日奉家夜ノ見町支部 怪異封印録

鯉々

第壱章:口が裂けても……

第1話:現代怪異「口裂け女」復活

夜ノ見町。一見すればどこにでもある普通の街。それがアタシ達の住んでいる街だ。いや正確に言えば、アタシ達が見下ろして守っている街という表現が正しいのだろうか。


 この街には昔から妙なものが集まりやすいという特徴があるらしい。あやかしや霊体、その他正体不明の存在……上げていけばキリがないが、とにかくそういう存在が集まるらしい。それが現代になって更に加速してきている。背の高い建造物の増加により日陰は増え、更に陰の気が溜まってきている。そこに来て、これである。


「みやちゃん、これ……」

「ああ……」


 義妹であるみどりは不安そうな表情で私の顔を見た。それも無理もない事だった。この土地の特性を知っている人間からすれば、こんな事が起これば誰だって顔が青ざめるだろう。

 日ノ見山の中腹部分に安置されていた祠から呪物が持ち去られていたのである。呪物と言っても人に害を成す物ではなく、この街を守るための物だった。


「ど、どうしよう……」

「……取り合えず姉さんに電話しよう。指示がいる」


 アタシは力を込めて腰を上げ、左手に持っている杖で左足を補助しながら家へと歩き出した。翠は落ち着かない様子で何度も祠の方を振り返っており、酷く動揺している様だった。


 日奉ひまつり一族。アタシが所属している一族はそう呼ばれている。聞いた話だと古くから皇族に仕えてきた一族であり、怪異を封印したりする事を主な仕事にしていたらしい。しかしいつしか時が経ち、一族は歴史の影に隠れて表向きの記録から隠蔽されていたとの事だ。その理由が何なのかはアタシには分からない。もしかしたら今生きている一族の人間も誰も知らないのかもしれない。


 山の中にポツンと建っている母屋に入り、社会ではほとんど使われなくなっているらしい黒電話の受話器を持ち、ダイヤルを回す。数コールの後、受話器の向こうからよく見知った声が聞こえてきた。


「はい。みやび?」

「うん、アタシ。姉さん、ちょっといい?」


 アタシが消失した呪物について話している最中、姉さんは一言も発さず黙って話を聞いてくれていた。

 日奉茜ひまつりあかね。現日奉家の当主とされている人物。長く美しい黒髪を後ろで束ねている和服の似合う美人な人だ。少なくともアタシが知っている限りでは、和服以外のものを着ているところは見た事が無かった。そしてこの人が居なければ、今頃アタシは野垂死にしていたかもしれない。


「……なるほど、事情は分かりました。それで雅、貴方はどうするつもりなんですか?」

「誰がやったのかは分かんねェけど、取り返すつもり。このままじゃ絶対ヤベェでしょ、これ?」

「そうですね……分かりました。そこに翠は居ますか?」

「うん。今代わる」


 突然受話器を渡された翠は一瞬びくついていたが、姉さんの声を聞いてすぐに安心した様子で話を始めた。


「うん。……うん、大丈夫。が、頑張ってみるよ……。うん、うん。…………分かった」


 話を終えたらしい翠はこちらに受話器を渡してきた。


「姉さん?」

「いいですか雅。『箱入り鏡』が失われた事は大きな損失です。下手をすれば日本国そのものの危機とも言えます」

「うん、分かってるよ」

「鏡の捜索を続けながら、翠と共に怪異の対処をしなさい。恐らくこれを期に件数が増えると思います」

「……分かった。見付けたら連絡するよ」

「ええ、こちらも何か分かり次第連絡します」


 別れの挨拶を終えたアタシは受話器を置き、足を引き摺りながら居間へと向かった。居間には様々な怪異に関する資料が保存されており、パソコンを使った情報収集を行える様にもなっていた。本棚に収められているファイルを引っ張りだし、畳にドカッと腰を下ろすとパソコンの電源を入れた。


「みやちゃん、どうするの?」

「まずは情報を集めるとこからだろ。あれがいつ無くなったのかは分からねェが……下手すりゃもう影響が出てる可能性もある」


 アタシはSNSやネット掲示板を開くと、自作した専用のWebクローラー『てんとう』を作動させた。このクローラーはネット上に存在している特定のテキストや画像、動画などを自動的に収集してくれる。


「最近になって急に使用される回数が増えたワードがあったら、そいつが出てきた可能性が高い」

「う、うん。でもこれ凄いね。みやちゃんはパソコン名人さんだね」

「足がこんなだからな。動かずに集めるにはこれが一番だろ」


 自分で好きに動き回れるのなら自分だってそうしたかった。しかし、左足が満足に動かせない以上はこういった形で情報を見付け、場所を絞っていくしかない。

 しばらくすると、あるワードの多さに引っ掛かった。それは現代になってから存在している怪異であり、最古の記録では1979年に確認されていた。


「翠、これだ」

「これって……」


 『口裂け女』、表向きには岐阜県で最初に存在が確認された怪異であり、マスコミや噂などを通して爆発的に日本中に広まった存在だ。耳元まで裂けた大きな口という実に分かりやすい見た目をしており、当時は模倣犯も居たとかなんとか。


「ここ数週間で急激にこのワードが伸びてる。ほとんどの投稿で子供が狙われたって点が一致してる」

「口裂け女の特徴と一致はするね……」


 一部の人間の間では、貧しい家庭の親が子供の塾通いを断念させようとして広めたとも言われている。だが、手元にあるこの記録によればそうではないらしい。江戸時代に書かれた怪談集『怪談老の杖』には既に口裂け女と思しき存在が書かれているのだ。これが現在語られているものと同一なのかは不明だが、少なくともあれは現代になって作られたものではない筈だ。


「みやちゃん、どうするの? 色んな所で目撃されてるみたい……」

「……どうもこうも無ェよ。あいつの特徴に従ってやるしか無ェだろ」


 アタシはパソコンを起動したまま立ち上がり、足を引き摺りながら玄関に向かう。


「え、ど、どういう事!?」

「ちんたらすンな翠。なるべく今日中にとっ捕まえるぞ」

「え、ちょ、ちょっと待ってぇ……!」


 翠はドタドタと居間の奥へと走り大急ぎで準備を始めた。アタシは杖を手に取ると壁にもたれて翠が来るまでしばらく待つ事にした。


 準備を終えた翠と共に家を出たアタシ達は決まった経路で山を下り、街へとやって来た。時刻は丁度夕暮れ前であり、空は少しずつ橙色に染まりつつあった。翠は肩から下げていたショルダーバッグから白い折り鶴の入った瓶を取り出し、抱きかかえる様に持っていた。


「翠、あんま人目に付く場所で出さねェ方がいいンじゃねェのか?」

「で、でも! いつどこで来るか分かんないから……!」


 翠は生まれつき不思議な力があったらしい。だからこそ、この子はアタシと同じ様に日奉家に拾われた。折り紙を使う彼女の力を制御するために瓶の中の折り鶴が役立つらしいが、姉さんや翠から聞いた事なのでアタシにはよく分からなかった。

 しばらく街を歩き、小学校の前にやって来たアタシ達は賑やかに帰路につく子供達を見ながら周囲を警戒し始めた。無論、こんな所で口裂け女が行動を起こすとは思えないが、可能性が少しでもあるのであれば見守る必要はあった。


「みやちゃん」

「あ?」


 翠の視線を追ってみると、いつの間にかアタシの隣には一人の少女が立っていた。どこか眠たげな瞳でこちらをジッと見つめ、微動だにしなかった。


「あー……どうしたんだ?」

「……」

「え、えっとぉお姉ちゃん達に何かご用事かな?」


 少女は何も返答せず校門の中の方へと走り去っていってしまった。そしてどうしたのかと思う間もなく、校門の中からいかつい風貌をした教師と思しき人物が足早に近寄ってきた。その男は目の前で立ち止まるとアタシと翠を交互に見やり、静かに口を開いた。


「何の御用ですか?」

「え。あわ、えっとえっと……!」

「翠、落ち着け。……怪しいモンじゃありません。保護者の方に頼まれて、口裂け女の調査をしてるものです」

「またそれですか……いい加減にしてください。あの子達に聞かれても私達に聞かれても答えられません。いたずらに混乱を招くだけです」


 教師の声からはあからさまな苛立ちが見て取れた。恐らく口裂け女の事を調べに来たのはアタシ達だけではないのだろう。SNSというツールが生まれて以降、注目を集めるためだけにこういう事をする手合いは増えたと聞く。これ以上下手に刺激するのは危険だろう。


「すみませんご迷惑をお掛けした様で」

「お帰り頂けますか?」

「ええ、失礼します」


 アタシは去り際に翠に目線を送りその場から立ち去った。アタシは路地裏へと入り、翠はそれから少し遅れて合流した。


「ちゃんとやったか?」

「う、うん。『万年亀の功』だよね?」

「おう、それで合ってるよ」


 『万年亀の功』は亀を模した折り紙で行う翠の術式だ。ここ数時間の記憶を封じる力がある。どういった理屈でそういう事が可能なのかは知らないが、姉さん曰く奇跡論的儀式術らしい。


「みやちゃん、これからどうするの? 多分学校の近くは……」

「ああ、あんまし近寄らねェ方がいいだろうな。取り合えず通学路周りを歩き回って警戒するしかねェか……」


 アタシはスマホを取り出し、一帯の地図を開いた。この辺りは住宅地であり店舗などはほとんど無い。あるにしても個人経営の店であり、チェーン店よりも早く閉まる事が多い。人が少なければ少ない程、怪異は顔を出しやすくなる。そして『あかつき通り』と呼ばれる通りは、他と比べて人通りが少ない。嫌な言い方をすれば寂れた、怪異の出やすい場所だった。


「あかつき通りから行くぞ。あの辺りに家がある子は狙われやすい。特に今はいつも以上にな」

「うん!」


 足早に進む翠の後を追って、アタシは杖を鳴らしながら件の場所へと向かった。

 十数分歩き、通りに着いたアタシはブロック塀にもたれながらスマホを弄るフリを始めた。学校でもあの扱いだった以上、住宅街ではますます怪しまれる可能性がある。翠はアタシのスマホを覗き込むフリをするという不自然極まりない行動をしたが、幸いにもたまに小学生が通りかかる程度のため、そこまで怪しまれる事は無かった。


「……翠、そろそろ夕暮れ時だ。警戒を強めろ」

「う、うん」


 それから数分が経った頃、突然場の空気が変わった。アタシ達の周りの空気の温度が明確に数度下がったのが感じられた。スマホを開いたまま視線だけ通りに向ける。すると、20メートル程先に小学生男児と思しき少年が立っており、その目の前にはコートを着た女が立っていた。背を向けている影響で女の顔ははっきりとは見えなかったが、マスクを取っている様子が確認出来た。そして少年の顔は恐怖に歪み始めた。


「来たぞ翠、急げ!」

「う、うんっ!」


 不自由な足を杖でカバーしながら距離を詰め、声を張り上げる。


「オイッ!!」

「こ、こっち早く!」


 翠は回り込み、少年の手を掴みながら距離を離し始めた。女は数秒静止していたが、やがて体ごとゆっくりとこちらへ振り返った。

 女の顔には耳元まで裂けた口が存在しており、瞳はどこか猫を思わせる雰囲気をまとっていた。そしていつの間にか右手には包丁が握られていた。


「テメェ……口裂け女だろ? 記録によりゃあ、あんた物の数か月で封印されたそうじゃねェか。今更何しに出てきた?」

「……」


 女は返事を返さず真っ直ぐにこちらを見ていた。その様子はまさに猫の様であり、酷く不気味だった。


「オイ返事が出来ねェ訳じゃねェンだろ? 割れてんだぜそっちのやり方はよ」


 口裂け女の後ろでは少年を逃がし終えた翠が戻ってきており、バッグから折り紙で出来た黒い亀を4匹取り出し、空中に放った。亀達はすぐさま道路の隅に降り立ち、四角形の領域を作り出した。『玄武ノ陣』と呼ばれるそれは人除けのための結界術らしく、発動中は日奉家の人間か怪異しか結界内に入れないらしい。


「何とか言ったらどうだ? 辞世の句も無ェンだったらさっさと封印させて」

「みやちゃんっ!」


 翠の声に驚き一瞬瞬きをすると、いつの間にか目前に居た口裂け女は消えていた。身体能力が高いという記録はあったが、一瞬で消えられる程の力があるとはどこにも記載されていなかった。

 しかし口裂け女の所在はすぐに分かった。左側から冷気を感じ、顔を向けてみるとすぐそこに立っていた。包丁を持った手は既に振り上げられており、今まさに振り下ろさんとしていた。


「っ!」


 右足で地面を蹴り、後ろへ飛び退きながら杖で前方を防御した。思いの外距離が近かったためか包丁の刃先が右眉を掠り、杖に傷を付けた。尻餅をついたアタシはすぐさま顔を上げたが、再び口裂け女の姿はどこにもなく、周囲を見渡してみても見当たらなかった。


「……っ」

「み、みやちゃん! 大丈夫!?」

「ああ……クソ、ちょっと眉毛やられただけだ……」

「血が……」

「気にすンな、大した怪我じゃねェだろ。それよりアイツ、ヤベェぞ」


 尻を掃いながら立ち上がる。


「さっき一瞬だがアイツの手に触れたンだが……どうもおかしい」

「お、おかしいって?」

「今まで封印してきた奴らとは分類が違う気がする。上手くは言えねェが、翠も触ったら分かると思う」

「で、出来れば触りたくは無いかな……」

「ああ、お前ェはサポートだけしてくれりゃいい」


 アタシは触った際に発動した力を探知するため目を瞑る。


「みやちゃん?」

「触った時に熱源を付けといた。この感じだとまだ町内だな」

「つ、付けれたの? じゃあ今やっちゃえば……」

「いや、アタシの力は触った場所に熱源を付けて加熱出来る力だ。探知はあくまで副次的な力なンだよ」

「わ、私未だによく分かってないんだけど、みやちゃんの力って離れてたら使えないの?」

「出来なくは無ェけど不安定だ。迂闊にやって変なもんに火点けたらヤバイだろ?」


 アタシは熱源が放っている波を感じながら、ゆっくりと歩き始めた。相手側の移動もかなり遅く、獲物を探しているものと思われた。

 さっきの感じは何だ……? 今までアタシがやってきた奴らは皆、何というか魂の波みたいなモンがあった。だがさっきのアイツはそれがまるで無かった。まるで生きていないみたいに……。そんな事があり得るのか? 人間も妖も幽霊も波があるのに、それが無い存在なんてこの世に居るのか……?


「……翠、陣は片付けとけよ」

「あ、うん」


 アタシは翠が陣を片付けている中、熱源を探知しながらゆっくりと移動し続けている熱源の方向へと歩みを進めた。

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