圓谷古道具店
桂瀬衣緒
邂逅
まずはじめに思ったのは、『あ、若い』だった。
「一枚」
和服美人と聞いたはずだが、その表現を使うには随分とあどけない。どう見ても十やそこらで、女の子と言ったほうが適切ではないか。
「二枚」
少女は数える。傍らに積み上げられた、鮮やかな色絵の皿。古伊万里染錦花唐草? おそらく触れることすらかなわないそれには、残念ながら結構な価値がありそうだ。
「三枚」
まぁ、それはともかく。
──本当だったか。
昼間、悪友である呉服屋長男から買い取ったのは翡翠の玉簪。ニヤニヤ笑いが気になったもののモノは悪くなかったから友人価格で引き取ってやったら、帰り際にわざとらしく、それはもうたった今思い出したように、曰く付きらしいと付け加えた。
『お前なら気に入るんじゃねぇかな』
気に入るものか。下手すりゃ値が下がるのに。
「四枚」
馬鹿馬鹿しいと思いつつ枕元に置いてみた結果がこれだ。
まいったな。
うちの客には曰く付き専門みたいな好事家もいないではないが、あれは熟女好きだ。出てくるモノがこのナリでは守備範囲外だろう。去年『男だった』という理由で返品かましやがった奴にこれは渡せない。返品されなかったらされなかったでなんか嫌だし。
ため息が口をつく。それでこちらに気づいたらしく、少女は顔を上げ、不思議そうにこちらを見つめてきた。
言葉は通じるだろうか。通じるなら、交渉次第で出て行ってくれたりしないだろうか。
えーと、なんだっけ。あ、そうそう。
「お岩さん、だっけ?」
「人違いです」
即答した少女は不機嫌そうな顔で手元に視線を戻す。
「五枚」
「人違い?」
「それじゃ四谷怪談じゃないの」
「あれ、そうだっけ。じゃあなんだ。お菊?」
「それは番町皿屋敷」
「ん? 違うのか」
「一緒にしないでよ。六枚。使用人ならそんな簪持ってるわけないでしょ。それ結構いい品なんだから」
「それじゃあ悪いが知らないな。怪談話には疎いもんでね。嬢ちゃんなんて名前だよ」
「加代」
「加代ちゃんか。皿屋敷じゃないならなんで皿数えてんだ? 割って怒られたのか」
どうやら話は通じるらしい。それなら、と実のある対話を試みる。
皿を見たまま、首を振る少女。
「七枚」
「こういうことしてるやつって恨みとか未練があるんじゃないのか? なんかあるなら聞いてやるから話してみ? ちょっとは気も晴れるだろ」
満足してついでにそのまま成仏してくれると助かるんだがな、なんて、そんな思いは顔に出さずに。
「別に。なんとなくよ」
押し隠した本心を知ってか知らずか。加代はぶっきらぼうに答え、皿を置いた。
「もう数えないのか」
「飽きたわ」
「えっ」
いやいや、なんだそれ。まだ七枚しか数えてないだろ。せっかく今、思い出したのに。
「もうちょっとだけ数えないか」
「は?」
「いいだろ。せっかくだし」
「……別に、いいけど。えーと、八枚」
「そうそう、その調子」
なんなら手拍子でもしてやろうかという勢いでニコニコしているこちらに、訝しむというよりはどこか哀れむような視線が投げかけられた。
「九枚」
思い出したのは、どこかで聞いた昔話。
「十枚!」
最後の皿を手に少女が数えきったその瞬間、横から付け加えた。
数秒間の静寂。さぁどうだ! という気分は、加代の呆れ顔の前で恥ずかしさに変わっていった。相手が相手なら、これで喜んで成仏したらしいのに。
「残念でした。それ、聡もやってたけど効かないのよね」
少女が立ち上がると、積み上げられた皿はふわりと消え失せる。
聡というのは呉服屋の息子の名前だ。あの野郎、やっぱり知ってて押しつけやがったな。
「でも、四谷怪談とごっちゃにしてた人がよく知ってたわね。聡はウィキペディア見てたけど」
「てか、お前こそなんでウィキペディアとか知ってんだ」
「狭量なことね。生きてる限り知識は更新されるもんなのよ。昔の人がずっと頭の中まで昔の人でいなきゃいけない理由はないもの」
ごもっともな意見だ。生きてる限りもなにもお前は死んでんじゃねぇか、と言いたくなること以外は。
「それよりさ、なんかいいお皿とかないの? ここ骨董屋さんなんでしょ?」
部屋をくるりと見渡して加代は尋ねる。
なるほど。教えたのは聡か。昼間言われたセリフの意味を知る。気に入るのはこちらではなくて彼女のほうか。
「あいにくうちは古道具屋でね」
「違うの?」
「骨董なんて呼べるほどご大層なもんは置いてないんだよ。別に目利きでもないもんでな」
ふすま一枚隔てた店内には箪笥や文机、ランプにやかん。誰の作かも知れない年季の入った道具たちが節操なく並んでいる。
「あぁいや、器ならあるにはあるな」
ガタガタと立て付けの悪いふすまを開ける。少し奥にある棚から数日前気まぐれで仕入れた器を手に取り、後をついてきたお嬢様に手渡した。
久谷焼の紫釉鉢。この暗さでは色味もわからないだろうが。
不思議なもので手渡した器は落ちることもなく、半透明の小さな手のひらに収まった。
加代は手にしたそれを、窓から差し込んだ月の光にかざす。
「悪くないわ」
「それはよかった」
「もっとないの?」
「残念ながら今はそれだけだな」
加代は器に頬をつけ、目を閉じて、耳を澄ますような仕草をする。
「……そう」
その姿は何故か、寂しさに耐えているように見えた。考えてみれば、当たり前なのかもしれない。家族も友達もいなくなった世界に、ひとり取り残された存在。途端に、袖からのぞく白い手首が、酷く脆いもののように思えた。
ちくりと胸を刺したのは『消えればいい』と思ってしまった罪悪感。
「……お前、昼間は出てこられないのか」
それを打ち消すように思いつきを口にする。もしかすると今、俺は取り憑かれようとしているのかもしれない。
「ん-、出られないってこともないけど何? 他の人には見えないから、店の手伝いはしないわよ」
「いや、店は定休日。そもそも幽霊の手まで借りたいほど繁盛してそうに見えるか?」
「……見えないわね。違うなら、何?」
かわいそうなものを見るような目に地味に傷ついたが、気を取り直して本題に移る。
「仕入れだよ。ついてくるか? 骨董市だけどな。皿はたっぷりあると思うぞ」
──あの時の顔は、彼女がいなくなった今も鮮明に覚えている。
「で、この変わりようか」
聡が店内を眺めて言う。
「ん、まぁそういうことだ」
じわじわとやかましい蝉の鳴き声を聞きながら、要求された麦茶のグラスを手渡してやる。
「三分の一ってとこか。こんだけ皿があると圓谷古道具店に見えねぇな」
「……そうかもな」
「さっきも客来てたろ? 繁盛してるみたいじゃないの」
「そこそこ価値のある皿もあったみたいでな」
「大した目利きだったわけだ」
「目というか耳というか。よくわからんけどいい皿からは『声』が聞こえるんだと」
棚に並ぶ皿を見渡して、へぇ、とどうでもよさそうな言葉を返した悪友は、何故か得意げに笑っている。俺が引き合わしてやったと言いたいらしい。
「それで? 噂の簪ちゃんはどこいったんだ」
「売った」
傾けられたグラスから足元へ雫が落ちる。薄暗い店内に、カランと涼しげな音が響いた。
「はぁ? なんで?」
その反応には案の定、批難の色が含まれている。買い取った商品をどうしようと売り主に文句を言われる筋合いはないし、言い訳するのもおかしなもんだが、人でなしみたいに言われるのはしゃくに障った。
「仕方ないだろ。あいつが行きたいって言ったんだ」
相手は身なりのいい外国人だった。イギリスから観光に来たというその男は、シャツの胸ポケットにさしていたあの簪がいたくお気に召したらしい。言い値で払うと頼み込まれて困っていたところで加代が言ったのだ。『売りなさい』と。
「フラれたか」
「かもな」
あの日、骨董市でくるくると駆け回っていた楽しそうな顔を思い出す。あれだけ活発な彼女なら、知らないところにも行きたかったのかもしれない。
今頃はきっと、金持ちの家で隣の皿とのんびり会話でもしているのだろう。
「……感傷に浸ってるとこ悪いんだけどさ、その横取り英国紳士、もしかしてあれか?」
「あ?」
半笑いの聡が指さす方向を見ると同時、ガラリと音を立てる店の入口。たった今頭の中に浮かべていたそのまま、というかそれより若干顔色の悪い客が駆け寄ってくる。
「返品お願イしまス」
嫌な言葉とあわせて手渡された玉簪と、
「ただいまー」
傍らをひょいと横切る影。
「……かしこまりました」
普段受け付けない返品を笑顔で引き受ける。
少し話を聞いたあと、英国紳士の相手を聡に任せて、帳簿を探しに奥へ引っ込んだ。
「洋皿はお気に召さなかったのか」
売ったときと同じくカタコトの日本語で、聞き取れた理由は、悪い夢を見るから、だった。毎日毎日夢枕で彼のコレクションを割りまくり、帰りたいと泣いたらしい。
「そういうわけじゃないわ」
出戻り娘はふてくされたような顔で、置いてあった在庫の大鉢を抱きしめていた。
「楽しくやってると思ってたんだけどな」
「……仕方ないでしょ。想定外のことが起こったんだから」
「なんだ。いじめられたか?」
返品ほやほやの簪を胸ポケットにさし、帳簿を繰りながら聞いたのは、
「……ウェッジウッドは日本語話せなかったのよ」
あまりにも間抜けで、思わず噴き出してしまうような返答だった。
こうしてこの日、圓谷古道具店に従業員一名が加わった。
売り場面積を拡大した食器類の売り上げは好調だが、謎のポルターガイストを防ぐため、洋物の取り扱いは当分予定していない。
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