【4】


 千早にとってのXデーは、思ったよりも早く訪れた。仕事として引き受けた手前、一刻も早く愛の学校に赴きたいとは思っていたのだが、やはり短すぎるスカートがネックとなった。愛からスカートを拝借し、学校に赴く日取りも決まるが、最後の最後までスカートの短さに抵抗があった。タイツを履ければまだ良かったのかもしれないが、愛から借りたスカートを履くのは、かなりの勇気が必要だった。


「えっと、まずは警備員の詰所でいいんだよね?」


 校門の前で待ち合わせをし、愛に案内される形で校庭へと入った。休日は警備員の詰所にて署名をしなければ校内へは入れないというのに、平日の放課後に関してはセキュリティーが随分と緩いようだ。堂々と校庭を抜けて正面玄関から校内へと入り現在へといたる。


「はい、5月4日の名簿を確認させていただきたいので――」


 どうにも歩き方が定まらない。愛の後に続く形で歩く千早は、歩幅などを変えながら歩いていた。


「あ、あのさ……それはいいとして、さっきからその動きはなに?」


 きっと愛から見たら、随分と奇妙な動きに見えるのであろう。振り返って愛の問いに対し、歩幅の調整を続けながら答える千早。


「いえ、スカートの裾の可動域を最小にできる歩幅と歩き方を模索中でして」


 正面玄関から長い廊下のほうへと折れるが、放課後の廊下を歩くのは愛と千早だけ。他の生徒の姿は見受けられない。それでも、スカートの短さは気になるのだ。パンツが見える見えないの問題ではなく、とにかくヒラヒラと動くスカートの裾が気になって仕方がない。千早は真剣そのものなのだが、その動きが面白かったのであろう。愛は笑い声をあげる。


「あっはっはっは! まだスカートの短さ気にしてるの? うちの学校じゃ、それくらいの短さ普通だし、誰も気にしないから大丈夫だって」


 そう言われても、千早自身が気になるのだ。愛には申しわけないが、納得するまで歩幅と歩き方の模索はさせてもらうつもりだ。下手をすると、この学校を後にするまで、定期的に歩幅や歩き方が変わるコミカルな動きを続けるかもしれない。


「私はこのスカートの存在意義のために、もうしばらく歩き方を模索すると思いますが、赤祖父様はお気になさらずに」


 千早の答えに愛は苦笑いを浮かべ「ま、まぁ――どうしても気になるなら仕方ないけど」と呟き落とす。それに続いて何かを思い出したかのように「あっ!」と声をあげ、鞄の中からカッターナイフを取り出した。店に持ち込まれた血まみれのカッターナイフは、ビニール袋に入れたまま千早が預かっている。愛が鞄から取り出したのは、千早が持ってくるようにお願いしていた、愛のカッターナイフなのであろう。


「これ、頼まれてたカッターナイフね。どこに置いたか分からなくなって、結構探した」


「ありがとうございます。そちらのほう、この場で拝借してもよろしいですか?」


 歩幅の研究は継続しつつ、愛のところまで歩み寄ると、手を差し出してカッターナイフを受け取る千早。愛が店に持ち込んだカッターナイフは血まみれであり、当たり前ながら、元々どんなデザインのカッターナイフなのかを知ることができない。単純にそれを知るために、愛にカッターナイフの持参をお願いしたのだった。状態の良いものを査定の基準にするのは、古物商の基本中の基本といえよう。


「もちろん。私に協力できることがあるならなんだってするから、遠慮しないで言ってね」


「はい、ありがとうございます」


 礼を言いつつ歩きながらカッターナイフを観察する。赤を基調としたデザインであり、持ち手のところに50周年記念の刻印があるのは同じである。ざっと眺めてはみるが、おそらく愛が持ち込んだものと同じものであろう。カッター自体に個体差は設けられていないようだ。カッターにデザインの違いなどがあれば、犯人を絞り込むことができたのかもしれないが、しかし残念ながらカッターナイフは量産性で個別の特徴があるわけではなさそうだ。


「それはそうと――ちょっとは慣れたんじゃない? そのスカート」


 カッターナイフの観察に没頭するあまり、歩幅の調整をすっかりと忘れてしまっていた。今さらかもしれないが、スカートの端を手でおさえて振り返る千早。もちろん、後ろには誰もいない。その様子を見て、愛は微笑ましいと言わんばかりの笑みを浮かべる。


「なんか、そういうので恥じらえるってのは可愛らしくて羨ましい気もするなぁ。純平から聞いたけど、猫屋敷さんって学校でも大人しいんだって? そういう可愛らしいところも含めてさ、もう少し前に出れば、男子が放っておかないと思うんだけどな。ザ・美少女って感じだし」


 愛は何気なしに――むしろ、社交辞令も含めて言っているのであろうが、そのようにおだてられるというか、褒められることに対して、千早は極端に耐性がない。頬は紅潮しているであろうし、嬉しいような――それでいて恥ずかしいような感情が交錯する。


「な、ななななななっ! 何をおっしゃるんですか! 赤祖父様だって美しいですし! いえ、私なんかに比べたら世の中の女子は全て可愛いですから! ザ・美少女だなんてとんでもない!」


 自分でも何を言っているの良く分からない。嬉しいのと恥ずかしいのが入り混じった結果、盛大なる卑下をやらかす千早。そんな千早の様子を見て愛はさらに口を開く。


「まぁ、そんなに謙遜しないで。もっと自分に自信を持ったほうがいいと思うよ――」


 なんともこそばゆい気分だった。それをはぐらかすようにして「それはさておき、カッターナイフのデザインはこれで統一されているようですね」と、見れば分かるようなことを口にする千早。記念品として量産するのであれば、同一のデザインにしたほうがコストも安く済む。記念品のカッターナイフは、全て同じデザインで統一されていると考えて間違いはないだろう。


「うん、別のデザインのやつがあるなんて聞いたことないし――」


 話の路線を切り替えることに成功したようだ。何事もなかったかのように再び歩き出した愛に続き、改めて歩幅を調整しながら歩き出す千早。カッターナイフの観察に集中すると足元がお留守になるから、今度はしっかりと歩き方にも意識を向ける。


 愛に案内されるままに廊下を歩くと、玄関らしきところに突き当たった。正面玄関よりも狭く、こぢんまりとした様子の玄関だ。玄関の少し手前の壁には鉄の扉と小窓があり、小窓からは明かりが漏れていた。察するに玄関らしきものは裏口であり、小窓から漏れるのは警備員の詰所の明かりなのであろう。鉄の扉には【警備室】とのプレートがかかっているから、それがなんであるか考えるまでもないだろう。


「この時間なら警備員さんもいるはず」


 そう言うと、鉄の扉の前を通り過ぎ、明かりが漏れる小窓のほうに向かう愛。千早はカッターナイフを片手に、なおかつ歩幅がぶれないように後へと続いた。愛は小窓を小さくノックする。


「すいませーん。ちょっといいですか?」


 愛の呼びかけると、中から気だるそうな声が返ってきて、しばらくしてから小窓が開いた。そこから顔を出したのは、警備キャップを被った中年の男性だった。黒縁の眼鏡をかけており、上半身のみの出で立ちになるが、いかにも警備員といった具合の制服を着ている。


「あ、もしかしてまた風紀委員会の人達? 独自に事件のことを調べるのはいいけど、こうも何度もおしかけられちゃ困るよ」


 警備員は愛と千早の姿を見るや否や、わざとらしく大きな溜め息をつく。しかもやや不機嫌そうにだ。当たり前であるが、こちらは風紀委員会ではない。むしろ、千早にいたっては他校の生徒である。言いがかりもいいところだ。


「あ、いえ。風紀委員会じゃないんです」


 きっと、風紀委員会が何度も警備員のところを訪ねているのであろう。やや辟易へきえきしているといった具合の警備員だったが、愛の一言を受けて改めて溜め息を漏らす。ただ、つい今しがたの溜め息とは少し違い、そこには安堵らしきものが含まれていた。


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