宿娘の愛慕 - waiting for you

ナギサ コウガ

宿娘の愛慕 - waiting for you


 この地域の領主である辺境伯の領都から、西に徒歩で約二日程行った所に小さな町がある。

 娘はその町の宿屋の一人娘だった。

 この町は交易ルートから外れるため旅人の往来は少ない。

 しかしながら、未攻略のダンジョンが近くにある影響で冒険者が途切れることなく訪れる。

 この町で宿屋を営んでいるのは娘の親の宿屋の一軒だけだ。

 その意味では宿屋の経営は比較的安定している。

 

 その影響で娘は幼い頃から色々な冒険者を見ていた。

 殆どが粗野な暴れん坊が多く、礼儀を弁えない者ばかりだった。

 

 実力が無いのに威張り散らす戦士。

 戦闘奴隷を物のように使い潰す魔法使い。

 神に仕えていると言いながら金に執心する僧侶。

 一般人を塵芥のような目で見るエルフの剣士。

 酒を飲みだすと目的を放置して酒盛りをするドワーフの一団。

 宿賃すらまともに払うつもりもない盗賊。

 国に対する忠誠は無いのかと宿賃を踏み倒す騎士団の騎士達。

 

 冒険者とは人格が酷い人間がなる職業なのかと思う。

 まともな精神を持った冒険者は見たことがない。

 娘は親に思った事を聞いたが、まともな冒険者は見たことが無いと言っていた。

 

 冒険者は一般人にとっては理解できない存在であるという認識が、この娘の理解であった。

 自分の世界の枠外の存在であった。


 そんな思いはあるが、この宿で冒険者を受け入れないと経営は成り立たない。

 表面上は親娘ともにこやかに応対しているのであった。

 

 本日も二十人程の冒険者が宿泊している。

 ダンジョンに出発する十人以上の冒険者を送り出してやっと一息ついたところだった。

 

 しかし娘にはまだやる仕事が多い。

 引き払った冒険者の部屋の掃除である。

 酷い時は備品が壊されている時もあるから修理、補充が必要になる。

 地味ではあるが結構大変な作業だ。

 連泊している冒険者の部屋はシーツ等の交換を手早く済ませないといけない。

 部屋によっては生々しい情事の痕跡が残っている部屋もある。

 生娘である娘は真っ赤になりながら、その後片付けをした事も数回ではない。

 やはり冒険者は災厄だと娘の認識は揺らぎないものになっていた。

 

 その認識はつい最近破られたのだった。


 その存在は今、娘の目の前で遅めの朝食をとっているのだ。

 男性二名、女性二名のパーティで訪れた冒険者達だった。


 女性二名は、お世辞にも礼儀正しい態度ではない。

 高慢な態度の魔法使い。給仕が遅いといつも文句を言う女性だ。

 肉偏重の食事を変えて欲しいと無茶を言う僧侶。戒律上肉食は避けていると無茶を言う。

 この二人は大酒飲みで今日のような休みの日は昼から酒を飲んでいる。今日もおそらく浴びるように飲むのだろう。

 とても仲良くできそうもない女性達だった。


 この二人より最悪なのがリーダーである粗暴な男性であった。

 不遜、傲慢、侮蔑。

 凡そ最悪の印象を全て持っているような男性であった。

 娘にははっきりと分からないが貴族の子息なのかもしれないと推測している。

 パーティのメンバーにいつも無理難題を言っている印象しかない。

 冒険者の実力は娘には分かりようがないが、メンバーの表情から察するに三人よりは実力が無いのだろうと思っている。

 

 残りの一名が娘のが気になる男性であった。

 

 容姿はこれといって特徴はない。しかし目には決意を秘めた強い意志が感じられる目をしているのだった。

 性格は温厚でパーティの三人に無理を言われても激高もなく、穏やかに纏めているのだった。

 三人がいないところでも悪口雑言も言わず、穏やかな態度でいるのだった。

 今日みたいな休みの日には娘の仕事の手伝いを買って出てくれるほどなのだった。

 娘の親も、この男性の調停で他の冒険者の悪口を助けて貰った事があり、並みならぬ感謝の思いを持っているようだった。

 

 冒険者としては稀有な性格を持つ男性であった。

 自然と娘はこの男性に心を寄せるようになっていったのだった。

 男性も娘を憎からず思ってくれているようで、それが娘には嬉しかった。

 

 このパーティはダンジョンに何かの目的で潜っているようで、他の冒険者と違って最初から長期滞在で宿屋に宿泊していた。

 既に二十日はこの宿に滞在しているのだった。

 

 パーティの三人が宿屋で色々問題を起こしてくれるので、男性とは普通に会話する事が多かった。

 最初は三名の蛮行に対する謝罪ばかりで、宿を提供している親の娘としては恐縮するばかりだった。

 男性は客という立場でも、やってはいけない事はあると考えているようで、殆ど毎日謝罪をしているのだった。

 パーティメンバーのやった事なのに自分の事のように謝ってくるのだ。

 冒険者は最低の人種だと思っていた娘にとっては真逆の存在だった。

 

 時にはパーティメンバーの無茶な要望に困ったような顔で助けを求めてくる男性。

 娘はなんとかして男性を助けたくて普段やらない御使い等もこなしていく。

 全ては男性を思うがための行動であった。

 そのような思いが男性に伝わったのか、程なく二人は男女の関係になっていった。

 娘は自分でも単純なのかと後悔もしたのだが、男性は誠実で娘を大事にしてくれた。

 娘の恋愛感情は堰を切ったように男性に注がれていった。

 目の前にいる愛しい人しか見えないくらいだった。

 男性も娘の思いに応えてくれ、今日のような休日には仕事を手伝ってくれるのだった。

 夜もお互いに肌を重ねる日々が増えていったのであった。


 必然親も含めて町の近所の人達も男性と娘が恋仲になっている事を知る事になる。

 応援する者もいれば、冒険者という立場を心配してくれる者もいるのだった。

 娘は男性が冒険者を辞めて、この町に残ってくれている事を密かに望んではいた。

 今朝も一緒のベットで行為に及んだあとの寝物語に密かな思いを伝えたばかりであった。

 今も給仕しながら昨日の会話を思い出していたのだった。


「ねぇ。私妊娠したらちゃんと産むからね」

「俺達結婚もしていないよ。父親がいない子供は可愛そうじゃないか?」

「なら責任とってくれるの?」


 娘は男性の逞しい胸板に顔を埋めて囁く。

 男の心音がドキリとした音が伝わってくる。

 万事に素直で誠実で純真な反応に娘は嬉しくなる。

 男性には娘に対して誠実な態度で今の関係を続けているのが心音でわかったからだ。

 返事をきくより、ホッとした表情になる。

 

「その時はきちんと責任を取るよ。結婚は直ぐには難しいけど、生まれてくる子は俺の子供なんだろ?」

「当たり前じゃない。こんな事あなた以外にする訳ないじゃないの」

「う・・ゴメン。失礼な事を言ってしまったね。すまない。なんか父親になる実感がなくてさ」


 男性は娘の肩を強めに抱く。

 娘は軽く息が詰まるが、自分にかかる圧力に幸せを感じていた。

 

「えへ。まだ分からないけど。その・・・毎日しているじゃない。だから、ここに宿っているはずよ」


 娘は自分の腹部をかるく擦りながら男性を見つめている。

 言われた事に自覚がある男性は赤くなって返答に困っているのだった。

 こればかりは男性には分からない事である。見た目の変化がない限り男性にはわからないのだった。

 しかし、それは男性にとって嬉しい告知でもある。


「そうなったら、嬉しいよ。でも、ごめんな。俺は冒険者として名声を上げたいんだ。憧れの、あの人のように名声を得たいんだ」

「あの人って、冒険者から名声を得て貴族になった人の事?」


 娘は男性が冒険者になった目的を知っていた。

 冒険者として名声を得て、地位を得て良い暮らしをしたいのだそうだ。

 そして伴侶を見つけて、幸せに暮らしたいと目を輝かせて話しをしてくれたのだ。

 あの人とは男性にとってのヒーローであった。


「何度も言ってごめんな。俺もあの人のようにまでは成れないかもしれないけど、せめて名声を得て少しでも近づきたいんだ。そして地位を得たら、その時には君に側に居て欲しい」


 男性は真っ直ぐで、熱い目で女性を見つめる。

 愛しい人から、そのような目で見られたら拒否等出来る訳もないのだった。

 

「嬉しい。でも無理はしないでね。私はこの町の世界しか知らないけど、それでもダンジョンで亡くなった人や大怪我をして冒険者を続けられなくなった人達を沢山見ているから」


 嬉しさに顔を赤らめながらも、現実の厳しさを知っている娘は伏し目がちに無理をしないで欲しいと伝えるしかなかった。

 実際のダンジョンを攻略している男性には、娘の忠告はあまり真剣にうけとれなかったようだ。

 それもそのはずで若干一名の足手纏いがいるにも関わらず、このパーティは殆ど無傷で攻略をすすめているのであった。

 それが男性の自信につながっていたのであった。

 しかし、そのような自信に溢れたパーティが途中の攻略で失敗した姿を何度も見ている娘には、安心するというのは無理な事だった。

 心の中では男性のパーティが今までの冒険者のパーティよりは優秀だという事を信じるしかなかった。


 実際に男性のパーティは優秀な部類に入っている。

 今回のパーティは粗暴な男性が冒険者ギルドに募集をかけて、選考したメンバーだった。

 応募した冒険者の中では、その分野については抜きんでた冒険者達であった。

 この募集は、ダンジョンで特定のアイテムを入手して持ち帰るという募集だった。

 詳細は採用者のみ伝えられるため応募時点では詳細は分からない状態だった。

 男性も知らない事であったが粗暴な男性は、ある貴族の五人兄弟の末子であった。

 このままでは爵位も得られず自活していかないといけなくなるのだ。

 爵位を得るためには王家に貢献する名声をあげないといけない。

 今回のダンジョン探索で得られるアイテムはその名声を上げるために必要なアイテムであった。

 親に相談すると、そのアイテムの入手で最低限男爵の爵位は得られるだろうと太鼓判を押してくれた。

 冒険者の募集など費用面でのバックアップも約束してくれ、気をよくした粗暴な男性は今回の探索のメンバーを採用してこの町に来たのだった。

 従って、粗暴な男性は冒険者としての経験も全くないままダンジョンに来たのであった。

 それでも怪我一つ負っていないのは男性の探索能力や、戦闘指揮能力が優れている証明でもあるようだ。


「大丈夫。今の所順調だよ。目的のモノはまだ見つかっていないけど、ミスなく進めたら達成できると思うよ。安心して」


 男性は娘の髪を梳くように撫でる。

 娘も男性に気持ちよさそうに身体を預けてくる。

 ダンジョン探索の状況は娘には分からない。男性を信じるしかないのだ。

 今は体を重ねる事が出来たことに満足しようと切り替える事にした。


 そして次の朝、目の前で朝食をとっている男性を見ながら幸せに浸っているのだった。

 朝食の後の男性は、女性二人の酒の調達と相手をしながら、粗暴な男性の無茶な要求に困った顔をしながら対応しているのであった。

 翌日はダンジョンの探索があるため、男性とベットを共にする事はできなかった。

 そもそも多数の冒険者が宿泊に来ており対応に大わらわで、娘が一息つけたのは深夜であった。

 翌日の朝は男性たちのパーティは朝早くからダンジョンに向かっていった。

 昨日訪れた冒険者達の人数が多かったので、混雑する前にダンジョンに潜る目的のため朝食もそこそこに出かけたのであった。


 結果論として考えると、この判断は失敗だったのかもしれないと娘は後に思う。

 

 いつになく早い男性のパーティの帰還に、娘は嫌な予感がした。

 あろうことか、男性は大怪我をして戻ってきたのだった。

 防具から多量の血が漏れており、利き腕である右腕が変な方向に曲がって、捻じれていた。

 男性の顔は青白く血の巡りが悪い。気を失っているのかぐったりとしている。

 過去に見てきた重症を負った冒険者と類似していた。

 このままだと男性は助からないかもしれない。娘はいつになく乱れてしまった。

 パーティの僧侶の女性が娘を捕まえて言う。

 

「お湯と清潔な布を準備して頂戴!それと着替えも準備して!このままでは治癒魔法が使えない!一刻を争うわ!早く!」


 僧侶の女性に怒鳴られて、はっと気を取り直す娘。

 慌てて言われた物を準備に走る。

 その間に女性二人は男性を担ぎながら部屋へ連れて行く。

 粗暴な男性は手伝いもせずブツブツ文句をいっているようだった。

 しかし、娘はその場所に居なかった為激高をする事はなかったが、パーティの女性二人が激高するには十分だった。


「俺は悪くない。あいつが俺の邪魔をするから罠にかかったんだ。俺だったら上手く切り抜けられた。役にも立たず、邪魔する事しかできない奴は不要だ。そうだ父上に頼んで代わりを出してもらおう」


 手伝いもせず、勝手な物言いに殺気を伴った目を粗暴な男性に向ける女性二人。流石にその殺気は分かったようで、目を逸らす粗暴な男性。

 二人はそれ以上追及せず男性を治療するための行動を再開する。


 娘が指示されたものを準備して男性の部屋に向かうと、そこは凄惨な現状だった。

 女性達は男性の鎧を脱がせていたが、相当な部位が血で真っ赤に染まっていた。

 皮膚組織が確認できない程爛れている部位もある。

 これは普通のダメージでは無い事くらい娘にも分かった。

 娘が来たことを確認した魔法使いの女性は手早く娘に指示をする。 


「あなたも装備を脱がせるのを手伝って、彼を助けたいでしょ?本当に猶予が無いの。早く!」


 娘は強張った表情で頷き、僧侶の女性に準備した物を渡して男性の装備を取り除いていく。

 目をそむけたくなる状況を必死でこらえて、手伝いをしている。男性の命の瀬戸際なのだ。

 その必死な行動に魔法使いの女性はやや和らいだ声で娘に声を掛ける。


「彼に惚れているのは本当のようね。最初は遊びなのかと思っていたけど二人とも真剣だったのね」


 話ながらも手を休めずに話しを続ける。


「私達がなんで必死になっているか、おかしいと思っているでしょ。こんな蓮っ葉な女だけど仲間は大事だからね。見捨てるのは冒険者の名折れなのよ。それに良い奴でしょ。こんな事で死なせたくないのよ」


「ありがとうございます。彼を・・・彼を助けてください。何でもしますから。お願いします」


 娘は目に溜まった涙を拭く事もせず、作業を続けている。

 僧侶の女性も優しい表情で声を掛けてくる。


「任せて、ここまで酷い怪我は完璧には難しいけど、これでも治癒魔法が使える僧侶だから。あんな、ぼんくらのボンボンの犠牲になんてさせない」


 僧侶の女性は布を男性の体に当てて丁寧に固まった血糊を取っていく。

 男性は未だに意識が戻らないようで、痛みも感じずされるがままになっている。

 女性はある程度清潔にした部位から治癒魔法をかけていく。

 

「これでも治癒魔法はレアなのよ。僧侶の冒険者はいるけど治癒魔法まで使えるのはホント一握りなの。こう見えても私は優秀なんだから。任せて」


 僧侶の女性が言う通り治癒を始めた部位はあっと言う間にピンク色の皮膚が再生していく。

 おそらく皮膚の下の部位も治癒しているのだろう。

 初めて見る業に娘は驚いている。まさに奇跡を見ているようだ。


「これが神の信仰による御業なのですね。私初めて見ました」

「驚いた?普段の態度で誤解しているかもしれないけど。私達はあれが普通だからさ。不快にさせてたらゴメンね」


 娘の驚きと賞賛の言葉に、僧侶の女性は照れ臭そうに言葉を返す。

 僧侶の女性の言葉に娘は冒険者達を誤解していた事に気づいたのだった。

 単純な事だったのだ。

 例えば、貴族と一般人では考え方や習慣も違うのだ。当たり前だが基準のラインが違うのだ。

 日々命の危険がある冒険者と危険が少ない暮らしをしている一般人では同様に基準のラインが違うのだった。

 冒険者達は彼らなりにルールがあり、仲間がピンチな時は仲間を助ける事を厭わないのだった。

 普段の荒々しい態度は命の危険に晒されているストレスが溢れたものなのかもしれないと、突然理解できたのだった。


「わ、私こそ誤解していました。すみません。冒険者の人達は非道な人達だと思っていました」


 娘は手を休めずに二人に向けて謝罪の言葉を言う。心からの誠意を込めて謝罪をした。

 そんな娘の言葉に一瞬手が止まった二人だった。直ぐに作業を再開し、魔法使いの女性が照れ臭そうに言う。


「非道な、という点は否定できないわ。常に命の危険があるのだから、心がささくれ立つのよね。それが、つい態度にでちゃうの」

 

 僧侶の女性は手際よく治癒を続けている。

 娘と魔法使いは装備と服を脱がし終わったので、僧侶の女性の指示の元傷ついた部位を清潔にする作業をしている。


「一般の人達との意識の差があるのは仕方ない事よ。それも飲み込んで私は冒険者になったのだからね。だから同じ冒険者仲間は大事なの。特に優秀な人はね」


 僧侶の女性は治療をしながら話しをしている。少し余裕がでてきたようだ。

 それが意味しているのは男性が助かる確率が高くなったという事だと娘は直感的に理解する。

 現に男性の顔の血色は次第に良くなっているのだった。


「彼はそれ程優秀な冒険者なのですか?」


 娘はずっと気になっていたことを尋ねる。

 男性の野望は聞いているが、身の丈にあった実力を果たして持っているのか心配しているのであった。

 もし足りないのであれば強引にでも自分の宿に婿としておこうと考えてもいたのだった。

 魔法使いの女性は娘の質問に回答する。


「将来的には一角の冒険者になる素質は持っているわ。冒険者歴は私の方が長いけど、この人は順調に成長したらきっとなれる。今でもBランクの冒険者だから優秀よ」

「そ、そうなんですか。そういう話は全くしてくれないので、わかってないのです。聞いても、話せるほどの実力じゃないとはぐらかすんです」

「随分冷たいのね。まぁ、だいぶ上をめざしているようだから、今の位置でもまだまだと思っているのかもしれないけど」

「そうなんです。冒険者から名声を得て貴族になった人を目指していると言っていました」

「なんだ、自分の夢はちゃんと話しているんじゃない。でも、相当上を目指しているのよ。Sランクの冒険者になる事を宣言しているんだからね」

「それは凄い事なのですか?」

「まぁね。通常はBランクが普通の冒険者が到達できる最高点ね。そこから一握りの冒険者がAランクになれるのよ。今この国でもAランクは十人程度しかいない筈よ」

「え?Sランクってそれ以上てことですよね?」

「そうよ。Sランク冒険者は私が知る中では過去百年で六人しかいないわ。現在活動が確認できているSランク冒険者は三人かな。そこに加わる宣言をしているのよ」


 冒険者の知識が乏しい娘でも聞いた話は途方もない事がよく分かった。

 それは叶わぬ夢をみているようなものだからだ。

 無言になった娘を労わるように魔法使いの女性は続ける。


「私も偉そうにいう立場ではないけど、このまま順調にいけばAランクは保証できるわ。それだけでも逸材なのよ。性格も冒険者としては珍しく良い方でしょ?だから死なせたくないの」

「そうそう。こういう人と一緒に行動できれば、私達の生存確率や依頼達成率もあがるから、お互いにとってメリットもあるのよ」


 魔法使いの女性の発言を保証するように僧侶の女性も保証する。

 今は予断を許さない状況ではあるのだが、娘は自分が褒められたように嬉しくなってしまった。

 自分の想い人が同じ冒険者から頼りにされている。そんな人が自分を愛してくれている。それだけで心の中が満たされてくるのであった。


「あなたには悪いけど、私達の為にも彼は死なせない。このクソみたいな依頼が終わったら、三人でパーティ組んで活動するよう、私達は彼に申し込むつもりなの。ああ、でも愛人枠とかは狙っていないから安心してね」


 後半は照れているのを隠しながらはにかんでいた。

 娘は心の底から二人に再度の感謝と誤解をしていた事を詫びていた。

 どうにかして良い友人になれないかと考えていた。


「さて、長いおしゃべりはここまでよ。ここから一番の難関だからね」


 僧侶の女性が見つめる先は娘にも理解できた。

 一番の難関という部位はどうやって治癒するのか分からない、殆ど捻じれている右腕だったからだ。

 他の部位はほぼ治癒が終わっており、見た目は問題がなさそうだと娘には見えた。

 

「通常はこんな罠にかからないのに、あの阿呆を身を呈して庇うからよ」


 魔法使いの女性がぼそりと呟く。

 当然ながら静かになっていた部屋には、その言葉は響く。

 娘はその言葉を聞き咎めて聞き直す。


「どういうことですか?庇ったって・・・一体」


 失敗したという顔をした魔法使いの女性は諦めたように話しをする。

 

 今回のダンジョン探索が順調なためか、普段は後ろで大人しくしている粗暴な男性が珍しくしゃしゃり出てきたそうだ。

 ダンジョン内の隠し部屋に謎のスイッチがあり、その意味を三人で検討している時に珍しく割り込んで来たのだった。

 何故そのような行動をしたのか、粗暴な男性は頑なに答えようとしなかった。

 そもそも男性が重傷を負ったので、それ以上の追及をする余裕がなかったのもあった。

 目を離した隙をついてスイッチを操作したのだった。

 三人が推測した通り罠が発動されたのだった。

 スイッチを操作した者の手を飲み込んで千切るという悪質な罠だった。

 狼狽える粗暴な男性を素早く引きはがしたのまでは良かったのだが、罠の発動からは逃れる事ができず男性がその罠を受けてしまったのだった。

 その罠は拷問器具のような罠で腕だけではなく全身に酸のような液体を被ってしまったのであった。

 男性は決死の思いで罠の拘束から逃れたのだが、あまりにもの重症のため意識を失ってしまったのだった。

 その場で応急処置的な治療を施したのだが、本格的な治療は地上に戻らないと難しいという事で、急いで帰還したという次第だった。

 粗暴な男性はその間も呆けたように何もせずいたそうだ。気持ち悪い事をブツブツと呟いていたようだが覚えていないと魔法使いの女性は語ってくれた。

 

「この怪我は、彼のミスでは無かったという事ですか。リーダの方はもしかして素人なのですか?」

「鋭いわね。あんた冒険者向きかもよ。察しの通り”ド”素人よ。ろくに戦闘経験もないズブズブの素人。あれがいなければ攻略はもっと楽だったわね」


 魔法使いの女性は容赦がない。余程腹が立っているのだろう。娘はその気持ちがよく分かった。

 先程の宿での態度も容認できない態度だったからだ。当事者である二人は尚の事耐えられない事である事は容易に想像がつくのだった。

 

「さあ、慎重にやるわよ。二人とも手伝って。ちょっと強引だけども捻じれた腕を戻さないと、変に治癒されてしまうの」


 言われた二人の表情に緊張が走る。ここを間違えると冒険者として活動できない事は娘にさえ分かった。

 僧侶の女性の指示に従い、捻じれた腕を元の方向に戻す。

 辛かったのだが、腕の中の骨の位置もずれているので三人で協力しながらずれを直していった。

 相当な苦痛があったのだろう。男性は呻きながら蘇生したようだ。

 ぼんやりと目を開いたが焦点が合っていない目をしていた。

 しかし痛みだけは感じているようで、低く呻いていた。

 女性は嬉しそうな声で男性を励ます。


「大丈夫?私の声は聞こえる?今治療してもらっているのよ。痛いかもしれないけど我慢してね」


 男性は声のする方向にわずかに顔を向ける。

 目は苦痛もあるのか、まともに開けられないようだ。


「ここは・・・宿屋なのか。そうか・・・・二人が俺を助けてくれたのか。・・・・君もいるんだな。・・・俺はまだ生きていることができるらしい」

「そうよ。生きているわ。しっかりして」


 男性の呻きを女性が励ます。男性は痛みで耐えている顔をしているが、女性が居る事がわかったからなのか、少し安心した表情に見えた。

 

「今、骨の位置を戻しているから、暫く痛いからね。我慢よ」


 僧侶の女性が容赦なく骨の位置を調整している。

 男性は会話を続ける余裕は無い。痛みに耐えているようだ。

 娘は心配そうに男性の顔と腕を交互に見ている。


「よし・・・・。これで、だいたい元の位置に戻ったはず。痛くても腕を動かさないでね」


「ああ。・・・頼む。俺が失敗したばかりに手間をかけてすまない」

「あんたの責任じゃないからね。あのクソバカのせいだから。むしろ生きていただけでも幸運だったんだからね」


 魔法使いの女性は男性の謝罪を受け入れなかった。

 どことなく粗暴な男性を助けた事を咎めているようなニュアンスが含まれていると娘は思った。

 

 その間に僧侶の女性は違う治癒魔法を使っているようだ。

 娘には正確には分からなかったが、通常治癒魔法の上位魔法を使っているのであった。

 この魔法を使えるのはかなり少ない。僧侶の女性自身も相当な高位の冒険者でもある証明である。

 僧侶の女性は額に大粒の汗を浮かべながら治癒魔法を行使している。

 娘は固唾をのんで見つめていた。

 

「終わったわ。と、いうか私の魔力が限界。最悪の状況は避けれたと・・・思うわ」


 少しふらつきながら僧侶の女性は囁くように言う。その体を魔法使いの女性がそっと支える。

 

「軽くでいいから、指先を少しだけ動かしてみてくれる?他の関節は動かしちゃ駄目よ」


 僧侶の女性に言われるまま男性は指先の関節を軽く曲げる。

 少し引っかかる感触はあるが、思った感覚で曲げる事はできたようだ。


「思ったイメージで指が曲がったよ。ちょっと違和感は残っているけどね」

「よかった。神経も無事のようね。これからは自己治癒能力を使って細かい所は自然と直っていくわ。できれば五日は剣を握らないで欲しいわ。それと当面ギブスは必須よ」

「そうか。それでも腕が残っただけでもありがたい。片手でも剣は使えるからなんとかなるかな」

「折角拾った命だから大事にしてよね。あのボンクラに恩義を感じる事は全く無いんだから」

「・・・考えておく。今回は本当にありがとう。おかげで助かったよ」


 僧侶の女性は男性に説教じみた事を言う。現状を知っているから尚更なのだろう。

 男性は済まなそうな顔をして神妙に聞いていた。


「では、私は休ませてもらうわ。流石に疲れた」

「じゃ。私も休むか。あ、彼にギブス作ってあげて。大丈夫だよね?」


 僧侶の女性は流石に魔力が厳しいのか休むようだ。

 魔法使いの女性も普段あまりしない肉体労働に疲れているようだ。

 娘にギブスの制作を依頼して去っていく。

 娘は力強く頷いた。

 冒険者が集う宿屋のため、基本的な治療技術は知っているのだった。


「お二人が頑張って助けてくださったのです。大人しくギブスをさせてくださいね」

「お、ああ。君もありがとう。その様子だと一緒に世話してくれたんだろ?本当にありがとうな。今日は流石に動かないほうがいいだろうから抱きしめられないけど」

「・・・バカ。そんなの良いわよ。貴方が無事だったのが何よりなのだから。ギブスの材料を持ってくるから大人しく待っている事。いいわね?」


 恥ずかしそうに頬を染めながら娘は男性に愛情を込めた言葉を返す。

 男性は素直に頷くのだった。

 

 災厄がやってきたのは娘が男性へのギブスを作り終える頃だった。

 ノックもせずにいきなり粗暴な男性が入室してきたのだった。

 そして労いの声もかけずに命令してきたのだった。


「生きていたのか。あの傷では死んだと思ったのだがな。父上に替わりを手配する手間が省けたか。今日は特別に休ませてやる、但し明日は朝は探索をするからな。準備しておけよ」


 言うだけ言って去っていった。

 余りの状況に娘は固まったままだった。

 粗暴な男が立ち去った後に状況を理解した娘は一人憤慨していた。


「何・・・あれ。信じられない。自分のミスで仲間を殺しかけたのに謝罪の一言もなく、しかも明日も朝からダンジョンに出るんですって?何?あの態度。なんか悔しい!」


 娘は腹に据えかねたのかいつになく激高していた。

 下手をしたら愛しい人が死ぬところだったのだ。

 許せる範囲の謝罪すらないのはどうにも我慢ができなかったようだ。

 男性は娘を宥めるのだった。

 

「あれでも雇い主だからな。無下にはできないんだよ。契約は絶対だから。そこは割り切るしかない」

「だからと言ってあんな扱いを受けて悔しくないの?」

「悔しくないとは言えない。でも俺が名声を受けるためのステップの一つなんだ。これをクリアしない限り、俺には次は無いんだ」


 男性は悔しさを滲ませながら天井を見上げて声を振り絞っている。

 言葉以上に悔しさを感じているのは娘には理解できた。

 冒険者でも無い娘にできる事は精神面での支えだけだった。

 思わず自分の配慮が足りない事を思い男性に謝罪する。

 

「ごめんなさい。あなたが悔しくないはずが無いものね。私が一人で興奮してばかりでごめんなさい。私はまだまだだな。せめて精神面だけでも、あなたを支えないといけないのに」


「・・・・気を使わせてしまったね。それもこれも俺の判断が不味かったせいだな。実は少し焦っていたんだ。結構探索し続けたつもりだったんだけど、なかなか成果が出なかったから」

「そうだったの。でも、まだ期限はあるんでしょ?私の仕事もそうだけど、焦ってもいい成果はでないわ。そんな時は自分の心音を三十回数える事にしているの」

「心音?」

「そう。胸に手を当ててゆっくり呼吸しながら数えるの。体も心も一度動きがリセットできるから少しは落ち着くのよ」

「成程な。それは十回程度でもいいのかな?」

「それだと十秒くらいでしょ?どういえばいいのか・・・そうね三十秒くらいゆっくりできる静かな場所を見つける事も必要なのよ」

「ああ、そういう事か。ゆとりを持てという事かな。確かに。・・・よし、今度試してみるよ。色々考えてくれてありがとうな」

「どういたしまして、あなたの無事が私の優先事項だもの。沢山考えるわ。それより明日本当にダンジョンに行くの?ギブスは固定しているだけだから、激しい動作を補助するものではないわよ」

「大丈夫だ。これよりひどい状態で戦った事もある。思ったより不自由ではないよ。きちんと固定されているから問題無いよ」

「でも・・・」

「大丈夫。心配な気持ちにさせてすまない。でも本当に大丈夫だから。無理だと思ったら素直に撤退するよ。彼女達も無理はしない事に同意してくれるだろうから大丈夫」


 男性は優しい目で娘を見る。

 娘は男性の意思が固い事を認識してしまった。

 一縷の思いを託して男性に別の提案をする。


「あなたが大丈夫と言うなら、無事を祈るしかないわ。でも、こんな事も可能だという事を覚えておいて」


 男性は無言で娘を見つめる。話だけは聞いてもらえそうだ。


「私はずるい女かもしれないの。あなたがこれ以上傷つくのは耐えられない。もし契約が破棄できるのなら破棄して欲しいの。そして、この宿屋を一緒に経営していきましょう。貴方とならきっと楽しく経営できるわ」


 娘は真剣な目で男性を見つめる。

 男性は元々温和な性格だ。宿屋の経営を忌避する事はないだろうと言うのは短い付き合いではあるが娘は熟知していた。

 こんなに身を削る努力をしても男性の求める頂きは遥か彼方にあるのだ。

 それまで男性の体は持たないのではないかと娘は思ってしまうのだ。


 男性は優しい目で娘を見つめていた。娘の話をきちんと聞いてくれるいつもの態度だった。

 でも、その口元は固い決意で結ばれていた。

 どのような決意をしたかは娘は手に取るように分かった。

 結局のところ男性も冒険者なのであった。

 

「ありがとうな。俺のために色々考えてくれて。でもな俺は、あの人に近づきたいんだ。それはあの人を直接見たものしか分からない衝撃があったんだ。あれは素晴らしい体験だった」


 男性の目はこどものように輝いていた。

 そのような目を見たら娘にはもう何も言えなかった。


「余程すごかったんだね、その人は」

「そうなんだよ。あれは俺の憧れなんだ。難しいのは分かっているけど、俺の求める理想なんだ」

「うん。いつも言っているもんね。いつかまた会えるといいわね」

「そのためには名声を得て駆けあがる必要があるんだ。こんな所で立ち止まっているわけにはいかないんだ」


「わかったわ。でも無理はしないでね。生きていればこその理想だからね」


 娘は男性に近づいて唇を重ねる。

 男性も娘にキスを返す。

 

「せめて今日は一日看病させて。可能な限り体力を回復させないとね」

「ありがとう。お願いするよ」


 男性の承諾に娘は親の許可を得て一日中男性の看病をするのであった。





 翌朝、僧侶の女性と魔法使いの女性はプリプリと怒りながら、男性と粗暴な男性と共にダンジョンに向かっていった。

 二人の女性も契約の事は承知していたため、止む無くダンジョンに向かうのであった。

 

 

 

 男性のパーティが戻ってきたのは夜が随分更けてからだった。

 娘は生きた心地がしないくらい仕事に手がつかなかった。

 失敗してもいいから無事に戻ってきて欲しいだけだった。

 

 戻ってきたパーティの顔を見て、良い事があったのだと娘は直感的に思った。

 思った通り目的のモノが入手できたという報告を受けたのだった。

 粗暴な男性から受けた依頼が達成されたのだ。

 

 負傷を押してダンジョンに潜ったため普段と違う視点で周囲を見る事ができたようで、今まで目が向かなかった場所から隠し部屋を見つける事ができたのだった。

 隠し部屋は凄い数の罠や魔物の襲撃があったので帰還するのに時間が掛かったらしい。それでも大した怪我も無く攻略する事ができたのだった。

 男性たちが入手したのは歴史に残る錬金術師が残した遺産だったのだ。

 どのような病も治すエリクシルの製造方法が記された巻物であった。

 

 この時ばかりは四人は目的が達成された喜びでにこやかだった。

 粗暴な男性は珍しく三人に飲食代を渡し、祝杯をあげるように言う位だったのだ。

 本人は自分がいると三人が楽しめないと配慮したのか足早に自分の部屋に引き上げていった。

 三人は粗暴な男性がいない方が盛り上がるので、早めに去って貰ったのは丁度良かったようで、徹夜で祝杯をあげていた。

 娘は三人の給仕で忙しかった。途中から酒盛りに混ぜられ、普段飲まないお酒をのまされてしまったりもした。

 それでも男性の目的が達成されたのを素直に喜んでいた。

 一睡もせずに朝をそのまま迎えたのであった。

 

 祝杯明けの朝、四人は拠点としている領都に戻っていくのだ。

 依頼が達成されたのを認定されるためには冒険者ギルドに達成報告をする必要があるからなのだ。


 娘は四人が旅立つのを見送りに宿屋の外に出ていた。


「長い期間だった。随分世話になった。お陰で依頼が達成できた。これで目標に一歩近づけたよ。本当にありがとう」

「いいえ。私はそれ程お役に立てなかったのが残念です。道中のご無事をお祈りしてます」


 男性の感謝に娘が応える。

 お互いの目と目が絡まって視線を外すことができない。

 男性も娘も別れがたい気持ちが強いのだった。

 お互いが共にいたいのだが、男性には夢がある。それはこの町では達成できないのだ。

 娘にも親を助けて宿屋を切り盛りする仕事がある。簡単について行くわけにもいかなかったのだ。

 それはお互い承知しているのだが、いざ離れ離れになると離れがたいのあった。


「な~に、見つめ合っているのよ。やらしいわね。今生の別れじゃないんだからさ、またすぐ会えるよ」


 魔法使いの女性が男性の脇を突きながら、茶化してくる。

 

「ま、まあ、そうだけど。そんなに変だったか?」


「とっても変よ。分かり易い位、分かり易い。今のランクでも十分なんだからさっさと結婚しちゃえばいいのにさ」


「い、いやしかし、俺はまだ上を目指さないといけない。いつ死ぬかもしれない身の上だ、後悔はしたくない。何、そう簡単には、ウグ!」


 男性は最後まで言葉を続けられなかった。


「あんた、この子の目の前でそんな言い方しちゃ駄目だよ。感じんなところでデリカシーがないんだから。簡単に死ぬとか言っちゃ駄目でしょ。死ぬほどの危険に挑むなら、女に惚れるなってんの!」


 魔法使いの女性に厳しい突っ込みを言葉と体で受ける。しかも未だに治癒していない右腕を思いっきり叩いたのだ。男性の顔が苦痛に歪む。

 僧侶の女性も、その通りだとばかり深く頷いている。


 娘は苦笑しながらやり取りを見ているだけだった。

 今回の成功でこの三人は依頼達成の報告後正式にパーティを組む事になっている。

 彼ら三人であれば難しい依頼もこなせるのだろうと娘は信じていた。

 少し心配な所はあるのだが、それは男性を信じて待つしかなかった。

 まだ傷に痛みで苦悶している男性を横目に魔法使いの女性は娘に近づいて言う。


「いろいろ心配はあると思うけど、私達を信じてと言うしかないわ。勿論、あれが浮気しないようにきちんと監視はするから、そこは安心して」

「え、私はそんな・・・でも、浮気は気になります」


 娘は恥ずかしさに顔を赤らめながら後半はボソリと呟く。

 魔法使いの女性は二ヒヒと笑いながら娘の心配を保証する。


「この前も言ったけど私達は彼に恋人とか愛人になって欲しいとは思ってないから、純粋にパーティのパートナーとして必要としているだけだから。そこは信用してもらうしかないけどね」

「私ともお友達になってくれた、お二人です。私はお二人を信頼してます。彼をどうぞ宜しくお願いします」


 娘は深々と頭を下げる。


「うんうん任せなさい。とりあえず諸々終わったら一度戻ってくるから。十日以内には戻ってくるわ。それまでは寂しい一人寝だけど我慢してね」

「もう、そんなに寂しがりやじゃありません!」


 魔法使いの女性にからかわれた娘は真っ赤な顔をして反論する。

 その表情を見た魔法使いの女性は安心した顔をする。


「うん。それじゃ暫くのお別れだね」


 魔法使いの女性は三人の元に戻る。

 再び男性の脇をウリウリと突きながら歩きだす。

 

「それじゃ、また。戻ってくるから」


 男性は娘に向かって手を振って暫しの別れを告げる。

 男性も依頼達成の報告が終わったらすぐ戻るつもりだった。

 だから挨拶は簡単でいいかと思っていたし、前日の祝杯をあげている時も、変な見送りは不要と伝えていたのだった。

 それでも娘は四人が見えなくなるまで見送っていた。

 最低十日は会えないのだ。

 その後ろ姿を目に焼き付けようと見えなくなるまでずっと見ていたのだった。






 四人が領都に向けて出発してから十日が過ぎた。

 

 男性はまだ戻ってこない。

 



 一ケ月が過ぎた。まだ戻らない。

 



 そして娘は自分が妊娠している事に気付いた頃になった。それでも、男性はまだ戻ってこなかった。

 



 妊娠した体もようやく落ち着いて安定期を過ぎた頃。

 宿屋に訪れる冒険者が突然増えたのだ。あまりにも多いので宿屋は満室になってしまった。

 宿泊できない冒険者は近くの広場にキャンプを張ったり、懇意にしている店の一室を借りて宿泊していた。

 そして朝早くから寄り遅くまでダンジョンに潜っているのだった。

 

 あまりにも突然な動きに驚いている娘と親は、比較的親しくしている冒険者が宿泊しに訪ねてきた時に理由を聞く事が出来た。

 

 冒険者曰く。

 

 粗暴な男性がダンジョンで入手したエリクシルの巻物は偽物であった可能性が高いらしい。

 本物の巻物は未だにダンジョンに秘匿されているのではないかと噂になっている。

 隠し部屋から入手したため他の巻物と勘違いしたのではないかと思っているそうだ。

 なぜならその巻物を使ってエリクシルを製造しても全く効果の無い物しか生成できかかったそうだ。

 粗暴な男性は偽物を持ち帰った失敗者として吊るし上げられ、気づいた頃には失踪していたらしい。

 その後の行方を知る者はいないし、誰も興味がなかったそうだ。

 

 娘は気になったことがあったので巻物獲得を報告したのは粗暴な男性だけだったのかと確認する。

 他にも男性と魔法使いの女性、僧侶の女性がいたはずで、彼らは冒険者ギルドに依頼達成の報告をしているはずだと確認したのだった。

 

 冒険者の男性の答えは娘が期待したものではなかった。

 巻物発見の名声を得たのは粗暴な男性のみだったそうだ。その後は偽物を持ち帰ったため、得た名声以上に名声を落としたそうだ。

 粗暴な男性の家も責を問われ夜逃げ同然に逃げていったそうだ。

 そして、男性と魔法使いの女性、僧侶の女性は依頼達成の報告には来ていないらしい。

 逆に依頼達成をしていないため、消息の確認をされているとの事。

 

 娘は呆然としていた。そして、恐れていたことが実現してしまった事におののいていた。

 

 娘は出発前に男性と二人だけで話していた事を思い出していた。

 

 粗暴な男性の家は簡単に言うと卑怯な家である事。

 今回の達成も自分一人の手柄とする可能性が高い事。

 従って粗暴な男性に渡すのは偽物の巻物を渡す事にする。

 そして本物の在りかを元に交渉材料にすると。

 この事を知っているのは男性と娘だけだった。

 仮に魔法使いの女性、僧侶の女性が捕まって拷問を受けたとしても彼女達は粗暴な男性が持っている巻物が本物だと信じて疑わない事にすると。

 男性が拷問の末、白状した場合隠し場所を狙ってくるだろう。その場合は燃やしてしまっていいと言われているのだった。

 隠し場所は宿屋の娘の部屋であり、普通の冒険者は入らない場所である。

 今の所怪しい人物の接近は無いので安心していたのだが、冒険者の男性の話を聞く限りだと、男性と魔法使いの女性、僧侶の女性には何らかの問題が発生しているようだ。

 

 三人の現状について娘は何度も確認したのだが、本当に誰も会っていないとしか言えないようだ。

 捕縛されているか最悪殺されている可能性が高いとの事。冒険者ギルドも殺された方向で考えているようだと冒険者の男性は教えてくれた。

 

 話しを聞く限りだと冒険者の男性の推測をまじえた話は本当のような気がしてきた。

 実際に自分に会いに来ない。巻物を探しにくる怪しい人物もいない。そして粗暴な男性の家が没落した事。

 これらを考えると三人は・・・特に男性は殺された可能性がかなり高いと思われた。

 

 絶望する娘。

 後を追って死ぬことも考えたが、お腹の生命が育っている事を考えると選択できない現状に気付かされる。

 男性が残してくれた自分あての最後の贈り物だ。

 この生命を育てることが、今からの自分の人生の役割だと娘は思った。

 

 別れ際に言った男性の言葉が鮮明に思い出される。

 

『俺はまだ上を目指さないといけない。いつ死ぬかもしれない身の上だ、後悔はしたくない。』

 

 娘は細やかでもいいから男性と慎ましく暮らしたかった。

 危険な冒険者の妻ではなく、宿屋を切り盛りする主人と妻として。

 それだけで十分幸せだった。

 

 でも、男性の夢を優先した事に後悔は無い。

 夢を妨げる事は男性の魅力を損なう事にもなるのだ。


 それでも、他にもっといい方法がなかったのだろうか。

 娘はその一点について後悔をしていた。

 祝盃をあげてもりあがっている時に今後の事をよく考えて対策をする事ができなかったのだろうか。

 そればかり後悔していた。

 今になってはそれも虚しい。

 男性が娘の目の前に居ないのが現状なのだった。

 

 順調に育っている新しい生命を感じながら、娘は一人涙を零すのであった。




 

 


 この地域の領主である辺境伯の領都から、西に二日程行ったところに小さな町がある。

 その町には一軒の宿屋がある。

 未攻略のダンジョンが近くにあるため冒険者が殺到してくる。

 近頃ある情報のお陰で冒険者の数が急増している。

 宿屋で宿泊できない冒険者が連日殺到しているのだ。

 冒険者はエリクシル製造の巻物を求めてダンジョンに潜るのである。


 ある貴族の子息が発見したエリクシル製造の巻物は偽物だった。

 発見者本人は本物はまだダンジョンに秘匿されていると言っていた。

 しかし未だに巻物を発見した冒険者はいない。


 そろそろ、発見者の言葉を疑ってきた冒険者達であった。

 

 発見者の言葉を疑っても、他にどこにあるのか分かっていないのだった。

 誰も巻物が秘匿された本当の場所を知らないのである。

 

 今や未婚の母親となった娘が営む宿屋の本人の部屋に秘匿されている事を。

 当時の事情を知る唯一の存在となった本人を除いて誰も知らない。


 そして、それが間もなく一歳を迎える息子の玩具になる可能性がある事を誰も知らない。


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