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 小説家を目指していた飯山は、賞の発表の際には下宿先の友人に同席をしてもらっていた。1人では発表の場に立ち会えないほど臆病なのかと疑ったが、それは千早の早とちり。明確な理由があったのだ。


「ネットで発表される際は同席を断った。でも、それ以外の時は同席する人間が必要――。あぁ、なるほど。飯山さん1人だと、例え受賞していたとしても、それ自体に気づくことができないということですか」


 賞が発表される際、飯山が下宿先の友人に同席してもらっていた理由。それは、どんな方法で受賞者のところに連絡が来るかを考えれば自ずと分かる。しかも、時代は今からおおよそ20年前。メールという概念も定着していなかった時代だ。


「その通りです。もし仮に受賞していたとしても、その結果を報せる電話に飯山さんは出ることができなかった。今から20年前ともなれば、さすがに黒電話ではなくナンバーディスプレイ機能のついた電話機でしょうが、仮にそれで電話がかかってきたことが分かっても、飯山さんは受話器を通して出版社の方と意思疎通するのが難しい。相手が何を言っているのか分からないのですから当然です。だから、飯山さんは代わりに出版社の方と話してくれる人間――下宿先の友人に同席してもらわねばならなかった。ネットで結果が発表される際は、自分の目で確認することができるわけですから、下宿人にも同席してもらわずに済んだのです」


 飯山は耳が聞こえなかった。それを証明する証拠が、フロッピーディスクには詰め込まれていた。だから千早は思った。これはもしかすると、告発だったのかもしれないと。


「あと、飯山さんは何でも目で――視覚でまず物事を確認しようとする癖があります。冒頭に出てくる鳩時計……予定の時間がくれば音で分かるだろうに、飯山さんはわざわざ予定の時間になることを視覚で確認している。朝食を作る際も、パンを焼く際のタイマーを視覚的に捉えています。極めつけは大家の部屋を訪れた時。先に田戸さんが部屋に飛び込み、何が起きたのか飯山さんが理解したのは、やはり自分の目で倒れた大家を確認した瞬間でした。これらも、飯山さんがろうあ者であることを物語っていたのではないでしょうか」


 千早の言葉に「なるほどぉ」と唸ると、何かに気づいたのか、ふと首を傾げた。


「さて、飯山さんの耳が聞こえなかった――という事実が明らかになったとして……それが事件とどう関係してくるのでしょう?」


 飯山がろうあ者だったという事実と、大家が殺害された事件。それを結び付けるためには、もうひとつの事実が必要になるのだ。それは――ウグイスの正体だ。


「そこで重要になってくるのが――ウグイスなんです。これこそが、犯人が誰なのかを明確にする鍵となります」


 果たしてウグイスの正体とは何なのか。千早は、その状態を自分の知識と照らし合わせ、とっさにウグイスと例えた。しかし、意図的に作り出されるそれとは違い、今回の事件に関しては偶然であると言ってもいい。その偶然こそが、犯人とそうではない人間の明暗を分けるのだ。


「――ところで、結局のところウグイスはなんの比喩なのですか?」


 ウグイスは千早が引き合いに出した比喩でしかない。もちろん、本物のウグイスを指しているわけでもない。ある事柄をそう呼んだだけ。


「飯山さんの日記に、この下宿に住み始めてからすぐに、わりかし大きめの地震があったという記述があります。そして、その地震のせいで廊下の一部が大きく沈むようになってしまったとも書いてあったはずです。くわえて、外出禁止令が出たのも、その頃だったとのこと――。これらのことをかんがみると、あるひとつの事実が推測できます。ちなみに班目様、鶯張うぐいすばりの廊下というものをご存知ですか?」


 あまりもったいぶるのも班目に申しわけない。だから、一気に真相へと迫ったつもりだったのであるが、班目は首を小さく傾げる。


「はて、聞いたことはあるのですが――なんでしたっけ?」


 どうやら、そこから説明しなければならないようだ。班目が鶯張りの廊下のことを知っていれば、なぜ千早が比喩にウグイスを出してきたのか一発で分かっただろうに。


「もっとも有名なのは京都の二条城でしょうか。お城以外だと、同じく京都の大覚寺、等持とうじ院、観智かんち院、知恩ちおん院などが有名ですね。これらの建造物の廊下は鶯張りと呼ばれていて、歩くとウグイスの鳴き声のような音がするのです。諸説あるのですが、構造から考えて意図的に音が鳴るように造られています。ここまで言えば――班目様のことです。もうお分りでしょう?」


 別に班目に花を持たせるというわけではないが、ウグイスという例えがあまり良くなかったこともあり、あえて答えまでは言わずに班目へと放り投げる千早。パスをうまく受け取った班目は、ここぞとばかりにシュートを決める。


「つまり、下宿先の廊下は、大きめの地震が起きた際にきしむようになった。しかも、その軋む音は大家が耳障りに感じるほど大きなものだった――ということですか」


 班目が思った通りのシュートを決めたことを見届けてから、千早は「はい。その通りです」と答えた。


「地震のせいで廊下が軋むようになってしまっていた。そのせいで、廊下を誰かが歩くたびに大きな音が出るようになった――だからこそ、その頃から夜間の外出が禁止になったのだと思います」


 大家の取り決めは、飯山の書いた文章だと、どうしても自分本位のようなものに思えてしまうが、実のところそうでもない。大家が夜間の外出を禁止したのには、それなりの理由があったわけだ。


「ちなみに、飯山さんは大家のことを音に敏感だと書いていますが、実際のところは違うのだと思います。テレビの音や足音がうるさいと飯山さんに文句を言ったのも、おそらく本当にうるさかったからなのでしょう。なにせ、飯山さんは自分の足音の音量がどれだけなのか、またテレビの音量がどれだけの大きさなのか――分からなかったのですから」


 千早はそこで言葉を区切ると、改めてスマートフォンに視線を落とす。いまだに竹藤からの返信はない。一応、返事が欲しいところであるが、しかし最悪返信がなくとも答えは出せるから、そこまで問題視することでもないだろう。


「地震の影響で廊下が軋むようになってしまっていた。それこそ、犯人が外を経由しなければならないほどの音を立てたってわけですか。廊下を通れば大家に足音で必ず気づかれてしまう。ならば、まだ外を経由したほうがマシだったということですね」


 感嘆混じりの班目の溜め息に頷く千早。そう、犯人が外を経由した理由はシンプル。廊下がえらく軋んでしまうためだったのだ。大家が気づいてしまうほどの音を立てるようであるし、だからこそ犯人は外を経由しようと考えた。


「おっしゃる通りです。そして、ここまで判明すれば、もう犯人も分かったようなものです」


 飯山、竹藤、田戸。この3人のうち、一体誰が犯人なのか。いきなり犯人を指摘してやっても構わないのであるが、ここはあえて消去法で犯人を絞り込むことにする。


「まず、飯山さんは犯人から外れます。書き残された日記から察するに、飯山さんはそもそもウグイスが鳴くことを知らなかったようです。つまり、地震が起きた以降、廊下がえらく軋むようになったという事実を知らなかった。ならば、廊下が軋むからという理由で、外をわざわざ経由するということもしません。だって、廊下が軋むことを知らなかったのですから。もし飯山さんが犯人ならば、廊下を経由して大家の部屋に向かったはずなんです」


 初っ端に犯人から除外されるのは、廊下が軋むことを自体を知らなかった飯山だ。もし飯山が犯人ならば、外を経由するという選択肢は選ばなかったはず。いや、思いつきもしなかっただろう。素直に廊下経由で大家の部屋に向かったはずだ。

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