二話
翌日、俺はいつも通りに登校していた。
アスファルトが割れたり建物が傷ついたりしていたはずの駅前は、何事も無かったかのように以前の姿を取り戻している。
精霊は感情エネルギとやらを利用することで、物体の修復や記憶の操作を行えるらしい。どおりで昨日の一件がニュースにもなっていないわけだ。
通学路は普段と同じように登校する生徒や通勤途中のサラリーマンで溢れている。誰一人として怪人が現れたことなど知らなさそうだ。
「ねーえー、ヒーローになってよー」
「…………………………」
「カーキーターロー」
「…………………………」
まだ夏には少し早い時期だというのに、俺の耳元ではプリシアが新種のセミのようにヒーローヒーローと鳴いていた。
電車の中でも歩道でもずっとこの調子だ。俺のヘッドホンは防音性にも優れているが、相手は身体が透けるという異質な存在である。ヘッドホンの中に口を突っ込んで話しかけられては防音も何もあったものではない。っていうか絵面が普通に怖い。
沈黙を貫くのにも限界を感じ始めていたちょうどその時、何者かが俺の肩を叩いた。
「おーい」
「うるっっっっせぇ!」
イライラの募っていた俺は反射的に怒鳴る。
しかし、冷静に考えればプリシアが俺の肩を叩けるはずがなく、案の定振り返った先には見覚えのない男が立っていた。
「おっ、おう!? なんか、ごめん」
「あっ、いや。こっちこそ、大声出してすみません」
気まずい沈黙が流れる。
男の制服は俺の通う鈴見高校のものだった。坊主頭で背丈は俺よりも高い、野球部員か何かだろうか。
「……っていうか、誰」
「うっそー!? 俺のことわかんない? どっちかっていうとクラスでは目立つ方だと思ってるんだけどなぁ」
坊主頭は悔しそうな表情を浮かべる。発言から察するに俺のクラスメート、ということは彼も二年生ということになる。
ちなみに俺がクラスの人間の顔を覚えていないのは彼が目立ちきっていないからでも、まだ一学期だからでもない。単純に覚える気がないだけだ。
「俺は
勝手に自己紹介を始められてどうしたものかと思ったが、続けられた言葉だけは無視するわけにもいかなかった。
「君と同じ、ヒーローさ」
――――――――――――――――――――――
放課後、人気のない屋上のフェンスに寄りかかって、座間球一は俺を待ち構えていた。
「おーカッキー! きてくれたんだなー!」
「国民的美女みたいに呼ぶな」
言われたことのないあだ名にツッコミをいれてしまう。そもそもあだ名など中学の頃につけられた以来なのだが。
「改めて、昨日は助かったよ! 腹の調子が悪くてさ、ちょっと苦戦しちゃってたんだよね」
「ああ、そう」
「大丈夫、今日はめちゃくちゃスッキリ出たから!」
「聞いてねぇよ……」
友達でもない相手の排便事情など興味が湧こうはずもない。というか友達だとしても聞きたくはない。
ため息を吐く俺を、座間はしばしじっと見つめてくる。
「その頭の怪我、昨日の?」
それはちょうど昨夜に梨子にされたのと同じ質問だった。いまはガーゼではなくただの絆創膏を貼ってある。
「よく覚えてないが、知らないうちに怪我してたみたいでな」
「昨日は一緒に戦ったのに気づいたら帰っちゃってたからさ、心配してたんだよー。大丈夫、ヒーローやってればそれぐらいすぐ治るって」
妙な言い回しに俺は違和感を覚える。普通は戦うのだから治りが遅いのではないだろうか。
俺の顔色から疑念を感じ取ったのだろう、座間は補足するように言う。
「精霊は俺達の感情エネルギーを利用して、ヒーローとしての力をくれるだろ? 理屈は同じで、傷を治したりもしてくれるんだ」
「便利なもんだな」
「ほんっと助かるよ! 俺もおかげで腕の骨折を治してもらったし!」
座間が自分の腕をバシバシと叩く。せっかく治ったものを乱暴に扱うのはいかがなものなのだろうか。
「それで、用件はなんだよ」
「用件っていうか、顔合わせっていうか? これから一緒にヒーローとして戦っていくわけだし、仲良くしようぜってことで!」
「ああ、なるほど」
納得した。なので、俺は踵を返した。
「じゃあ、俺帰るわ」
「なにゆえに!?」
「俺はヒーローにはならない。以上」
慌てふためく座間に懇切丁寧な説明をしてやるのも面倒なので、手短に要点だけを伝えた。
「考え直そうよぉ、カキタロー」
「おまえもたいがいしつこいよな」
頭上から降ってきたプリシアの声に返す。すると、座間が不思議そうに首を傾げた。
「上に誰かいるのか?」
「あ、そっか。ちょっと待ってね」
えいっ、と気合いを入れるような声のあと、プリシアの身体が一瞬だけ発光した。俺にはそれ以外何かが起こったようには見えなかったのだが、
「うわっ!? えっ!? ……えっ!?」
あまりにもオーバーリアクションで驚く座間を見るに、どうやらプリシアが自分の姿を彼からも見えるようにしたらしい。
「驚きすぎだろ」
「いやっ、だってっ、いきなり宙に女の子が! しかもめっちゃ可愛い!」
「こいつは精霊だ。おまえのとこにも似たようなのがいるんだろ」
「せ、精霊? この子が?」
「――ほう、これは面白い」
座間のものでもプリシアのものでもない、謎の声が響いた。それは是非とも年上のお姉さん役で耳かき音声に出演していただきたいと思わされるほど色香に満ちた女性の声だった。
気づけば、座間のそばに野球ボールぐらいの大きさの光球が浮いている。
「プリシア、有望なヒーロー候補を見つけ出したようだな」
「ヴェールちゃん!」
プリシアが光球に話しかける。ヴェールというのがこの球体の名前らしい。
「私達精霊はこちらの世界では希薄な存在だ。普通は今の私のように仮初めの姿で過ごさざるを得ない。ただし、莫大な量の感情エネルギーを取り込むことができればその限りではないようだ」
なにやら解説パートが始まってしまったらしい。
「はあ……つまり?」
「カキタローとやら、おまえから放出される感情エネルギーは常人のそれを遙かに凌駕しているようだ。その影響でプリシアも本来の姿に近づいてるのだろう」
「本来の姿、ってことはヴェールも本当はこんな感じってこと??」
そう尋ねた座間の顔はなんというか、コンビニで成人向け雑誌を横目に見る中学生みたいというか、とにかくさりげない風を装っておきながら実際には鼻の下が伸びている感じだった。
「ヴェールちゃんはね、すっごい美人さんなんだよ! 肌はこんがり焼けた小麦色で、おっぱいもおっきいの!」
プリシアのしょうもない紹介に俺は呆れるばかりだったが、座間は興奮を隠しきれない様子だった。
「どれだけ見た目がよくたって、触れなきゃなんの意味もないだろ」
「なんて堂々たるセクハラ……一周回って尊敬するぜ、カッキー」
「変な捉え方をするな。エロい意味じゃない」
俺は濡れ衣を払拭すべくプリシアを指さす。
「俺はこいつに耳かきをしてもらう条件でヒーローになったんだ。触れなきゃ耳かきはできない、だから契約は無効だ」
「そ、そんなぁ!」
「耳かき……?」
涙目になるプリシアと目をぱちくりさせる座間。
「なるほど。耳かきというのが君が求める対価なのだな」
その一方、ヴェールとかいう精霊は納得したように言った。
「は? 対価?」
「『君には素質があるから悪と戦ってくれ』などと頼むだけでは非合理的だろう。ゆえに私達は強い感情エネルギーを持つ人間に協力を仰ぐ際、対価を提供することにしている。キュウイチにも腕を治す代わりにヒーローになるよう依頼したのだ」
そういえば、さっきもそんな話をしていたな。
「完治させた、というのとは少し違うが。少なくとも平時と同等に動かせるようにはしている」
「おかげで大会にも出られるし、マジ感謝だぜ」
そろそろ夏の地方予選やらが始まる時期だ。そんな時に骨折で試合に出られないというのは、高校球児として悔やんでも悔やみきれないものがあるのだろう。
「それなら話は単純だ。俺は対価をもらえないからヒーローにはならん」
「ふむ……そこまで言うのであれば、しかたないが」
そう言って、ヴェールがちらとプリシアを見た。
その直後、頭に電気が流れるような感覚。背筋から耳の筋へと這い上ってくる、悪寒。
「っ、カッキー、いまの感じたか?」
「感じたか、って……」
「感情エネルギーの不自然な膨張を感知した。どうやら、怪人が現れたようだな」
キュウイチ、とヴェールが呼びかける。座間は鼻の下を指で擦りながら、
「へへっ、任せとけって」
座間の身体が光る。輝きが去った後に現れたのは、昨日見たヒーローと同じ戦隊モノの赤色担当みたいなヒーロースーツにヘルメットを着た姿だ。
「カッキー、先行ってるぜ!」
「だから俺は――」
返事する間もなく、座間は飛び立つ。それはおそらくただの跳躍だったのだろうが、彼は飛行機かヘリコプターかという勢いで彼方へと離れていった。
「カキタローも、早く行こうよ!」
「しつこいやつだな。だいたいアイツがいるなら問題ないだろ」
「むぅぅぅぅ」
どうしても俺を戦わせたいらしいプリシアと、どうしても無駄な労働をしたくない俺。両者は睨み合い、勝ったのは俺だった。
「カキタローのバカ! アホ! もう知らない!」
プリシアは小学生レベルの語彙力で俺を罵倒してから飛び去っていく。
「ったく、ようやく静かになったぜ」
ため息を吐きつつ、座間が飛んでいった方角に目を向ける。
その何の気なしの行動が、失敗だったのかもしれない。
元々視力が悪いわけではない俺の目は、ヒーローの力とやらの影響かずいぶんと冴え渡っていた。そのせいで、遙か遠くにあまりにも不自然な薄紫色のドームが存在することに気づいてしまう。
そのドームは薄い膜のようで、中にはある施設が透けて見えた。建物の形、敷地の独特な使い方から学校施設であることは一目瞭然。さらに細かい特徴や位置関係から、それがどの学校であるかが、俺にはわかる。
『鈴見第二中学校』
それはかつて俺が在籍し、現在では妹の梨子が通っている中学校だった。
「梨子……!」
昨夜の一幕が思い出される。すっかり険悪な仲になってしまった妹、その妹のところに怪人が現れたらしい。
知らず知らずのうち脚に力が入り、俺は奥歯を噛み締める。
「行かなくていいのか?」
「……まだいたのかよ」
振り向けば、顔などないくせに俺をじっと観察しているかのような光の球が浮いていた。
「いま、君からはとても強い感情エネルギーを感じる。だというのに、なぜ行動しない」
「……強い感情だと? そんなもんねぇよ。俺にはヒーローをやる理由がない、だから面倒なことは座間に任せる」
「ふむ……やはり人間は度し難い。実のところ、私達はまだ感情というものに疎くてね」
ヴェールの言葉が意味するところは、正直よくわからなかった。判然としているのは、俺には動く理由がないということだ。
すでに座間が怪人のもとへ向かっている。今日は快便だったから大丈夫、という言葉を信じれば全て任せてもいいはずだ。
梨子は俺のことを嫌っていて助けなんて求めもしないだろう。
だから俺には、今の俺には動く理由が何もない。
何も、ないのだ。
「……おい」
「何か?」
俺は怪人のいる方を睨みながら、ヴェールに問いかける。
「一つ、聞きたいことがある――」
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