永幸駅

西田彩花

第1話

「お客さん、お客さん」


 目を開けると、車掌がいた。


「ここ、終点ですよ。もう終電だけど、大丈夫ですか?」

「…え!」


 慌てて窓の外を見ると、”永幸駅”という表示。聞いたこともない駅名で、血の気が引いていった。


「僕の家、この辺りなんだけど、もし良かったら」

「いえ、結構です」


 私は急いで荷物を持った。


「この辺り、泊まるとこないですよー?」

「…大丈夫です!」


 そのまま目を合わせず出口に向かった。外に出ると、生暖かい風が頬を撫でる。出口には誰もいない。無人駅のようだ。透明な箱に切符を入れ、改札を出た。


 …やってしまった。ここのところ残業続きで、疲れていたのは事実。明日から連休なのもあって、今日は力を振り絞った。4連休はリフレッシュしようと思っていたのに…。


 改札を出ると、灯がほとんどないのに気づいた。ホテルはおろか、民家すらなさそうだ。あの車掌さんにもう一度お願いしようか。そう思って振り返った瞬間、電車は走り出した。いやいや、いくら困っているからといって、女性が見ず知らずの男性の家に泊まるのは不用心か…と思い直す。


 少しの間歩いてみたけれど、本当に家がない。時計は23時過ぎを指している。こんなに田舎だと、この時間に訪問するだけで警戒されるかもしれない。彼はこの辺りに住んでいると言っていたが、いったいどこに家があるというのだ。


 疲れた私は、駅に戻ることにした。これだけ人気がないのであれば、駅で一晩過ごしたって大丈夫なのではないか。始発で帰って、ゆっくり休めば良い。


 切符の自動販売機は、もう電気が消えていた。路線図を見ると、私が降りるべき駅から10駅ほど離れていた。何時の電車に乗ったっけな…。どれくらい寝ていたのだろう。


 プラットホームでは、薄暗い電灯がちかちかと点滅しながら光っている。灯がないよりはマシか…と、辺りを見渡したところで絶望した。このホームには椅子がない。椅子で休むのであれば、一晩くらい我慢できると思ったのに…。カバンの中を見ても、何か敷くものなんて入っているはずがなかった。


 連日の仕事の疲れもあって、一気に眠気が襲ってきた。もう何も考えず、地べたに座った。


---

「やめてください!」


 手を縛られた女性が、男性を見上げている。


「無駄だよ。この辺りには家なんてないからね。誰も助けにきてくれないよ」

「助けて、お願い、助けて…」

「だから無駄だって。ずっと俺と暮らそうな?お前だって幸せだろ?」


 男性は、俯いた女性の顎を持つ。


「幸せだって言えよ」

「……」


 パンッと、乾いた音が響いた。


「ほら、幸せだろ?」


 女性は何も言わずに泣き出した。男性は、彼女を殴り始めた。顔や腹、脚、殴られるたびに女性は大きな声を上げていたが、次第に声が弱々しくなっていった。


「俺とずっと一緒に暮らせるなんて、この上ない幸せだろ?」

「…はい」

「素直で良い子だなぁ。じゃあ、その綺麗な身体も俺のもんだろ?」

「…お願い、やめて…」


 男性はまた女性を殴り始める。女性はか細い声で「はい」と言った。男性は女性の身体に手をかけて、荒々しく覆いかぶさった。

---


飛び起きると、日の光が見えた。リアルな夢で、冷や汗が止まらない。ちょうど来た電車に乗る。乗客はちらほらいた。時間を確かめようにも、スマホのバッテリーが切れていた。


「次は、北町駅、北町駅」


 北町駅のアナウンスが鳴ると、私はその電車を出た。連休始めだというのに、プラットホームには誰もいなかった。切符を買っていると、車内から外を確認する車掌が目に入った。


「あれ…」


 その男性は、夢に出てきた顔と同じだった。


「大丈夫でしたか?泊まるとこ、なかったでしょう」


 私に向かって言葉を発する彼の声も、夢の中のものと同じだった。


「…はい」


 私はすぐに目を逸らして、改札に向かった。切符を通そうとすると、エラー音が鳴って切符が戻ってきた。


 不思議に思い、駅員に確認する。


「どこからご乗車ですか?」

「ええと、終点なんですが、駅名が…」

「終点からでしたら、料金不足ですね。差額を払っていただければ良いので…」

「そうですか、わかりました」


 言われた金額を払い、駅を後にした。


 不思議と駅名が出てこず、もやもやしながら家に向かった。家に帰ったとき、”永幸駅”の表示を思い出した。エイコウ駅、だろうか。


 スマホを充電しながら、妙に気になって駅を調べた。そんな名前の駅はヒットしない。なんだか悔しくなって、ひらがなやカタカナでも試してみた。カタカナで検索した時、”栄郷えいごう駅”という名前が出てきた。栄郷町って確か山奥にある廃墟だったような…。あんなところに駅なんてあっただろうか、と思いながら、その駅名をクリックした。


 栄郷駅は、昔あったバスの駅名だったようだ。栄郷駅自体の情報はそれ以上書いていなかったが、そこであった事件について、詳細に書かれていた。


 端的に言うと、強姦殺人事件だ。暴行された形跡のある女性が、ある家で亡くなっていたとのこと。死体は悲惨な状態で、手を縛られたままだった。ロープの劣化具合と死亡推定時刻を照合すると、数年間監禁されていたであろうことがわかる。


 かつて賑わっていた栄郷町だが、それも昔の話。事件当時高齢化が進んでいる真っ只中で、引っ越す人が増えていたのだとか。事件があった家は、誰も住んでいない家だった。奥まった場所にあり、気づく人もいなかった。発見が遅れたのは家の立地の影響もある。


 不審な男が歩いているのを目撃した人は複数人いたらしい。そもそも若者がほとんどいなくなった町だ。20台くらいの男が頻繁に出入りしているのは違和感があったようだ。それでも、毎回あちらから笑顔で挨拶されていたため、復興作業に力を入れている好青年かもしれないと、好意的に捉えた人が多かったらしい。


 その男が奥まった場所に足を運んでいるのを見た住民が、さすがにおかしいのではと、近所の人に相談した。その後しばらくして数人でその場所に行くと、凄惨な現場が広がっていたらしい。


 住民たちは気味悪く思い、次々と引っ越した。今は誰も住んでいない。駅も存在しない。ちなみに犯人は、まだ見つかっていないという。


 私はゾッと背筋が凍った。あの時の夢はなんだったんだろう。それ以前に、どうして私はあの駅にいたんだろう。駅自体がないのではないか。


 “栄郷駅”が”永幸駅”と表記されていたのも気になった。


「ほら、幸せだろ?」


 優しいような冷たいような、あの男の声が頭に響く。あの男と一生暮らせて幸せだとか、そういう意味だろうか。


 スマホを打つ手が震えながらも、やめられなかった。


【永】象形文字。「支流を引き込む長い川」の象徴から、「ながい」を意味する漢字が成り立った。

【幸】象形文字。「手枷」の象徴。残酷な刑が多くあった時代、手枷をされて手の自由を奪われるだけで済むのはとても「しあわせ」だという意味で、この漢字が成り立った。


 手を縛られた女性が懇願している姿が脳裏に駆け巡った。


 …あの駅はないはずなのに。どうして乗客が。私は、夢と現実の境目がわからなくなった。


「僕の家、この辺りなんだけど、もし良かったら」


 そう言って微笑む男の顔が、不気味でならなかった。

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