運命の道

青浦 英

前話

 薄暗い船室に男はもう7時間近く閉じこめられていた。

 時折響く足音と、床を伝ってどこからともなく聞こえてくる機関の音だけが、七時間の旅のお供だった。

 男はその間まったく無言で、ぼんやりと正面の壁を見ていた。ねずみ色の壁の端に小さな落書きがあった。金属の壁を釘か何かで削ったものであった。

「愛する者のため、この道を選ぶ」

 そう記されていた。

 記したものの名前はなかったが、Y・Tとイニシャルらしきものがわずかに見える。

 誰が記したのだろう。

 男はぼんやりと思った。

 前にこの部屋で運ばれた誰かの記したものだろうか。

 端に記されているのは、目立たないようにしたものか。これが気づかれて削り落とされてしまうのを恐れたのか。

 それでも何かを残そうと思い、ここにこの短い文章を刻んだのだ。

「愛する者のため……か」

 自分には愛するものなどいない。

 いないにもかかわらず、自分もこの道を進んでいる。

 他に選択肢がなかったからだ。

 だから、何者かが刻み残したこの落書きには何も共感は持てないはずだった。

 なのに。

 なんだろうか。

 誰かがここにしゃがんで刻みこむ様子が、まるで実際に見たかのように脳裏に浮かんだ。

 彼の愛するものとは誰だろう。

 妻子だろうか……。

「……?」

 男は顔を上げた。

 速度が変化している。

 船内では見た目での方向や上下感覚はあるが、重力が弱い分、わずかに重力のかかる方向で動いていることがわかる。

 この七時間、いい加減耳になじんだ機関音とは異なる音が、船室に重く響いた。

 男は顔を窓の方に向けた。小さな窓の三分の一ほどに白と黒の物体が映っていた。白は太陽光の直射している場所であり、黒は影になっているところだ。

 宇宙は場所にもよるが、恒星光による明暗のメリハリがはっきりしている。

 男は顔を窓のそばに近づけた。反射光に目を細めた。

 ようするにこの窓の外に見える物体は宇宙船である。それも相当な大きさの宇宙船だった。

 男は宇宙船の種類などわからないので、それがどういうものかは理解できなかった。

 宇宙船はのしかかるように大きくなっていき、やがて窓の外の視界を塞いだ。

 再度重々しい音が響いた後、船は停止した。まもなくして複数の足音が船室の外に聞こえ、何かを命じている声が続けて響いた。ガチャン、ガチャン、と次々と何かが開けられる音がして、男が、ドアの方を振り向くと、取っ手ががちゃがちゃと音を立てて、扉が開いた。

 3人の兵士が銃を構えて入ってきた。男に銃を突きつける。

「出ろ、到着だ」

 男が素直に従って出ようとすると、兵士のひとりがずかずかと近づいてきて、銃把で彼を殴った。男が床に倒れる。

「さっさとしろ! もたもたするな!」

 男は、別の兵士に腕を捕まれると無理やり立たされ、廊下へ乱暴に引っぱり出された。同じように何人もの同じ囚人服を着せられた人が兵士に連れだされている。

「さあ着いたぞ、ここがおまえの人生の終着点だ」

 兵士の一人が耳元でささやいた。

 しかし男は無表情のままだったので、兵士は気分を害し、銃把で肩の辺りをこづいた。

「ふん、虐殺を命じた奴だ。人間の感情など持ち合わせちゃいねえか」

 兵士がそうつぶやくのが聞こえた。



 男の名はエリック・フレイト・サワダ。二十九歳。アメリカ自由帝国皇帝首席参事官の地位にあるエリートだ。

 いや、エリートだった、と言うべきか。

 銀河の人類入植地を巻き込んで九年続いた戦争は、地球宗主国同盟の無惨な敗北に終わり、いまや、地球全土は恒星間入植国家やかつての同盟植民地諸国が結成した銀河新民連合の支配下に置かれている。

 地球そのものは戦火に巻き込まれずに済んだ。太陽系最終防衛圏に連合軍が達する前に、地球の各宗主国は降服したからだ。星系単位の連合諸国と違い、同盟諸国は、もともと地球上の主要各国を本体としているため、恒星間植民地を失うと、急速に衰え、抵抗する軍事力を失った。また、今次大戦が招来する地球の地位喪失という可能性を恐れた同盟内部の国家間終戦工作組織が動いたこともある。

 一方、連合国の多くは直接戦火に巻き込まれ、膨大な戦死者を出した。政権が事実上崩壊した国家も多数に上る。

 さらに、連合国でも地球からより遠くにある辺境の複数の国家は、今次大戦の戦災を直接受けず、物資の補給源となったことから、急速に大国化しつつあった。

 そのため、早くも連合国内で格差やそれにともなう微妙な対立関係が生じていた。ポスト地球時代の覇権を巡る戦いはすでに始まっているのだ。

 連合の地球進駐軍は、降伏した同盟各国政府に対し、戦争犯罪人を逮捕し身柄を引き渡すよう命じた。国際法廷にかけ、処罰するためである。同盟の戦争責任を追求し、戦争犯罪を裁くことで、地球の権威を失墜させ、早くも分裂気味の連合国同士の関係をとりあえず鎮め、地球に代わる新たな体制を確立しなければならなかった。

 もちろん、戦火を生き延びて憎悪に取り付かれている市民の怒りが連合各国政権に向かないようにする思惑もある。

 地球人の犯罪者を法廷の場に引き出すことは喫緊の課題だった。

 エリックは、その戦争犯罪人の一人として、逮捕・連行されたのだ。

 戦時中、アメリカ自由帝国が占領した、サジタリウス銀河腕の連合国家シェアレの首都惑星ビルダレントで、市民に対する虐殺事件が起きた。占領統治に対する抗議デモに対して、海兵隊の武装ユニット大隊が無差別に攻撃したのだ。さらに、テロ首謀者が逃げ込んだという理由で、軌道上の巡洋艦が住宅都市に向けて砲撃を行い、最終的に二百万もの市民が犠牲になったという。

 この事件を引き起こしたのは、現場の司令官ではなく、皇帝が「統治のために不穏市民を殺害して威圧を加えるべきだ」との進言を受けて命じたとされ、その虐殺を進言した官僚こそが、皇帝首席参事官という地位にあったエリック・フレイト・サワダだというのである。

 彼はいま、戦犯容疑者輸送船で連合国イリス共和国宇宙軍の宇宙空母シヒュカンに移送されてきたのだ。

 周囲に駆逐艦や輸送艦を多数従え、地球と月のラグランジュ点に駐留する巨大な歴戦の空母は、臨時の拘置所、臨時の国際法廷、臨時の刑場になっていた。戦勝国の祭りの場に選ばれた栄えある軍艦である。

 もともと宇宙空母は多数の戦闘機を搭載し、その保守・運用の目的のために、内部の容積が広く、戦艦などに比べはるかに大きい。さらに乗員だけでなく、多数の航空要員の寝起きする部屋が設置されているため、裁判関係者の宿泊所が用意できた。

 それが、選ばれた理由であり、またイリス共和国軍が壊滅し、ほとんど唯一生き延びて各戦線を転戦してきた艦であることも理由であった。象徴的だからだ。

 その三千m近い巨大な艦の中央付近に位置する格納庫には、航空装備の一部をはずされ裁判のための様々な準備が整えられていた。大法廷や審議室、裁判官、検察官、弁護士らの部屋、マスコミ用の会見場と記者らの宿泊所、情報センター、放送機材などもひととおり用意され、その保管場所も定められた。その他にも裁判を傍聴しようとする戦勝国の高官らの部屋も用意されていた。

 そんな中で、エリックら戦犯容疑者は、それぞれに小さな部屋を与えられたが、それはもとの航空兵器倉庫の端の方を金属壁で仕切った臨時牢獄であった。部屋の中にはベッドと仕切りの付いたトイレと簡易水道、小さな机と椅子、電気スタンドが置いてあるだけだった。

 エリックはここに収容されてから三日間、食事だけが出されて、他には何もなかった。取り調べもなければ、弁護士の謁見もなかった。

 牢獄の各部屋は隣り合ったり、通路を挟んで向かい合ったりしていて、お互いの声が十分届く範囲にあった。ぽつぽつと、戦犯容疑者らは会話を交わすようになった。

「衛兵は見回りに来ないようだな」

「脱走するとは思ってないからだろう。実際、宇宙船の中じゃ、脱走のしようがないからね」

「いざとなったらまとめて処分できるからじゃないか?」

「なるほど。このコンテナみたいな牢獄ごと、宇宙へ放り出したら、コストも掛からずに済む」

「というか、自殺するとは考えてないのだろうか」

「この部屋で、自殺するのはちょっと難しいな」

「してもらっては困るだろう。連中は、我々を裁いて刑に処すことに意味があるんだからな」

「自殺なんてする気もないがね」

 そういう会話がエリックの耳にも聞こえてきた。

 エリックは、会話に入る気はなかった。ただなんとなく、一人でいたい気分だった。

 窓から青い光が入ってくる。船室がちょうど窓の位置にあり、地球の方を向いていたため、遠くに浮かぶ地球の光が入ってくるのだ。廊下の生物灯の明かりよりも、地球光の方が強く感じられた。

「こうしてみると、地球ってのは美しい惑星だな……」

 エリックは生まれてこの方、宇宙に出たことが一度もなかった。

 もちろん映像では地球も、他の惑星もたくさん見てきているが、実際に漆黒の宇宙に浮かぶ青い惑星を見ると、驚くほどに美しい。

 惑星っていうのは、ほんと、球体なんだ。手を伸ばせば掴めそうな、青い球体が浮かんでいる。

 ちょっと不思議な感じもした。

 窓の外を眺めながら、エリックは自分の身分を思い出して苦笑を漏らした。

「皇帝首席参事官か」

 皇帝枢密顧問官、首席補佐官に次ぐ地位だ。文官としては上から3番目に位置する。軍事政権で宰相は軍人だったため、文官にはほとんど価値はなかったが、かつての自分なら到底就くことの無かったはずの地位である。

 開戦四年目に政府情報部に雇われ、終戦の二年前まで戦時経済分析官だった。主席班長を経て、第三課課長となり、終戦の前年に皇帝府情報担当連絡課長。終戦の年の一月に参事官補、一ヶ月前に参事官となったが、逮捕されたときには、なぜか首席参事官となっていた。三十人もいるただの参事官と首席参事官ではえらい違いだ。それに実際、軍部の皇帝への影響力を考慮して、首席補佐官は置かれたものの、首席参事官も次席参事官も空席だったはずである。

 十一月七日に、アメリカ自由帝国以外の各国が降伏を表明し、政府内に動揺が走った。降伏間近との噂が流れる中で、連合側への生け贄を探す動きがあったのも記憶にある。ただ、自分はあまり気にしていなかった。文民の役人は政権が変わろうと関係ないのだ。

 しかし十八日にクーデターが発生したとき、自分は逮捕された。

 理由も何もわからないまま投獄され、そのうちに皇帝首席参事官という地位にいたことになり、さらに虐殺を皇帝に進言し、それを軍に指示した首謀者となっていたのである。

 いざ、そういう状況に置かれてしまえば、非常に判りやすいことだ。自分はスケープゴートにされたのだ。クーデターを起こしたのは和平恭順派だそうだが、彼らは、和平恭順のために中間的な地位にいた連中を犠牲にすることを決めたのだ。おそらくは裏で軍の上層部とつながっていたと思われる。軍部が納得しなければ終戦はできないからだ。

 そう判ったところで、いまさらどうにもならない。

 不思議と腹も立たなかった。

 ただ、自分の人生が、いかにもへたくそだったな、と、苦笑してしまう。

 考えてみれば、ジュニアスクールの頃から、どうも思った通りに行かない人生を送っていたような気がする。同級生のイタズラがいつの間にか自分のしたことになって先生の大目玉を食らったり、初恋の女の子に告白しようとして、友人連中にばれ、大騒ぎになって結局ふられたり……。

 急に奇妙なくすぐったさを感じた。

 ふられると言えば、ハイスクールの頃から八年つき合った彼女に言われた。

「あなたみたいな要領の悪い人とはこれ以上つきあえないわ」

 政府に雇われる少し前のことだ。

 結構長く付き合ったが、彼女は最後に愛想を尽かした。

 彼女に責任はない。情報部に入る直前まで、自分はどん底だった。まともな職につけず、軍傘下の輸送会社でアルバイトなどをして食いつないでいたからだ。将来を真剣に考えずにいたということと、自分の好きな分野で仕事が出来ればな、などという夢の様なことばかり考えていたことが祟ったのである。

 一人の女性として人生を真剣に考えた時、彼女としては別れることしか選択肢がなかったのだろう。振り返ってみれば、彼女から何度も将来のことを尋ねられていた。それに曖昧な返事ばかりしていたのだ。

 腹が立つより情けなくて何も言えなかった。

 いまでも彼女には怒りも恨みもない。

 むしろ心配だった。

 彼女は今頃どうしているだろう。

 地球は戦火にこそ巻き込まれなかったが、自給率の低さも災いして大変なことになっている。クーデター勢力に捕まった後も、拘置所内で進駐軍の兵士らによる暴行事件の話なんかをちらほら聞いた。

 無事でいると良いのだが。

 随分前に自分をふった女性のことを心配するなど、おかしな話だ。

 彼女にふられ、それが自分の責任だという自覚も生まれ、しばらくの消沈のあとに、なんとか前向きになって、幾つかの企業や政府機関に履歴を送ったりしたものだ。

 彼女に見直してもらいたい、という気持ちがあったのは言うまでもない。

 そんな自分が政府に雇われたのは、大学時代に専攻した情報学の履歴が目に止まったからだろうが、それ以上に宇宙の広大な占領地に多くの専門家が出てしまい、人材が払底していた、という事情もあったろう。そうでなければ、ろくな経験もない自分が雇われることはなかったに違いない。

 その一方で、情報を分析するという得意分野にいきあたったことも事実だ。相応に出世したのは、それなりに仕事ができたからだと、自負している。自分が担当したのは主に戦時経済情報だったが、主任として分析班を編成するまでになった。

 充実感のある日々だった。

 それなりの地位に付き、やっと自分の生き方が判ってきて、将来のことを考えるようになった時、彼女に連絡を取ろうかと真剣に悩んだ。今更ながらに、彼女のことを愛していたんだ、と気づいたからだ。

 迷いもあった。彼女はもう結婚しているんじゃないか、と。

 しかし、その時はすでに何もかもが手遅れだったのだ。

 そして逮捕され、いまや後世にまで悪名を残そうかという罪人になっている。

 情報を分析する立場にありながら、自分の周りで起こっていることに全く気づいていなかったのだ。皮肉にもなりやしない。

 公安関係者が執務室に現れ、令状を見せられ、手錠をかけられたとき、自分の中ですべての可能性にシャッターが下ろされたような感覚がした。

 自己弁護をしようという気力はわかなかった。

 ひどい冤罪ではあるが、何か見苦しく思えたのだ。必死に自分の無罪を訴えることが。

 ほんと生き方下手だよな。

 苦笑が浮かんだ。

 家族がいないというのが、せめてもの幸いだったのかもしれない。両親はすでに死亡しており、兄弟姉妹もいない。子供は言うまでもない。

 不本意な悪名ではあるが、それも自分の代で終わる。



「おとなりさん、聞こえてるかね」

「えっ」

 エリックは振り返った。入り口の鉄格子の入った窓付近には誰もいない。少し躊躇してから入り口の方へと歩く。ほんの数歩の距離だ。

 向かい側の牢獄の人物がこっちを見ているようだ。

 と、隣から声が聞こえた。

「おとなりさんは、何をしでかしたのかね」

「わたし、ですか?」

「ああ、きみだ。さっきから黙っているが、君はなんの罪でここに来たのかな」

「あなたは……?」

「ああ、すまん。私から言おう。私はな、CEU宇宙海軍のファルケン少将だ。今はここでのんびりしとるが、これでも司令官でね。ただしこの年じゃから、と言うてもわからんだろうが、前線には行かず、太陽系内の警備艦隊を担当していた。ところが、終戦を迎えて、やれやれ生き延びたと思っていた矢先に、怖い顔をした連中がやってきて、なんでも行ったこともない宙域で難民輸送船団を攻撃し、数万人の民間人を死亡させたとかで逮捕された。それでここに放り込まれてしもうたわけじゃ」

 はっはっは、と笑い声が聞こえる。声からすると年配の人物のようだった。

「で、君はなにをしでかしたのかな」

「私は……、惑星ビルダレントの虐殺を指揮した人物だそうです」

 一瞬、それぞれの牢獄にいる気配が息を呑んだようだった。

「ほう……、これはこれは、大物さんがいらっしゃるとは思わなかったな。で、」

「え?」

「おまえさんも、あれか。捕まってから事件を知った口かな?」

「まあ……、そんなところです」

「そうか。ビルダレント虐殺は、聞いた話じゃアメリカ帝国のやった事だそうじゃが……、するとおまえさんは、アメリカ帝国の軍人か?」

「いえ、官僚です。……私が、虐殺を皇帝陛下に進言したとかで……」

「ほう。声は若く聞こえるが、いくつかね」

「二十九です。もうすぐ三十」

「ふーん。二十九歳で、文官で、虐殺の首謀者って所か……。どうやら、地球人の権力者どもはどこもかしこも根底から腐敗しておったようじゃな。これじゃあ負けるのも当然だろうて」

 再度笑い声が聞こえる。

「しかし二百万人もの民間人を殺害した首謀者が二十九歳の若造だと、ここの連中は本気で信じておるのか?」

 向かいから中年の声が聞こえてきた。

「実数はそんなには多くないですよ」

 今度は、エリックの斜め向かいから聞こえた。若い声だ。

「私もアメリカ帝国臣民です。植民総省で植民地調整主監をしていました。ビルダレントの占領行政には本国で法整備で関わったことがあります。……虐殺事件があったのは、残念ですが事実です。しかし、あの状況では、それほど多くの人間が殺されたとは思えません。支配のために人口調査もしてるんですよ。その記録と照らし合わせてみれば明らかに変です。人数は誇張だと思います……」

「誇張だろうがなんだろうが、勝った方の説が通る。それが戦争というものじゃよ。連中が二百万と言ったら二百万さ。来年には四百万になっておるかもしれんがな」

「それに我々が許されることなどありはしないのですからな。同じ事です」

 向かいの中年の男性が言った。

「さよう。戦争は、勝たなければ意味がない。それはまあ、根本的には戦争なぞしない方がよいのじゃがな、すると決めたからには勝たなくてはな。負けたものは何をされても文句の言える立場にはないのだからな。これは生物全般に言える、いわば自然界の法則じゃ。人間の行動の中で、人間が自然の生物であることを示す数少ないものじゃよ。それ以外では、そう……、セックスくらいかの」

 はっはっは、と笑う。と、若い声が再度聞こえてきた。

「しかしですよ。我々にいくらかの罪があるとはいえ、もっと直接的に罪を犯したものがいるはずです。中には戦死したものもいるでしょう。でも、ここにいるものは皆、スケープゴートじゃないですか。試みに聞きますけど、あなた」

 とエリックに声をかける。

「名前はなんて言うんですか」

「……エリック・フレイト・サワダです」

「やはり。申し訳ないですが、あなたのことは存じません。ビルダレント占領軍司令官は、第二十八軍のバービエント大佐。占領行政のトップはグラムソン領事だったはず」

「あなたは、ビルダレントの虐殺でここに?」

「いえ。私は、当時の四つの植民地での市民への残虐行為を知りながら止めようとせず、むしろ推奨した、という理由で収監されました。ただビルダレントは含まれていませんが……」

「止めなかった、というだけで収監ですか」

「当時はもちろん知りませんよ。ビルダレントの件も後から知ったんです。極秘情報でしたけど。もっとも……」

 と、声を落とし、

「軍の蛮行を知っていた所で止めようがなかったですが」

「まあ……軍事政権でしたから」

「そういったところは一切考慮されていないですよ。むちゃくちゃじゃないですか。本当に事件を起こした連中は野放しにして、なぜ我々が」

「そういうものだ。考えてもみたまえ、さっきからの会話で、ここにおる者、多かれ少なかれ、スケープゴートであることが判る。それがなぜひとまとめになっておるのか不思議とはおもわんか?」

「ど、どういう意味ですか」

「取引じゃよ」

「取引?」

「連合軍は、地球から得られるものを得るために、特に恭順を示した者を許すことにしたんだ。そうすることで地球のもつ様々な権利、財産、情報、そういったものを手に入れる。しかし、連合諸国の戦災地域の憎悪を抑えるためにも、スケープゴートが必要じゃからな。影響の少ない中途半端な地位にいたものがそれに利用された。いわば政治的妥協の産物だ。だからまとめてさっさと処分するのよ。おかしいのではないか、などという意見が出ぬうちにな」

「そんな……」

「そもそも、今次大戦は新民連合側から仕掛けてきたものじゃ。開戦の動機にはいろいろ理由があったのじゃろうが、同盟はそれに応戦し、逆に連合領を次々と制圧したのは事実じゃ。ただ、それで戦争責任を言うなら、最初に軍事行動を起こした連合側にもある。もっとも、その時の連中は誰も生き残ってはおらんじゃろうが……」

 開戦初頭の連合軍は戦略も何もなく、ただ突出して同盟軍の反撃にやられた。そこで終わらせておけば、こんな事態にはならなかっただろう。

「ほかにも戦犯容疑者収容施設があるときく。そちらは各国政府や軍部の首脳らだろう。実際、政治家や司令官は、その存在を隠しようが無いからな。要領の悪い奴らはどの階層にもいる」

「元首クラスもそうでしょうね。立場上、責任は回避できない。まあ、大統領や首相はともかく、国王クラスになると単純に処刑という訳にはいかないでしょうが……」

「そういう意味での妥協もあるだろうな」

 辺りはしんと静まり返った。

 あの皇帝陛下も、今頃はどこかに収監されているのか?

 ほんの何回か、肉眼で見たことのある、アメリカ自由帝国皇帝。専制君主とは名ばかりの、軍部に首根っこを掴まれていた、弱々しい印象のあった中年の男。アメリカで最初の、そして唯一の、さほど長くはなかったヘンダーソン王朝の末裔。ネオインペリアリズムの象徴。

「我々は妥協で処刑されるのですか」

 若い声の小さなつぶやきが聞こえる。

「若いの。我々の境遇を今さら愚痴っても仕方あるまい。むしろ誇ることじゃよ。もし、我々の犠牲のおかげで、さらなる犠牲を生まなくて済むのなら、わしは良い人柱になろうと思うておる」

「我々だけで済むでしょうか」

「そう願うだけじゃ」

 エリックは、自分の中に怒りや憎悪がないのは、もしかすると犠牲精神がそれを抑えているからだろうか、と考えた。自分に犠牲の美学があるようには思えない。でも、自然界では、要領の悪いものは生まれて間もなく、喰い殺されるか餓死しているか、そういったところだろう。いま、自分がここにいることが、誰かのためになるのなら、それでも良いじゃないか。

 自分の犠牲が誰かを救うことになっても、たぶん、救われる誰かは、それに気づかないだろう。気づかなくてもいい。

 要領の悪い男には、それが本望というものだ。

 誰かの声が聞こえた。

「地球は、これからどうなるでしょうねえ」

「没落の道を辿るじゃろう。新民の星々は、地球社会のくびきをはずれ、経済も文化も、皆離れていくじゃろうからな」

「子が巣立つようなものですかね」

「そうですか?」

「いや、巣立ちはいい表現かもしれんな。新民諸国に生まれ育った人々は、それらの惑星が故郷であり、地球になんの感傷も未練もない。我々だって、人類発祥の地アフリカにそれほどの感傷はなかろう? 新民も同じじゃろうて。そういう人々がこれからの銀河を支配していくじゃろう。地球はまあ、古代遺跡の星となるだけじゃな」

「何だか哀しいですね」

「運命じゃ。繁栄はいつか終わるもの。我々は生まれた時運が悪かったのだ。かつてカルタゴが炎上するのを見てスキピオは警告したよ。『笑っていられるのも今の内だ、いつか我々の都市もああなるだろう』ってね。そうなった時に巡りあわせただけのことじゃ」



 裁判では形ばかり弁護士が付いた。

 弁護士は、法廷に立たされた者達の弁護を熱心に行った。弁護士は連合に属さない新民諸国から選ばれたから、連合、同盟から中立の立場にいられた。ただ、罪の捏造だということを完全には証明出来なかった。

 それに非連合の新民諸国はいわば第三勢力であって、必然的に中小国が多く、国際政治への影響力は乏しかった。弁護は制限時間をもうけられ、一方で連合各国から送られてきた検察団による新たな非人道行為の付け加えは、延々と行われた。弁護グループは抗議をしたが、受け入れられるものではなかった。そもそもこの軍事法廷では、全会一致で被告人を裁くことが協定で結ばれており、最初から有罪か無罪かでは有罪が決まっていた。具体的な刑罰をどうするか、それを話し合っているだけなのである。

 裁判は一ヶ月ほど続いたが、被告席に座らされたエリックらは証言を求められることも殆ど無く、何か別の世界の絵空事を見るようで、退屈なものでしかなかった。

 判決は全員死刑であった。

 別に行われた元首クラスの裁判では、減刑もあったようだが、エリックらを含む複数の場所で行われた政治家、軍人、官僚の一級裁判では死刑以外にはなかった。ニ級クラスの裁判も順次行われることになったが、その内容について、エリックらが知ることはなかった。

 彼らの判決の情報は、その結果だけが広く報道された。誰もが疑問を挟まないよう、ただ、事件の概要と、被告の「非人道的性格」と、死刑という判断だけが、多くのメディアで取り上げられた。

 判決からわずか十五日後、エリックらの一級戦犯五十八人は、空母シヒュカンの中にもうけられた処刑場に連れて行かれた。当初処刑法は薬物注入を予定していたが、苦しみを与えるべきだという意見が相次ぎ、結局、電気銃を後ろから首筋に当てて引き金を引く感電死が採用された。

 五十八人は、連合軍の高級軍人や政治家が見守る中で、椅子に固定され、一人一人順番に処刑された。

 中でも非戦闘員虐殺を命じた人物として憎悪されていたエリックは、後に回され、牢獄で知り合った人々が目の前で処刑されるのを見させられた。

 感電死は思った以上に残酷だ。皮膚が焼け、眼球が飛び出し、鼻や口からは血が吹き出す。異様な悪臭が立ち込め、処刑行為に慣れているはずの執行者も顔をそむけるほどだった。

 ただ、執行者側の意図と異なり、エリック本人は、むしろ見届け役のような気分で見守った。それゆえ恐怖はなかった。処刑される者達との、最後の視線の交換をして、お互いに無言のまま、心を通わせた。

 最後にエリックの番となり、椅子に固定され、執行人が尋ねた。

「最後に何か言い残すことはあるかね」

 エリックは穏やかな笑みを浮かべて、

「いえ」

 と答えた。

 首筋に電気銃を押しつけられたとき、彼は思った。

 さようなら、要領の悪い男達よ。さようなら、生き方の下手だった自分よ。

 そのとき、かつて愛した女性の顔が浮かんだ。幸福だった時の記憶が蘇ってきた。

 もう一度、君に逢いたかったな。

 さよなら、リンダ。君の幸せを祈る。

 ほんのコンマ何秒かの間、エリックは不思議な幸福感に包まれた。

 エリックの四肢は電流によって引きつり、そして力を失った。

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