第14話

 フロレンティーナは帝国をよくするために忠実にユーリの教えを守っていた。


 とことん悪を……。

 ではなく、人が嫌がるようなことを進んで行った。


 これだけ聞くと、とても悪いことをしているように聞こえるし、手紙にこのことを書いていたので、すっかりユーリには悪行を忠実に行う手下と思われていた。



 ただ、フロレンティーナが行っていた人が嫌がること……は、汚かったり、臭かったり、と言ったあまり進んでやりたくない仕事のことだった。



 まずは、帝国にある貧困街の清掃から始めていった。



 フロレンティーナは鼻を突き刺すような強烈な臭いに思わず顔をしかめてしまう。


 でも、ユーリなら。

 彼ならきっと鼻で笑って、こんな問題も簡単に解決してしまうのだろう。


 そう思ったら、フロレンティーナも逃げるわけにはいかなかった。


 そうして、帝国内の問題に取りかかっていったフロレンティーナ。

 自分の身を省みずに他人を救っていくその姿に、いつしか彼女は帝国の聖女と呼ばれるようになっていく。


 それも全ては英雄ユーリに並び立つため。

 聖女と呼ばれるくらいではないとその隣には立てない、とフロレンティーナは考えていた。



 そして、無事に貧困街に孤児院を作ることに成功する。

 限られた予算の中、たくさんの貴族たちと直接対面して説得する。


 正直まだ八歳のフロレンティーナからしたら、大人の貴族と話をするのは恐怖以外の何物でもなかった。



 でも、そんなときこそユーリの真似をする。



 大人相手でも怯むことなく、圧倒的な威圧を出しながら笑みを浮かべる。


 そうすることで自分が優位な立場なのだということを相手に知らしめる。


 おそらくユーリが何かにつけて、悪、と言っているのもそうした理由なのだろう、とフロレンティーナは予測していた。


 そして、フロレンティーナは、ユーリから来る手紙にその悪という言葉が書かれていると慰められ、思わず微笑んでしまう。



「ふふっ、ユーリ様も頑張っておられるのですね」



 今回届いた手紙も丁重に保管しておく。


 ユーリの手紙も今までのものはしっかり保管してあった。

 フロレンティーナと比べると一行や二行くらいしかないそっけない手紙。


 でも、それがまたユーリらしいと思えて、クスッと微笑んでいた。


 あれだけユーリのことを嫌っていた自分がもう彼なしの生活は考えられなくなっている。



「そういえば、たった一回、ちんちくりんのチビと言われただけでどうしてあれだけ泣いてしまったのでしょうか?」



 確かに酷い言葉ではある。

 しかし、それ以上の誹謗中傷は受けたことはある。

 皇帝の娘。

 しかも、上の姉に比べると気弱で国政を担えるのは思われていなかった。



 ただ、それなりに風当たりが悪かった分、酷いことには言われ慣れていた。

 いや、そう思っていただけかもしれない。



「そういえば、あの日、ユーリ様と会う前にお城にいた闇影省の貴族様にも挨拶をしましたね。えっと、名前は……確かアブラヒムさんでしたよね」



 そのときにユーリは優しい人でフロレンティーナが嫌がるようなことは何一つしないから安心してください、と説明された気がする。

 一度持ちあげられて落とされたからこそ、あのときのショックは大きかったのかもしれない。


 ただ、どうしてか、フロレンティーナは名前は思い出せたものの、その人の顔だけは全く思い出すことができなかった。







 ウルアース王国、闇影省。

 

 影を司る省であり、王国に不利益になるところへ赴き、情報収集や場合によっては暗殺等を行う悪の組織でもあった。


 ただし、それは表向きの活動。


 闇影省の長であるアブラヒム・バイスンゲッターは王国を衰退させ、滅ぼそうという邪教を信じるものの一人であった。

 いや、王国だけではない。


 滅びこそが正義。滅びこそが救済。


 つまり、この世に国なんてものがあるのがおかしい。

 影でそう教えを説いて回る闇の信仰。


 そして、ゆっくり影から省を支配し、自分の思うがままに動かしてきた本人でもある。


 もちろん、堂々とわかりやすく動けばすぐに他の人間に感づかれてしまう。

 だからこそ、かなり警戒をして、よほどのことがない限り正体がばれないように細心の注意を払っていた。


 ウルアース王国内に、この国が滅びへと向かっていると気づいている人間はいないであろう。



 ただ一人、ユーリを除けば。



 我々が長年を掛けてゆっくり、本当にゆっくりと破滅の道を作り上げたにも拘わらず、その全てをユーリに防がれてしまった。



 貴族たちの間に、領内に畑があることがどれほど田舎くさくて、優雅ではないかを説いて回る。

 より多くの料理の中から自分が食べたいものを選ぶのが、真の貴族のあり方だと説明する。

 他国にある希少な食材を教え、海外より食料を購入することこそが、自身の財力を他人に見せつけるチャンスであることを伝えて回った。



 そうすることで緩やかだが、王国内の食糧自給率が下がっていき、滅びの道へと進んでいく。



 そのタイミングでギルムーン帝国の第二皇女に嫌われることで、両国の仲を拗れさせ、王国内に食料が入ってこないようにする。


 もちろんそのタイミングは王国内の食料生産が落ちているタイミングが好ましく、それは今年が最適だった。


 しかし、本格的に活動をし始めた瞬間にユーリが同じく活動を始めて、長年かけて準備した王国崩壊のストーリーを瞬く間に壊してしまった。



 しかも、それを阻止するためにユーリ自身を排除しようにも、ほぼ同時のタイミングで彼の回りはアブラヒムになびかない人たちで固められてしまう。



 腹心に風税省の弱小貴族子息、ランベルト・バインツを。

 専任メイドにミーア・エルネストを。

 更に最近は水尚省の才女、ルミ・パーナーを。



 その誰もがユーリに全幅の信頼を寄せている上に、全員がかなり有能な人間だ。



 特にランベルトはかなり細かいところまで知恵が働く切れ者だし、ルミはどんな不正も見逃さない、文章のエキスパートだ。


 手紙という連絡手段を封じられているので、他国を経由しての策謀は通じないであろう。



 実際はランベルトはユーリに敵対視されているし、ルミは逆にユーリを悪だと考え排除する方法を考えているのだが、よく共に行動をしているところからこの二人はユーリの仲間と思われていた。



 もちろんそのことをユーリに話すと露骨に嫌そうな顔を見せるだろうが。



 ただ、この二人だけなら武力制圧すれば簡単にユーリは排除できる。

 そう思っていたのだが。



「ぐっ、ただの平民出身かと思ったが、ミーア・エルネスト……。こいつが一番厄介ではないか!」



 初めはただ、鈍くさいメイドかと思ったが、そんな人間をユーリが自身の専属メイドにするはずもない。

 そして、ミーアの真の能力が判明するのも遠くはなかった。







 さすがにユーリの力が厄介になってきたので、暗殺を謀ろうとアブラヒムは企てていた。


 ただ、相手は一国の王子。


 その身辺の警備は厳重でおおよそ隙らしい隙はない。

 本当なら一人、メイドとして闇影省の人間を送り込んでいたのだが、専属メイドが選ばれてしまってからは、彼の近くには常にミーアがいるようになってしまった。


 ただ、なんでも彼女一人でできるわけではない。

 やはり、英雄、ユーリの命令は多いようで、常にミーアはバタバタとしていた。



 本当はただ鈍くさくて、あたふたとしていただけだが、ユーリという存在のおかげで彼女の評価もまた自然と上がっていた。



 ――どうやってもユーリに近づくことができない。それならば料理に毒を盛ればいい。暗殺に成功すれば、適当に理由を付けてミーアに罪をなすりつければ全て解決する。優秀とはいえ、しょせん平民。代わりに罪を被ってもらうにはこれほどの逸材はいない。



 そう考えたアブラヒムは早速、部下を厨房に潜り込ませていた。


 影で行動することを基本とする部下たち。

 周りが一般人しかいない厨房に潜り込むことは容易であった。


 そして、ユーリの食事に毒を盛る。


 以前と比べて量も減り、ちょっとした違いでばれる恐れがあるが、闇影省で使っている毒はかなり特殊なもので無味無臭。よほど毒に精通していない限り気づくこともない。



 しかし、どうやらミーアは毒にかなり精通しているようだ。

 毒が入れられた料理はユーリの下へ届けられることはなかった。


 彼女が廊下に出た瞬間に皿の割れる音が聞こえる。


 まさか、と思ったアブラヒムの部下はすぐに廊下に出るとそこには毒の入れられた皿が割られ、廊下の掃除をするミーアの姿があった。



 一度ならそれがたまたまかと判断したかもしれない。


 しかし、毒を入れる度に同じように皿を割られていたのだから、これは意図的だと判断し、すぐにアブラヒムの下にその報告をしていた。



 ユーリのその近辺を毒にも精通した暗殺者顔負けのメイドが護衛している……と。



 もし彼女が毒を入れなかった日も監視していたのなら違う結果になったかもしれない。


 ミーアは偶然にも毒の入った料理の皿を割っていただけだった。

 それにミーアが皿を割らない日の方が珍しいほど、鈍くさい少女なのだ。


 ただ、ユーリという太陽が側にいるせいで、その専属たるミーアがそんなドジをするはずがない。そんな前提が着いてしまうと、ミーアは毒が入っていると判断して、それを意図的に排除しているのだと判断しても仕方なかった。







 しかし、ミーア以上に危ないのはユーリ当人だった。

 直接の暗殺が防がれるとなっては、警戒して影からユーリがどのような行動を起こすか察知するしかない。



 影のエリート。

 潜入捜査ならこの国随一の力を持つエリート集団。



 彼らは自分の力に自信を持っているし、まず見つかるとは思っていなかった。

 しかし、ユーリはそんな彼らが隠れているのを見破っていた。



 誰もいないはずの廊下。

 そこを歩くユーリ。

 たまたま供がいないタイミング。



 それは一瞬の気の迷いだった。



 ――今ならサクッと殺れるのではないだろうか?



 そんなことを考えてしまった。



 すると、突然ユーリが立ち止まったかと思うと、額に手を当てて低い声で笑いだす。



「くくくっ、そこのやつ、隠れているのはわかっているぞ! そんなに殺気を出しては、な。返り討ちになりたくなかったらとっとと去るがいい!」



 ――まさか軽く殺気を出してしまっただけで、ばれてしまった!? しかも、かなりの威圧……。このままでは本当に返り討ちになってしまう。



 そう感じたアブラヒムの部下は、細心の注意を払い、ユーリに気づかれないようにその場を去って行った。



 しかし、ユーリが先ほどの言葉を継げた相手。

 それは、宙を舞う蚊のことだった。

 闇影省の人のことなんて一切気づいていなかったのだ。



 あの物言いは普段から悪人になるために心がけている結果で、小さな蚊相手にもそれを緩めることはなかった。

 そして、軽く手で追い払ったあと、ユーリは何事もなかったかのように悠然と廊下を歩いて行った。



 ただ、闇影省の潜伏すら見破るユーリのことをアブラヒムは驚異と感じ、より一層排除の意向を強めることになった。



 そして、ついに大飢饉が起きる、ユーリが前世を思い出してから一年の年月が経とうとしていた。

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