④ガパオにエスコート

※本編『Sérénade ~セレナード~ 後編』で、ショウと明里が食事の約束をした直後の出来事です。


本編『エレガント・セレナード』の大幅なネタバレを含みます。



        1

 夜、ライトアップされた街を歩く時間。どうしてこんなにも心が軽くなるのだろう。


 外山とやま明里あかりはコンサート会場の建物を出るなり、叫び出したい衝動に駆られた。


 (信じられない!)


 浮遊感。身体が軽くて、地面に足がついている気がしない。


 (嬉しい!)


 ことある毎に『キャー』と黄色い悲鳴を上げる少女漫画の女の子の気持ちを、今以上に理解したことは無い。


 (嬉しい!!)


 それは、数分前の出来事だった。



 同級生の高峯たかみねアキラの演奏を聴くため、明里は受賞者コンサートへやって来た。そこで偶然、同じく同級生の唐木田からきだショウと出会った。


 帰り際に、ショウはこんなことを言ったのだ。


 「外山、来週タイ料理行こうか」


 明里は自分の聴覚を疑った。


 幻聴じゃなければ、ショウは明里をデート…食事に誘ったはずだ。


 しかも、タイ料理。明里がエスニック料理好きだと言ったことを、ショウは覚えていてくれたのだ。


 「ごめん、忘れて―――」


 (なんで!?)


 ショウが申し訳なさそうな表情でそんなことを言うものだから、赤くなっていた明里の顔は一気に青ざめる。


 明里は慌ててショウの言葉をさえぎった。


 「行く」



 こうして明里は七年来の付き合いであるショウと、初めて二人きりで出かけることになったのだ。


 以前ならばこのような誘いがあったとしても、「浮かれず」「冷静に」「どうせショウは何も考えていない」「ショウとどうこうなりたい訳じゃないし」と、素直に喜ばなかっただろう。


 だが今は状況が違う。来月からショウは京都の大学、明里は都内の音大へ進学する。もう、今までのように会うことはできない。


 そのことが、自分の気持ちに素直になろうと明里に決心させていた。


        2

 待ち合わせの駅へ着くと、すでにショウがいた。高校が私服校だったので、休日の私服というシチュエーションに特別感は無い。挨拶もそこそこに、タイ料理店へ向かう。


 その間、明里はショウのごく自然な気遣いを受け続けることとなる。


 外に出たら当然のように車道側を歩き、しかも明里をさりげなく日陰へとエスコートした。


 お店に着いたあとは、ドアを開け、明里をソファ席に座らせ、一つしかないメニューを明里の方へ向け、注文もショウがまとめて伝えてくれた。

 

 「グアバジュースと紅茶。紅茶はホットで。ガパオライス二つ。どちらもパクチーを入れてください。それと、マンゴーグラッセ二つ。食後にお願いします」


 これらは全て自然で、かつ、スマートだった。


 明里は恐ろしさに震えた。ショウの気遣いは嬉しいのだが、彼のことだから意識せずにやっているのだろう。もちろん明里以外に対してもだ。


 ついでに言うと、女性だけではなく、男性にもそう振舞っている可能性が大いにあるような人物だと認識している。


 ショウに恋人がいたという話は聞いたことがないが、大学に入ったらどれだけ言い寄られるだろうか。中学高校とは違い、明里はそれを見届けられない。


 サークルにバイトにゼミ。交流関係は一気に広がるはずだ。誰かと指を絡めるのだろうか。誰かの耳元で愛を囁くのだろうか。それに一人暮らしなら、いつでも……。胸が苦しくなったので、考えるのをやめた。


 「いつ京都に引っ越すの?」


 「明後日」


 「じゃあ、準備とか忙しいんじゃない? 時間使わせてごめんね」


 「もう大体済んでるから大丈夫。それに、誘ったのは僕だよ」


 料理がきた。評判どおりとても美味しそうだが、がっついてはいけない。


 「いただきます」


 「いただきます。ん、美味しい!」


 「うん。美味しいね」

 

 「ショウは大学に行って、何になりたいの? 何をしたい、でもいいけど」


 「やっぱり研究かな。化学を専攻して、院進して、研究職に就ければ嬉しい。これからもう少し真剣に考えていくつもり。あと、ピアノもできるだけ弾き続けたい。外山は?」


 「ピアニストになりたいのは変わってないけど、最近は音楽療法にも興味があるの。大学ではとにかく、音楽についてもっと知りたい。それから、演奏家としての素養も身につけなきゃ。世界史や哲学、心理学……ホント、いくら時間があっても足りない」


 明里は、自分のピアノで誰かを癒すことに憧れを持っていた。その手段が音楽療法なのかは、まだわからない。


 自分にとって音楽とは何か。自分の人生と音楽はどう関わるのか。その考えをもっと深めなければいけない。自分の道を決められるのは、自分だけなのだから。


 「いいね。僕も、知らないことを沢山知りたい。将来を決めるのはその後でもいい」

 

 「あとは……恋愛、とか」


 「へえ。外山がそういうことを言うのは新鮮だね」


 「そろそろ、流石に誰かと付き合ってみた方がいいのかなって。恋愛する過程で得られる感情は、らしいし。ショウは?」


 「何が」


 「恋愛したいとか、付き合いたいとか思わない?」


 「付き合う、か。考えられないな」


 「ふうん」


 「自分のことだけで手一杯。今は特にね」


        3

 会計は、なぜか既に済まされていた。明里がお手洗いに席を立っていた隙に、ショウが支払ったに違いない。


 もと来た道を辿って、駅へ向かう。


 「『おごろうとか考えないでよね』って言ったのに」


 「外山、今までありがとう」


 「急にどうしたの?」


 「僕は人付き合いが得意なわけじゃないから。外山がいなかったら、中学でも高校でも苦労していたかもしれない。ありがとう」


 「ショウは、自分を低く見すぎだと思う。ショウが考えている以上に魅力的で、周りに好かれているよ。心配になっちゃうくらい」


 「心配って?」

 

 「気にしないで」


 『今までありがとう』とは、まるで最後みたいな口ぶりだ。ショウはもう明里としばらく会わないつもりらしい。


 それならもうどうなったっていいと、明里は半ば自棄になっていた。




 「私が高峯くんに初めて会って、興奮気味に話していた時、ショウはどう思った?」




 これで『なんのこと?』や『何も思わなかったけど』と返されてしまえば恥ずかしさで消えたくなる。しかし、まさか『モヤッとした』なんて言ってくれる場面も想像できない。


 ここまで考えて、明里は後悔した。どうしてこんなことを言ってしまったのだろうか。落ち込むだけではないか。


 居た堪れない。ショウの方を見ることができず、前を見つめて歩調を速めた。


 「―――――――――」


 直後、後ろから聞こえた彼の言葉に、思わず歩調を緩める。


 ショウが横に並んだ。


 いつの間にか、駅に着いていた。


 数秒前に発せられた言葉の意味を問おうとした。明里はその意味が全く理解できないほど鈍感じゃない。ただ、脳が理解できるかと、心が納得できるかは別問題だ。


 しかし、その問いは発せられる前にショウに掻き消されてしまった。

 

 「外山ならきっと、大事なものを見つけられるよ。頑張って」

 

 ショウは口の端を上げてそう言うと、最後に


 「バイバイ」


 とにっこり笑って、改札の奥へ消えて行った。


 後ろ姿が見えなくなった時、つうっと涙が頬を伝った。





 『僕のあの時の感情も、のかもね』





(スピンオフ『外山明里の恋』終)

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