシュアをパーシヴァルが睨みつける。

デニスはそんなパーシヴァルを見て、「嫉妬ですか?」などと余計なことを口にしたために殴られていた。


「痛え!ーーーそれにしても、パーシヴァル様、レイモンドさんは連れてこなくてよかったんですか?若手優先って聞きましたし、俺が入れたんだから多分無理すれば来れましたよね?」


不思議そうな顔のデニスにーーーパーシヴァルは顔をしかめたままいった。


「危ないってわかってるところにあいつを連れてくるわけねえだろ。」


ジョシュアを睨みつけながらそんなことを言うパーシヴァルはあまりにも普段どおりでーーーデニスは、緊張している自分がバカらしくなった。


「どいつもこいつも…。はあ、俺もそんなふうに言ってみたかったです。」


寂しそうに笑ったデニスをーーーパーシヴァルが一瞥した。

パーシヴァルは知っている。

デニスが何を頼まれたのかを。


パーシヴァルは急に立ち上がり、デニスを驚かせた。

そして、ツカツカと歩み寄っていきーーー綺麗に固められていた、デニスのオールバックの髪をぐしゃぐしゃにした。


乱暴な手つきに、文句を言うデニス。

しかし、その目は笑っていた。


「なんだかんだ言ってエゲート様って優しいですよね。」


パーシヴァルは「人は選ぶけどな」と言ってふんと鼻で笑った。

そして元に位置に戻るとーーー急に真顔になってデニスを見つめた。


なかなか近くで見ることのなかった、作り物めいたパーシヴァルの美貌に、デニスは思わず息をのむ。


「ジョシュアを信じろ。あいつはポンコツだけど黒の魔法の力に関しては本物だ。儀式を成功させるしーーージョシュアなら奇跡も起こせると俺は信じてる。…言葉には力がある、発言には気を付けろ。『言ってみたかった』なんて弱気になるな。『これから言うんです』だろ?」


デニスはぽかんと口を開けた。

だって。パーシヴァルはまるでーーー


「ーーーエゲート様は、ライラは死なないと思ってるんですか?」


耐え切れるはずがない量の魔力の器にされるのに?ーーーそう続きそうなデニスの問いにも、パーシヴァルは「ああ。」と応える。


「ジョシュアならなんとかする。そう思ったからフェルもジョシュアにライラを預けたんだろうーーー未来の王を一番近くにいる俺らが信じなくてそうするんだ。…言っただろ、言葉には気を付けろ。魔法使いの言葉は力を持つんだ。『儀式は成功するし、誰一人だって死なない。』わかったか?」


デニスは黙って頷いた。

そして、真顔で言った。


「ーーーパーシヴァル様が国王になっても、俺ついていきます。」


デニスの突然の言葉に、パーシヴァルはパチリと瞬きした。

そしてーーー非常に嫌そうな顔になった。


「俺はそんな器じゃねえよ。自分の周りの人間以外どうでもいいし、ジョシュアみたいに国全体を守るなんていう気概もねえ。大体さ、国王ってめちゃくちゃ損な役回りじゃねえ?」


あまりにぶっちゃけたパーシヴァルの発言に、デニスはギョッとしてジョシュアの方を振り向いたがーーー気にしてないとでも言う風に手を振られた。

ちなみにジョシュアの目線はライラの方に固定されているしライラは全く状況に気が付かずに、何事かを喋っている。


ーーー全部、聞こえてるのかよ。


はあ、とため息をついたデニスには構わず、パーシヴァルは話し続ける。


「国民の生活を背負うことを強制されて、それなのに肝心の国民の方はそれが当たり前だと思ってる。万が一国王が誰かを特別扱いしようものならーーー俺の母親みたいに、めちゃくちゃ恨みをぶつけてくるやつがうじゃうじゃ出てくる。…どんなブラック企業より酷えな。辞めることも許されねえし。」


俺、ジョシュアじゃなくてよかった、と真顔で言い切ったパーシヴァルをデニスが半目でみている。

パーシヴァルは確実にジョシュアに話がつつ抜けなのをわかっている。


デニスの方を見て、パーシヴァルがニヤリと笑ったところでーーーライラを抱え上げた状態で、ジョシュアがやってきた。

ライラは眠ってしまったようだ。

ライラはいよいよ体力が落ちてきたのか、最近は昼間でも突然ストンと意識を落とすことがある。


それを知っているデニスは、ジョシュアの行動の理由が大方予想はついたのだがーーーそんな光景は見たくないと言わんばかりに顔を背けた。


何?と不機嫌そうな顔でジョシュアを見上げたパーシヴァル。

そんなパーシヴァルの真横に腰を下ろしたジョシュア。

デニスに呼びかけてライラを預けた後ーーーくるりとパーシヴァルに向き直った。

そして、いきなりパーシヴァルの頭を撫で始めた。


は!?と固まったパーシヴァルだが、すぐにペシっと手を払い除けて、ささっと後ずさっていた。

横で二人のじゃれあいを見ていたデニスには、パーシヴァルが猫のように見えた。


威嚇するように睨みつけるパーシヴァルをーーージョシュアは無表情のまま見ている。


「わたしは自分のことを不幸だと思ったことはない。国を守ると胸を張れる才能をくれた黒竜さまには感謝しているし、自分の力を国を守るために使いたい。ーーーこれがわたしの生き方だ。そのために、もう周りの誰も死なせない。信頼してくれてありがとう。」


いきなり改まってどうしたんだよ、としかめっつらをするパーシヴァル。

ジョシュアはさらりと言った。


「魔法使いの言葉には力があると言っていただろう?ーーーその通りだ。千年前の秀策様の言葉が我々にやるべきことを教えてくれたようにーーーわたしも誓おう。まずは君たちに、信頼に値する王であると認められるために。」


ジョシュアの言葉に合わせたかのようにプレートは止まった。

センターオブジアース特有の咆哮プレート音が鳴り響く中、無言で降りた一団。


この後の儀式の流れを正確に理解しているのは王族であるジョシュアとパーシヴァルのみ。

パーシヴァルから指示にあわせ、浮かび上がっている魔法陣の各点にジョシュア、パーシヴァル、シャロン、ミシェーラが並ぶ。

ライラはジョシュアに抱えられたままで魔法陣の中央へと運ばれた。


黒竜の力で満たされているのか、空中だと言うのにライラの体は魔法陣の上でふわっと浮き上がったままだった。

ジョシュアはライラが落ちないことを確認した後で自分の立ち位置へと向かう。


デニスは魔法陣にできるだけ近づいた。

騎士の静止も振り切ってギリギリまで接近する。

ライラの魔力の動きを少しでも近くで見たかったのだろう。


全員が位置についたのを確認した後でーーーパーシヴァルが口を開きかけ…ジョシュアがそれを制止した。


不思議そうな顔になったパーシヴァルにジョシュアが言う。


「ーーー黒竜さまのお力が流れてきているのを感じる。手伝ってくださると…この魔法陣は補助もしてくれそうだ。…今なら識別できる気がするので、この魔法陣の上で役割者としての力を使ってみてくれないか?」


何がうまくできるのかーーー聞き返すまでもないだろう。

パーシヴァルは驚いたように目を見開き…ニヤリと笑った。


「ーーーやっぱお前はそうじゃなくっちゃ。ジョシュアに魔法関係でできないって言われると気味が悪かったんだよ。…じゃあ、まずは俺が行くな。」


パーシヴァルは宣言した後で集中するように目を閉じた。

そしてジョシュアに、谷底にいる黒龍に聞かせるようによく通る大きな声で宣言した。


「ーーーわたし、パーシヴァル=エゲートは契約の魔術師としてグレイトブリテンと黒竜さまのために一生を捧げるとする。」


パーシヴァルは言葉の通り、全身全霊をかけて契約魔法を使っていた。

ジュエリーネームを持つ黒の王族の本気の魔法。


パーシヴァルの身体から虹色の魔力が霧のように揺らめきだった。

瞳を閉じて、祈るように両手を合わせたパーシヴァル。

赤、青、黄色、紫ーーー各属性の魔力はパーシヴァルの周りを渦巻き、そして漆黒へと近づいていく。


皆が息を忘れたようにパーシヴァルとその魔法に見入っていた。

黒の魔力はまるで波のように揺れていた。


魔力の放出が止むと、今度はパーシヴァルが契約魔法の呪文を唱える。

パーシヴァルは魔力の渦の中心で歌っていた。そして、音楽に合わせて黒魔力が揺れていた。パーシヴァルと黒魔力は確かに共鳴していた。


ーーーどうして今、ビデオカメラがないんだろう。


ライラは後悔した。

この瞬間を切り取っておきたかった。

それでも一瞬でも見逃すまいとパーシヴァルの魔法を見つめ続けた。

彼にとって人生最大の魔法に音色を添えるあたりが、音楽を愛する彼らしいとライラは思った。


パーシヴァルの言葉は、一言一句が契約となるのだろう。

彼の歌は空中に刻まれた。


「ーーーこの国の未来のために、お力をお貸しください。」


パーシヴァルの呪文が終わった。

魔力の渦が一際強く輝きーーー契約の対象者であるパーシヴァル自身へと吸い込まれていった。


パーシヴァルの肌に一瞬文字が浮かび上がった。

瞬きする間に光は消えた。

パーシヴァルが再び目を開けたとき…ジョシュアが満足そうに頷くのが見えた。


「…ありがとうパーシヴァル。ーーー◾️◾️◾️。」


ファン、と楽器を鳴らしたような音がしてジョシュアの手から黒い魔力が流れ出た。


黒の魔力はキラキラと光りながらパーシヴァルへと向かった。

パーシヴァルの顔が緊張でこわばる。


黒い光はパーシヴァルを取り巻くとーーーキラキラと光った。


「◾️◾️◾️?」


ファーン、ポロンポロリン。


「◾️◾️◾️◾️。」


ポロポロポロ?


ーーージョシュアと黒魔力はまるで会話でもしているようだ。

魔力が振動してなっていると言われる音は、思わず聞き入ってしまうほど耳に優しく…バイオリンとピアノを混ぜたような優しい音だった。

やがて音が増え、曲のように流れ始めたジョシュアの黒魔法。


黒魔力に取り込まれそうになっているパーシヴァルの表情が、少しずつ緩んでいく。


「◾️◾️。ーーー黒竜さま、お返しします。」


ジョシュアが最後に指揮するかのように両手をふると、パーシヴァルを取り巻いていた黒魔法が霧散しーーー代わりに金色の光がふっと浮かび上がった。


金色の光は眩く発光しながら風に乗って流れーーー魔法陣の中央に寝かされているライラに向かって吸い込まれていった。


ジョシュアがここでようやく目を開けた。

フーッと息をつき…不安に満ちた顔でパーシヴァルを見た。

パーシヴァルは目を閉じてジョシュアの音楽に聞き入っていたが…やがて目を開けた。

二人の眼差しが合わさりーーーパーシヴァルがジョシュアに向けて魔力で文字を書いてみせる。


ーーーSUC.


ジョシュアがホッとしたように肩の力を抜いた。

SUCとはーーー成功の意味。


パーシヴァルが笑顔でジョシュアに呼びかける。


「契約の魔術師の魔力なんて黒魔法に混ざってぜってえわかんないと思ったのに本当にやっちゃうなんて…やっぱお前は最強の魔法使いだよ。」


手を握ったり閉じたりするパーシヴァルに…ミシェーラが恐る恐ると言った調子で声をかけた。


「パーシヴァルさま、お身体にお変わりはありませんか?」


パーシヴァルはニヤリと笑って頷いた。


その反応を見てーーー騎士たちがワッと湧き上がった。

当然だ。

パーシヴァルはこの国でジョシュアに続く黒魔法の使い手だ。

パーシヴァルがいるのといないのとではグレイトブリテンの魔法使いたちの安心感が違うのだ。


歓声を聞きーーージョシュアは祈るように天を仰いだ。

「わたしだけでは無理だった。黒竜さま…感謝いたします。」


そんなジョシュアの様子を横目で見ていたシャロンが…「あと二人分もちゃっちゃとやるわよ」ジョシュアをせかす。


「ーーーどんどん行こうか。」


ジョシュアが呟く。先ほどまでの不安気な様子は無くなっていた。

いつの間にかジョシュアを取り巻くようにうっすらと黒の魔素が煌めいている。


二番手のシャロンは黒竜に治癒魔法をかけた。

お返しのように皆が立つ足元の魔法陣が一際強く輝く。

黒竜が見守っているとわかった一向はますます湧き立った。

無事にシャロンの光がライラへと回収されたところで…興奮している周囲の反応を他所にデニスは自分の手足がどんどん冷たくなっていくのを感じていた。


ーーーライラの身体が、どんどん黒い魔力で侵食されていってる。


フェルの残した竜証があった手の甲から、だんだん鱗のようなものが広がっているのだ。

シャロンの魔力が帰ったとき、その鱗はすでに顔まで達していた。


魔力が溜めきれなくなって膨らみ始めるとか、逆にライラの魔力反応が急激に弱まっていくだとかーーーそういう反応を予想していたデニスは混乱していた。


増えていく鱗をハラハラと見守っていると…ふと名前が呼ばれた。

デニスを呼んだのはいつの間にかミシェーラの魔力までも返し終わったジョシュアだった。

デニスはノロノロと顔を上げジョシュアと視線を合わせた。


文字通り世界で一人しか使えない黒魔法を成功させた後でも、全く誇る様子はない。

うっすらと輝く魔法陣の上でジョシュアは凪いだ表情だった。

デニスはなぜか「ああ大丈夫だ」と思った。

この人に任せておけば全てうまくいく、そう信じられる姿だった。


全く動揺のないジョシュアを見てデニスは思わず言った。


「ーーージョシュアさまはライラがああなることを予想していたんですか?」


今は全身が鱗に覆われ…なぜかくるりと体を丸めているライラ。


デニスの問いかけにジョシュアは答えなかった。

しかし、ふっと緩んだ表情がデニスの問いを肯定していた。


そのまま跳躍してライラの元へと向かうジョシュア。

デニス同様、儀式の展開を固唾を飲んで見守る周囲の反応も意に介さず。

優しい手つきでライラの背中の鱗を撫でた。


魔力渦巻く魔法陣の中心でーーージョシュアが口を開いた。


「やっと出会えた…わたしの黒竜。」


ジョシュアに呼応するかのように、魔力の爆発が起こった。

目を開けていられないほどの光が谷底から発せられた。


皆が思わず目を覆った。

魔力は暴力的な質量なのにーーー包み込むような優しい光だった。


魔力の奔流が落ち着き、目を開けられた時。

飛び込んできた光景に、一同は息を飲む。


ライラは浮かんでいた。

いや、もうライラと呼んでいいのかわからない。

儀式の最後に起こった魔力の爆発の後で、ライラは竜へと姿を変えていた。


建国神話の記述と同じく全身を覆う黒の鱗は太陽光を反射するとうっすらと青みがかっている。

長い尾は美しくも力強い流線形を描き、背中に生えた翼は鮮やかな紫色。

大きく開けられた口からはずらりと並んだ鋭い牙がのぞいており暴力的だが…その姿は頼りなく小さい。


三メータほどしかないのは彼女が未だに成体ではないからだろう。

しばらく魔法陣の中でライラは羽を動かしていた。

飛ぶことに慣れていないのかその羽ばたきはどこかぎこちない。

それでも楽しくてしかたなさそうな様子で身を踊らせた後ーーージョシュアに巻き付くようにして留まった。


「飛ぶのはあまり得意じゃない」拗ねたように言う。

うへへへへという聞き覚えのある奇妙な笑い声を上げながらジョシュアに巻き付いた黒竜。

「いつわかったの?」「確信したのは君の姿を見てからだがーーー疑いだしたのはフェルが消えたときだ。…真名を明かしてくれただろう。答えじゃないか。」「ジョシュアは種明かしの時にいなかったのに…よくあんな言葉遊びわかったね?」


まるで知り合いであったかのように会話する黒竜とジョシュアを見て、皆が悟った。

黒竜の儀は成功したのだと。

自分たちの国は守られたのだと。


「シャーマナイト殿下…万歳!」

「黒竜さま、万歳!」


震えた声で誰かが呟いたのを皮切りに、騎士たちがお互いの肩を抱いて泣き始めた。

魔法陣から出られるようになったミシェーラもシャロンに抱きついて泣いている。

皆が喜びに沸く中でーーーパーシヴァルだけは呆れたように腕を組んでいた。


「ーーー本当に加護を受けられるのか聞いたときに珍しく『好かれてるから絶対大丈夫』とか言うから何事かと思ったけど…なるほど。あいつには好かれてるわな。」


もう一人跪いていなかった人物がいる。

デニスだ。

「は?え?へ?」という意味のない音を発し続けている。


デニスはジョシュアに巻き付いたままの黒竜が魔法陣から出てきたところで駆け寄って行った。

そして、目を合わせて聞く。


「ーーーあなたは…ライラですか?」


デニスにとっては非常に大切な問いだった。

ライラは死んだのか。

それともライラは黒竜だったのか。


黒竜はするりとジョシュアから離れーーー再びパッと光を放った。

デニスがあまりの眩しさに思わず顔を背け…そこに立っていた子供を見てあんぐり口を開ける。

子供は子供でも肌は真っ白、髪は漆黒。背中には翼の生えた子供だ。


「そうか、黒竜は人化の術が使えるのだな。」


感心したようにジョシュアが呟く中で…慌てたように駆け寄ってきたパーシヴァル。

急いで脱いだのだろうか。自分のシャツをすっぽりと覆いかぶせていた。

黒竜が裸だったからだ。


デニスが唖然とする中でーーー黒竜はこてんと首を傾げた。


「わたしはライラであってライラでないよ。ーーーライラとしての人間の記憶の中に、黒竜として必要な記憶を引き継いだからね。分量としては黒竜要素の方が多い…でも、ライラは死んだわけじゃない。デニスに魔石をあげると言った約束もきちんと覚えている。」


ふんふんと頷いた子供の姿を見てーーーその仕草に確かにライラの面影が残っているのを見て、安心したのだろう。

デニスはボロボロと涙を零し始めた。


「よ、よかった…ライラが死なないで本当によかった。」


しゃがみこんでしまったデニスの頭を子供の姿になったライラが撫でている。

そんな光景を見ながらーーーパーシヴァルは疲れたような顔でジョシュアに歩み寄った。


「ーーー見当ついてたなら俺にくらい教えろよ。」


拗ねたようなパーシヴァルの頭を撫でながらジョシュアは不思議そうに「かくれんぼは鬼の勝ちと送っただろう?」と首を傾げた。

しばらく記憶を探るように眉を寄せていたパーシヴァルだが…どうやら思い出したらしい。

あんなので気付けるか、とパーシヴァルが肩を落とす。

しかし、珍しくパーシヴァルの非難めいた視線にジョシュアがやり返した。


「…お前も疑っていたのにわたしに話さなかっただろう?一度間違えれば即終了のかくれんぼだ、変な先入観を与えないようにしようとお互い慎重になるに決まっている。」


ジョシュアとパーシヴァルが言っているのはーーー二人だけが共有していた情報…などと言うには大袈裟な些細な記憶。


夢の中で本因坊秀策と黒竜は二人でよくかくれんぼをしていた。

もっとも、黒竜は大きすぎて隠れられないのでいつも秀策が隠れていたのだが。


黒竜はいつも秀策に「私も鬼じゃなくて隠れる方がやってみたい」と零していた。

その夢はかなり頻度が高いものだったためーーージョシュアとパーシヴァルの間で「おそらく次代は人間の中に隠れて見つけられるのを待っている」という結論になった。

魔法陣の中央における人間は一人なので、誰を選ぶのかは慎重にならなければいけなかった。

だからこそ、二人に確信をくれたフェルと赤竜にジョシュアとパーシヴァルは感謝していた。


とはいえ、ジョシュアは確信があったわけではないのだ。

フェルの竜証を取り込めたライラなら器としての才能はあるだろうと思った。

ライラ自身が「次代」でなかったらどうなっていたか。


ーーー人間のライラは消えていた。千年前、秀策の器を借りた黒竜の中に秀策は生きていなかったように。


ジョシュアにとっても、ライラが黒竜の次代なのかは賭けだったのだ。

誰も見ていない中、ジョシュアは自分の弟とライラを視界に入れ、ひっそり息を吐いた。


ーーー黒竜さまの魔法が成功して、パーシヴァルが損なわれなくて本当に良かった。ライラの記憶が残っているのも本当によかった。弱った黒竜さまが魔力の加減を間違えればライラが耐えきれない可能性もあった。


黙り込んでいるジョシュアの横では。

ツンツンと遠慮もなくライラの頬を突くパーシヴァルの元へーーーシャロン、ミシェーラの二人が恐る恐ると言った様子で近寄ってきた。


ミシェーラなど、本当にライラなのか何度もデニスに確認していた。

彼女は他人の魔力を読むのがそれほど得意でないのだ。

すっかり見た目の変貌を遂げたライラに戸惑いを隠せずにいるようだ。


何度もうなずくデニスを見たミシェーラはようやく納得したらしい。

驚いたように、こぼした。


「竜人なんてーーーお伽話の存在だと思ってたわ。」


ミシェーラのつぶやきは全員が感じたことだったのだろう。

デニスやシャロンからも、同意の声とーーー感嘆のため息が漏れた。


「まさかライラに見惚れる日が来るなんてーーーシャーマナイト様とは反対の、どこまでもそばに行きたくなるような黒の魔力だわ。」


そんな声が聞こえたのだろう。

興味津々と言った様子のパーシヴァルを優しい目で見つめていたジョシュアがーーーサッと自分のマントでライラを包み込んだ。


急に目の前からライラが消えたパーシヴァルは、驚いたようにジョシュアを見上げーーーやがて、呆れたように言った。


「ーーーやっと自覚したってわけか。」


ジョシュアはパーシヴァルに視線を戻しーーーボソリと言った。


「パーシヴァル、今日だけは王太子の役目、休んでもいいと思うか?」


そう言ったジョシュアが真顔だったものでーーーパーシヴァルはぶっと吹き出した。


「お、お前の口からそんな言葉を聞く日が来るとは。…いーよ。こいつらは俺が安全に王宮に返しとくから、ライラの具合を見たいんだろ?」


「明日までお前は休みって言っといてやるから、早く行け。」そう言いながら、パーシヴァルは追い払うように手をふった。


ジョシュアはそんなパーシヴァルに向け、感謝する、とだけ告げるとーーーフッと四人の前から立ち消えた。


ーーーリン。


鈴のような音がなる。ここ数ヶ月で耳慣れた音だ。


「黒竜さまから空間魔法を引き継いだのか。ーーーますます化け物じみたな。」


憎まれ口を叩きながらもーーーパーシヴァルはジョシュアの魔力の残渣をみながら、優しげな顔で、微笑んでいた。

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