「これで残るは竹藤さんと田戸さんになります。このどちらかが犯人ということになるのですが――」


 千早の言葉を遮るようにして、メールの着信音が鳴った。絶好のタイミングというか、まるで見計らったかのようだ。千早はスマートフォンを取り上げるとメールを確認する。もちろん、メールを送ってきたのは依頼主の竹藤だった。


「ここで、注目すべきポイントは竹藤さんの生い立ちです。彼は飯山さんと小さい頃から学校が同じ腐れ縁だった。それにくわえて、私が電話で話をしたい旨を伝えても、頑なにメールでのやり取りを希望しました。それは一体なぜなのか? もう、わざわざ説明することでもありませんよね?」


 千早はそう言いいつつスマートフォンの画面を班目から見えるように向けた。そのメールの内容は千早の問いかけに答えるもの。


 ――えぇ、まったくもってその通り。私も飯山と同様、ろうあ者なんです。


 千早が竹藤に問うたこと。それは、飯山だけではなく、竹藤もまた、ろうあ者ではないかというもの。彼が千早の電話を嫌がり、メールでの連絡に固執したのも、そう考えれば納得できる。つまり、賞の発表を待つ飯山と同じように、竹藤もまた電話での対応ができないのである。千早は続ける。


「飯山さんと竹藤さんは小さい頃からずっと一緒の腐れ縁です。小学校、中学校、高校まで同じとのことですが、たまたま進学先が同じだったというわけではない。2人が腐れ縁だったのには明確な理由があったわけです」


 もはや班目にも答えが見えたのであろう。千早の言葉に同意するかのごとく頷いた。


「つまり、お2人は――ろう学校の出身だったということですか」


 ご名答。飯山と竹藤は、ろう学校――聴覚に何かしらの障がいを持つ子どもが通う学校の出身なのである。これは、2人が揃ってろうあ者であるという裏付けにもなるのではないか。


「その通りです。では、竹藤さんも飯山さんと同じ条件だったとして考えてみてください。もし竹藤さんが犯人だったとして、果たして外を経由して大家の部屋に向かったでしょうか?」


 あえて引っ掛け問題のようなものを出題する千早。班目が曲がりなりにも刑事であれば、安直な答えを出したりしないはず。


「飯山さんと同じく耳が聞こえないのであれば、外を経由する理由はありませんよね――と言いたくなりますが、それは少し違いますねぇ。飯山さんは廊下が軋むという事実を知らなかったからこそ、外を経由する必要がないという理由付けができました。でも、例え耳が聞こえなくとも、廊下が軋んで音が出てしまうことを、竹藤さんが事前に知っていた可能性はあるのではないでしょうか? 飯山さんと同じく耳が聞こえないからといって、それで犯人から外すわけにはいきませんねぇ」


 飯山が犯人ではないと断定できたのは、そもそも廊下が軋んでしまうことを飯山が知らなかったからである。書き残された日記からもそれは伺えるし、もし飯山がその事実を知っていたら、しっかりデータとして残しているはず。それをしていないことから考えるに、まず間違いなく飯山は廊下が軋むことを知らず、だからこそ犯人ではないという結論になる。しかしながら、竹藤がその事実を知っていたか否かは、フロッピーディスクに残されたデータだけでは判断できない。例え耳が聞こえなくとも、廊下が軋み、大家が気づいてしまうほどの大きな音が出るということを知っていれば、廊下を避けて外を経由する可能性は充分にある。


「班目様のおっしゃる通り、飯山さんと同じような感覚で竹藤さんを犯人から外すことはできません。果たして竹藤さんと田戸さんのどちらが犯人なのか――実は、フロッピーディスクに残っていました。ある人物のおかしな発言が。あ、ちなみに手話でも発言という表現をさせていただきますから、あしからず」


 竹藤を犯人から除外することができれば、それすなわち犯人は田戸ということになる。しかしながら、フロッピーディスクに残っている情報だけでは、竹藤が犯人ではないと断定することはできない。ならば、ここからは方向転換。犯人の犯人たる証拠を引っ張り出してやるのだ。


「その発言が出たのは、台所でのシーンです。なかなか起きてこない大家を呼びに行く時に、ある人物は大家に対してこんな発言をしています。――【昨日の夜は静かだったし、早めに寝たようだ】と。この発言……おかしいと思いません?」


 それは、台所でのある人物の発言。それこそが、犯人が誰なのかを物語っている。


「――いえ、特に何か妙だとは思いませんけど」


 ここまで優秀な刑事でいた班目であったが、ここに来て失速。ずばっと答えを導き出してくれることを期待していたが、やはり最後は千早がしっかりと締めないといけないらしい。


「ここで現場の様子を思い出してください。現場には――争った形跡が残されていたとあります。むろん、部屋の中で争ったとなれば、それなりの物音がしたことでしょう。それなのに、その話題が3人の中では一切出てきません。それどころか、ある人物は【静かだった】とさえ証言している。飯山さんと竹藤さんは聴覚が不自由なため、大家の部屋で争う音も聞こえなかったことでしょう。しかし、ある人物――3人の中では唯一耳が聞こえたはずの人物には、大家の部屋で争う音が聞こえたはずなんです。それなのに、ある人物はまるで逆の証言をした。それはなぜか?」


 下宿人達は、全員耳が聞こえないというわけではない。ただ唯一の人物は耳が聞こえていたからこそ、小説の賞が発表される際に同席することができたのだから。そして、同席していた人物は――。


「その人物こそが犯人だから――ということですか。耳が聞こえていたのならば、大家の部屋から争う音が聞こえた際に駆けつけることもできたはず。でも、その人物は大家の部屋に駆けつけることはせず、翌日の朝になってから大家の遺体が発見された。それどころか、その人物は嘘までついた。それも、飯山さんと竹藤さんの耳が聞こえないからこそ通用する嘘を。なによりも、この矛盾をした嘘をついた時点で、何かしらのやましいことがあったのは間違いないでしょう」


 フロッピーディスクに残された情報だけでは足らず、その辺りは少しばかり想像力を働かさねばならない。ある人物は明らかな嘘をついた。では、どうして嘘をつかねばならなかったのか。その理由は――その人物こそが犯人だったからということになるのではないだろうか。


「はい。そもそも、竹藤さんも廊下が軋むことを知らなかった可能性が高いです。飯山さんと竹藤さんは腐れ縁であり、気の知れた仲です。もし、廊下が軋む事実を竹藤さんが知っていたのだとすれば、それは自然と飯山さんにも伝わっていたはずです。しかし、飯山さんはそれを知らなかった。それはすなわち、竹藤さんもまた知らなかったということになるのだと思います」


 千早はそこで言葉を区切ると、竹藤にメールを返す。


 ――ご協力ありがとうございます。おかげさまで、本日中には査定が終わりそうです。


「飯山さんと竹藤さんは廊下が軋むことを知らなかった。だから、もし大家を殺害しようとするのであれば、わざわざ雨の降るなか外に出て、窓から大家の部屋に侵入するなんてことはしない。廊下を経由して大家の部屋に向かうはずなんです。でも、犯人はわざわざ外を経由して大家の部屋に向かった。下手をすれば外を経由したほうが、大家に気づかれてしまうかもしれないのにです。でも、それは犯人が知っていたからなんです。廊下を経由するほうが、外を経由するよりも音を立ててしまうと――それこそ、大家に確実に気づかれてしまうと。だからこそ、犯人は外を経由して大家の部屋に向かわねばならなかった。ここまで言えば、もう犯人はお分かりですね?」


 千早のオンステージはそろそろクライマックス。観客である班目の一言で、きっと幕を閉じることだろう。


「――飯山さんと竹藤さんは耳が聞こえなかった。ならば、下宿人のなかで耳が聞こえた人物は1人しかいません。なるほど、この事件の犯人は田戸だったということですか」

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