第45行目  更なる高みを目指して

 孤児院騒動のあった次の日。キッチンでは食器を片付けているナツキと、食後の珈琲を楽しみながらスズを膝に乗せている千景が。


「ううー」

「そうですね、ウサギさんですね」


 スズはご機嫌でウサギのぬいぐるみと遊んでいる。

 普段なら食器を片付け終わったナツキが、スズと遊んだりするのだが、今日は……


「買い物に行くけど、何か居る?」


 この場を早く立ち去りたいかのように買い物に行くことを宣言。


「んー、そうですね……あ、そろそろ柔軟剤が無くなりそうでした。お願いしてもいいですか?」

「分かった。いつものクマさんのやつね」

「ありがとうございます」


 千景が少し寂しい気持ちを覚えながら返事をしていれば、キッチンの扉が静かに開いた。


「FF外から失礼します」


 扉から現れたのは、深々と礼をしている奈央。聞き馴染みのない言葉、そして普段とは異なる丁寧な言葉遣いの彼にナツキと千景は目を丸くするしかない。


「これから畑に行ってくるのでよろしく頼む」

「「……行ってらっしゃい」」

「FF外から失礼しました」


 再び意味不明な文言を呟きながら去って行く彼。一体なんだったのだろう。


「何あれ、どうしたの?」

「また何か見て影響されたんじゃないですか? 昨日遅くまでスマホを見ていたので」

「あぁ、それでか」


 昨日は共用のスマホを寝る前まで独占していた奈央。使い方が間違っているような気がするが、恐らくアルファベット一文字のあのアプリに影響されたのだろう。


「唐突にやられるからいつもビックリしますよね」

「ほんとうに。前回は2週間くらいハマってたっけ?」

「そうです。あの時は何かと『ナウ』を付けてきてウザかったですね」


 奈央には『流行っている物にとりあえず乗ってみたくなる』という習性が搭載されているので、意味を理解せずとも何かとやってみるのが常である。


「今回のはいつまで保つかな」

「奈央の中で早く流行が去ってほしいですが。ねぇ、スズ?」

「うー、あー」


 千景が微笑みかければ、ニコリと返してくれるスズ。スズが変な言葉を覚えてしまう前に奈央の流行が過ぎれば良いが。奈央は大抵は眠れば忘れてしまうのだが、稀に『ナウ』の時のように長いスパンで覚えていることがある。さて、今回はどれだけ保つか。




※※※




「FF外から失礼します」

「うわ!? びっくりした」


 夜、ゼンが帰宅すると、玄関には旅館の女将が如く礼をして出迎えてくれている奈央が。ゼンは驚きのあまり鞄を落としたし、瞬時に元の姿に戻ってしまった。


「お仕事お疲れ様でした。食事もお風呂も整っております」

「え、あぁ、ありがとう」

「FF外から失礼しました」


 終始戸惑ったままのゼンを一人置いて、静な足取りで去って行く奈央。まるで嵐が如く。

 ちなみに食事を整えたのはナツキだし、お風呂を整えたのは千景である。我が物顔で告げていたが、奈央が整えたのでは決してない。


「なに、どうしたの?」

「お帰りなさい、ゼン」

「ただいま」


 呆然としていれば、リビングから千景が出てくる。昼間の出来事など諸々説明すると、ゼンの口からため息が漏れた。


「またなのね。ビックリした。早く終わるといいけど」

「ほんとうに。さて、ご飯にしましょう。今日はお魚を焼いたそうですよ」

「ありがとう。お腹ペコペコだよ」


 奈央のブームが早く過ぎ去ることを祈りながら、キッチンへと向かう。すでに奈央が着席しており、ナツキがご飯を盛っていた。


「ゼンお帰り」

「ただいま」

「いい感じに魚焼けたんだよ。冷めないうちに食べよう」

「「いただきます」」

「FF外から失礼します、いただきます」


 言葉遣いのせいなのか、普段よりも所作が丁寧に見えてきた奈央。魚を解す箸使いも、口に運ぶ仕草も何だか高貴で雅な感じが滲み出ている。ポロポロと食べこぼされたり、うるさくされるよりは余程いい……かもしれない。


「奈央、醤油取って」

「FF外から失礼します、はいどうぞ」

「……ありがとう」

「FF外から失礼します、どういたしまして」


 少々厚かましいし、鼻につくのが玉に瑕ではある。


「ごちそうさまでした」

「FF外から失礼します、ごちそうさまでした」


 朝はそこまで連発していなかったのに、今では会話のほとんどに『FF外から失礼します』という文言をつけ始めた奈央。千景たち三人は流石に鬱陶しくなってきた。


「うるさいな。昼間に少し忘れてたからこのまま忘れると思ったのに」

「丁寧になるからまぁいいかと放っておきましたが、間違いでした」

「夢に出てきそう。何とかやめさせたいね」


 三人の意見が合った所で頷きあい、ゼンが口火を切った。


「奈央、それおかしいよ。やめなよ」

「FF外から失礼します。まさかゼン、知らないのか。巷ではこれが流行っているらしい。ツッタカターで言っていた」

「Twit○erのこと? 名前変わったけども。それにその言葉は流行ってる訳じゃないんじゃないかな」


 諸々おかしなことになっているようだが、本人はさして気にしていない様子。みんなが使っていたから、自分も使ってみたいだけのようだ。


「意味は知ってるのですか?」

「相手へ話しかける時の礼儀」

「微妙な解釈だな」


 正確には違うのだが、完全に間違っていると言い切れない所が尚のことたちが悪い。どうやって情報を訂正し、使うのを辞めてもらおうかと思案していると……


「お前たちも真似して良いぞ。許可する」


 ドヤァと胸を張り、使用を許可してくれた。別に奈央の物ではないので、彼が使用許可を出すのは可笑しな話ではあるのだが。


「「「いや、いいよ」」」

「なんだぁ、嫉妬か? 更なる高みへ到達した俺への嫉妬だな?」

「高みではないです」

「高みじゃないんだよなぁ、そこは」

「高みというよりはむしろ低い場所なんだよ」


 地面にめり込むくらいの低い場所であるのだが、奈央としては流行の最先端に自分が居ると思っているようだ。


「えふ、ふー」

「おうおう、スズが真似してくれたぞ」

「ついに幼女に気を遣わせたよ、このじじい」


 スズが変な言葉を覚えてしまい、頭を抱える三人。今日一日変な言葉を聞き続けていれば、ススが真似してしまうのも致し方ない。


「お揃っちだな、スズ」

「言い回しが古いんだよなぁ」


 奈央とスズがキャッキャッと始めてしまった。こうなってはもう彼らが満足して忘れるまで付き合うしかないかもしれない。どうか一晩眠って綺麗さっぱり忘れてほしい。そんなことを思っていれば……


 ピーンポーン


 玄関からチャイムが鳴り響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る