飛脚屋心太 始まりの巻

小花 鹿Q 4

第1話

飛脚屋心太始まりの話

吉平長屋


ここは裏店吉平長屋。

夏の終わり、ジリジリと陽射しが街を灼き、魚を焼く匂いと井戸端でおかみさん達が喋る声や赤児の泣き声で活気がある。空にはもくもと入道雲が膨らんできた。一雨降ってくれたら夜は寝やすくなるのにと、おかみさんたちが手を止め期待を込めた目で見上げている。

吉平長屋を入って右にある一番奥の大工太平の家で先日男の子が生まれた。そこに今日は大家さんが、祝いの品を持ってやって来ていて母親のお照が、子供の名前について相談しているところだ。

「心太って言ったらそりゃお照さん『しんた』じゃなくて『ところてん』だよ」と大家さんがひゃっひゃっひゃと笑う。

「あら、そうなんですか。うちの人の太を使って知っている文字から、心が太い逞しい子に育ってくれたら良いねって言っていたんですけど、本当にものを知らなくて…」とお照は、がくりと肩を落とす。

「心の強い逞しい子にか。そりゃいい。私が徳寿院の和尚に相談して何か良い名を考えてもらってこよう。」と大家さんは言ってくれた。しかし、

「うちにゃ和尚様にお礼なんて出来ないから、うちの人ともう少し考えてみますよ。」とお照は慌てる。

「いいんだ、いいんだよぉ、徳寿院のあの和尚は私の竹馬の友ってのかぁ、昔からよく知ってる仲だから、将棋のひとつでも打って考えてもらうさ」と大家さんは何故か大張り切りで、早速帰りがけに寺へ行ってみるよと嬉しそうに帰って行った。将棋をやる口実が出来たのを喜んでいるのかもしれない。


そうやって、将棋の賭けで頂いた有難い名前が『仁太』ジンタと読む。逞しいってのはどこかに忘れ去られて、思いやりの太い子になってしまった。

しかし誰もジンタとは呼ばずに、しんた、しんたと呼ばわる。

両親さえそう呼んでいたから、其れが本当の名前だと思われていても仕方ない。当の大家さんだってお七夜の時は、たっぷりと墨の含んだ太い字で「仁太」と半紙に書いてうんうんと満足そうに眺めていたのに、いつも「しんた」と呼んでいる。

いたずらをしたのを見つけて怒鳴る時には、「このところてん待ちやがれ、すっとこどっこいがぁ」なんどと言うのが常だった。


心太が八つの夏。夕立も降らず暑い日が何日も続いて、もう飢饉になっちまうのかと皆が不安に思っている時、雨が降り出して「助かったねえ」と井戸端でも笑い声が上がり始めた。そんな矢先、突然その野分が襲って来て川が氾濫。土手が決壊して川沿いの家やなんかが流されて大変だった。どうにか、ちっとは高台だった吉平長屋は流れずには済んだけれど、その後に流行った病に心太の母ちゃんがやられて逝ってしまった。

呆気なかった。心太の父ちゃんは呑んだくれてすぐに、おぅおぅと餓鬼みたいに泣くもんだから、心太は泣く事も出来ずにキュッと口を一文字に結んで耐えるしかなかった。

小さな心太が拙いながらも、父ちゃんの身の回りの世話をする様になった。飯の支度も長屋のおかみさん達にお裾分けしてもらったり、こさえ方をおせぃてもらったりしながらやれるようになった。

大家さんに叱られながらやっと仕事に身が入ってきた太平は、今度は仕事に没頭するあまり、心太のことをすっかり忘れる事もしばしばで、近所のおかみさん達が不憫に思って、「一人や二人増えたって変わりゃしないよぉ」と泊めてもらったりもした。

それを見かねた大家さんが「心太も、もう時期九つだ。ここは奉公に出しちゃどうだ。」と太平に持ち掛けてトントンと話しが進んで、飛脚屋の角五の近江屋に丁稚に入ることが決まったのだ。

「お前も行っちまうのか」と太平はまたオイオイと泣いたりしたけど、仕事をしてりゃ心太の事も忘れちまうくらいの人だから、心太は「まっ大丈夫だなと」高を括っていた。そして二年が経った頃、我をも忘れる熱心な仕事ぶりに隣町の棟梁が気に入って、出戻りで申し訳ないがうちの娘と祝言上げねえかと声がかかり、こっちもトントンと話しが決まって棟梁のとこの入り婿にと大出世をした。

その時、舅になる棟梁が良い人で心太も一緒に来て大工の修行をしてみねぇかいと言ってくれた。だけど心太は考えた。「おいらが居たんじゃ父ちゃんの肩身も狭くなる。」

それに、出戻りの嫁さんは器量はさほど良くないが、子は沢山産めそうな尻をしていたから、「連れ子で小さくなっているのも面白くねぇ。」とも思った。

その時既に二年も世話になった近江屋にだって恩義もある。読み書き算盤を教えてもらったて、三度の飯も頂いて、女将さんの母親の御隠居様が心太の贔屓だもんだから、お使い物でお菓子なんぞを頂いた日には「しんたちょっとおいで、皆んなには内緒だよ」と夕飯の後に、こっそり甘いものを分けてくれりもするのだ。だから子供ながらに、後々働き手として恩返ししなきゃなるまいと思っていたのだ。だから、後ろ足で砂を掛けるような真似は出来ねぇと心太は、見栄を張ったのだ。

だが、本心は邪魔にされるのも怖かったのだ、少し大人びた心太はそう思い返す。

そして、ただ今の心太十三歳。見習い飛脚の小童だが、兄さん達に足の速さじゃ負けは取るめぃと、町辻を健気に走り抜ける。

そんな心太が、辻々で拾った話の始まりで御座います。


角五の近江屋


小伝馬町の西端で掘割にかかる橋のたもとにあるのが、心太のいる「近江屋」だ。

先代の五朗平が、近江国からやって来たのでその名が付いているが、近江屋という名は、薬種問屋や菓子屋に両替屋と越後屋や伊勢屋と変わらぬ多さなので、間違えて信書などが届いちまわないように角五の近江屋と呼ぶのが習わしだ。

太い真四角の角を上に置いてその中に五朗平の五の字を入れたものを店の印にしている。本来なら菱五と言われそうなところを、わざわざ自分で「かくごって呼んでおくな」と触れ回ったので、その名に落ち着いている。

先代は、酔う度その屋号が洒落てんだろとあばた顔を崩して話していたもんだから、先代に会ったことのない心太でさえ店の名を紹介する時は、「かくごの近江屋と読んでくだせい」と言う始末だ。

そんな先代の五朗平は、近江の数珠屋の小僧として主人のお供として江戸にやって来た。

五朗平の主人である数珠屋は、江戸に出店を出したいと思って懇意の寺を周りながら長い時を過ごしていたが、そんな折五朗平が流行病に掛かってしまった。どうにかこうにか病いは治りかけた時、五朗平の顔にはアバタが残って人相が変わってしまったのを主人は見た。治るのを待っていたはずの数珠屋は、体力が落ちて道中連れて帰るのは難しいからと、「次回来る時に連れて帰る事に致します」とアバタの顔が怖くなったのか、徳寿院に五朗平を預けて這々の体で帰ってしまった。

主人を待って寺男の様な事をしながら、和尚様に頼まれて法要の文の返事などの使いをこなしているうちに、五朗平に頼むと速いのぅと誰かが言い出した。

簡単な地図に名前を告げて文を持たせれば、きっちりと返事をもらって来る。

商家の小僧だっただけあって、そこそこの読み書き算盤も扱う。

「こりゃ良いの。」

和尚様は、あの数珠屋は近頃文の返事もよこさんところを見ると、アバタの出来た五朗平に良い商いが出来んと見限って仕舞ったのだろうと思って、この特技を生かして先行きを考えてやらねばならぬのと、檀家さんやご近所の方のお使いを頼まれる様に仕向けていた。

そんな日々を過ごしていたある日、

「和尚様お呼びですか。」五朗平が、呼び出された座敷に、なりの綺麗な壮年の男が居て、顔を上げた五朗平の目をバシリと見据えた。五朗平は、一瞬にして凍りついて広縁の端で固まってしまったが、目をそらす事は無かった。

それが気に入ったのか、打って変わってニコリと目尻を下げて柔和な顔を見せたのが、五朗平を後々飛脚屋へと押し出してくれた材木屋の大津屋羽左衛門なのだった。

大津屋は江戸で商いを始めてもう三代目の当主で、材木屋だけでなく長屋の地主や、妹に小間物屋をやらせたり中々の商売人なのだ。

この時は、先代の月命日の墓参りの帰りに和尚様と将棋を打ってる時に、目端の利く自分専用の小僧がおれば何かと便利なのにと冗談半分に言った。「これは」と和尚は閃いて、かくかくしかじかという事情で、こんな小僧を預かっておりますが会ってごらんになりますかと、五朗平を呼んだのだ。


数珠屋には、和尚が丁寧に五朗平を材木屋に丁稚に出すが宜しかろうかと書状を書くと、今までそよとも音沙汰のなかったものが、あっという間に「身内の者にも事情はこちらから説明します故、どうか宜しくお願い申し上げます」と言ってきた。


そうやって五朗平は、材木屋の主人の専属の小僧となったのだ。


五朗平


材木屋の大津屋に収まった五朗平は、まめまめしく働いた。

店の奉公人に、いきなり主人付きだなどと言われれば妬まれそうなところを、よく気を利かせ嫌な仕事を手伝ったり、旅で見聞きした話を聞かせたりしていつのまにか皆に可愛がられるようになっていった。


すっかり材木屋の小僧に収まった五朗平が小僧と言うには、薹が立ち始めた十五の夏に、主人が知り合いから泣きつかれ小伝馬町の橋下の傘店を居抜きで買う事になった。

周りには公事宿が多く立ち並び、在所から出て来た心配顔の田舎者が往来しているようなところだ。


そんな町には何がありゃ助かると思うかと主人に聞かれた五朗平は、昔数珠屋に連れられて江戸に出てきた事を思い出す。

「鼻紙ですかね」

「んっ なんだいそりゃあ」

五朗平は、こう話した。

「手前が近江より出て参った時に困ったのは、鼻紙やら墨やら小腹の空いた時にちょいと食べる芋などを、江戸っていう町はそこかしこに大店から煮売屋、棒手振りまで揃っているのですが、これは何処あれは何処と何か一つ買うにも、何処で売っているのやらトント見当も付かずにあちこちに駆けずり回った覚えがございます。」と主人に言うと、主人はポンと膝を叩いて「とりあえずって物が揃ってりゃあちこち駆けずり回らずに済む。成る程そう言う事だな。」と言うので五朗平は、飲み込みの早い主人の言葉に目をしばしばさせて頷いた。


そして店の造作に手を入れて、小間物から紙や墨、手頃な江戸土産になる物を取り揃えて、よろず屋を開いたのだった。

その折に五朗平にはよろず屋の手代をやらせることにした。


五朗平は、番頭さんと共に墨や紙、江戸案内図や甘味など在所から出て来て江戸の喧騒に慣れてないものが便利で気兼ねなく買い物のできる店をこしらえていった。ごちゃごちゃと色んなものが並んでいるせいか気兼ねなくものを尋ねくる者が多く、代書を頼まれることも多かった。

「ついでにその文を店まで届けてくれねぇか」

そう言って、文を託けていくものが絶えなかったのでいっそのこと飛脚屋も始めてしまえと、飛脚組合には掛け合って、遠方への文などは、他の飛脚屋への仲介をするという事を条件に飛脚屋の末席に据えさせてもらったのだ。

暫くは、よろず屋の中の伝言屋という様な体をしていた店だが、場所柄か代書や飛脚屋の仲介が増え、よろず屋ではなく飛脚屋の組合にもちゃんと列席して飛脚屋にしてしまおうという話になった。

それを折りに、年配の番頭さんは隠居することになり、手代で二十九になる五朗平は番頭になるはずだった。それならいっそのこと、羽左衛門の末の娘と祝言を挙げて入り婿にして、店主にしてしまうのはどうかと助言する者がいた。ちょっとボンヤリしたところのある出戻りの末娘の嫁入り先を心配していた羽左衛門は、気に入りの五朗平とならと首を縦に振ったのだった。

その機に、よろず屋「大津」から「飛脚屋

角五の近江屋」と屋号も変え五朗平は店主に収まったのだ。


鈴音

材木屋大津屋が店の横手に「かんざし、おしろい、ふくろもの」と小さな看板を掲げた小間物屋の「大津屋」を妹に小商をさせていた。そこで羽左衛門の末の娘で、出戻りのお鈴も店の手伝いをして仕入れの品の見定めなどをしていた。


お鈴は、生まれた時に泣く声が鈴が鳴る様に可愛らしいと兄達が言い出して、両親にせがんでその名を「鈴音」と付けたことからもわかるように、小さな頃からずっと家の者から可愛がられていた。


お嬢さんお嬢さんと乳母日傘で育ったのだから、どこはかと無くぽやりとり屈託が無い。しかし元々は、おきゃんな好奇心が強い性質で何かと首を突っ込んでは、ポカリと抜けた事をして周りを巻き込んで、大騒動にする。

それでも家長の羽左衛門が「お鈴、お鈴」と甘やかして本人の知らないところで、事を納めてしまうので、鈴音本人は「そんなことがあったんですのね」ほほほと気に病むこともない。

年頃になると、羽左衛門が姉達の嫁入り先よりもウンと吟味して、先々ボンヤリしている鈴音が泣くことの無いようなしっかりした晋代の薬種問屋へ嫁がせる事にした。しかし、そこは男の耳には届かないお家の事情が渦巻いていた。

連れ合いになった真太郎は、真面目で折り目正しい青年だったが、勉学に励むばかりでしょっ中長崎やら大阪に行ってしまう。

商いは、まだ舅が主人を張っていたので問題は無い。しかし、婚姻前に真太郎が初めて長崎に行くのに前後して舅が後妻をとっていた。その姑に半ば店の主権を握られていて、それで真太郎は家に居付かないのではないかと思われる節もある。姑には連れ子の娘が二人いてどうやらどちらかを真太郎の嫁にと考えていたようだったが、その願いは受け入れられず、跡取り息子には後ろ盾のある鈴音が嫁に来てしまったので、どうにも姑は気に食わないのだ。

表立って文句は言うわけではないが、遠回しに嫌味を言う。

鈴音が連れて来た女中二人を、追い返そうとあの手のこの手で陰湿にイビりもする。

鈴音は、それを嫌味だとも気付かずに「あらお義母さん、そんなに気になさらなくていいじゃないですか」などと間の抜けた物言いをするものだから、姑は返って癇に障ってキリキリと怒り出す。

ある時それを気に病んでいたお鈴付きの女中の玉が、御使いの時にばったり会った羽左衛門に、ここぞとばかりに泣きを入れた。

しかし嫁ぎ先の悪口を道端で喚いたと逆に叱られてしまった。

羽左衛門はそうは言ったが、可愛いお鈴がそんな目に合わされているのかと、折につけ気を揉むようになった。


婚礼から三年を回った頃になると、姑は跡取りが出来ないと事あるごとに嫌味を言った。そして夏の戌の日、跡取りを産まないお鈴に対して姑は、雑司が谷の鬼子母神まで詣でておいでと言いつけた。

近くに水天宮が有り、戌の日には必ず詣でているお鈴は、「こんなに暑い日にわざわざそんなに遠くまで」と口答えをし、更に「何せ旦那様が帰って来ないことには…」と言ったので姑は震えるほどいきり立ったって手に持っていた火箸でお鈴を打ち据えようとしたが、若いお鈴はヒラリとかわして「おやめください」と声を張った。


その時、ちょうど間の悪いことに羽左衛門が内所と中庭を挟んだ客間に続く渡り廊下を歩いて来た。

お鈴の声に何事かと羽左衛門が内所の方を向くと、姑と目が合った。姑は、何を思ったか焦った拍子に手に持っていた火箸をお鈴に投げ、避けたお鈴の手にその火箸が当たったのだ。

「あつっ」

お鈴は、よろけて廊下に倒れ込んだ。

四半時経った頃、客間に主人の薬種問屋、日の出屋真兵衛と女将松が神妙な顔で座り、床の間を背に羽左衛門、その斜め後ろにお鈴という構図で対面していた。

お鈴の左手の甲には膏薬が巻かれていて、それにフッと目線を送ってから、

「この度此方へ呼ばれたのは、このお鈴が、嫁としてなっていないというところを見せる為だったと考えれば宜しいか。」と羽左衛門は、重々しい大店の主人の貫禄のある声で、沈黙を破った。眼はギラギラと怒りを孕んでいる。

慌てた真兵衛は、「滅相もございません。」と汗をかいて頭を下げて松にも頭を下げるように促したが、松は何を思ったか、

「いくらご実家筋とは言え、内所の躾にまで口を挟まれちゃ困ります。」と木で鼻をくくった口振りでそっぽを向いた。

慌てて真兵衛は、松を叱ったが松は太々しく知らぬ顔だ。

薬種問屋の主人は、断りを入れて松を連れて客間を辞そうとしたが、松は譲らない。それでもどうにか隣の部屋まで引っ張って行って、昨日何故羽左衛門を呼ぶのか話しただろうと念を押した。


理由は、連れ子の二人娘の婚礼に見栄を張って散財したばかりだったのところに、姑の松が薬種問屋の枠を外れて商売を始めようとして、しくじった。それで資金繰りが厳しくなってしまった。それを羽左衛門に、いっ時だけ半期払いの支払い分を融通してもらえないかと相談するつもりでいた。

舅の真兵衛は、今日は歓待をして折を見て融資を願い出るつもりだったのだ。

出来れば、後からお鈴からも口添えしてもらう心算だったのだが、この状況だ。

真兵衛は、弱り切った顔で何故今日に限ってお鈴を鬼子母神になぞ行かせる気になったのかと叱った。

松は唇から血が滲むほど歯を食いしばって、亭主を睨む。

亭主は、未だ後妻の気性を分かっていない。

お鈴が居たのでは、自分のしくじりの穴埋めをお鈴の実家へ頭を下げて願い出るなど、天地がひっくり返っても出来る訳が無いのだ。

「松ここは了見して、頭を下げておくれ。」と松の肩に手を掛けて真兵衛が言うと、松は「この甲斐性なし」と叫ぶと共に夫の手を振りほどいて肩から体当たりした。

ドウゥと襖が鳴って、羽左衛門の目の前に真平衛と共に倒れて来た。

あられもない姿の店主と、音に驚いてバタバタと集まって来た店の者、呆気にとられて動けない羽左衛門とお鈴。

隣の部屋では、畳を叩いて姑が泣き叫んでいた。

手足をばたつかせながら、泡を食って何かを言おうとして、言葉にならない事をうわぁうわぁ言っている舅を見て、お鈴はぷぅうっと吹き出して、その後笑いが止まらず涙を流して笑い続けた。


一時後、お鈴は身の回りのものを纏めて、女中2人を連れ羽左衛門に伴われ大津屋に帰って行った。

帰りの道中「あのお義父さんの格好ったら」と何度もクスクス笑うお鈴を、羽左衛門は苦り切った顔で窘めなくてはならなかった。


その後、羽左衛門は真兵衛に真太郎を交えて話し合った。お鈴は此処には戻さないと強い意志を伝へ、結納金の返金は、要らぬ、資金の融資は半年を限りに返却するのであれば貸しましょうと条件を出すと、無様な格好を晒した真平は、その有り難い条件をの飲むほか無かった。



そうして出戻ったお鈴が、後々五朗平と馬喰町で飛脚屋を営む事になるのだ。

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