5-2 魔術結晶

     ◆


 俺は海の中をひたすら泳いでいた。

 泳ぎ方はクロールしか知らないけど、今日は波もそれほどないし、楽に泳げる。

 赤羽火花が魔術通路をつないだ先は浜辺だったが、びっくりすることに、無人の小さな小島の砂浜だった。どうやら両親に教えられた穴場らしい。

 これでは俺が脱出する余地はない。魔術通路を生み出す能力は俺にはないからだ。やろうと思えば魔術結界をすり抜けられる俺でも、さすがに果てしない距離を泳ぎ続けて逃げ出す、というわけにはいかない。

 そもそも、自分がどこにいるかもわからないのだ。太平洋か、地中海か、まったく不明である。

 というわけで、開き直って、泳ぎに打ち込んでいた。なまった体を少しは戻せるだろうと思ったのだ。

 前に仲間と一緒に海水浴をしたのは、もう三年は前だ。あの時は仲間の中でも、黒豹と呼ばれている男が俺に泳ぎを教えてくれた。博士は泳げないようだから一緒に習おうと誘ったが、「泳ぐくらいなら飛ぶよ」と言われた。

 まぁ、彼らの飛行魔術は常識はずれだから、と飲み込んでおいた。

 黒豹も今の俺の泳ぎっぷりを見れば、拍手くらいはしてくれるだろう。

 少し疲れたので浜辺に戻ると、これは最初から設置されていたパラソルの下で、赤羽火花が寝転がっている。

 彼女を中心に魔力が渦巻いているのを感じながら、横に座り込むと、彼女が低く唸っているのがわかった。

 これは赤羽火花の荷物のうちの一つである、小さなクーラーボックスから、俺はスポーツ飲料を取り出した。魔術による冷却もあるのだろう、キンキンに冷えていて、美味い。

 手を庇にして天を見上げると、太陽が眩しい。中東の太陽とは、やはりどこか違う。

「なんでかなぁ」

 そう呟いて、赤羽火花が起き上がった。

「魔術通路が焼き切れちゃった。これは復旧まで、相当かかるよ」

「俺を通らせるからだ」

 口をへの字にして、赤羽火花がもう一度、倒れこむ。

「シナークの魔術破壊魔術のせいってこと? でも魔術通路を形成する魔術構造式は、基礎的な魔術で、魔術の中でも頑丈とされているわ。それが消し飛ぶなんて、かなりの力よ」

「だから、それくらい強力なんだ」

 なるほどねぇ、と声が聞こえた直後、背中を撫でられて、俺は思わず飛び上がってしまった。勢いで立ち上がり、赤羽火花を振り返る。

「背中のそれ、綺麗ね」

 ニコニコと笑いつつ、そう言われて、俺は不機嫌なならざるをえない。

 俺の背中には真っ青な魔術結晶が埋め込まれている。

 魔術師に必要な素質はいくつかあり、魔力を認識する把握力、魔力を制御する制御力、魔術構造式を思い描く発想力、そんなところだが、何より重要なのは、魔力の量だ。

 魔術師の家系の人間は、比較的、魔力を多く持っているが、それでも一二九家系のような特殊な例を除けば、似たか寄ったかの、貧弱さである。

 しっかり計測しなくてもわかるが、赤羽火花と俺では、天地の差がある。

 もし俺が何の工夫もせず、自力で守護霊体を呼び出せば、呼び出してこの世界で具現化させた瞬間、魔力の全てを吸い取られて、即死するのは確実だ。

 やはり赤羽火花は一二九家系の一つで、直系の血を引き、それだけの素質を持っていることになる。

 もともと弱い魔力しか持たない俺が、魔術破壊魔術や、自身を隠蔽する魔術を、同時並行で発動するには、外部から魔力を供給するしかなかった。

 その魔力の源が、背中に埋め込まれた魔術結晶になる。

 古代の魔術師は杖を使ったと伝わっているが、今の魔術師は剣を使うことが多い。それは魔力の宿った古い樹木があらかた失われたことと、科学の発展に合わせて、魔力に影響を持つ金属が発見され、また、日々、研究が進んでいるからでもある。

 その杖と剣に共通するのが、魔術結晶で、つまり魔術師は古くから、魔力を魔術結晶に封じ込め、必要な時にそこから引用していたのだ。

 魔術結晶を体に埋め込むことは、魔術師の界隈では一般的に行われるが、マイナスの側面もある。

 それは、魔術結晶の中の魔力が尽きた時の問題である。誰かが強力な魔力を魔術結晶に流して再充填するか、もしくは外科的に交換することになる。

 俺の背中にある魔術結晶は、まだ十分に余裕がある。俺自身には見えないが、魔力がかすかな光を放つため、キラキラと光っているだろう。

「もうちょっとしっかり見せてよ」寝そべったままの赤羽火花が言う。「そんなに綺麗な魔術結晶を作れるなんて、凄い腕前よ。魔術学会の魔術師の中でも、そうはいないと思う」

 何も言わずに、俺は身を翻し、海に向かって走った。波を蹴立てて、波に飛び込む。

 泳ぎながら、博士のことを考えた。

 ずっと昔、俺に最初の魔術結晶を埋め込む手術の前だった。

 魔術学会がいかに閉鎖的で利己的かを博士は静かに語って、しかし、魔術師が本当に生き延びるのなら、魔術学会の元で魔術を極めるべきだろう、とも言っていた。

 その時の俺はただ魔術を戦う道具であり手段と見ていたし、戦わなければ生き残れない、とも思っていた。

 魔術師の本来の目的、目標を聞かされたのが、この時だった。

 魔術師が目指すのは「神の再臨」であり、「化身への昇華」だと博士は言った。

 魔術によって、この世界に神を作り出す。

 自身を神そのものへと変化させる。

 俺の目的とは、まったく次元の違う話だった。博士も「恵まれたものの願望だよな」と笑っていた。

 神なんて、俺の世界にはいなかった。もし神がいるのなら、俺の両親と姉はあんなことにはならなかったはずだ。三人が化け物に変わった時、俺は神というものを、信仰の対象ではなく、憎悪の対象と見始めた。

 だから、俺の魔術は純粋に生きる手段で、それ以外の何物でもない。

 赤羽火花は、やはり魔術師の願望を、追い求めるつもりだろうか。

 あれだけの素質、技能があれば、あるいは彼女ならいつか、遥か先の未来だとしても、果てない階段の上のドアにわずかに指がかかる程度の、高みに行けるかもしれない。

 そんな彼女は、俺とは相容れない、別次元の人間なのだ。

 如何ともしがたい事実、動かしがたい事実に気づいて、それを振り払うように、俺は泳ぎ続けた。

 どこかで声がすると思って姿勢を変えると、浜辺で赤羽火花が手を振っている。お昼ご飯にするらしい。

 泳いで浜辺に戻ると、彼女はすでに弁当を広げていた。

 二人でパラソルの下で、向かい合って食事になる。

 俺は本当に、何をしているんだ? こんなに楽しんで、和んで、どうでもいいことで悩んで、馬鹿みたいだ。

 そう思っても、どうしてかこの空気を壊したくなくて、食事をする。

 たまに赤羽火花が料理について感想を口にするのに、「ああ」とか「そうだな」とか答えている自分は、どこまでも場違いで、何か間違っている気がした。

 食事の後、お茶を飲んで遠くの地平線を眺めていると、赤羽火花が呟く。

「本当に綺麗」

 俺は何も言わず、身じろぎもせず、ただ同じ姿勢で、遠くを見ていた。



(続く)

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