二話

 災難は終わらない。座間が風邪を引いた次の休日のことだ。

 俺はまた怪人の出現を感知して、座間に電話をかけた。


「おい、怪人が出たんだが」

『ごめんカッキー! いまばあちゃんが入院したっていうから親父の実家の方に来てて!』

「実家ってどこだよ」

『東北なんだけど』

「めちゃくちゃ遠いじゃねぇかどちくしょうめ!」


 東北への熱いエールを込めて通話終了のボタンを押す。

 その日の怪人は三分で片付けた。むしゃくしゃしたので夜中にカップラーメンを食べた。インスタント麺はたまに食べるとなぜあんなに美味いのだろうか。



――――――――――――――――――――



「もう我慢ならん……今日は何がなんでも座間に丸投げしてやる……!」

「自分で丸投げって言っちゃったよ……」


 気づけばカレンダーは七月のページまで進み、怪人の出現にも「ああ、またか」と慣れてきたところだ。だからって貴重な休日を何度も怪人に潰されてたまるものか。

 今日という今日こそは、と祈るように通話ボタンを押す。


「おい、怪人」


 もはや開口一番のフレーズさえ洗練されすぎてほとんど残っていない。


『はは、あいつら本当最近出すぎじゃね?』


 座間がため息交じりに言う。電話の向こうからは騒がしい音がしていた。


「外にいるのか。じゃあちょうどいいな、さっさと行ってちゃちゃっと退治してきてくれ」

「カーキーターロー!」


 プリシアがプリプリ怒っているが、俺の方も怒髪天を衝かんばかりである。そろそろ座間君にも働いてもらわないといけないんです。


『ああ、うん。そうだね……』


 座間の言葉の歯切れが妙に悪い。また都合が悪いのか。

 いや、多分真っ当な理由なら座間はすぐに謝ってくるだろう。さすがの俺でも、もうそれぐらいには彼のことを理解していた。


「なんだよ、用事でもあんのか? 遊びの予定ならドタキャンでいい、俺が許す」

『試合』

「は?」

『試合なんだよ、ちょうどいまから』


 試合、というと野球部の試合だろう。


「……ベンチだろ? 授業中みたいに腹痛いとか言って抜け出せよ」

『四番ピッチャーなんだ、俺』


 めちゃくちゃエースじゃねぇか!


「おまえ、ホント役に立たねぇな……!」

『ご、ごめん』


 座間の声には、いつもの張りが一切ない。あいつ自身、近頃怪人の相手を俺に任せっきりな負い目があるのだろう。

 そうだ。俺は充分頑張った。今度は座間の方が誠意を見せる時ではないのだろうか? 極端な話、俺が怪人にやられたとしたらどのみち座間も戦わざるを得なくなる。だったら、


 ――おかげで大会にも出られるし、マジ感謝だぜ。


「…………………………」


 長い長い沈黙。それをどう受け取ったのか、座間は慌てたように静寂を破る。


『さすがにカッキーに任せっぱなしだったよな。なんとかしてそっちに――』

「これで勝たなかったら承知しねぇぞ」


 座間の言葉をぶった切るようにして通話を切る。横を見れば、プリシアが目をぱちくりとさせている。


「カキタロー……?」

「座間はダメだ。さっさと行くぞ、プリシア」

「えっ、ちょっと、待ってよカキタロー!」


 待つことなく部屋を出る。ほどなくしてたどり着いた工事現場にハイトと怪人はいた。


「性懲りもなく現れたか、ヒーロー」

「うるせぇよ」


 体内の感情エネルギーを爆発させる。ほとんどハイトの命令どおりに動くだけの怪人が、一瞬だけ怯えたようにさえ見えた。


「ふっ、実にヒーローらしからぬ姿だな。貴様からはむしろ私と同じ側の感情エネルギーを感じるぞ?」

「同じ側だと? そりゃそうさ、いま俺の中にあるのはどうしようもねぇほど俺の日常を邪魔しやがるてめぇに対する、純度百パーセントの憤怒だァッ!」


 そうして怪人を打ち倒した頃には、やはりハイトは消えていて、胸の中のモヤモヤだけが残った。



――――――――――――――――――――



「ほんっっっっとうに、すまん!」


 昼休みの屋上で、弁当をつつく俺に座間が頭を下げている。屋外で土下座なんて江戸時代にでもタイムスリップした気分だ。

 さすがに無視するのも気が引けたので、ヘッドホンを外して対応する。


「ひたすらに感謝しかないっていうか、カッキー様マジ卍っていうか」

「ワードチョイスが古いし、なぜ焼きそばパンを差し出す」

「お詫びの品ってことで。購買の焼きそばパンとカツサンドはマジエネルギーの塊って感じで俺のおすすめだから」


 いかにもな選抜理由で渡された焼きそばパンをしげしげと見つめる。パンの間に挟まれた焼きそばの量が思いの外えぐくて胃もたれしてしまいそうだ。


「っていうか、弁当あるし」

「じゃあ夜食にでもしてくれ!」


 突き返すことも考えたが、それはそれで食い下がられて面倒そうだ。他人の厚意は受け取っておけとも言うし、焼きそばパンは持ち帰ることにした。なんなら梨子に食べさせてもいい。


「しかし、この有様でよくヒーローなんてやってられたなおまえ。人類が無事なのが奇跡に思えてきた」

「面目次第もございません」

「どうも最近はハイトの活動が活発になっている。奴もかなり人間界に慣れてきたようだからな」

「前触れなく会話に入らないでくれる? 普通にビビるから」


 突如として姿を現した光る球体ことヴェールに文句を垂れつつ、ずっと気になっていたことを尋ねる。


「だいたい、なんであの精霊はこんなよくわからん街にきたわけ。特に都会でもなんでもねぇぞ」

「精霊界と人間界とを繋ぐ穴が偶然この地に現れたのだ。それ以上の理由は存在しない」

「夢がないな……要らないけど」

「二つの世界が交わってから二ヶ月ほどだろうか……未だハイトの目的はわからないが、なんにせよよからぬことだろう」


 弁当のおかずを口に運びながらヴェールの話を聞く。思い返してみれば、ほとんど成り行きでヒーローになったからこいつらのこともよくは知らないことに気づいた。


「そもそもおまえやプリシアはなんでこっちの世界に来たんだ? ハイトが人間界で何かをやらかそうが、関係ないっちゃ関係ないだろ」

「あのような手段を講じて大きなことを成そうとするのは、私達精霊の主義に反するものだ。私達精霊は自然のままに生まれ、自然のままに生き、自然のままに朽ちてゆく。そういう生き方をしてきた、ほとんど無感情にな」

「たいていの動物とかはそんな感じに生きていくんじゃないのか」

「だが私達は、感情というものを覚えた」


 ヴェールの声色が、どこか複雑な調子を帯び始める。


「人間界から流れてきた感情エネルギーの奔流は、私達の知らなかった感情という存在を植え付けたのだ。それまで私達は感情などほとんど持たない、理屈だけの生命だった」

「感情がなかったぁ? プリシアなんてやかましいぐらいに感情的じゃないか」

「あれもあれで感情を覚えたての子供なのだ。心が勝手に反応しても、頭が自分自身のことさえ理解できずにいる、私達には少なからずそういう感覚がある」


 ヴェールが言ったことは、どうにも難解な話だった。頭より先に身体が動いてしまう、みたいなことなのだろうか? うん、なんか違う気がする。


「どうもプリシアは、君の影響でああも多感になっているようだが」

「おいおい、あいつは会った時からだいたいあんな感じだぞ」

「子供の成長は早いということさ。君の放つ大きな感情エネルギーが短期間、短時間のうちに彼女に大きな影響を及ぼしたとしても不思議ではない。私でさえ戸惑うことが多いのだ、プリシアはもっとだろう」

「ふぅん」

「なになに、何の話ー?」


 上空を飛び回っていたプリシアが俺達の近くへと戻ってくる。

 もしも子供に翼が生えたらそうするように、彼女はあちこちでひたすらに羽ばたいては眼下の街を見下ろして歓声を漏らすのが常だった。

 こいつがつい最近まで感情を持っていなかったなどという話は、にわかには信じられない。


「私達は同族の代表としてハイトが企んでいる悪事を食い止めるためにきた。そして、願わくばより深く人間の感情について学びたいとも考えている」

「そう。そうなんだよっ。私は勉強家なの!」


 えへんと胸を張るプリシアは、なんというか、どうにもバカっぽいオーラが発生するのを防ぐことができていない。


「そうかい。勝手にしてくれ。俺は俺の目的が達成されりゃそれだけでいいからよ」

「よくわかんないけど、俺達に協力できることがあったらなんでも言ってくれよ!」


 座間がそんなことをぬかしやがる。俺「達」ってなんだ、なに勝手にカウントしてんだ。

 そういう非難を籠めた視線を向けると、座間は何を勘違いしたのかまた頭を下げた。


「って言ってる俺が一番助けられてるよな。ほんとありがと、カッキーのおかげで野球部も勝てたよ」

「ああ、そう」

「四打席三打点! やってやったぜ!」

「聞いてねぇよ」


 こんなにも冷たい反応をしているというのに、座間はへこたれもせずに俺の隣に腰を下ろした。


「っていうかカッキー、音楽とか聞くの?」

「カキタローはね、耳かき音声を聞きながらお弁当を食べるんだよ」


 あっけらかんと言い放つプリシアに、つい舌を鳴らす。


「耳かき……そういえば前もそんなこと言ってたっけ。えっ、カッキーがそんなに夢中になるなんて興味あんだけど。詳しく教えてよ」

「いや、めんどくさいし」

「そう言わずにさー」

「わたしもっ! わたしもしりたーい!」


 最悪だ。一番組んでほしくない連中に手を組まれた。うるささとしつこさが組み合わさってもはや生物兵器だ。


「うるせぇな、聞きたきゃ勝手に聞けよ」

「わーい」

「うー、キュウイチずるい!」


 膨れるプリシアは無視して、ヘッドホンを座間に渡す。彼がそれを装着したのを見て音声動画を再生、すぐさま座間の肩が跳ねる。


「うわっ、えっ、女の人の声すんだけど。めっちゃ声綺麗、っていうか、え、あっ、おふ」


 身震いする座間。彼はしばらくあえぎ声のようなものをあげてからヘッドホンを外す。


「な、なにこれ、耳のあたりがぞわっとしたんだけど」

「……ASMR」。

「なにそれ、英語?」

「Autonomous Sensory Meridian Response、要するに音でめっちゃ気持ちよくなる体験ってこと。ハサミで紙を切る音とか、焚き火とか風鈴とか、なんとなくいい感じだなって思う音ってあるだろ」

「黒板を爪で掻いたり金属鍋をお玉で擦ったりするのの真逆ってこと?」

「耳かき音声ってのは『誰かに耳かきをしてもらう』っていうシチュエーションを楽しむものであると同時に、実際に耳かきをしてもらっているような効果音でめっちゃ気持ちよくなるものでもあるわけだ」

「へえ。正直、自分で耳をかく時にこんな音しないと思うけど、なんかこう、ぞくりときたわ。確かに、ホントに耳かきされてるみたいでめっちゃ興奮した!」

「……そうか」


 普通に受け容れられたっぽいので返答に困ってしまう。

 一方、プリシアは頬をパンパンに膨らませていた。


「カキタロー! 私も聞きたい!」

「おまえイヤホンもヘッドホンもつけられないだろうが」

「カッキー、ヘッドホン外してスピーカーで聴かせてあげれば?」

「バイノーラル録音された耳かき音声をスピーカーで聴くとか正気かおまえ?」

「バイ、なんて?」


 座間が目をぱちくりさせるのを見て、内心でしまったと思う。オタクが好きなものについて語るときの鉄則は、相手のレベルに立つことである。なお先輩オタクである兄から聞いたことなので参考になるかどうかは未知数。あいつもあんま友達いないしな……。


「あー……ダミーヘッドっていう人間の頭の形したマイクがあんだよ。そういうのを使って、実際に耳に届くような感じで録音する技術がバイノーラル録音。そんな感じの理解でいい」

「人間の頭? マイク? ちょっと待って、俺が思ってた以上に耳かき音声が奥深くて困るんだけど」

「勝手に困ってろよ」

「すげぇよカッキー、めちゃくちゃ物知りじゃん! いつから耳かき音声が好きだったわけ?」

「中学の時だよねー」


 なぜおまえが答える。


「中学? 俺が野球始めたのと一緒じゃん! 何かきっかけとかあったの」

「……兄貴に勧められて」

「カッキーお兄ちゃんいるんか!」

「妹もいるんだよー」

「ねえさっきからなんなの、なんで勝手に他人の個人情報ばらまいてんの? おまえが俺にとって一番悪い精霊なんだけど」


 というか、と話を切り替える。


「精霊だよ精霊。その話をしようぜ。おまえ達は今後不測の事態が訪れた時どうするつもりなんだ」

「不測の事態、って?」

「怪人がいっぺんに二人も三人も現れるとか、めちゃくちゃ強い怪人が現れるとか。とにもかくにも、俺達だけじゃ対処できないような事態だよ」

「それはヤバいな!」


 座間の同意を得て大きく頷く。


「そうだろう。だから俺はここに提案する」


 立ち上がり、真上の太陽に向けて拳を掲げる。


「ヒーローを増やそう」


 それは俺がここしばらくのヒーロー活動という名の強制労働を経てたどりついた結論だった。


「戦力が増えて困ることがあるか? いいや、ないね。そこで三人目のヒーローだ。できる奴っていうのは問題が発生する前から対策を用意しておくものなのさ」

「おお! なんかすげぇよカッキー、有能に見える!」

「カキタローはサボりたいだけでしょぉ?」


 冷ややかな視線を向けるプリシアはスルー。こいつに対するスルースキルだけ使い込みすぎてレベル上がりすぎな気がする。


「ヴェール、おまえはどう思う」

「動機はともかくとして、提案自体には賛成だ。君の言うとおり、戦力が増えて困ることなどそうそうない」

「決まりだな。よしプリシア、詐欺とかにコロッと騙されそうで丸め込むのが簡単そうな奴をテキトーに見繕ってこい」

「条件に悪意しかないよ!? ていうかなんで命令するの!」

「候補であれば、私が以前から目をつけていた人間がいる」

「さすがヴェール、うちの精霊とチェンジしてくれないか」

「むぅぅぅぅ!」


 むくれるプリシアはやっぱり無視して、俺はヴェールから詳しい話を聞くことにした。

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