祭
「骨董市っていうか……」
傍らで加代が渋い顔をする。その声は落胆したような、呆れたような。
八月のある日、我らが圓谷古道具店一同は町の中央部に位置する神社の夏祭りに来ていた。近所の小さな神社と違い、屋台なんかも出るそこそこのやつだ。その片隅で行われる骨董市が目的……だったのだが。
「がらくた市だなこれ」
大通りからバスに乗って三十分、バス停からさらに十分ほど歩き、たどり着いた目的地で行われていたのは、どちらかというと俺向きの古物市だった。知り合いから話を聞いてちょっと散歩がてら来てみただけで、それほど期待はしていなかったとはいえ。骨董と呼べるようなものもないではないが、見る限り近所のおっさんが倉の奥から出てきたがらくたをとりあえずダメ元で持ってきてみました、というのがほとんどのようだ。
これはこれで掘り出し物がありそうな気配がするのだが、皿にこだわる加代にはさぞ不服なことだろう。
びっくりするほど大きなやかんの品定めをしている俺を置いて、少女は歩き始める。いつになく嬉しそうだった境内に入るまでの表情はとっくに消え失せている。
「つまんない。せっかく頑張ったのに」
「そう言われてもな」
口の中でそう呟くと、胸ポケットに挿した彼女の本体――翡翠の簪が鈍く光る。
やかんの底に小さな穴を見つけてシートの上に戻すと、見守っていた爺さんが残念そうな顔をした。
「……頑張った、か」
一時間ほど前のことを思い出しながら、ゆっくりと後を追う。先を行く見慣れない赤色が、わずかに色あせて見えた。
「お前……他の服着られたのか」
玄関から出てきた加代の姿に、真っ先に出てきたのはこんなセリフだった。
どう? と、袖を持ち上げたそれは、いつもの着物とは違う、鮮やかな赤の浴衣。
「着たことのあるものならね」
多少の中抜けはあったものの、いわゆる幽霊である彼女と暮らし始めて一年が経っていた。退屈しのぎに皿を数えていたあの頃と店の中で甲斐甲斐しく古皿の埃を拭き取っている今、加代の姿に一片の変わりもなく、それは身に纏う着物も同じだった。季節が反転して、さらに元に戻っても、ずっと同じ。生活スペースと店は隣り合わせでどちらも常にエアコンが効いているし、そもそも幽霊なんだから当たり前かと思っていたが、ここにきてまさかの浴衣だ。そりゃあ驚いても仕方ないじゃないか。
「着たことなくても資料があればまぁなんとか」
「嘘だろ……」
そんな涼しげな格好ができるなら去年から夏場はそれでお願いしたかった。
思わずこぼれた言葉をどういう意味に取ったのか、彼女はカラカラと笑う。
「なんなら今すぐ魔法少女にでもなりましょうか? 古本屋で見たからできなくはないわ」
「秋の変身ヒーロー&ヒロイン祭りに参加できるようになるかもしれないが、今はちょっと勘弁してくれ」
「……なんて?」
「気にするな。つーかお前最近あそこに入り浸ってると思ったらそんなもん見てたのか」
「いや、そういうわけじゃないけど」
加代が言葉を濁したところで会話は途絶えた。大通りに出たのだ。
加代は、一部の人間以外には見えないし、当然声も聞こえない。会話を続ければ、職質対象者ができあがってしまう。
なんで突然『着替える』気になったのか疑問ではあったが、それを聞くタイミングは来ないまま今に至る。
加代が皿に固執する理由は『いい皿に耳を寄せれば声が聞こえるから』らしいが、その声は一方的な場合もあるし、一応会話が成立する場合もあるようだ。その程度のコミュニケーションしかとれない相手に、服装の違いはわかるのだろうか。そもそも皿に目はあるのか? 頑張って見せたかった相手が皿でないなら誰に。
乙女心はよくわからない。いや、そもそも乙女なのかもわからないが、それはそれとして。
こちらが回想と考察にふけっているうちに、幽霊は意外なものの前にしゃがみ込んでいた。
売り子のおばさんは運良くこちらを見ていない。気づかれないよう、ぼそぼそと話しかける。
「……欲しいのか、それ」
「あれ、買わなかったの? やかん」
「ん? あぁ、底に穴空いてたから」
「買ってきなさいな。多分八百屋の奥さんが買うわ」
「んあ? なんで」
「寒くなったら焼き芋売ろうかって言ってるの聞いたから。あそこそんな機械ないし、やかんに石敷き詰めて焼くといい感じにできるのよ。あんなでっかいやかんそうそう売ってないしね」
「ほう」
これは驚きだ。雑学はともかくご近所情報について。さすが盗み聞きし放題の幽霊だけある。
「あと、まだ何か買うつもりでしょ? 鞄代わりにいいじゃない。絵面的にはすごいけど」
そう言って意地悪な笑みを浮かべる。見ていたものがお気に召したのか、それは先ほどまでの面白くなさそうな顔ではなかった。子供らしいというかなんというか、ころころとよく変わることだ。
「じゃあ、ま、買うとしようかね」
売り先があるなら商売人としては買わない選択肢はない。八百屋にもよくしてもらっていることだし、特別価格で恩を売っておくのもいい。
「で、その前に話戻るけど、お前はそれが欲しいのか」
「えっ、あ、いや」
皿でこそなかったが、その手にはちいさな器がおさまっている。
ブルーウィローのジャパニーズティーカップ。要するに湯飲み。多分偽物だが嫌な思い出のあるウェッジウッド風に作られたそれを、まさかこいつが進んで手にするとは思いもしなかった。というかむしろ見つけたら衝動的に割りそうとまで思っていた。
「……うん。欲しい」
一瞬迷った様子を見せた後、加代は素直に頷いた。
目利きという意味で洋物を見る目はなさそうだが、まぁいい。
その手から湯飲みを奪い取り、会計を済ませる。たった三〇〇円。新聞紙に包まれて戻ってきたそれを再び加代へ渡すと、ふわりと肩に乗った彼女は耳元で囁く。
「いいの?」
「先払いの報酬だけどな」
「……ん?」
「お前、近所の人の好きそうなものとかわかるか? ここに売ってあるもので」
にやりとしながら差し出した交換条件。常連客の好きそうなものはわかっても、近所の人の好みはわからない。長い目で見れば、違う方面からの顧客開拓をしてみてもいいだろう。
そんな計画に幽霊は、あはは、と声を上げる。
「承知したわ。任せなさいな。若旦那」
やかんががらくたでいっぱいになる頃には、もう日が暮れかけていた。
すっかり忘れていた祭神へのお参りを済ませると、もうそろそろバスの時間だった。
結局、浴衣の理由は聞きそびれてしまった。
まぁいいか。ただお祭りだから着たかったとかそういうことかもしれないし、あの湯飲みと話して満足したのかもしれない。
石段を降りると、狭い駐車場には夜店の明かりがあふれていた。
来た時はいくつかしか出ていなかったのに。子供の姿も増え、盆踊りが始まるこれからが本番のようだ。
「お?」
人混みに入り込む寸前、急に肩から重みが消える。
「……大丈夫か」
加代がこういう状況で歩きたがるのは珍しい。ぶつかることがなくとも他人が自分の中をすり抜けていくのは嫌いらしく、人混みに入るときはいつも俺の肩を定位置にしていた。しかも今日この場所は、ただでさえ大変な人混みを、子供が縫うように元気に走り回っている、明らかに彼女の嫌いなパターンなのに。
「うん」
けれど頷いたその声には、不愉快さなど欠片もない。
小走りに前に出た彼女は、子供と同じように器用に人を避けて進む。
慌てているわけではないし、何かから逃げているわけでも、何かを追いかけているわけでもない。
おそらくそれは、俺と距離を取るための手段。
目的を達成すると、彼女は足を止め、こちらを振り返る。
そして俺は、いくつかの人の壁を抜けて、もう一度彼女の姿を見つけた。
――あぁ、
目に映った光景に、悟る。
推理は外れた。きっとこれが、わざわざ『着替えた』理由だ。
朱い鳥居の下、笑う加代の姿。
そしてその周りには――たくさんの、浴衣姿の子供たち。
白熱電球のあたたかい光の中、
赤い浴衣は白い手足を抱き込んでその背景に溶け、
幽霊の少女を今この瞬間だけごく普通の子供にする。
今この瞬間を写せるカメラがあったなら、迷わずシャッターを切っている。それができないから、彼女は、俺をカメラの代わりにしたのだ。自分の姿を映して、その反応で確認するために。
――何をやってるんだか。
苦笑する俺に、戻ってきた加代が同じく苦笑を返す。
「満足しましたか、お嬢さん」
未だに現役なのか、カセットテープ特有の歪んだ炭坑節が遠く聞こえ始める。
「ん」
まだ紛れていたいのか、肩には乗らず、加代は隣で小さく俺の袖を引く。
お互いそれ以上特に言及することもなく、鳥居を出た。
こうして圓谷古道具店の遠征は穏やかに幕を閉じたのだが。
後日談として、湯飲みに話しかける加代の言葉から、骨董市でこぼされたあのセリフの意味と、ついでに彼女が古本屋に入り浸っていた理由を知ったことをここに追記しておく。
「はうあーゆー?」
圓谷古道具店、もしかすると近々、洋物の取り扱いが可能になるかもしれない。
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