第14話 開戦
麓の森。
下草の地面の一部が、カパッと少しだけ開く。
土中に掘った隠れ穴から、徳馬が外の様子を注意深くうかがう。ここからだと、少し先にある〈休憩場〉が見通しやすい。
徳馬は、
「はやく参れ、弾正……!」
気合いに満ちたつぶやきを漏らす。
一方、太郎太は草藪にまぎれていた。
草葉を全身にびっしりとくっつけた装束を着こみ、座りこんだ状態で背景にカモフラージュしている。少しばかり不自然な草が混じっているものの、パッと見では気づかないそこそこの出来栄えだ。
太郎太はジッと息を潜め、眼だけがギョロギョロと周囲を探っている。やはりここからも、少し先にある〈休憩場〉が見通しやすい。
懐に手を入れ、隠し持っている焙烙玉を指先で触れる。
「今日が正念場じゃ……!」
並々ならぬ気合いの入りようである。
実は徳馬と太郎太は、叔父と甥の関係であるこの二人は、お互いまったく気づいてないが、大樹の幹を挟んで五間(約9メートル)と離れていないほどの至近距離で潜んでいた。
廃寺の境内。
塀の崩れたところから、田園地帯の先に広がる〈麓の森〉が眺められる。
「………」
善吉は突っ立ったまま、心配そうな顔つきで森のほうを見つめていた。
そこへ佐吉と六兵衛が近寄ってきて、
「たしか今日は、弾正様の狩りの日じゃったな」
「あの……昨日の太郎太の様子はいかがでしたか?」
「そういえば、なんぞ珍妙な物をこしらえておったぞ。服に草をいっぱいくっつけて」
「〈
すぐにピンとくる。この術は里でもよく試していたのだ。
そのとき、
ボンッ! という爆発音が突然響きわたる。
「!!」
善吉はハッとして、すぐさま〈麓の森〉のほうに目をもどす。
だがなんの変化もなく、静かなままだ。
「おいおい、屁だけは景気がいいな」
佐吉がツッコむ。
六兵衛は自分の尻をパンと叩いて、
「馬並じゃろ」
六兵衛と佐吉は大笑いする。
善吉は一瞬拍子抜けするも、
(あの太郎太が手柄なんか立てられるはずはない……)
とすぐにまた心配そうな顔つきにもどる。
彼自身も気づいていないが、そこにはかすかに嫉妬の感情も混じっている。
「さように世の中甘いはずは……」
善吉は妄想する──
森の木々が、円形状になぎ倒されている爆発跡。
そこで太郎太が、弾正の生首を掲げて勝ち誇って大笑いしているのだ。
(まさか……。すぐに逃げ帰ってくるさ)
談笑している六兵衛と佐吉に、
「もし今日、一介の町人がうっかり森に入って、弾正様の一行に見つかったらどうなりますか?」
「高札に〝その日は誰も森に近寄るべからず〟と書いてあったろう」
「禁を破ったりしたら、牢に入れられるぞ」
〈麓の森〉の木々から、数羽の鳥が空へ飛び出していくのが見える。
(休憩場所の近くに潜むとか言ってたが……)
善吉は、その〈休憩場〉が森のどこにあるのかさえ知らない。だが居ても立ってもいられなくなり、
「ちょっと用事を思い出しました!」
懐から畳んだ紙を取り出して、
「もしわしが帰ってこなかったら、これを手鞠殿にわたしてください。必要な薬の薬方を記してあります」
「ん? おう」
紙を佐吉に手わたすと、あわただしく門から駆け出ていく。
麓の森の〈休憩場〉近く。
徳馬はあいかわらず、土中の隠れ穴から外を見張っている。
そのとき──
「!」
〈休憩場〉にむかってくる、弾正一行の姿を目にする。
いっしょに隠れ穴に潜んでいた仲間にむかって、鋭く小声で叫ぶ。
「弾正が参った!」
一方その頃、太郎太もまた、〈休憩場〉にむかってくる弾正一行の姿を凝視していた。
狩装束を身につけた馬上の弾正と、
「お、をおうっ……!!」
怯えとも気迫ともつかない唸り声を漏らしながら、太郎太はガバッと立ち上がる。
懐から焙烙玉をとりだし、胴火で導線に火をつける。
慎重にタイミングを見計らい、
「今じゃ!」
だが放り投げようとしたそのとき、導線の火が消えていることに気づく。
「いかん……!」
また胴火で点火しようとするが、あせって手が震えてしまう。
「
ぐすぐずしてるから、警固衆に発見されてしまう。
「まずい!」
焙烙玉を懐にしまい、太郎太は全身を草で覆われたマヌケな緑の妖怪のような姿のまま逃げ出す。
「おい、待て!」
小姓の一人が、弓を引いて太郎太の背中に狙いをさだめる。
「待たんと射るぞ!」
太郎太はビクッと立ちどまる。
徳馬は、隠れ穴から
「なんじゃ!? 何を騒いでおる?」
木々に邪魔されて、ここからでは弾正一行と太郎太のやりとりはよく見えないのだ。
太郎太は、怯えて立ちすくんでいる。
「こちらへ来い!」
太郎太は言われたとおりに、弾正一行のほうへおずおずと近寄っていく。
馬廻の
「いずこの手の者じゃ!」
「めっそうもない。わ、わたしはただの
頭は、全身を草で覆われた太郎太の姿をまじまじと見て、
「さような面妖な樵がおってたまるか! 他の一味はどこに潜んでおる! 吐け!」
さらに切っ先を強く首筋に押しあてる。
ほかの警固衆は、より緊張感を高めて周囲を警戒している。
「な、仲間は一人おりましたが裏切られました!」
「たった二人か? 嘘を申すな!」
馬上の弾正は面倒くさそうに、
「もうよい。吐かぬのならこの場で斬り捨てい」
「はは」
他の馬廻の二人が、両脇から太郎太の背中を押さえつけ、無理やり前かがみの体勢にする。
頭は、太郎太の首に狙いをさだめて刀を振りかぶる。
「し、しばしお待ちを! 何でも
太郎太は大慌てで命乞いする。
カツンッ!
そのとき、すぐそばの木の幹に矢が突き刺さる。
「!」
「!?」
木々の間から、完全武装した五十人もの甲賀衆が次々と姿を現す。弾正側の十倍もの兵力だ。
「なんじゃうぬらは! こちらのお方を尼中弾正様と知っての所業か!」
頭が猛然と威嚇する。
それにこたえるように、徳馬も姿をあらわす。
「われらは甲賀衆! 弾正殿のお命ちょうだいに参った!」
一番盛り上がる格好いい名乗りであるが、それに答えたのは目の前の敵ではなく太郎太だった。
「叔父殿! 何故ここに!?」
「おぬしこそ、さような珍妙な姿で何をやっとる?」
太郎太は、弾正一行が委縮しているのを見てとると、そろそろと徳馬のほうに駆け寄っていく。
「もちろん叔父殿の助太刀に参ったのでございます!」
装束をさっさと脱ぎ捨てて背中の刀を構え、優勢な甲賀衆の輪にちゃっかりくわわる。
そばには十文字槍を構えた与五郎がおり、
「なにが助太刀じゃ! おぬしのせいで作戦を力攻めに変えねばならなくなったじゃろうが!」
徳馬は弾正にむかって、
「この場で潔く腹を召されるなら手出しはしますまい。いかがなされる?」
「いらぬ気づかいじゃ」
弾正は余裕の笑みである。
「虚勢を張るな! こちらは甲賀衆の中でも選り抜きの達者ぞろいじゃぞ!」
太郎太が勇ましく叫ぶ。虎の威を借りて調子に乗っている。
「観念するのはそちらのほうよ」
弾正はサッと右手を上げて合図する。
木々の間から、大人数の黒太刀衆および兵馬の正規兵がいっせいに姿を現し、甲賀衆を取り囲む。その中には
総勢およそ百五十人。甲賀側の三倍もの兵力だ。中には鉄砲を構えている者までいる。再び形勢逆転である。
「伏兵……! なにゆえ悟られたのじゃ……」
徳馬を始めとする甲賀衆は、動揺の色が隠せない。
弾正は、袋に入れていた〈
「うぬらの計略なぞお見通しじゃ。一人残らず
「やべえ……!」
太郎太は再び恐怖で青ざめる
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