第4話

「~♪ ~♪」


 ユーリは嬉しそうに鼻歌を口ずさんでいた。


「ユーリ様、楽しそうですね。何かあったのですか?」


 側に控えていたミーアが不思議そうに尋ねてくる。

 彼女には専属メイドになったときに、王子という敬称も外すように言っていた。


 さすがに悪人を志していくと、『王子』という身分を隠したいときも出てくる。

 そのときに、うっかりミーアが「ユーリ王子」と呼んでしまっては元の子もない。

 ミーアならそのうっかりを肝心なタイミングですることが考えられる。


 悪を志す(と思っている)手下であるミーアに対しても、相変わらず辛辣な印象を持っているユーリ。

 それでも、一人でなくなったという事実は喜ばざるを得なかった。


 これが今ユーリが上機嫌な理由だった。


「たいしたことではない。それよりも今日はどんな悪行ことをしてやろうか?」


 一人ではできないことも二人ならできることもある。

 やれることの幅が広がったのではないだろうか、と思わず笑みが溢れてしまう。


「そろそろお昼の時間ですよ? 先に食事にしませんか?」


 ミーアに言われて、ユーリは腹の虫が鳴いていることに気づく。


「それもそうだな。昼食を持ってきてくれるか?」



 その様子を見て、ミーアは笑みを浮かべながら「少しお待ちください。今取って参ります」と言って部屋を出て行った。



 昼食は黄金小麦おうごんこむぎでできたパンだった。

 一見するとただのパンなのだが、口にすると思わず感動の言葉を漏らしてしまう。


「……うまいな」


 ただ、この小麦はかなり希少なものらしく、城に献上されたものがパンとして出てきただけのようで、買い占めようにも、市場に出回ること自体が珍しいものであった。

 希少な理由、それは育つための条件がかなり厳しいことにある。

 稲自体は結構容易に手に入れることはできるのだが、その土壌に合わず育たないのが大半だった。

 そして、土壌が合わないとある程度育ったあとに枯れてしまう。今までの苦労が水の泡となってしまう。

 最初から全く育たないのなら別のものを育てようという気持ちになる。

 しかし、これは中途半端に育ってしまうせいでそこからの絶望感はとんでもなかった。


 だからこそ、一部では黄金小麦を育てさせることは、枯れることがわかっていて無意味なことをさせる、懲罰的な意味合いもあった。

 それがなかったら容赦なく買い占めてやるんだけどな、とユーリは少し残念に思っていた。


 そして、ゆっくりパンを食べていると、思い出したようにミーアが言ってくる。


「そういえば、先ほどランベルトさんに会いました。あとで会いにくると言っていましたよ」


 その言葉を聞いた瞬間にユーリは驚き、思わずパンを喉に詰めてしまう。


「ごほっ、ごほっ……。ら、ランベルトが、い、一体何の用だ?」


 慌てて水を飲むとユーリは少なからず動揺を見せていた。

 それもそのはずで、ランベルトは正義を志す人物。悪を目指すユーリたちからしたら敵である存在だった。もちろんそれは勘違いだったが。


「詳しい内容はちょっと……。ただ、例の件でユーリ様に聞いてほしいことがある、と言ってました。断りますか?」


 ――例の件。つまり、俺が悪人を目指している件か。以前はちょっと話したら、俺の威圧に恐れをなして逃げていったが、対抗する手段を見つけたのか? でも、敢えてそれを受ける必要もないだろう。


「そうだな。それなら……」


 一瞬ユーリは断ってもらおうと考えたが、すぐに考えを改めていた。

 今は以前とは状況が変わり、ユーリには志を同じくする(と思ってる)手下のミーアがいる。

 二対一なら数の理はユーリ側にあった。


「くくくっ、いいだろう。迎え撃ってやる!」


 ユーリが高笑いをして、悪人っぽさを出す。

 それを見ていたミーアは微笑ましい笑みを見せていた。


 ――ユーリ様、楽しそう……。良いことでも思いついたのかな?


 自分を素直に出しているユーリを見ていると、ミーアもどこか嬉しくなってきた。



 ランベルトはユーリの指示と思いこんでいる、国内に飢饉が起こる可能性についてを調べていた。


 まず、この国の食糧自給率は低い。

 自国で生産する作物量は三割もあればいい方で、あとは他国から購入していた。

 この原因は貴族が平民のことを低く見過ぎていることにある。

 金があるから作物なんて他国から買えばいい、と畑を燃やして別荘を建てたりする貴族が跡を絶たない。

 田畑が減っているのだから食糧自給率もそれに付随して減っていった。


 これは再び農業に手を出してくれるような対策が必要になってくる。

 しかし、貴族を直接動かすとなるとランベルトの力ではどうすることもできない。


 ――こればかりはユーリ様に動いてもらうしかありませんね。


 まずはそこが問題点の一つ。


 次の問題は貧富の格差にある。

 数が限られる食料の大半を貴族が購入して、大量に余らせている。

 そのせいで、貧困層には十分な食料が行き渡っていない。

 しかし、これはランベルトの動きによって少しずつ改善されつつある。


 ランベルトはユーリが自身の食事量を減らして、余った分を格安で貧困層に格安で売っている話を大々的に広めて回った。

 王子自らが動いているのに貴族たちが動かないわけにはいかない。

 その結果、以前よりは貧困層に食料が行き渡るようになっていた。


 ――これもユーリ王子が動いてくれたおかげですね。いえ、おそらくそこまでユーリ王子は見越して、自分の食事量を減らしたのでしょう。神算鬼謀の才能をお持ちのお方ですから。


 飢饉だと思って行動をすればするほど、ユーリが先に手を打っている(偶然だが)ことがわかっていく。

 その結果、知らないうちにユーリへの評価を上げていた。ユーリ自身は敵だと思っているとは知らずに。


 ただ、まだいくつか問題があった。


 ユーリが一年以内に国を脅かす飢饉が起こると思っている。つまり、一気に影響が出てくる問題が起こるということだ。


 そうなると、やはり外交面でのトラブルが起こるのだろう、とランベルトは予測していた。

 もし、食料の流通を止められたら、それだけでウルアース王国は未曾有の食糧不足に陥るだろう。


 それに対してはランベルトが光外省こうがいしょうの人たちに働きかけておいた。

 でも、それだけだと弱い。そこにも手を打たないといけない。


 考えれば考えるほど、頭を悩ませていくランベルト。

 でも、この辺りで一度ユーリと考えを共有しておきたかった。


 ランベルトは朝、廊下で割れた皿を片付けていたミーアに、ユーリに会いに行く旨を伝えておいた。



 部屋に唯一置かれたテーブルの席に座るユーリ。

 ランベルトに気圧されないために肘をテーブルに着き、意味深に俯き加減のままランベルトが来るのを待っていた。


 そして、扉がノックされる。


「ユーリ様、ランベルトにございます」

「……入れ」

「はっ、失礼いたします」


 ゆっくりと扉が開くといつものように背筋を伸ばし、お手本のような姿勢をとりながらランベルトが中へと入ってくる。


 ただ、その姿勢は他を寄せ付けない威圧すら感じる。

 それに気圧されないよう、ユーリもランベルトに鋭い視線を向けていた。


「それで俺に用とは?」

「はい、まずはこちらをご覧ください。私なりに飢饉についてまとめたものにございます」


 ランベルトが以前同様に紙を差し出してくる。

 やたら細かく、大量の文字や数字が書かれている。それらは見るだけで頭が痛くなってくる。


 ――こいつ、もしかして俺にやたら難しい文章を見せつけて、弱らせようとか考えているのか?


 もちろんユーリとしては、そんな罠にかけるつもりはない。

 素直に敵の話にはならずに、適当にこの紙は読み流していた。


「これを見てユーリ様はどう思いますか?」

「そうだな……」


 どのように答えると、よりランベルトを困らせることができるだろう、とユーリは頭を悩ませる。

 ただ、紙を流し読みしているときにとある言葉が目に留まった。


『畑を燃やして別荘を建てる』


 前世でユーリ自身がこの行為に煮湯を飲まされた。

 当然ながら許せる行いではない。


 ――悪人らしく、この貴族は徹底的に追い詰める必要がある。


 相手が貴族なら廃嫡することは容易である。しかし、それではユーリの気が済まなかった。

 むしろ貴族の席に置いたまま、俺に畏怖の念を向けさせる。

 その方が気分が晴れそうだ。


 ユーリはにやり微笑むとランベルトに告げる。


「この貴族たちは気になるな」


 そのユーリの言葉にランベルトは嬉しそうに答えてくる。

 ランベルト自身もユーリに手を打ってもらいたいとしたら、まずはこの貴族たちだったからだ。

 貴族たちに進んで畑を作らせることによって、国の食糧自給率が解消されていくのだから。

 そして、ユーリも同じ考えを抱いていたことで少し安心する。


「やはりユーリ様もそのように思いますか。では、いかように対処しましょう?」

「もちろん、無理やり畑を作らせるしかないな」


 ――俺自身が有無を言わさずに畑を奪われたのだからな。それと同じことをする貴族連中にも同じ苦痛を味わせてやろう。


 無理やり領地を奪い畑へと変える。これしか考えられなかった

 単なる私怨しえんなのだが、ユーリの評価が高騰しているランベルトにはこのように思われていた。


 ――無理やり作らせる? そんな懲罰みたいなことを貴族たちが素直に聞くはずないのですが。いえ、そんなことはユーリ王子は既にわかっているはず。つまり、何か裏があるのですね。もしくは説得する材料があるのか。


 ユーリの意図を図るランベルト。

 ただ、ユーリ自身が考えていたのは、いかにして貴族たちにいかに罰を与えるか……。そのことだけだった。


「どうせなら黄金小麦おうごんこむぎでも育てさせるかな」


 さすがに力を持つ貴族たちをいきなり失脚させることはできない。

 でも、農作物を無理やり作らせることくらいならできるはず。

 断るならそれこそ失脚させる良い理由作りになるだろう。


 ――いや、ちょっと待てよ。ここはランベルトを巻き込んだ方が良くないか?


 ユーリはふと閃いていた。

 確かにこの貴族たちはランベルトから見ても悪に属する人間たちだろう。

 つまり、何らかの制裁を加えたい相手のはず。

 それなら無理に自分の手を汚さなくても、ランベルトにやらせたら良いだろう。


 ユーリはランベルトの方を振り向く。


「委細はお前に任せる。良いようにしてくれ」

「……はっ?」


 何らかの具体的な指示が来ると思っていたランベルトは思わず声を漏らしてしまう。


 ――ど、どういうことでしょうか? 貴族たちの説得が私にできるはずが……。いえ、もしかすると、ユーリ王子は能力のある人間を欲しているのか? だからこそ、多少無茶なことだとわかっていても、この無理難題を取り組ませて、私を成長させようとしてくれているのか。何か問題が起きても、いえ、そうなることすら想定して既に手を打たれているのでしょうね。


 ユーリが意味のないことをするはずがない。それを前提に考えを巡らせるランベルト。


 黄金小麦は高価で売却できる。

 もし、自領で育てることができるなら、貴族は喜んで飛びつくだろう。

 そして、それを皮切りに農業の大切さを問うて回れば、今よりは食糧事情が回復できる。

 しかし、まず育たないからこそ黄金小麦を育てることは懲罰扱いとされているのだ。


 ――いえ、ユーリ王子がはっきりと黄金小麦と口にされたのだ。おそらくその育成の条件に当てはまる領地がどこかにあるはず。そして、それを見つけられるかどうかが私に課せられた宿題ノルマということですね。


 ユーリの顔を見るとにやり微笑んでいたので、ランベルトは確信を持つことができた。


「わかりました。国を憂う一人として、必ずやこの難題を解決して、ユーリ王子の部下にふさわしいと証明させていただきます!」


 ランベルトは眼鏡をクイッと持ちあげると気合いを入れて部屋を出て行った。

 その様子を見ていたユーリは『勝手につぶし合ってくれたら良いな』と全く見当違いなことを考えていた。

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