フライフィッシングは柴犬をつれて

@monsun3

第1話 しば

 俺は柴犬を飼っている。犬山いぬやまにあるブリーダーから譲り受けた。

 犬山は愛知県にある市の一つだが、犬の繁殖が盛んなわけではない。犬にまつわる事柄が特別多い土地でもない……と、俺は認識している。

 ただ、全国で『犬』という字が名に入る自治体は、犬山市だけらしい。ご当地ゆるキャラは柴犬の体を成していて、ちょんまげが付いている。特技は肉球ハイタッチらしいが、未だにお目にかかったことはない。

 まあ、なんにせよ、それらとはまったくの無関係である。たまたま通り掛かった犬山の外れで見付けた、柴犬の絵が描かれた看板。ふらっと立ち寄ったその繁殖場で、ある柴犬に一目惚れした。ただ、それだけのことだ。


 普通に見逃してしまいそうな小さな看板だった。以前も通ったことのある道だが、その日はなぜだか目に留まった。マンガ風に描かれた柴犬の顔、その下に『柴犬』の文字。とてもシンプルな看板。こんなのあったかなと思いつつ、なにか惹かれるものを感じた。

「柴犬の繁殖場……だよな」

 俺は些細な好奇心からハンドルを切っていた。脇道を少し先に進むと視界が開けた。見えてきたのは、雑木林に囲まれた倉庫のような建物。その前で車を停めた。

 見た目はやはり、ただの倉庫。車内から様子を窺っていると、中から白髪頭のおじさんが現れた。

 作業服とおぼしき恰好のおじさん。「こっちだ」と手招きしてきた。ここを訪れる人の目的は、訊かなくても分かるのだろう。当然といえば当然。案内されるままに、倉庫内へと足を踏み入れた。

 一斉に吠え立てられる。反射的に足が止まった。見知らぬ侵入者に犬たちが反応したのだ。

 察するに、そこは廃業した建築会社の資材置き場。だが、くたびれた外観とは違い、中は古いながらも、きちんと整頓されていた。掃除も行き届いているようだ。

 並んだ手造りの犬小屋とケージの中から柴犬たちが出迎える……というよりは、やはり警戒している感じ。でも、皆シッポは振っているので、まったく歓迎されていないわけでもなさそうだ。

 赤柴に黒柴、それに珍しい白柴も居た。結構な数。ざっと見ただけでも、20匹は優に超えている。おじさんの本気度を感じつつ、ケージに近付いてみる。

 好奇心からか、鼻先を伸ばして近寄って来る犬たち。

「……やっぱり、柴はいいな」

 思わず口からこぼれる。昔、実家で飼っていたから、柴犬については良く知っている。

 尖った耳につぶらな瞳。ふわふわした胸の毛とお尻から後ろ脚にかけての袴毛はかまげ。そして、象徴である巻き尾。背中に浮き上がる天使の羽と言われている模様。黒柴はまろ眉も大事なポイント。

 どの犬もお腹がくびれていた。スタイルが良いのは、おじさんの世話の賜物だろう。見ているだけで、テンションが上がっていく。

 ほぼ趣味みたいなもので、柴犬の繁殖をしているのだというおじさん。倉庫内をぐるりと回りながら、犬たちを紹介してくれた。嬉しそうに話す姿は、犬たちへの愛情に溢れていた。世の中には営利目的だけの、犬をモノ扱いする酷いブリーダーもいるという。ここに居る犬たちは、きっと幸せだろうと思った。

 おじさんの説明は専門的過ぎて理解できない部分もあったが、それはそれで楽しめた。

 最後に見せてもらったのは、生まれて一ヶ月の仔犬たち。まったく同じ日に生まれたのだという二匹は、親が違うので並んだ別々のケージに入れられていた。それぞれの兄弟は、既に同業者に貰われていったという。

 そう。たまたま寄っただけだし、冷やかしのつもりだった。しかし、その二匹を目にした途端、心が激しく躍った。

「……こいつら、むちゃくちゃ可愛い」

 片方は黒柴だった。ちょこちょこと活発に動き回っている。だが、手を伸ばしても反応を示さない。その気ままな感じが逆に愛らしい。飼い主にしか、懐きません的なところだろうか。ちょっと気高い雰囲気を持っている。

 もう片方は赤柴。黒柴とは違い動きが穏やかだ。一見おしとやかな印象。単に、どっしり構えているだけなのかもしれない。ただ、潤んだ瞳で小首を傾げる様は、罪レベルの可愛さである。

「両方、女の子だ」

 おじさんに言われ、それぞれを見比べる。なんだか対照的な性格だと思った。二匹の仔犬は姉妹ではないのだが、身近な女性たちを連想してしまった。その姉妹の性格も相当違っているのだ。想像が膨らみ、思わず吹き出しそうになる。

 なおさら、二匹が愛おしく見えた。そう、分かりやすいくらいに、俺の心は奪われていた。

「この仔らは美人になるよ。どっちの母親も器量良しやからな」

「うむむ……それは、期待できますね」

「それに、血統もええ」

「そうなんですか」

「ああ、同業者の仲間内での話なんじゃが、両方とも由緒ある血筋とされとる。まあ、話半分なんかもしれんけど、わしはそういうのにこだわる方でね」

「へえー、由緒ある血筋ですか……」

 感心する素振りを見せながら冷静を装う。しかし、俺の喉がごくりと鳴っていた。見透かしたように、おじさんはニヤリとした。

「それで、どっちがええ?」

 既に、その言葉通りの状況になっている。だが、俺はそれ以上の返答を持っていた。分かり易い衝動ではあるが、気持ちに素直に従うのが俺の生き方なのだ。意を決するように身を乗り出していた。

「もちろん、両方貰います!」

 呆気に取られ、目を丸くするおじさん。そして、「もちろん」に意味は無い。

「……そ、そうかね」

 驚いたその顔を見ながら、俺は説明できない高揚感に浸ったのである。

 その後、おじさんから大学ノートとボールペンを渡された。連絡先を書けという。こんなんでいいのかなと思いつつ、空いたページに走り書きする。住所と携帯番号、その下に幸島治人こうじまはるとと自分の名前を記入した。

 三ヶ月くらいは母犬ははいぬの傍に居させた方が良いとのこと。すぐにでも連れて帰りたかったが、そこはプロの意見を尊重する。二ヶ月ほど経ったら迎えに行く手筈となった。


 衝動的に決断してしまったのだが、少し後悔の念に駆られていた。つまりは、梛乃なぎののことだ。

 彼女とはちょっとした物語がある。岐阜県に住んでいた頃の同級生であり幼馴染。そして、高校の時に付き合っていた女の子でもある。姓は鷹宮たかみやという。

 梛乃との別れは突然訪れた。俺は高校三年生を待たずに、父親の仕事の都合で愛知県へ引っ越すことになったのだ。高校生にとっての遠距離恋愛は簡単ではない。お互いの気持ちも徐々に薄れ、最後は自然消滅的な感じで終わった。

 そして、去年のことである。岐阜に居た時も愛知に来てからも、これといった病気を患ったことなどなかった父親が、心不全でこの世を去った。突然の出来事に動揺し戸惑っている中、俺は梛乃と再会を果たしたのである。

 喪服姿の彼女は、俺に向かってやさしい笑みを浮かべて立っていた。


 梛乃は大学への進学を機に実家を出て、卒業後は愛知で就職していた。更に偶然なことに、彼女が今住んでいる所も俺の家から比較的近い場所だった。

 もともと可愛い少女だったが、七年経ったら大人の美人になっていて驚いた。あり得ることなのだろうが、俺にしてみれば相当な衝撃だったのである。

 別れの際に喧嘩した覚えは無い。高校生だった当時の経緯を掘り起こし、考えてみたりした。梛乃はどう思っているのだろう、と気を使うあまり気まずい空気にもなる。

 だけど、お互い言葉に詰まっていたのは最初だけ。時間が経つと、不思議と昔のような会話ができていた。まあ、それぞれ大人になったということだろう。


 俺は幼い時に母親を亡くしている。肉親は父親だけだったし、まともな付き合いの親戚も居ない。それで梛乃とその両親には、葬儀のことなどいろいろと手伝ってもらった。岐阜の知人に連絡を入れたら、居の一番に駆け付けてくれたのも鷹宮家の人たちだった。

 どうやら父親は、俺と梛乃のことを気にして言わなかったのだが、愛知に来てからも鷹宮家とはそれなりに連絡を取り合っていたらしい。まあ、もともと俺が彼女と幼馴染だったのも、両家のつながりがあってのことだから不思議ではない。


 そんなこんなで、再会を果たした俺と彼女。その後の法事で何度が顔を合わせているうちに、連絡を取り合うようになっていた。

 梛乃はとても魅力的な女性になっていた。今は彼氏も居ないと聞けば、これは父親が再び引き合わせてくれた運命だと思わずにはいられなかった。この気持ちの昂ぶりは、誰でも想像できよう。

 復縁を持ち出す照れくささと、高嶺の花になってしまった眩しさに躊躇いもあったが、勢いだけは俺の得意とするところ。素直に気持ちを告げてみた。

 すると、どうだろう。彼女は二つ返事で頷き、拍子抜けしてぽかんと口を開けた俺の顔を見て笑ったのだった。

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